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曼珠沙華ノ迷宮
作:友路



灯篭花ノ章 二輪目


言われるがまま、成り行きのままに付いていくと、十メートルちょい歩いた辺りの地点で突然、視界が真っ赤に染まる。
炎が上がっているのかと思った。だがそうじゃない。
「!」
比喩表現じゃなくて、本当に赤、赤、赤。
「わ…」
テレビの映像ように、情景が切り替わった。
え、何これ!?…なあ、今更だけど、これビックリ大作戦とかじゃないよなあ…?
隅々まで視線を動かしても、一面に広がる大パノラマには赤一色。
これは……彼岸花だ。墓地や空き地にぽつっと咲く、あの花。
しかし、今目の前に広がる光景にそんな不気味さは無い。寧ろ壮観だ。
数千、いや数万と咲く彼岸花達は生温いそよ風に煽られて、細い茎をゆらりと蠢かせている。
変だな、彼岸花ってこんなに遅い時期の花じゃないだろ…。
見上げた空に月は無く、ただ一面に闇色が広がっていた。
まるで、異世界のようだ。
言い様の無い好奇心と恐怖が入り混じる。
百メートルほど向こうには、建物のシルエットが見えている。
真っ黒に塗りつぶされたような、不気味な建物だ。それが目的地となるのだろう。
案内人の男に続いて、赤色の絨毯を裂くように前へ進みながら俺は感嘆混じりに聞いた。
「何ですかこれ」
「曼珠沙華ですが」
いやいや、そうじゃなくて……。つか、普通この花「彼岸花」って言わないか?そんなわざわざ「曼珠沙華」って…。
感動が多少冷めたが、俺は改めて具体的に質問し直した。
「どうしていきなり現れたんですか、この花畑」
前を颯爽と歩く案内人は、さも当然の如く言った。
「それは勿論結界が張ってありますから。外からは中の様子が見えない仕掛けになっております」
「……?」
けっかいって、ゲームとかによく出てくるあの「結界」?
ちょっ……いい年して真面目に言うなよそんなこと。
「セキュリティー確保の為にマジックミラーになっております」みたいなノリで案内人は爽やかに言い放つ。やっぱ変……。
じゃあその理屈で考えてみるとしよう。
つまり、今、中に足を踏み入れたことによって外からは見ることの出来なかったこの敷地の風景を見ることが出来たと。
そしてこの男もその結界から出てきたから突然現れたように見えたと。
……俺、まさかゲームのやりすぎでこんなノスタルジックなファンタジーの幻想を見るようになってしまったのだろうか。
だったら重症だ。
「ところで宮明様。無論貴方は迷い人のようですが、その草履はどこから?」
「ああ、これは気が付いた時には履いていましたけど。それが何か……」
一閃の風が彼岸花をざわめかせた。
「――いいえ、宮明様のお気になさることではありませんよ」
嘘付け。声のトーンが明らかに下がったじゃねえか。
「な、何だよ…」
たかが草履一足でそんなに深刻になることも無いと思うけど……。
何かを含んだ言い方に疑問が残ったが、それよりも『迷い人』という言葉に意識がいっていた。
「えっと…迷い人って、迷子みたいなものなんですか?」
「いえ。遠まわしな表現をすれば迷子のようなものですが、本来は文字通り何かに迷っておられる方々の総称です。宮明様のような」
男の声は先ほどとはうって変わり少し笑みを含んでいた。
「でも俺、別に迷いなんてありませんけど」
「それはお気づきになっていないだけですよ。此処へ来られたからにはその理由が必ずありますから」
「そうですかあ…?」
思わず眉根を寄せる。
記憶を辿ってみたが、それほど迷っていることなんかないような気がするけどな。
あー…強いて言うならばもうすぐ期末テストっていうことくらいか?って、それ迷いっていうより悩みだけど。
「本当に何も思い出せないんです。人違いということは無いんですか?」
「滅相も無い。間違いなく貴方が迷い人です。しかし……無理に思い出さないほうが身のためかもしれませんね」
「は?」
おいおい、言っていることが矛盾していないか?
俺が此処へ来た原因がその『迷い』ってやつなのだとしたら、恐らくそれを解決することが目的となるはずだ。
それを、『迷い』に気付いては危険だと言わんばかりの忠告をされては、俺の立場が無い。
男は声を潜めて言った。
「貴方の迷い、少々厄介で御座いましてね。とにかく中途半端な覚悟で挑まれぬようお願い致します」
「そうですか……」
急な展開だな。
そんなに深刻な迷いが、俺の中にあるとでも言うのだろうか。
思い出すことも躊躇われるような記憶が。
ちらりと、少女の声を思い出す。あれの、こと……?
もしそうなのだとしたら――そこに何か迷いを解く糸口が在るのだとしたら、これは期末テストがどうとか言っている場合ではない。
面倒なことになっちまったなあ……。

