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曼珠沙華ノ迷宮
作:友路



灯篭花ノ章 三輪目


扉の奥は、案の定闇だった。
地面は砂のようなもので覆われているらしく、歩くたびにざっ、ざっ、と乾いた音が鳴った。
善光寺の戒壇めぐりを思い出す。
前に居る人も見えなくなるあの恐怖を味わうのもあれが最初で最後だと思っていたのに……。
もう、三回くらい体験したからね、俺。
灯が開けに行ったという例の扉というのが此処にあたるが、
彼の説明によるとここを通れば客間のようなところに着くそうだ。
灯はそれを曼珠沙華の空間…とか何とか言ってたけど、前後の文脈から判断するに恐らく個室の並ぶ場所のことだと思う。
とは言え、予想外の場所だったりするかもしれないし、まだ何とも言えないんだけど。
ここ旅館の名を借りた恐怖の館だからな。システムは旅館と全然違うだろうし。
(俺、どうなるんだろ……っうわ!)
「!」
足首をひねり、バランスを崩してしまった。
反射的に上半身で体の均衡を保つ。
「おっと…」
再び、歩き出す。
どうにか転ばなかったが、こんな調子で暗闇が続くと思うと先が思いやられる。
「……ご無事ですか」
余り心配はしていない様子で灯が訊いてきた。
「こういう底の高い履物って慣れてなくてさ……」
足が地面に着いていない感じがして、気持ちが悪い。
でも、何で俺、こんなもの履いていたんだろう。
そういえば灯もそのことを気にかけていた。
「……」
大したことではないのに、と思っていたが、実は何か大したことの証なのだろうか。
これまでの記憶を大まかに辿ってはみるけれど、思い当たることとしては灯も草履を履いているとか、
普通は和服に草履だろうとか、そんなどうしようもないことしか出てこなかった。
「申し訳ありません」
「え?」
彼は何を思ったか、突然謝罪の言葉を口にした。
「先ほど私が尋ねたことをずっと気にされているようですので」
「……よく分かったね」
だってあんなに深刻そうな態度をとられては、こっちだって気になるだろう。
一体草履の何がそんなに俺の運命に関わるのかは知らないけど。
灯はそれきり何も言わない。う、うーん、気になるけどこっちからは訊きにくいよなあ……。
どうせ教えてくれないだろうし。

思い悩みついつい足を止めそうになっていると、逆に彼がさっきよりも急ぎ足になった。
距離がどんどん開く。
(お、置いてかれる…!)
ここで置き去りにされては自分の命すら危ない。
壁も無く視界も利かない中必死で進む俺は、やっとのことでそれに付いていく。
そんなにのんびりもしてられないってことかな…っと、うわっ!また足がもつれて転ぶところだった…。
必死の俺にも構わず、灯は無言ですたすたと先に行く。
「い、急ぎすぎ……」
情けなく呟いた途端に灯は立ち止まった。
どさっ
「痛っ!」
その反動で正面から思いっきり灯の背中にぶち当たった。
「何だよさっきから!」
思わず声を荒げる。
反面、灯は動じない。
穏やかな中に険の混じった声が反響する。
「宮明様は先ほどから呑気に考え事ばかりされているようですので急いでいるのです。いいですか――」
ぴしゃりと言う。そして、諌めるような口調で言った。
「ここからは無限迷宮です。油断なさらずに、先へと進むことだけを考えていてください」
「迷宮……って迷路のこと?」
「一言で表現するのは困難ですが…言わば無数の時空や世界と繋がる空間ですよ。
 ――迷えば二度と出ることの叶わぬ場所です」
そう言い終えると、灯は再び歩き出した。
「へえ……」
返す言葉が見当たらなかった。
というより、イメージが掴めなかった。
今更こういうのもなんだが、あまりに現実離れしすぎた言葉だったからだ。
迷えば二度と…って言われても、実際にそうなってしまうまではとてもじゃないけど信じられない。
そもそも。何故そんな場所を通る必要があるのだろうか。
俺は率直な意見を述べてみる。
「それ、客を危険にさらすことになりません?」
灯は珍しく戸惑ったように答えた。
「そうかもしれませんが……普通のお客様は皆この無限迷宮から来られますから」
「俺が特殊なの?」
「ええ」
きっぱりと言われてしまった……。
「あ、そう……」
これ以上無限迷宮について突っ込むのは止めておこう。無論自分のこともだ。
訊けば訊くほど自分の脳内が迷宮に入っていきそうだから。

