乙女ゲームの攻略される方
1.
単刀直入に言うと、私は愛してやまない乙女ゲームのキャラクターになっていた。
なにがどうしてこうなったのか、それはこの際どうでもいい。リアルを捨ててでもこのゲームのキャラクターになりたいと思っていた私にとっては、これはもう天啓としか言いようがない。
目覚めてみれば、モニタ越しに見ていた部屋。庶民には不安になるほどだだっ広く、いたるところに怪しげな調度があるのは、おそらくはキャラ付けのためだろう。ゲームの背景として見るにはいいが、実際に目で見るとおもしろいくらいにセンスが悪い。
「やっべえ! この夢超リアル! センスわっる! ぶっほ!!」
部屋に誰もいないことをいいことに、私は奇声を上げつつ観察した。いかにも金持ちぶった部屋。机や棚の上には、奇抜なセンスのアクセサリーがこれ見よがしに置かれている。壁際には時代錯誤な甲冑があり、安易なキャラ付けを一考させられる。
もっとも、これらを観察せずとも、部屋の持ち主はすぐにわかった。なにせ右上にウィンドウが出ているのだ。さらに言えば、廃ゲーマーの私には、それを見るまでもない。
攻略キャラクターの一人、鳳凰院蓮次郎だ。デザイナー一家の一人息子であり、蓮次郎はアクセサリーのデザインセンスに長けている、という設定だ。作中で稀に彼の作ったアクセサリーが出てくるが、本当にセンスに長けているかどうかはご自身の目で判断するがよいだろう。私は愛で目をくらました結果、至上のデザインであるということに落ち着いた。
彼について特筆すべきことは三つ。
ひとつは、恐ろしいほどに攻略が難しいことだ。隠しキャラより彼とのトゥルーエンドを見る方が難しいと言われている。選択肢はフェイント過多。他キャラクターとの連動も多く、パラメーターの上げ方に頭を悩ませる。
もうひとつは、これでもメインヒーローであり、作中一の人気を誇っているということだ。美男子なのは言わずもがな。苦心して蓮次郎ルートに入ったあとは、彼の純情さとちょいエロに悶絶必至。絵師の情熱もすさまじく、蓮次郎スチルは他のキャラクターの倍もある。立ち絵の細かさも文句が出るほどすごかった。瞬きの仕方だけで、蓮次郎には三パターンある。ちなみに瞬きの差分を忘れられた哀れなキャラもいる。
最後に、これがもっとも重要であるが、鳳凰院蓮次郎は私の最愛キャラクターなのだ。
彼を嫁に出来るなら、現実を捨てても構わない。いや、すでに半ば現実を捨てた。デフォルトで名前のない主人公には、彼との結婚を見越して鳳凰院由利と名付けた。もちろん、由利は私の名前である。役所に書類を届け出るとき、間違えて鳳凰院由利と書いたのはお約束だ。最近は母に、「そろそろ鳳凰院さんを紹介してちょうだい」と言われている。
そんな私が、最愛の嫁の部屋にいる。夢だとしてもこれは大変なことだ。
「私、蓮次郎愛しすぎ。蓮次郎夢。リアル蓮次郎夢小説ナリ、フヒヒ」
語尾のすべてに草が生える。私の願望が夢となったのならば、ここらで蓮次郎本人の登場だろう。蓮次郎の部屋に行くルートは、初回を除いてすべてがちょいエロ。つまりはフヒヒと言うことだ。サーセン。
興奮冷めず、蓮次郎の登場を待つ間、部屋を物色すること数時間。
学園もののゲームにふさわしく、蓮次郎の机の上には教科書が並べられていた。クローゼットには制服がかけられ、ベッドの下にはきちんとエロ本が置いてあった。すでに学園生活を離れて久しい身、懐かしいような悶絶したいような黒歴史ノートも探したが、さすがにそれは見当たらなかった。まあ、蓮次郎自体が黒歴史の凝縮みたいなものだから仕方ないだろう。言うまでもないが、黒いのは蓮次郎ではなく、プレイする乙女と私のことである。
しばしの物色のあと、棚の上にある時計の針まで地道に動いていて感動をした。そこからさらに、壁紙を剥がす勢いで家探しをし続けていたが、ふと気がついてもう一度時計を見て愕然とした。
数時間が経過しているのに、一向に蓮次郎が来る気配がないのだ。ここでこうしてヒロインが待っているというのに、これは一体どうしたことか。さてはこの夢、欠陥品なのか。
期待を裏切られた心地で、私は部屋を飛び出した。かくなる上は、家のどこかにいるであろう蓮次郎を直接訪問する心積もりであった。ぶしつけだろうと構うまい。なんせ夢だ。いざとなったら覚めればよい。
心に情熱を秘め、廊下に立つ。と、ちょうど執事らしい男と出くわした。
黒いスーツを着た、六十前後の男性である。白髪が美しく、若い頃はさぞや美形だったのだろうと思わせるこの執事、蓮次郎攻略ルートではお世話になった味方キャラだ。ちなみに彼も攻略できる。
見知ったキャラクターに親しみの念を感じていると、執事はおもむろに頭を下げた。そしてとんでもないことを言った。
「こんばんは、蓮次郎さま。いかがなさいましたか?」
つまりどういうことだってばよ!
