-掌の上で踊る-
12月。
平和な日常にオレは心の底から万歳三唱。
尤も、今月の末には悪魔の来訪があるわけだが……―――思わず遠い目になって机に突っ伏す。
「十郎太、親父が呼んでんぜ?」
何の音沙汰もなく、いきなり襖を開いてかけられた声にビクリとして振り返ると赤い頭の八乎にぃが立っていた。
メガネかけてるから、黒髪に見える筈なのに、大学生の八乎にぃは最近何でか赤く髪を染めている。ちょっと前は蒼かったが。
「八乎にぃ…。ノックくらい 「お前は女か」 ……いいよ、もう」
「で、親父が呼んでんだけど?」
「わざわざ言いに来てくれてどうも有り難う。てか、いつ帰って来たの?」
「さっき。親父に挨拶したら、ついでに呼んで来いって言われたから」
ついでかよ!
ま、八乎にぃの部屋は隣だから有りなのかもしれないが。よく見たら、肩からでかいバックかけてるし、足元にトランクケースが1つ。
「わかった。てか、早くねぇ?」
「大学生はとっくに冬休み入ってんぞ? こっちで兄貴と一緒に仕事するバイト入ったから帰って来ただけだし。稼ぐぜ」
「あ、そう…」
「羨ましいからってそんな顔すんなや」
「違っ!! 厭きれてんだよ!!」
「ぁー?」
途端に八乎にぃの目がすっげぇ細くなって。
「おにーさまに対してなんだろうねぇ? その口の聞き方は?」
「誰がおにーさまだ!? そんなお上品な育ち方してねぇっつーの!!」
「…そりゃそうだな。ま、今の科白、後悔する事になってもオレは知らねぇけど」
「は?」
「お前の進学先が決まったそーだ。良かったな~十郎太」
にやにや笑ってます。八乎にぃのその顔は、これまでの経験から行って物凄く不吉な予感しかしねぇ……。
「どこだって?」
「自分で聞けって」
「……知ってるなら教えてくれてもいいじゃん」
「しゃべったらオレが親父に半殺しにされんだろ。せっかく休みの長い大学生になったんだ、余計な怪我してバイト時間減らしたくないね」
「八乎にぃ、バイトバイトって、金に拘り過ぎだよ」
「しゃーねぇだろ。小遣い少ねぇんだから」
「1人暮らしなんかしてるからだろ、修行で世話になってるトコで大学卒業するまでは面倒見てもらえるじゃんか。そーすりゃいいのに」
「面倒くせぇ。つーか、家長とすでに同ランクだぜ? オレはまだランク上がるが、もう50過ぎてんからむこうは無理だろ。何をどう修行しろっつー話だろーが。大体、場所変更はあっちからの提案だかんな」
くっ! あっさりと……。
そりゃ順調に昇格してるからいいだろーけどさっ!
「それに娘がウザイ」
「……モテるって自慢かよ」
「面倒くせぇ。オレは親父とか二刃兄貴とかみてーに10代で生涯の伴侶を決める気ねーの」
「遊び人…」
「あのな、本家の息子だからって理由だけでまとわり付いてくんだよ。別にオレじゃなくてもいーわけ、そこは。わかるか?」
「わかんないね」
オレの科白にこれ見よがしな溜息が1つ。
「お子様にはまだ早い話か」
「るっせ!」
「ま、いいや。早く親父んとこ行けよ」
「……わかったよ」
オレの納得してない顔をそのまま放置して、しかも襖を開けっ放しのまま自分の部屋へと去って行った。
つーか、何でいつまで立ってもオレだけお子様扱いなんだっつーの。大体、八乎にぃだって4才しか違わないのにさ。
はあぁああっ、と溜息を大きく付いて立ち上がる。親父を余り待たせると、オレが半殺しの目に合うからな……。
しかし、他の兄貴は早々に決まったのにオレは随分かかったよなぁ。
進路希望ギリギリじゃん。つーか普通に過ぎてるっつーの。このまま地元残りか? とか言われてるっつーの。
人狼一族には、子供が15才になったら家から追い出して、他の人狼一族の家で修行させるって掟がある。昔は15才の誕生日当日に家を追い出されてたらしいが、今は、人間に交じって学生生活とかしてるから中学卒業に合わせてそれが続けられてる。
……んだけど、オレは正直嫌で。
自分が余所でどう言われてるか知ってるし、どこでも歓迎しないだろうってのは流石にわかる。ま、例外が千早伯母さんのトコで、地元残りって言われてんのも伯母さんがこっちにいるからだろうし。
