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曼珠沙華ノ迷宮
作:友路



灯篭花ノ章 四輪目


「…あれ、もう着いた?」
気付いた時には、何やら頑丈そうな扉の前だった。
これほどすんなりワープするとは。
それは瞬きする間程の出来事で、移動したという実感はなかった。
ここが、灯篭花の間…。
「あとはどうぞご自由に」
「あ、はい。有難う御座います」
予想ではもっと和風で平凡な場所だと思ってたんだけど…流石は恐怖の館。
客がくつろげるような場所ではないな。
その時、灯が突然、改まってよそよそしく言った。
「では、これで案内人としての役目を終えさせていただきます。どうかお客様が迷いを解かれますようお祈り申し上げます。
 何かお困りでしたらいつでもお助けいたします故。では…」
そう言うと、彼はすっとお辞儀をして出て行く。
去り際に一言。
「……それと、服が泥だらけですよ」
「え!?」
はっと思って見ると、全身くまなく茶色に染まっていた。
「災難だらけで気付く暇もねえよ…」
一人取り残された俺は、泥を払いながらぽつりと呟いていた。

***

さて…と。
しん、と静まり返った入り口に、俺一人。
早速中に入ってみると、そこは赤い光に染まった広い空間だった。
さっき見たような自ら朱に光る曼珠沙華が、所狭しと並んでいる。
外に出てしまったのかと錯覚するが、よく見れば洞窟のようにごつごつした壁に囲まれており、花の自生する床にも泥はない。
周りを一通り見渡してみる。
無駄に広い部屋に置かれているものは…ほとんど無い。
テレビもなければ雑誌や本すらない。
手ぶらでやって来たのだから、本当に暇つぶしになるものが何も無いのだ。
「…よいしょっと」
とりあえず、花の生えていないところへ慎重に移動して座る。
とてつもなく暇だけど、動きたい気分でもなかった。
(なんか…疲れたな)
ごろん、と仰向けになって、天井を見つめる。
天井に蛍光灯はない。その代わりに発光する曼朱沙華だけでも充分すぎるくらいの明るさだ。
だから灯篭花…か。安直なネーミングだな。
ふう…、と溜息をついて横を見た。
「うわあっ!」
思わず叫んで反射的に飛び起きる。
扉の奥から、女性が覗いていたからだ。
女性は戸惑った様子でとことこと駆け寄ってきた。
「申し訳ありません……。お休みになっているところにお邪魔かと…」
「え、いや、そんなことはないですけど…」
服を整えつつ女性をちらっと見る。
妙齢で、清楚な雰囲気を纏ったその女性は赤い着物を着ている。
その振袖部分に、大きく白い曼珠沙華が咲いていた。
灯の言ったとおり、さして普通の女将と変わりはなさそうだ。
女性は恭しく言った。
「お初にお目にかかります、瓊歌けいかと申します」
「あ、宜しくお願いします…」
女性につられて俺も頭を下げる。
瓊歌さん、か。
彼女はもとの姿勢に戻ると、静かに問いかけた。
「――突然ですが荘和様、貴方はご存知ですか」

***

霊界と人界の間。
本来人間の来るべきではないところ。それがこの世界、『月秋つくぎ』。
何らかの理由で人はここを訪れる。

ある人間はその命を落として。
ある人間はその意識を絶たれて。
あるいは、深い眠りに落ちて。

貴方の肉体は今、現世で眠りについているのですよ、と言って女将は微笑んだ。
予想はしていたが、俺は本当に幽体離脱をしていたのか……。
「案内人に言われたでしょう、貴方の迷いは特別だと」
「はい」
「一つだけ私から助言をするとすれば、迷いの鍵は記憶にあるということでしょうか」
「記憶…?」
この女将、そんな大事なことをよく易々と言ったな。
たった一つだけの助言だが、それは正に答えのようなものだろう。
現実に戻るための最高の助け舟に素直に喜ぶべきものなのかもしれないが、内心俺は首をかしげていた。
(信じてもいいのか?)
「記憶さえ戻れば、貴方は必ず真相を見つけられるはずです」
そう言い、女将は軽く礼をして去っていった。

