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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Shapeshift Fear

作者: 菊川噤

誤字脱字、ご報告のほどよろしくお願いいたします。

 病室から窓を眺めるのは初めてだった。風邪やらインフルエンザなら多々あれど、入院するまでにはいたらなかったである。だが、今こうやっていつもと違う洗剤の香りを嗅いで、いつもより柔らかなベットに横たわっているということは、僕は入院しているということなのだ。

 二週間、僕はこの期間を悶々と過ごしていた。学校がある日ならばせっせと学校に行く連中をざまあみろと笑うこともできたかもしれない。だが、今に限っては違った、この夏休みという特別な時間に限っては。

 しかしもう今日で退院だ。失った夏休みを取り戻さないと……。

「今日は一人で帰るよ」

 夏休みの計画を練りながら帰ろうかと思い、そう言った。両親がやけに心配するが、鬱陶しいこと限りない。手術の跡をぽんと叩いて平気だとアピールしてみせた。両親は、早く帰ってくるんだよ、と残して帰っていった。

「さて、帰ったらいろいろとしなきゃなぁ。計画をまとめるのもそうだけど溜まった宿題も終わらせなきゃ……何時間かかるかねぇ。半日潰すかもしんないな。うっわ欝だぁ」

 独り言はこの入院期間に染み付いてしまった悪癖である。皆まで言うな、不審なことは分かっている。僕は物言わぬ電柱を手で制した。

「……」

 急に襲ってきたさみしさが、胸のあたりをきゅっと締めた。日の明かりがあれば少しは暑さで気が紛れたかもしれないのに、見上げた空には積み被さった灰色があるばかり。僕は無理にセミの鳴き声を聞いて、その歌唱力を批評するくらいでしか、胸に詰まっていたものを吐き出せなかった。

「ああぁ。神様は僕が嫌いなのか……」

 仰々しいセリフを吐いたのは、空の色が下腹部あたりに雪崩込み、その入りやすさにしては鉛のように重たくずっしりと響いていた。要は思い出がこの空のように一色なモノクロで過ぎていったことを悔やんでも悔やみきれずにいたのだ。神様はきっと僕ぽっちなんかノミの体毛ほど気にしてはいないだろう。でもこちらとしては二度と帰らない時間なのだ。僕の二年生の夏は、一年ほど馴染めていない友達もおらず、三年ほど急かされる事情のない最も優雅で安穏な夏休みは帰ってこないのである。