――ん?って待て!俺なんか上手く灯に乗せられてないか!?

後で「ごめん、今までの冗談」とか言われたら本気でキレるからな…!
そうだよ、こいつが凶悪殺人犯じゃないとは限らないんだ。
俺はわざと嫌味を込めて一言呟いた。
「なんか、夢の話みたいだ……」
「それはこの世界のこと、ですか」
すかさず男は口を挟んだ。
引っかかったな、と言いたいところだったが、相手は自分に疑いが掛かっている事に怒っている気配は無く、
もうそんなことには慣れているような言い様だった。
「そう…夢ですか。確かにあながち間違いではありません。此処は現世うつしよではありませんからね」
そう言って灯はランプを持っていない左手の長い指で、一輪の彼岸花を撫でるような仕草をした。
「ふぅん…?」
平然を装っていたが、内心はがっくりきていた。
こいつ、完全に異世界の住人になりきっている。全部演技なのなら、一流詐欺師かプロの俳優になれるだろう。
(なんか、逃げられなさそうだな……)
そう心の中でぼやいていた時、ぴたりと、男が立ち止まった。
目の前にはいつの間にやらあの建物が佇んでいる。姿は相変わらず真っ黒のままだ。
男はランプを高く掲げた。
『曼珠沙華』の文字が金色に浮かび上がる。それは小さな板でできていた。看板というよりは表札のようなものなのかもしれない。
「ここが……」
「はい。曼珠沙華の館で御座います」
ああ、成程。
灯があの花のことを一般的に使われる『彼岸花』でなく、わざわざ『曼珠沙華』などと格好を付けて呼ぶことに
なんとなく違和感を覚えていたが、これが旅館の名前だったようだ。
それにしても、何だこの建物は。
全体の雰囲気は、それこそ神社のお堂のようだが、相当年季が入っているらしく、所々木材が傷んでいるのが俺ですら分かった。
廃墟……。
正直なところ、それが第一印象だった。
この風景にはいかにもお似合いの建物かもしれないが、それでも俺が客だというのならば、俺に対する歓迎の気持ちは無いのだろうか。
中からは物音一つしない。明かり一つ点いていない。
こんな準備不足の旅館、現実なら三流以下だぞ。…とは怖くて言えなかったが、このムードは歓迎、というよりは拒絶に限りなく近い。
普通、善意があってこんな所に案内はしない。駄目だ、俺はきっと殺されるんだ……。
そんな超後ろ向きな思考を無理やり隅っこに押し込めて、俺はできるだけ冷静さを保とうとした。
灯は高々とランプを上げたまま言った。
「申し訳ありませんが、下がっていて頂けますか」
「……」
言われたとおりに数歩下がる。
何が起こるんだか予想も付かないので、ずっとずっと下がった。
足をどんどん後ろに引きずっていると、ぱきっという儚げな音が耳に入った。
が、しまったと思ったときには既に時遅し。
目線を落とした先で、一本の彼岸花が力無くに足下へ倒れるところだった。
うっかりとかかとで踏んでいたらしい。
悪意があってやった訳ではないが、花が花だけに、このままにしておくのはあまり気持ちのいいものじゃない。
そっと手に取ろうと屈んだその時。
ぼっ、という音がしたと同時に、熱気と光が体を包んだ。
突然太陽が出たんじゃないかと思うような熱だった。
「なっ……!」
……旅館のありとあらゆる松明に、明かりが点いていた。
見ると、灯の手の中からランプが消えている。彼は、空になった右手をそっと下ろした。
目の前の事実を受け入れるのには、多少の時間を要した。
ランプが消え、それが飛び火したかのように松明に……。
時間にして十秒足らず。人間が走って点けられる余裕は無い。
思わず走って旅館に近付いて見ると、整列した松明や窓の向こうに見える旅館の内部、全てに明かりが点いている。
それも、松明はずっと前から燃えていたかのような威勢のいい燃え方だ。
明るくなったせいだろうか、心なしか旅館の外観が綺麗になったように見えた。
「……」
大掛かりなマジックでも見たような気分だ。この男、何者?
まさか此処が本当に旅館で、いちいち客にそんなサービスでもするのだろうか。
「さあ、どうぞ此方へ」
大技をやってのけた灯本人は、これがさも大したことではないというような、平然とした態度で俺を案内した。
いつの間にか開いていた、重々しい扉の奥へ。
先に向こうへ入った彼は振り返り、表情の無い面の顔でじっとこちらを見た。
さっさと付いてくる様に促しているのだろう。
「……でも…」
少し躊躇した。
だが、次に灯の発した言葉で、その気は変わる。