歩きながら、誰も居ない曼珠沙華の空間で女は呟く。
顔に先ほどのような笑みは無い。
「――荘和様、この世界をどうぞゆっくりと楽しんでいってくださいませね」

***

灯は無限迷宮の長い道程を引き返すと、扉を閉めるために鎖を掛けようとしていた。
その時だった。

どん、どん。

「!」
扉をはさんですぐ向こうから、扉を叩く音がする。
鈍い響きが重い鉄を伝わってくる。
客が無限迷宮の中に居るというのか?
不思議に思いながらも、扉を開く。
向こうから現れたのは、見知らぬ女性だった。
(……この気は『稲荷』だな)
自分ともあろうものが、無限迷宮を訪れた稲荷に気付かなかったというのか。
いや気付かない程度ではない。
内部に居た時には完全に己から発せられる気を消していたのだ。
いくら高位な稲荷でもそこまでの実力を持つ者など数少ない。
不信感を抱きつつも、礼儀として謝っておく。
「申し訳御座いませんでした。まさか何方かが居られるとは思わず……」
言われた女性は何やら気まずそうに目を背ける。
「…こちらこそ済まな…いえ、申し訳ありませんでした」
……何故言い直す。
ますます、疑わしい。
ひとまず、改めて扉の鎖を掛けなおす。
この時、心にはある一人の人物が思い浮かんでいたのだが、まさか此処に来る事などないだろうとすぐさまそれを打ち消した。
あれは月秋を護る者だ。
いくらまだ子供だと言えど、身分を弁えた行動くらいするだろう。
しかしそれ以外にこんな事が出来る者は居るだろうか――……
と、その時だった。
ふっと頭から軽い圧迫感が消えたと思うのと同時に、突然視野が広くなる。
それから間もなく、足下に何かが落ちる音が響いた。
紐の解けた面が、転がっていた。
「……」
もしや。
恐る恐る振り向くと、まず見えたのは、伸ばされた白く細長い手。
見慣れた、あの姿。
それは口を開いた。
「何時まで仮面をしている気だ。私の前でくらい取れ」
「瓊歌……!」
俺が驚いていることが余程満足だったのか、得意げに微笑んでそれは言った。
変化へんげしていたとは言え、今まで気付かないとは薄情な奴だな。迷宮から出てきた辺りで分からなかったか?」
「流石に予想はしていたけどな……お前も随分と気に掛けているみたいじゃないか」
確かに、拭いきれないはずの己の気質まで、巧妙に全く別の稲荷に変化させるなど、いかにもこいつらしい。
……参ったな。
心配性がうずくのだろうが、こう気軽に御堂から出てこられては後から誤魔化しが利かなくなる。
俺は任された仕事は問題なくこなしている。支障など無い。
このまま上手くいけば心配しなくとも、関係者の、そして何より当人の望む結果に終わるのに、こいつは何故こんな真似を……。
「どうして御堂を抜け出してきた?互いに任された仕事があるだろうが」
抑えようとしても、声に険が混じってしまう。
その言い方が癪に障ったのか、それは不機嫌そうに目を逸らすと、こちらに背を向けた。
呟くように忠告をし、それは去っていく。
「――それならば邪魔者は退散させてもらう。ただ、お前も大事な迷い人を危険な目に遭わせないようにな、案内人」
その背が音もなく遠ざかっていくのを見届け、ようやく俺は一息ついた。
張り詰めていた空気が和らぐ。
また、あいつも迷い始めているのかもしれない。
どうやらお得意の優柔不断が心に出しゃばっているようだ。

冷たい廊下に転がった面を拾い上げる。
確かに、面は要らぬ隔たりかもしれない。
声が、蘇る。
私の前でくらい、か……。
ふと思った。
あれは、助けを求める声なき声ではなかろうか。
無茶な行動も、素っ気ない言葉も。
「――お前こそ、それならそうと俺に素直に言えばいいものを」