「……お前もそう思うだろう?」

 また電柱と会話をしていたわけではない。その時目に付いたダンボールに話しかけたのだ。

「今時捨て犬捨て猫ダンボールに収めるやつなんていたんだねぇ、律儀っちゃ律儀だけど……ってありゃ?」

 子猫や子犬がいたなら、引っかかれるくらい愛でてやろうと思ったのに、そのサイズのものを探していたら随分と小さなものがいた。

 ドブネズミ……、サイズはそう、確かにドブネズミなのだが、ハツカネズミのように汚れを知らず、まさしく子犬か子猫のような潤んだ真っ直ぐな瞳でこちらを見ていたのだ。

 拾うか。ひょんな衝動だった。

「お前は僕が拾ってやろうじゃないか。絆されたり同情したわけじゃないが俺のさみしさを紛らす糧となるがいい……ふふふ」

 一人で悪乗りしてみても、ねずみにはなんのことだかさっぱりだ。

「お前の飼い主となるからにはやはり名前を与えるのが最初の役目というやつだろう? ……アルジャーノン!」

 ……流石に不吉すぎるか。

「やめやめ、ダンボールからなんかヒント拾うべ」

 と思ったのだが、そのダンボールは外国製品か何かのものだったらしくまるで読めたものではなかった。

「……ロ……ンゴ……よし決まり! お前の名前は今日からロンゴだ!」

 記号の形や英単語のような表記を無理やり読み取って僕はロンゴと名付けることにした。

「んじゃ、帰るか」

 ロンゴを手に乗せて、雨が降らないか空を気にしながら帰った。


***

「かぁさーん。あれどこやったっけあれ、昔飼ってたハムスターのゲージ……倉庫ね、おっけ」

「これ一緒に入ってたひまわりの種……やっぱまずいよね? はぁ……買ってくるか」

「ロンゴ……お前やっぱドブネズミだからきっつい顔してんなぁ」

「……お、食った食った。……わりとかわいい」

「なんだこっち見つめて、種はもうやらんぞ。……しゃーないな、柱かじんなよ~」

「っておい! 齧んなつったろ! あーもーもう一個だけやるから」

「寝れねぇよゲージいじんな」

「いじんなって!」

***


 ……このやってしまった感は半端なものではなかった。僕は目覚まし時計よりも早く起きるタチ(真相を聞けば目覚ましの音が体にとってストレスになるから目覚ましより早く起きるように体が調節するとかいう話を聞いた)なので目覚ましに起こされることはそうそうない。久々に聞く目覚ましの音は心臓をスピーカーで耳につないだみたいに音がして布団が浮き上がるほど驚いた。

「……やらねば」

 親は共働きかつ不規則なため朝飯はシリアルか冷蔵庫に入れといてくれたオニギリの二択になり、今日は後者であった。口に一つを加え、もう一つを左手に握りつつ、キッチンから自室に戻った。

 腕まくりをして、筆箱から赤ペンシャーペン消しゴム修正液を出す。そう、夏休みの『ベルリンの壁』課題である。

 答えがついている課題など課題のうちではない、などとタカをくくっていた自分を指差し、あいつ馬鹿だと街中に触れ回りたいほどに課題の量は並大抵ではなかった。通常の一ヶ月分と比べても明らかに多いよなこれ、長期休暇にコキつけて体良くいつもより勉強させようという教師の狡計が見て取れた。

「よかろう……ならば我々も黙って素直に勉強するというわけにも行かないようだな……」

 誰へ宣っているかはさて知らず、というか元々答え写す気満々だったくせに素直に勉強もなにもと自分に脳内ツッコミを入れながらも素早く答えを写していく。途中、面倒な計算や明らかに応用問題らしき物、よほど記憶していないとかけるはずのない答えを見繕い、答えの近似値をついて間違う。記号や部首の間違い、答える場を逆に書いて見たり、狡猾なまでにちゃんとやりました感を醸す。そして赤ペンで直しを加え、宿題のホッチキス部分にやや敗れたような跡を残す。

「……ふふふ、あはっはっはっは!!」

 完璧だ、と汗をぬぐい、課題の完遂を表現した。

 ちらりと時計に目をやる。ほぼ正午、といったところだ。

 すかさず次の行動に移る。この余韻に浸っている暇などないのだ。あと一週間しか、夏休みは残されていないのだから。

 まずは計画を立てることだった。計画を立てずに行動をし、痛い目を見たことが幾度となくあった。定休日、中止、イベント延期、家庭の用事……エトセトラエトセトラ。中一の苦い思いでは線香の香り漂う田舎町を背景にフラッシュバックした。そんなわけで計画は立てるべきなのである。

「つーわけだ、ミノベで集合。よろ」

「……お前の中で繋がってる話を俺が拾えると思うなよ? はぁ……ミノベな、りょーかい」

 ミノベ、花笛美濃部かふぇみのべとは中高生のたまり場の代名詞とも言える喫茶店である。通う中学校の近くにあり、なおかつそれなりに量のあるメニューで有名だからだ。ドリンクバー単品200円も学生の懐には見逃せないものがある。そして理不尽な突拍子のない要求に対応できる友人も見逃せないものがある。