***

「……ところでさ」
「はい」
「この迷宮って俺たちの他に誰かいる……?」
声が遥か遠くで反響した。
そして静寂。
足音と衣擦れの音だけが支配する世界。
圧迫感があって息苦しい。いい加減、暗闇から開放して欲しかった。
「気配でも感じますか。私達以外の」
「それは…」
そんなことを改めて言われると、怖い。
誰かがいてこちらを監視していてもおかしくはないだろう。
本当は視線を感じたような気がするのだが、結局のところ錯覚なのかは分からなかった。
「いくら無限迷宮と言えど頻繁に誰かが来ることはありませんよ。迷宮の出口を知っているのは私か女将くらいですから」
「そっか」
灯がそう言うのならそうなのだろうが……素直には拭い去れなかい。
ところで、やはりいくら不可思議な旅館といえども女将は存在しているのか。
外観やシステムが型破りなだけに、その存在をすっかり忘れていた。
女将がここではどのような役割を担う人物なのかは、はっきり言って見当も付かない。
……待て、女将=お偉いさん=少女か?
いや、それはないな。
迷いについての情報の切欠を、そんな易々と口にするわけが無い。

延々と続いていた道の中、初めて角を曲がった。
ふと、前を見る。
少し闇に目が慣れてきて、うすく灯の後姿の輪郭が見える。
黙々と歩く彼は一見冷静さを保っているようだが、様子がおかしい。
さっきまで自然としていた会話がこうして途切れたことなんてなかった。
途切れたとしても、こういう風に押し黙って余裕の無い様子の灯を見たことは無い。
空気が、重い。
嫌な汗が背中を流れていく。
なんだろう。嫌な予感っていうのかな。
何の根拠もないただの予感だが、今だけは的を射ているような気がした。
押し潰されそうな程の不安を掻き消したくて、適当に思いついた話題をふっかけてみた。
「なあ、女将って何してる人?」
声は微かに震えていた。
「…現世の女将とそう変わらないと思いますが」
やっぱりおかしい。声にさっきのような余裕が無い。
緊張が伝わってくる。
「なあ、どうした……」
「気をつけて!」
「え!?」
灯がそう叫んだと同時に、何かが迫る。
すぐに身を翻すと、それはふっと、一陣の風のように通り過ぎた。
突然の出来事に、心臓がバクバクと音を立てている。
――キャハハハハハ…
無邪気で甲高い子供の笑い声が、小さな足音とともに遠ざかっていった。
灯の鋭い声が、まだ頭の中に木霊している。
「今の、何だ…?」
子供が、何でここに…。
直感で、今の子供がこの世の者では…少なくともただの子供ではないと思った。
そして、これが視線の正体であり、嫌な予感の正体であるということを知った。
そう思った途端、全身から嫌な汗が吹き出る。
俺は体の力が抜けてへたり込んだ。
足が砂だらけになることにも構わずべったりと座ってしまった。
立ち尽くしたまま微動だにしなかった灯が、小さく呟いた。
「また、あの時と同じ……」
「同じって、どういう…事?」
俺はすかさず聞き返した。
軽い衣擦れの音。灯はこちらに向き直ったらしい。
「…いえ、何時もこの辺りを彷徨っているのですよ、あの子はずっと……」
「……途中で、置き去りに…したのか?」
鼓動は不安定に高鳴る。
「ある意味ではそうとも言えます。お客様に私事を聞いていただく義務は御座いませんので詳しいことは申しませんが……」
――キャハハハハハ…
声が、遠くから聞こえる。
「そうして、真相から目を背けた迷い人は一人、また一人と消えていくのです。あの子が仲間を求める限り」

話を聞いている間中、悪寒が体を駆け巡った。
顔や体の末端部分から血の気が引いて、心臓にその血が一気に集まる。
「…『仲間』が見つかったら、それでその子の思いは晴れるのか?」
「いいえ。この迷宮が永遠に迷い人を求めるように、少女もまた『仲間』を求め続けますよ。ほら…」
――どこにいるの…?どこにいるの…?どこにいるの…?灯様……。
「……っわ!」
静かな足音とともに前を横切った気配。
さっきの子供と同じような、あの嫌な感じ。
「い、今呼んでたじゃん…、助けてあげろよ!」
灯はぽつりと言った。
「…もう、手遅れです」
「何で!?」
俺は悲痛に叫ぶように問い詰めた。
「……一度でも案内人の監視から外れてしまえば五感の全てを奪われ、もう私の姿すらみとめることが不可能になります。
 今のは道連れにされた『迷い人』。少女と同調して取り込まれてしまったのですよ」
「そんな……」
灯は再び歩み始めた。
俺も話を聞いた直後だったので、絶対その姿を見失うまいと必死で後ろを付いていく。
道を曲がり、坂を上がり、そしてまた真っ直ぐな道へ。

少女に…そして灯に何があったのかは知る由も無い。
ただ、迷いから逃げてしまえばその末路はここなのだ。
だから、俺は。
迷いから抜け出してみせる。
絶対に、逃げない。