○
私が蓮次郎になってしまったのは仕方がない。
攻略してフヒヒと思っていたのだが、今となってはそれもできない身の上である。
しかし考えてみれば、「愛する人とひとつになりたい」というのも一種愛の形だろう。むしろ、これが究極の愛なのかもしれない。そうと思うと、私の蓮次郎に対する愛は本気だったということで、これはこれで満足できないわけでもない。
とにかく、私は蓮次郎になっていた。美男子で学園のアイドル、将来有望なアクセサリーデザイナーであり、実は両親との間に確執がある。性格は常に冷静、クールでありつつちょっぴりエッチ。そんな魅惑の蓮次郎のために、私ができることはただ一つだ。
蓮次郎になりきって見せよう。コポォなどと抜かして、蓮次郎のキャラクター像を崩すわけにはいかない。全世界の蓮次郎ファンの乙女と、私のためにも!
2.
そして今、ゲーム主人公とデートの約束を取り付けた。
ウインドウ右上には「教室」と記されている。夕日差す放課後の教室。昼間の喧騒も夢のようで、今は校庭からの運動部の掛け声や、ブラスバンド部の演奏が遠くから聞こえるだけだった。
「それじゃあ、今週の日曜日にデート、よろしくね!」
と言ったのは、残念ながら鳳凰院由利ではない。ヒロインの名前は佐々倉かなめ。ショートカットでピンクの髪をした少女だ。
先ほど会話に成功して、デートの約束を入れられたことを心底喜んでいるらしい。小さくガッツポーズを作る姿は、小動物的な愛らしさがある。
「ああ」
と私はぶっきらぼうに言った。ここは蓮次郎のキャラクターである。彼はツンデレのツンを倍増し、デレを排除したようなキャラクターだ。当初は単なるツンデレかと思っていたのだが、一向にデレる気配がなかったことを覚えている。「これはデレた!」と思うシーンでフェイントをかけ、さらにツンを重ねる様子から、ネット上では「フェイントさん」とあだ名されていた。
もちろん、だからこそちょいエロルートに入ったときは魅力的なのだ。
お前も悶絶させてやる! という意気込みで、私はヒロインことかなめを見やる。
しかし、かなめは私を見てはいなかった。虚空を睨み、真剣な顔をして悩んでいる。何事かと思ったら、どうやらウィンドウが出ているらしかった。ここにひとつ、選択肢があるらしい。
やり込みプレイを思い出し、私は納得する。たしか放課後は、一緒に帰る選択ができるのだ。他のキャラクターならば選択肢は「帰る」「帰らない」のイージーモード。蓮次郎に限っては、「スポーツに興味ある?」「オシャレに興味ある?」「パンダに興味ある?」の謎の三つ。正解しなければ好感度は下がるし、一緒にも帰れない。
ちなみに正解は「オシャレ」だ。蓮次郎はアクセサリーやデザインに興味があることは、キャラクターから察せられる。逆に、スポーツには興味がない。これも、攻略以前に説明書を見ればわかるはずだ。最後の選択肢は意味がわからない。誰が選ぶんだあれ。
「ええっと……」
かなめが悩み抜いて口を開いた。
「ぱ、パンダに興味ある?」
どうしてそれを選ぶ!