「では、どこに遊びに行こうか」

 ミノベにて大盛りナポリタンを平らげた僕はすかさず質問した。

「とりま嘗馬いくか? 買い物とか、ゲーセンとかカラオケとかボーリングとか」

 と、ここで友人、彩嵜は奇妙なことを言い始めたのだ。

「何言ってんだよ、お前午前中行ってきたんだろ?」

 ……午前中は確かに自宅にいた。やや疲れた目、そして手首の鈍い痛み、何より自宅で提出を待つのみの課題が証明している。遊んでいるのは今まさにこの時間からだ。

「行ってないよ?」

「いやいやいただろ。誰と待ち合わせしてたんだ? あんなにキョドってるお前見たの入学式以来だったぜ」

「午前中は宿題終わらせてたんだよ、なんなら持って来てお前の眼前につきつけてやってもいい」

「でも間違いなくお前だったけどなぁ……。つか間違いなかった」

「なんだよ、後ろ姿だったんじゃねぇの?」

 ここで断言された。

「顔を見た。俺はてめぇと10年付き合ってきてんだ。今更見間違うはずもねぇだろ」

 じゃあ誰だというのか。僕は友人が嫌な笑い方をするのが目に入った。

「……ドッペルゲンガー、じゃねぇか?」

「あー?」

「知ってるかドッペルゲンガー。複体とも言う、シェイプシフターの一種だ。自分と同じ姿で、自分に関連のある場所に出現すると呼ばれている怪奇。よく聞く話だと寿命が縮むとかそういう話がある」

「……オカルトならよしてくれ。僕はそういうのが嫌いだから」

 と僕が言っても聞く奴じゃないってことぐらいよくわかってる。なんせあいつが学校で所属していた部はオカルト部というのだから。

「知ってるよ。で、ドッペルゲンガーというものの存在に様々な疑問を思うわけだ」

「話がずれてる! 僕は耳を塞がせてもらうぞ!」

「勝手にしろーい。まずドッペルゲンガーには『自覚があるのか』ってことだ」

 奥歯を噛み締めながら思った。話は聞かなきゃならない。でなければこいつは余計なことをべらべらとしゃべりまくる。自分の嫌な話でこの甘美でもっとも貴重な時間を潰されるのは、もっと嫌なことだったからだ。

「うぅ……自覚があったんだろ」

 無論てきとうを言ってる。

「おや、冴えてるな。当たりだ。ドッペルゲンガーに自覚がなければ、互がドッペルゲンガーだ。互が互の寿命削りあうってのは理屈としてどうなんだ、と」

 ドッペルゲンガーなるオカルトソックリさんに理屈もクソもあったものだろうか、などと突っ込むのは無粋だ。第一伸びてしまうじゃないか、話が。

「つまり自覚はある。だから自分が写し身となっている本人に、罪を擦るんだよ」

「……罪」

「そう、関係のある場所に現れるということはその本人が来るかもしれない場所なわけだ。さんざん罪を犯して、本人がその場所に来ると」

「まんまとそいつに罪が科せられ、寿命が減ると、そういう認識でいいんだな?」

「うんうん、お前は話が通じていいねぇ」

「その話聞いてから僕そいつと会いたくないんだけど」

「でも結局遊びに行くなら駅は避けて通れんだろ? 見に行こうぜぇ……!」

「息が荒いんだよ気色ワリイな!」

「俺はもう興奮が止まらない! ついにオカルトを実際に見れるのかと思うと……」

 僕はハッと目が覚める。周りのうるさいと訴える視線と、奇異なものを見つめる視線が集中しており、顔から火が出るほど恥ずかしくなってきた。

「み、見たいなら見に行ってやるから静かにしろ……」

「ほぇ?」

 この男には羞恥心がかけていたのだった。この野郎め!