***

ただでさえ分かりにくい灯の気配だけを頼りに、右へ曲がり、左へ曲がり…どんな道なのか見当も付かない。
出鱈目に時空や空間と繋がっているこの迷宮に道など無いのだろう。
「……」
複雑な気持ちを抱いたまま、俺は歩いている。
頭の中には、ずっとさっきの一連の出来事が渦巻いていた。
ひとえに「俺は逃げないから大丈夫」と片付けてしまえば辛くないのだろうが、そんな簡単に切り捨てることはできなかった。
人は弱い。
俺が必ずしも逃げないとは限らない。
誓いなど、いつでも崩してしまえるものなのだ。
「宮明様」
突然名前を呼ばれ、びくりとした。
顔を上げると、灯が立ち止まって此方を向いているのが微かに見える。
そして彼は一言だけ、何の前触れもなく言い放った。
「――合格です」
一瞬の静けさ。
何を言われているのかよく分からなかった。
「――……はっ?」
聞き間違いだろうか。今、合格とかいう、突拍子も無い言葉が聞こえたような気がするが。
灯は繰り返した。
「ですから、合格です。これより曼珠沙華の空間へご案内致します」
「な、何言ってんの……?」
俺は拍子抜けしてそれ以上何も言えなくなった。
……試されていた?
今までのは俗に言う面接試験だったとでもいうのだろうか。
だが、よくよく考えてみると、この無限迷宮とやらを抜けなければ部屋にたどり着けないというシステム自体
お化け屋敷のような、用意されたアトラクションじみていて大抵の人間なら首を傾げたくなるものである。
となると、さっきの少女もちょっとしたトラップだったりするのかもしれない。
……手、込みすぎだから。俺本気で怖かったんだぞ!
「俺…もし失格だったらどうなってたの?」
もし、ふるいに掛けられ零れ落ちた側の人間だったら。怖々聞いてみる。
「合格したものは合格したのです。そのようなことを気にされてどうするのですか」
灯はしつこいと言わんばかりにぴしゃりと言い、一息ついてから言葉を続けた。
「私が責任を持って、貴方なら恐らく真相こたえを導くであろうと判断致しました。……其方としてもそうするしか道は無いですし」
「そう、なんですか?」
何だその言い方は。こ、怖いじゃないか。
いつもの、何か裏のある言い方。
こいつは俺に何かを隠している。そして何かを知っている。答えなどお見通しなんだろう。
だけど意地でも自分自身の目で真相を見つけるつもりだ。
だから、俺は今だけうまく言いくるめられてやることにした。

***

鉄の扉が開くと、視界にまず飛び込んできたのは、曼珠沙華。
燃えるような赤の無数のそれが――自ら光り、空中に浮かんでいた。
久しく光を見ていない俺の目に突き刺さるような眩しさだ。
壁がどこにあるかもわからないだだっ広い空間には、鏡でも見ているような同じ光景が広がっている。
「……」
物が自ら浮かんでいるという全くもって物理学を無視した事実にもう驚くことは無かった。
恐らく、あまりにも不可思議な物事を体感しすぎて感覚が麻痺したのだろう。
綺麗に整列したその花の下に、細長い行燈のようなものが置かれていた。
よく見ると、何か文字が書いてある。
「彼岸花の間」。
成程、これが部屋の名前か…。
曼珠沙華という名の旅館なだけあって、部屋の名前にもその別名を使うとは徹底している。
確かこの花には相当多くの別名があると理科の先生が言っていたような気がする。
歩きながら、順番に目で追ってみた。
「赤花の間」。
へえ、そんな言い方もあるのか。
「天蓋花の間」。
うんうん。
「死人花の間」。
……ん?
「毒花の間」。
……あ、あれ?
「手腐花の間」。
………。
……。
「あ、あのさ…なんか、部屋の名前気味悪いんだけど…」
横を歩く灯に思わず問いかけた。
まさか自分もこんな名前の部屋に泊まらされるんじゃないかと、一縷の不安が芽生えたからだ。
「しかし、その間がお客様の『迷い』に適合するのであれば仕方がありません」
「で、俺の部屋の名前は…?」
「ここです」
白く淡い光を放つ行燈に浮かぶ文字は『灯篭花とうろうばなの間』。
灯篭、花…。
案外綺麗な名前だったのでちょっと安心した。
――で、これのどこが部屋なのかがさっぱり理解できない。
ただ行燈と曼珠沙華が浮かんでいるだけだ。
旅館、だよな?一応は。
「これ、どうすれば…」
「その花を手にお取りください」
言われてふと頭にうかんだイメージが、『触れるとワープする』というものだった。
へー、成程。
それなら納得……って俺やっぱり感覚がおかしくなってる…!
しかし、戸惑っていては何も進まない。
言われたとおり、目の前に浮かぶ朱色の花に、手を伸ばす。
指先が、その繊細な花びらにさらりと触れた。

一瞬、景色が揺らいで見えた。
そして――












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