「貴方が真相こたえを見つけることを、あの子も願っていますから」
「……!」
『――こたえを…』

頭の中で、言葉のパーツがぴたりと一致した。
『こたえ』…そうか、これが…!
俺は無言で頷いていた。
胸の奥に生まれた一つの確信と共に、意を決して敷居を跨ぐ。
ややこしい案内の仕方しやがって。
全部罠だったら承知しないからな。
心で文句を言いつつ、まだ疼く後頭部を押さえて苦笑した。
俺が足を踏み入れた瞬間を見計らったように、ぎぎぎ……と、古めかしい軋んだ音をたて、扉は硬く閉ざされる。
静寂が戻る。
生暖かい風が吹いていた。
館に入った後、誰も居なくなった扉の前に残されていたのは、くず折れた真紅の曼珠沙華だけだった。

***

少女の前に、彼は突如現れた。
――もしや現世うつしよから?
――ええ……そうですけど。
返答を聞いて直感的に理解した。
これは――いつの日か見た事のある光景。
忘れもしない。
あの日以来、悔恨の念は何時も心に巣食って、私を苦しめる。
彼にとって理不尽だということは分かっている。私が優柔不断だということも分かっているのだ。
だから、これは私への、もう一度与えられた機会なのかもしれない。

少女は御堂みどうの中で正座していた。
人気ひとけの一切絶たれた神聖な御堂は、他を寄せ付けない。
そんな中でも、瞑想できるほど心に余裕は無かった。
生まれる矛盾。
手放してはいけない、でも、傷つけたくも無い。
今自分に出来る事はもはや一つしかない。
同じ過ちを繰り返さないためには、頼みの綱をあてにするしかない。
それは、『契約』と同等の価値がある『真相こたえ』を見出させること。
そうすれば、きっと彼は何事もなかったように朝を迎え、日常の中に帰って行ってくれる。
今頃は私に関する記憶を失くし、案内人によって館へ向わされているのだろう。
長老達や他の住人には、私から適当に話をつければ何とか堪忍してくれるはずだ。
私はどんな目で見られても構わない。

少女は微かに表情を歪めた。
だけど。どうしていつも。
私は後悔ばかりしなければならないのだろう。
彼の気持ちと、住人達の気持ち。
それを中立させる為には一方を裏切らなくてはならない。
どちらも傷つけないようにすると、結局は半端に終わってしまう。
だからあの日、思い切った決断をした。
それが、苦悩の始まりだった。
この日が神が私にくださった最後の機会ならば、今度は後悔しないように、彼を守らなければ。
私の、使命の為に。