でも可能性低いんだよなー。三知にぃが行ってたらしーから。
あー、何でそんな掟を未だにご丁寧に守ってんだろうなぁ。ちくしょう。
脱力しまくって、オレは親父の下へ向かうのであった。
++++++++++
翌日、放課後、進路指導室。
「それで、昨日、長から連絡があって決まったから書類持たせるって言ってたが」
入るなりいきなり本題に入る、担任の奥谷先生。立場上、表立ってオレをどーこー言わない教師連中の中でも、唯一と言っていいくらい、オレの外見のせいで態度変えたりしない人。柄がいいとは余り言えないし、教師っぽくもないが。
「てっきり師範代んとこだと思ってたけどなぁ」
「オレもそうだといいなって思ってました」
頷く。先生曰く、師範代は千早伯母さんの事。剣術道場で師範代を務めてて、先生はそこに通ってたとかで今でもそー呼んでる。
「だろーな。ま、座れや。それとどこだって言ってた?」
1つ頷いて、テーブルを挟んで向かいに座りながら茶色のA4封筒を手渡す。
「どっかで聞いた事あるんだけど、錫ヶ原学園って言ってた」
「マジで?」
あからさまに驚いた顔になった。
「何か問題でもある学校?」
「いや、うーん……。まぁ、近いってわけじゃねぇけど、住んでない事はないか」
「親父の嫌がらせか」
難しい顔で呟いた科白に、ぽつりと本音が漏れる。
「3、40分圏内だろ。多分。んでもなぁ、学校の方も…ああ、まぁ、本条ならイケるか」
「やっぱり学校に問題が…?」
「問題っつーか、聞いた事ない訳がないんだよ。入試の難易度、全国トップ5に入るくらいレベルが高い」
ひくり、と顔が引き攣った。
「中高一環で、名うての進学校。偏差値がエライ高い。ま、共存学校だしな」
共存学校ってのは、人間だけじゃなくって、それ以外も受け付けてて混ざってる学校の事。勿論、人間だけってのもあるし、表向きは違ってても“退魔師協会”で持ってる学校の中には人間以外のみってトコもある。
てか、それはオレとしては有り難いんだけど、何、その狭き門?
「……オレ、受験で落ちたくないんだけど」
「気合い入れて勉強すりゃなんとかなるよ。お前成績悪くないし」
何とかって……担任なのにそんないい加減でいいのかよ? 泣きたいよ、やっぱ親父の嫌がらせじゃん。
「それにほら、お前には、次期長が付いてる。兄の七と八乎が3年の時もオレが担任だったがよ、あの2人に比べれば元々がお前のがマシだし、次期長の指導がありゃ余裕だろ」
茶封筒から紙の束を取り出しながら、軽く言われる。オレはがっくりと頭を落として机にぶつけた。
「……その様子だともう始まってたか」
「先月休んで帰って来てから、家にいる時はずっと。留守にする時もしっかり宿題を置いて出かけてる」
「次期長が見てるなら、軽いだろ。イケるって」
「その前に死ぬかも」
「大丈夫だって。それに、立地的にも修行には最適…―――はぁ? 何だコレ、マジか? うは、長もすげーな」
取り出した紙の束を眺めながらそんな事を口にする。何でかすげー愉しそうな笑みを浮かべて。
「何…?」
「ああ、いや。…見てないんだな、本条。コレ」
「親父に、明日、奥谷先生と見ろって。見たらわかってるよなって言われたから」
「なるほど。いや、しかし…長も思い切ったことするなぁ。ま、本条の事考えてだろうが。アレか、遅れたのはジジイどもの説得に時間がかかったんだろーな」
感心したよーに言う姿に、オレは本気で疑問が沸いた訳で。親父がオレの事を考えてって嫌がらせって意味が大半なんだけど、どうにも先生の顔はそうじゃないっぽい。
しかも、ジジイどもって…。
「よかったな、本条。お前の修行先、一族と関係ないとこだぞ」
は?!
思わずがばっと顔を起こして、テーブルに身を乗り出すようにして凝視する。
言うまでもないだろうが、修行先は一族内の他の家。それ以外は駄目とは掟に記されてないけど、そこは暗黙の了解ってヤツで一族外を選んだりはしない。普通の親は。
「どーやって説得したんだろうな、コレ」
嬉しそうに一枚、紙を引き抜くとオレに見えるように差し出してペラペラと動かす。
「はぁああああ!?」
思わず、叫んだ。つーか叫ばずにいられるかっ!?