「……人だかりだな」

 目の前に広がる人壁が駅への道を遮っていた。通りたくても通れない。

「この集りの中にいたら見つけるもんも見つけられんぞ彩嵜」

「そんなことはどうでもいい、今はこの中心を見たい」

 しまったこの男、オカルト好きはもとよりこういう人の目を引くものが好きで好きで堪らない、いわゆるやじうま根性の持ち主だということをすっかり失念していた。

「ついてこい! 俺がこの壁の向こう側を見せてやる」

「偉そうに言ってるけど要は回り込んだり裏道使うだけなんだろ!?」

「何をわかりきったことを」

 そういうと迷いなく近くのビルの裏口を開けた。

「ここはいつも従業員口が開けっ放しなんだ」

「これって不法侵入じゃ……」

「ここで置いてかれて通報されるのとついてきて人ごみの種見れるのとどっちがいい」

「実質一択なんだが!」

 軽やかに走り抜けて、従業員トイレに入る。

「まさか」

「窓から飛び降りるぞ」

「おい待てよ! 確か……」

 階段上がってきたよな、そう抗議しようとする頃には窓から突き落とされ空中にいた。

「ひぎゃれえええええええええええ!!」

「体小さくしろ! そのへんに当たると危ない」

 言われたとおり小さくして落ちると、そこはごみすて場だった。

「……」

「あははは! お前バナナのカツラとか斬新だな!」

「くっそ! こうなったらどこにでも!」

 しかしそこからの道のりは短く、そのビルとビルのあいだを通り抜けると中心が見えた。

「……なあ彩嵜」

 僕たちが見たものは、あまりに形容し難い異様な姿のクラスメイト、武蔵境が倒れている光景だった。

 その部分だけ人がいない事の異様性についてはもはや言及する気にもならない。人々が動くのは好奇心であり、人を救いたいという心ではないと言う、常識で現実である。

 ミノベであれほど気にしていた周りの人の目など露知らず、武蔵境の元に駆け寄っていった。

 全身から力が抜け落ちており、動く気配は全くと言っていいほどない。体温も少し低い。体中が大小の泡がいくつも爆ぜたように消えており、そこから出血は見られない。僕は奥歯がカタカタと打ち鳴らされている。それでも必死に生存を確認する。呼吸はない、脈は……消された手首からどう取ればいいのだろう。目を見る、瞳孔が……。

「開いてる……」

 死んでいる……。ということなのだろう。津波のように押し寄せ、僕は友人の死という事実に飲み込まれた。動揺するあまり息ができなくなった。必死に自分をやっと吸えた自分からする生ゴミの臭いが止めを刺し、僕は戻してしまう。彩嵜は目を伏せてしばらく動かなかったが、荒くなった鼻息を押し殺すように、武蔵境の遺体に両手を合わせた。

 固定されたかのように動きがなくなった人たちに、命を吹き込んだのは強引な侵入者だった。

「……らぁ! よくもてめぇ……!!」

 そいつは間柴、僕たち三人の友人であり、武蔵境とはそっちのけがあるのではないかと疑われるほどに仲が良かった奴だ。

「蕪菁ァああああ!」

 僕は怒りにこもった声で呼ばれ、その理由を探しても思い当たらなかった。間柴は僕の方に向かってきて……馬乗りになった。

「よくもムサシを殺しておいてのこのこここに来れたものだなこの人殺し!」

 何を言ってるんだこいつは!?

「ちょっと待てよ! 武蔵境は俺達が来た時にはもう……」

 僕が事実を訴えようとすると、体重の乗った肘が僕の前歯に直撃した。

「!?」

「そうじゃねぇだろ? すっとぼけるのも大概にしろよわざわざ服まで着替えやがって……!」

 僕はグラグラする前歯とその激痛に意味がわからない。その表情に完全に切れたのか、間柴はもう一発食らわそうとする。彩嵜が咄嗟に羽交い絞めにしてくれなければ僕は意識を保てなかった。