○
かなめの奇行は今に始まったことではない。ゲーム本編が始まって以来、彼女は選択肢をしくじりまくっている。
運動好きなキャラクターには本の話題を振り、真面目なキャラクターにはサボタージュを持ちかける。私に対しても同様だ。説明書を見ればわかるだろうというものまで間違えるのだから救えない。
おまけに、わざとやっているのかと思えばそうでもないのだ。選択をミスれば戸惑うし、相手の機嫌を損ねて「……別に」などという態度を取られればへこむし、パラメーターの育成には熱心だ。それでどうして正しい選択肢を選べない!
乙女ゲーとは自らを殺し、徹底的に相手に尽くすということ。相手の趣味嗜好を知りつくし、相手に合わせ、そこで初めて愛しの彼を得られるのだ。乙女ゲーム道は修羅の道。現実のように、「本当の私を見てもらいたーい」などと言いつつ彼氏を作れるヌルゲーとは違うのだ!
一人一人の攻略方法についてレクチャーしたいが、私は今、鳳凰院蓮次郎である身。彼女の姿を眺めては、歯がゆく思うばかりなのだ。
○
そう言うわけでデートであるが、かなめはまたしても失敗した。
待てど暮らせど来ない。昼過ぎに待ち合わせのはずが、すでに日が沈みかける。美貌の蓮次郎が、一人デートをすっぽかされてたたずむ姿はさぞや絵になるだろう。自分で自分の姿が見られないのが残念だ。
また、かなめは傷つくだろうなあと思いつつ、ゲームキャラクターとしてしなければならないことが一つ。
「……なんで昨日、来なかったの?」
月曜日、私は学校で話しかけてきたかなめに、冷たい口調で言った。かなめは一度首を傾げ、それから「やっちまった!」と言いたげに目を見開いた。
「俺、ずっと待ってたんだけど……。約束を破るって、どうかと思う」
「ご、ごめんなさい!」
かなめは慌てて頭を下げた。
「なんで来なかったの?」
「パラ上げ――習い事に行っていて……」
やりがちパターン! 私は頭を抱えたくなった。たしかに彼女、今のパラメータでは蓮次郎を落とせない。間もなく蓮次郎の誕生日、魅力パラの向上で誕生日デートができるはず。上げたいと思う気持ちもわかる。
しかしスケジュール管理は基本だろ! メモしておけよ! 一番好感度下がるパターンだよ!
この子、本当に蓮次郎を攻略する気あるのか? ああもう!
〇
誕生日イベントである。
蓮次郎に対する選択肢は三つ。「オシャレなブローチを贈る」「おもちゃの指輪を贈る」「パン粉を贈る」となっている。
蓮次郎はデザイナーだ。ここはオシャレなブローチだろうと思いがちだが、これはフェイントだ。にわかオシャレごときが、別次元のセンスを持つ蓮次郎を満足させられるはずがない。ゲーム初期から審美眼パラを上げまくっても不可能で、周回プレイでやっと生きてくる選択肢なのだ。
ここでの正解はおもちゃの指輪だ。実はこれを贈ることで、蓮次郎がデザイナーを目指すきっかけとなった出来事を教えてもらえる。小さなころ、今は険悪な両親からおもちゃの指輪をもらったことが嬉しくて、それが心の根底にあるのだ。いい話ではないか。
かなめはもちろんパン粉をくれた。
○
「なんでだよ!」
おもむろに家でエビフライを作りながら、私は叫んだ。料理人が止めに入るが、料理は私のストレス解消法だ。蓮次郎になっても、そこは譲れない。
「どうしてそれを選ぶ! 舐めプ? 舐めたプレイされてるのか!?」
この攻略ルート最難関、鳳凰院蓮次郎と知っての舐めプだろうか。
いやしかし、かなめ本人はあれで本気なのだ。プレゼントを寄こしたときの自慢げな顔。私の反応を見たときの落ち込み方。片手間でのプレイとは思えない入れ込みようだ。なおのことたちが悪い。
「パン粉でどうしろって言うんだよ!」
からりと揚げる他にない。
苛立ちながらエビフライを揚げ続ける私の傍で、例の執事が女中たちと、食卓の支度をしていた。今日の夕飯はエビフライだ。
「蓮次郎さまがあれほど感情をあらわにするなんて……」
女中と執事が囁き合っている。
「相手はいったいどんな方なのでしょう?」
「同じ学校の女性だそうですよ」
「まあ……」
うるせぇ、エビフライぶつけんぞ!