***

一仕事を終え、色々と考え込んでいた灯は、用事を済ませて帰ってきた女将と出くわしていた。
「あ、女将。意外に遅かったですね」
「まあね。長老方の話って長くてさ、疲れるんだよ」
女将は上品な顔立ちに似合わない姉御口調で愚痴を吐く。
そして玄関から中に入ると、ふう…と溜息をついた。
「そういえば…さっきの」
「ん?」
「あれ、女将すれ違いませんでしたか。『狐』ですよ、『狐』」
それを聞いて、女将はさっと顔を上げた。
「そりゃあすれ違ったけど、そんなことより……」
途端に渋い表情になり、手招きして灯に耳打ちした。
事の一部始終を聞いた灯は、複雑な、困惑したような面持ちで女将を見た。
「住人達がそんなことを……」
「困ったもんだよねえ。みんな血眼になってあの子を此処に留めるようにって狐様に迫ってさ。
 要求を聞き入れなければ狐様を最高の地位から引き摺り下ろそうなんて余りにも身の程知らずだと思わないかい?」
女将の方も、どう対応するべきか考えあぐねているといった体だった。
「ということは、やはり瓊歌は極秘であの客をここに送ったということですね。記憶を抜いて」
「そうそう。ま、幾らあの方とは言えど道はそれしかないものね。真相こたえは絶対なんだから」
推測でしかなかった状況が、やっと掴めてきた。
御堂に続く砂利道などに立ち尽くしていたことと、神社の者しか履かない筈の草履を履いていたことからして間違いは無いと確信していたが、
やはりこれはあの時と同じだ。全く同じ状況で、同じ迷いを抱く客。あの日と同じことが、繰り返されている。
記憶を用いずに真相を導き出すよう促しておいて正解だったようだ。
「聞いたところによると今のところ記憶は一切蘇っていないようじゃない。それがせめてもの救いだよ」
「そうですね。丑の刻が明けるまでこのままでいてくれませんかね…」

月秋の契約――現世に生きる人間でありながら『狐』である彼女の存在を知ってしまえば、すでに此方の者。
ならば、『狐』と顔を合わせたその時の記憶を奪い、白紙に戻した状態で真相を見つけさせれば良い。
当然迷い人は何の話か理解できず、「現世へ戻る」という真相を導く。
そして此方の住人達には、そのような真相が出たので仕方が無い、説得した結果だと言いくるめるのだ。
そんなことをすれば『狐』の立場が無いことも事実だが、彼女はそれをも省みずこの策略に出た。
「何故獲物を逃した」と、後ろ指を指されることは間違いない。
だが、二度と後悔をしたくないという気持ちが誹謗中傷への危惧に勝っていたのだろう。

とは言うものの、完全にそれとこれを離別して考える事は難しい。
一人の為に、大勢の住人を裏切る事は容易ではない。
特に優柔不断で、優しすぎる彼女には過酷過ぎる試練だ。
(だからといって、俺が何をしてやれる?)
今出来る事は、与えられた仕事を全うする事だけだ。
そう、ただそうしてさえいればどうにかなる。私情に駆られて余計な行動を取ってはいけない。

以前、客が例の少女に道連れにされた時、『あちら』――つまり現実では多少話題になっていたと聞いたことがある。
その客は幾度か此方の世界に繋がりかけていたことがあり、その時見たこと聞いたことを知人に教えていたらしい。
そして客が道連れにされ姿を消した後、その知人は此方の世界の存在を疑った。
もし、万が一あの少年が以前に一度でも此方に来たことがあれば。
理由は違えど、現実へ戻ることが出来ないのは同じ。
噂が立てば脅威になりかねない。
此方のことを察知した者から他の人間へ、怪談話や都市伝説のような気軽さで話されては困るのだ。
この世界がずっと隔離された存在で在り続ける為に。

そして、彼女に少しでも安息が与えられる為にも。












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