その紙には冒頭に修行に関する在住地及び指導者とタイトルがあった。それはいい、まだいいが…。
「乃木恭一、国内在住唯一の北斗以外のSSクラス。最高の指導者だな。しかも場所が乃木の管理地とはなー、いい環境だなぁ」
感嘆した科白。
いやまぁ、そこだけ見れば、そうかもしんないけどさ。
「驚くのはわかるが、驚き過ぎじゃねぇ?」
「いや…先生、それ…」
再び机に突っ伏して、今度は頭を抱え込んだ。
「何か不味い事でもあんのか?」
「……そこ、悪魔が住んでる」
「は?」
「悪魔が」
「狼男のくせに悪魔が怖いのか、お前。つーか退魔師免許取るんだろ? そっち系怖がっててどうすんだ?」
「……狼男じゃないし。そっち系は全然怖くないけど、人間の皮被った人を喰ったよーな悪魔が住んでる。正直、これ以上関わり合いになりたくねぇ」
脱力した体制のままぶちぶち愚痴るオレを一瞥し、先生はぽりぽりと頬をかいた。まぁ、進路指導室での態度としてオレの状態は問題有り過ぎるのはわかるけど、無理。
「乃木の人間にもう会ってたのか」
何でピンポイントでわかるんだろーな……。
「仕方ないな、あそこ、人間だけど人外と平気で渡り合える神経持ってる稀少な家系だから。乃木のお家芸だぞ、低姿勢なのに自分有利に話を進めるとか、笑顔で人を陥れるとか」
……どんな家だよ。つーかあの性格は、育ちのせいなのか。矯正しようがねーじゃん、それじゃ。
「ま、オレも当主の乃木恭一に直接面識はねーけど。そういう話はちらほらとな」
「有名なんだ?」
「ぁー…まぁ、な。……何たってSSクラスだし」
「先生、何か取って付けたような理由に聞こえる…」
「他にも色々逸話があるからな。まぁ、本人に会うんだし、言うまでもねーだろ」
「……親父みたいなの?」
「それはない」
きっぱり、はっきり、即答で否定してくれました。
「どっちかって言うと、見た目は真逆の筈だ。優男って話だから」
「……でもSSクラスって事は 「まぁ、見た目どおりじゃないんだろうな。乃木の人間だし」
嫌な断言してるよ……。
「本人に会ったのと違うのか?」
「いや、娘の方に」
「跡取か」
「……そーなの? 符術も壁張るのしか使えないって言ってたけど」
「そりゃ違うな。ああ、そうか。……ぁー、アレだ。頑張れ」
急に同情に満ちた眼差しでオレを見つめてくるし。
ことさらに嫌な予感しか募んねーんだけど…?
「向こうは今と真逆の環境だかんな」
「…それってどーいう?」
「乃木恭一には子供が4人いて、全員娘。娘馬鹿としても業界では有名」
行きたくねぇ……。
本気で力が抜けて、椅子からずり落ちた。
それはつまり、あんなのが他に3人もいるって事だろ? 終ってるよ、勘弁してよ。やっぱり親父の嫌がらせじゃん。
「しかも、先祖還りの“霊喰い”いるし。跡取は長女でもう20才超えてんだけど、来年の昇給でSクラス確実ってのの筆頭に上がってたな。オレのがAクラス上がったの早かったんだけどなー…」
「先生は教師業優先してるからじゃん」
「ぁーまぁ、ガキと戯れてるほーがオレには合ってるからな。長に言われない限り、あっちの仕事する気ないし」
「先生、何で退魔師免許取ったの?」
「師範代に良い稼ぎだからって言われて」
千早伯母さん……どういう後輩育成してんですか?
金じゃないだろ、言うべき所は。
「それにオレに合ってるって言われたしさ。まー確かに、仕事だけならいいんだけど、他が面倒でなぁ…。上とのやり取りとか、決まり事とか。チーム組んで、明らかにオレより程度の低い脳みその持ち主の指揮に従わないといけないとかさぁ。やってらんねーよ」
駄目じゃん、先生……。生徒の手本にならないといけないのに、駄目人間っぷりしか伝わらないよ…。いや、人間じゃないけど。
「教員免許取っておいてよかったよな、本当」
「先生、余り先生っぽくないけどね」
「そーか?」
「うん。でも、オレはそっちの方が嬉しいけど。だってさ、普通、オレとか言葉遣い注意されると思うよ?」
「オレよりマシだからな。注意しようがねぇ」
自覚ありかよ…。
「それに、かたっくるしいのは好きじゃねーし。本条、とりあえず、顔出せよ? 椅子座りなおせ。脱力してても始まんねーよ、もう修行地は乃木の管理地で、指導者は乃木恭一で決定事項なんだから」
ぐはっ!?