怒りの形相で女中たちを睨んだとき、ピローンとどこからともなく間の抜けた音が響いた。何事かと辺りを見回せば、どこからともなくウィンドウが出ている。それを見て私はぎょっとした。
蓮次郎の顔の横にハートが一つついている。
「やっべ、好感度上がってる! 今ので!?」
まさかパン粉に愛情を揺さぶられるなどとは、この鳳凰院蓮次郎、最大の失態!
○
乙女ゲーだもの。クリスマスだって来る。クリスマスデートだってする。町へも繰り出すだろう。
そしてクリスマスなら、プレゼントだってある。もはや選択肢を並べだてもするまい。デートの終わり、別れ際にかなめはパンツをくれた。
このゲームの製作陣は、なにをもってしてこうまでパンに執着するのだろうか。まさかこの落ちに持ってきたかったわけではあるまいな?
「……なんでこれくれたの?」
私は蓮次郎らしく、できるだけクールに言った。内心はクールとはほど遠い。彼女に説教をした挙句、乙女ゲーのなんたるかを教え込まなくてはなるまい。
「よ、喜んでくれるかと思って」
「俺、パンツ嫌いなんだよね」
などと意味の分からない台詞を言わなくてはならないのもゲームゆえ。嫌いなものを寄こされたとき、パンツの部分だけを変えて同じ言葉を吐くのだ。
「ぱ、パンツ嫌いなんですか? 穿かないんですか!?」
「そういうことじゃないよね!?」
頬を赤らめるかなめに、思わず素が出た。おまけに、一度出ると止まらなかった。
「かなめさあ、なんでパンツなんて選んだの? 他にもいろいろあったよね? 普通、相手の趣味とか考えて選ぶよね?」
攻略本見てないの? とはさすがに言えなかった。
「デートもすっぽかすし、パン粉とか渡すし。他にもパンストとか、パンプキン・シザーズとか、よくわからない話題振って来るし。しかもパンツって、よりによってパンツって」
「ごめんなさい……」
かなめは小さくそう言うと、唇を噛んだ。肩が小さく震え、瞳がうるみ始めると、私もさすがにまずいと思った。言い過ぎた。
「でも、でも……私、どうしてもパンツを渡したかったんです。私のあげたパンツを、蓮次郎さんが穿いていると思うと……私、パンツしか選べなくて…………」
ああもうこの馬鹿! 気持ちはすごくよくわかる!
同じ男を愛する身。かなめに共感せざるを得なかった。今まで私は、その気持ちをひた隠し、好感度を上げるためのパラメータを選んでいたのだ。そこをあえて、修羅の道を行くかなめ。思わず愛おしさが込み上げる。
乙女ゲームの定型なんて、もしかして些細なことなのかもしれない。相手に合わせるだけではなく、本当の自分を見せずに、いったいなんの愛が得られるのだろうか。
ピローン。感動に対する安っぽい音が響く。蓮次郎、いや、今の私の心が、彼女への好感度を押し上げてしまったのだ。
ピローン。音がやまない。ゲームとしての定型にとらわれていた私の心を突き崩しているのだ。かなめ。かなめは本当に、蓮次郎のことを愛している。
ピローン――――。
クリスマス。空から二人に向けて白い雪が降る。そう言えば、この雪は次のイベントへのフラグなのだなあ、と私は思い出していた。
空を見上げ、響く効果音に耳を澄ませながら、私は思った。
――――パンツをくれる女に、攻略されてしまって本当にいいのかなあ。