***

「ここが……」
館、らしい。
外の松明が余りにも盛んに燃えているから、案外内部は豪華なのかと錯覚していたが、予想は大違いだった。
真っ暗な木造建ての館には、松明が四つ。
ときどき小さな爆発音を立てては、火の粉を飛散させている。
その黒と橙色のコントラストときたら、さながらホラー映画のワンシーンである。
悪魔の館か、此処は。
外観とは異なり、どちらかというとパイプオルガンが似合いそうな所だ。
……俺は、何でこんな所へ来てしまったのだろう。自分で付いてきておいて、今更僅かな後悔の念が生まれる。
呟くように俺は訊いた。
「俺、いつ帰れますかね……」
……。
「あれ?」
答えは何処からも返ってこない。
灯が、居ない。
慌てて見回すが、そこに人影は見当たらない。何処へ消えた?
「……灯さん?」
自分の声が僅かに反響しただけだった。
ここから奥へ通路が細く延びているが、向こうは真っ暗で、何があるのか分からない。
向こうに行った可能性が高いが、どうも一人で探しに行く気はしなかった。
会った時から物音も立てず、静かな行動ばかりするものだから居なくなっても気付かなかったじゃないか。
また、一人になってしまった。何だよ全く。
騙されたか、という疑いがちらと過ぎったが、さっきの言葉が嘘だとも思えないので仕方なく待つことにした。
寧ろ下手に逃げたりなどしようものならそれこそ危険だ。

夢。
確かに、灯はこれは夢だと言った。
此処は現世ではない、だから夢だといえると。
よくよく考えてみると、変じゃないか?
夢は脳で見るものだ。
所詮は、脳で作られたイメージ図に過ぎない。
現世ではない異世界にいる時だってそれが現実なら夢じゃないだろ?
魂が肉体から離れる、所謂幽体離脱の状態で見る景色を夢とする概念もあるらしいが、自分が、まさかそんな。
ここが黄泉の世界だとでも?三途の川か綺麗なお花畑が通説だけど。
しかし、そうとでも考えなければ辻褄は合わない。
そうするとまた疑問が生まれる。
何故俺がそんな場所に来なくてはならなかったのか。
あの『声』と何か関係はあるのか。
……俺はどうなるんだろう。無事に、帰れるのだろうか。
と、不安の兆しが見え始めた頃、いつの間にか背後にあの気配が戻っている。
振り返らなくてもなんとなく分かった。
「……」
戻ってきた、らしいな。
ちらりと、灯を見た。
「どうかなされましたか」
訝しげな声が響く。
そして、静寂。
俺も多分相当怪訝そうな表情をしているんだろう。
松明だけが、延々と燃えている。
「――この世界は…黄泉、なんですか」
「お察しが早い。そうですね、黄泉の入り口とでも申しましょうか。それとは隔離された世界ですが」
案内人は、こんな非現実的な質問にも変わらぬ態度で答えた。
俺はその答えに対しては何も触れずにまた質問する。
「今、何処へ行っていたんですか」
「この先の、貴方の進む扉を開けに」
「それじゃあ――」
一息置いて、今胸の内を支配する疑問を吐き出す。
「俺は、なんで此処に来たんですか」
彼に戸惑う様子は無かった。
ただ、俺に言い聞かせるように、静かに答えた。
「先ほど申しましたように、真相こたえを見つける為です」
そう、男はいつも遠回しにそう言う。それが一番知りたいのだ。
俺は諦めて溜息をついた。
ところが、彼は先ほどは言わなかったことを補足した。
「――期待に副えず申し訳ありませんが、私から『迷い』についての情報は一切申し上げることができません。
 貴方の場合本当に特殊でして……私が容易に口出しできる事ではありませんから」
「……どういうことだよ、それ」
その口ぶりでは、まるでお偉いさんからの圧力がかかっているみたいだ。
迷いの根源は、恐らく『声』。
それが何か特別で大きな存在だということか。
灯の方へ向き直る。
俺は、視線を逸らさずに言った。
「最後にもう一つ、いいか?」
「私の答えられる事であれば」
体の中に危機感のような何かが迫り来るような感覚があった。
一瞬、全ての雑音が消えた。

「この世界を支配してるのは、誰だ?そいつが俺と関係しているのか」

炎だけが揺れている。
それ以外の全てが、停止しているような気がした。
灯が背を向けた。
「――世界に支配者など存在しません。ただ、護る者がいることは事実です」
貴方のすぐ近くに。
そう、あらぬ声が聞こえた気がした。












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