プロローグ
俺はまたあの夢を見る。それは遠い記憶。冷たく濡れた、満月の夜だった。
「―――ゴメン」
その夢では俺達以外に人はいない。いつも俺と共に戦う少女も、いつも俺の剣となる少女も。ここにいるのは、紅く染まった腕の俺と、紅く染まった胸の少女。
「―――ゴメン」
俺は無意味な言葉を傍らの少女にかける。それは本当に無意味なのに、俺にはそれ以外の言葉が思いつかなかった。
「―――ゴメン」
自分の胸が痛い。まるで心が流れていくようで、勿論ただの比喩だ。
「―――ゴメン」
少女の胸が痛そうだ。それは命が零れるようで、勿論ただの真実だった。
「……泣かないで」
少女が俺の頬に触れる。それはただの雨なのに。俺は一滴も零してはいないのに。
「……ありがとう」
そう言って彼女は力無く微笑む。どうしてこの状況で笑って感謝できるのか、俺は理解できるのに納得していなかった。
「―――ゴメン」
少女はもう手遅れだ。今更足掻いたところで無駄で、そもそもさっきまでの俺はそんなつもりで彼女と向き合っていなかった。彼女に抱いていたのは、ただただ純粋な―――
「―――ゴメン」
そうして俺はまた同じ言葉を繰り返す。まるで壊れた人形。そんなガラクタが世界を救おうだなんて、全く馬鹿げてる。
「……そういえばまだ、言ってなかったよね」
少女はうわ言のように呟く。多分彼女には、もう俺の声など聞こえていないのだろう。まるで残った熱を吐き出すように、―――それこそ文字通り命を懸けて、少女は言葉を必死に紡ぐ。
「…………大好き、だよ」
それが、彼女が望んだ言葉だった。視力も聴力も指を動かす力も―――呼吸する力も全部注ぎ込んで、それは懸命に俺に繋げた言葉だった。
―――その言葉が、そこから逃げ出そうとする俺の心を繋ぎ止める。
「――――――」
……そんなの、前から知っていた。お前は分かり易すぎる。せめてもう少しうまく隠すか、もっと堂々と語ってくれた方が楽だったのに。だけどお前は、いつもその事を表に出そうとはしなかった。……ホントにバカだ。想いなんてものは伝えないと始まらない。この関係を壊したくない、このままで十分幸せだなんて、そんなのは勇気の無い奴の言い訳だ。
……でも、そんなお前が言った。残り少ない時間を投げ売って、お前は最後の最後に、誰よりも早くその言葉を口にしたんだ。……ホントに早すぎる。それはいつか、俺が先に―――
「―――俺も、言ってなかったな」
……だから次は俺の番だ。お前が一番を取ったなら、俺が二番に収まってやる。……お前の隣は、誰にも譲りはしない。
「―――俺も、お前のことが―――」
俺はその先を言おうと必死で口を動かす。だが言葉が出ない。俺の口が、思うように動かない。
―――俺の頭は回らないのに。理解したくないのに。……俺の体が、既にその事実を認めている。
「……う…か、く……あ………ぁっ」
言葉の代わりに俺の口から漏れたのは嗚咽。それは彼女への懺悔であり、己を恨む呪いだった。……もう誰も、彼女の二番にはなれない。
―――満月は既に見えず、時雨が俺達を濡らす。俺は掠れた目のまま天を仰ぎ、大切な者を殺めた手が、消え逝く温もりを抱いていた。 |