せっかく忘れてたのにぃいい!!!!
「それに安心しろよ、別に乃木の家に住むって訳じゃねーみてぇだぜ?」
え? マジで??? ―――って痛ぇ…。思わず勢いよく頭を上げて、テーブルに強かに打った。阿呆か、オレ。頭を抑えながら立ち上がると、先生は思いっきり笑うのを堪えてるし。ちくしょぅ。
「落ち着けよ?」
「うん。…で、何で? 普通住み込みなんじゃないの?」
「娘馬鹿で有名というのから察するに、年頃の少年を同じ屋根の下に置きたくねーんじゃねぇ? 管理してるアパートって書いてある」
「アパート?」
「ののはら荘って名前で、104号室。独り暮らしだな、悠悠自適だぞ」
「……いいのか悪いのかわかんない。つーか悠悠自適じゃないと思う…」
「ああ、まぁ、修行に行くんだからな。しかも乃木の管理地。協会で教育プログラム組んでやるにしても、Bランク以上指定区域だからな、あそこ。かなりキツイだろうな」
笑顔で何か言ったー!?
「せ、先生。今…Bランクって言った?」
「ああ。Bランク以上指定区域だから、それ以下は死ぬ可能性があるから却下と」
死ぬ可能性って…、そんなあっさり言う事か? オレ死ぬじゃん、それ。
「お前は大丈夫だろ。Bランクの竜道撃退してんだから」
………。
あ、ああ、そういえばそんな話になってたーっ!?
「あの4人を1人で撃退してんだからな、ヘタな場所に修行に出せねーだろ。やっぱ。そこらヘンも考慮してんじゃねーの?」
自分の事のように満足そうな先生の顔から思わずオレは視線を逸らして、椅子に座りなおした。
「照れなくてもいいんじゃね?」
「……いや、だって、“雪”のお陰だし。つーか、何で先生がそんな事知ってんの?」
「三知はオレの弟分なんだが。師範代んとこで一緒に修行した仲よ? 冬悟もな。それで、まぁ……な。うん。将道が半殺しで済んだのオレが止めたからだし」
知らなかった…。
いや、千早伯母さん繋がりは、先生が師範代って呼んでる時点であるだろうとは思ってたけど、そこまでとは。それに冬悟さんの事があって三知にぃがキレてたの知ってたけど、あの時の半殺しとかいう話はそういう経緯もあったのか。
てか、キレた三知にぃを止められるって、先生やっぱ凄いな…。
「まー。三知も冬悟も、20代半ばでオレを踏み越えてったけどな」
「……先生、今、凄く感心してたのに。台無しだよ、それ」
「事実だからしょーがねぇな。とにかく、ざっと見書類は揃ってるし問題ねーからコレで出しとくな。お前は受験勉強頑張れ」
「……先生、オレ、落ちてもいいかな?」
「次期長が怖くないならいいんじゃないか?」
あっさりと不吉な事言った!?
全身硬直したオレを横目に、出した紙の束を茶封筒に仕舞い込む。
「長は直情型だからどういう行動に出るか予想は付くが、次期長は予測不可能だからな。恐怖という意味なら、次期長を怒らせる方が怖いだろ?」
無言で頷いた。こくりでもこっくりでもない、がっくりと。
「受かるしかないよな。七なんか、それだけで受験戦争クリアしたよーなもんだし」
暢気な口調でそう言って、立ち上がる。
つーか、兄貴、七にぃに一体何をしたんだ…? それだけでって、兄貴を怒らせたくなくてって事だよな? いや、気持ちはすげーわかるんだけど。
「本条。もう帰っていーぞ。気合い入れて勉強しろや」
「……はい」
「んじゃ、明日な」
右手をひょぃと上げて、左手に茶封筒抱え、やる気なさ全開で進路指導室から出て行く姿を思わず見送ってから、溜息を1つ。それからのろのろと立ち上がって、足元においてあったバッグを手にオレも帰宅の途に着いた。
オレの人生、終った気がするのは、きっと気のせいじゃない筈だ。
ちくしょぅ。