「離せ! ……離せよ彩嵜ぃ! まさか……コイツの正体知っててやってるんだな! てめぇら共犯なのか! 畜生、畜生」

「落ち着けよ間柴! 何があったんだ」

「なにもクソもあったもんかよ! こいつが、蕪菁がムサシを殺したんだ……!」

 ジタバタともがきながらしばらく鼻息荒く僕の方を殺意の篭った目線で刺していた。しかし彩嵜から逃れられないとわかるとぐったりと崩れ、泣き出してしまった。

「……蕪菁、お前はサイコ野郎だ……笑ってムサシを殺すなんて……。そんなに幼馴染の俺がムサシとばっか遊んでるのが悔しかったかよ……」

「……」

「なんでだよ、殺したあとにその死体を見て戸惑ってやがったのはどういうわけだ。あのカードがおふざけだったのか、それで死ぬとは思わなかったのか……」

 途中から喉がかすれるほど、大声で僕を糾弾していた。僕は何もわからない。何も……わからない。

 いつの間にやら外野が騒がしくなっていた。どうやら間柴の言葉から僕が殺したのを目撃したという者が数人いたようで、僕の顔を見て間違いないとでも言っているようだった。

「まずい……逃げるぞ」

 彩嵜は混乱しきっていた僕の手を引いて、また謎の裏道を使って逃がしてくれた。


 たどり着いた高架下、僕たちは通り過ぎていくサイレンの音に怯えていた。

「あれって……」

 彩嵜がようやく口を開いた。

「やっぱり、俺が見たドッペルゲンガーだよな……」

「認めたくねぇけど……それ以外思いつかないし、可能性が見当たらん。でも俺自身見てないから信じらんないよ……」

「! 冷静に考えてみるとお前ドッペルゲンガーに会ってないのに寿命削られてるな」

「ははは、笑えねぇ」

 彩嵜はその会話をしつつも、どこか気にかかるようで上の空だった。

「なに考え込んでるんだこんな時に」

「いや、あいつ……間柴はどうして武蔵境の元を離れていたんだろうなって」

「……お前がって話で考えてみろよ」

 すっかり考え込んでしまった。

「そうか……犯人だ」

「あ?」

「殺害現場を見かけて捕まえられる近さだったら俺は犯人を追いかける。……死んでるってわかったらな」

「……」

「間柴の向かった方向は病院だった……。ドッペルゲンガーはなぜ病院に向かったんだ?」

「わかるもんかよ! 笑って人殺すような奴なんだぞ! 病院の駐車場から逃げたのかもしれないし!」」

「でも死体を見て戸惑ってた。それって殺す気がなかったってことじゃないか? 逃げるにしてもあの見晴らしのいい場所をわざわざ選ぶかよ」

「い、今気にしなきゃいけないことなのかそれが!!」

 僕はもう焦燥から何も考えられなくなっていた。いろいろなことがありすぎていっぱいいっぱいだった。しかし彩嵜の探究心は自分勝手なまでに進んでいく。

「俺、病院に行ってくる」

「はぁ!?」

「間柴が戻ってきたってことは、捕まえられなかったってことだろ。でも何かある。もしかしたら見つかるヒントがあるかも」

「待てよおい」

「すぐ戻ってくるから」

「おい!」

 彩嵜は風のように通り過ぎていき、僕は一人になった。


 あれから何時間経ったろうか。緊張していた曇り空は緩み、灰色の水玉がこぼれ始める。

この雨音がまるでカウントダウンのように感じられて、焦りを煽った。

「早く帰ってきてくれ……」

 すると……声がした。聞き覚えのある聞き覚えのない声が聞こえた。

「病院に何かあるのか、それとも、病院自体に意味があるのか」

 ……ブツブツとつぶやくようで、でもはっきり脳に響く。誰かいるのだろうか、しかも病院云々についても聞かれてしまっている。

「あ、あの……」

 事件について知らないならば何も言い訳することはない、そう思った瞬間、『声がやけに下から聞こえること』に気づいた。まさに自分の足元から。

「え? え!?」

「そういうことだ。今更どうって事ないだろう? あんだけいろんなことあったんだしさ」

 そんなことを言われても驚くことにはやはり驚く。

「か、影が……喋ってる!」

「……俺はずっと、ここにいたんだぜ? お前が無視してきただけで、俺は昔からお前に話しかけていたんだ」

「ふざけんな、そんなことあるわけ……」

「冷静に思い返してみろよ」

 言葉に耳を傾けちゃいけない。きっとこれは僕が産んだ妄想の産物、俺の現実逃避の代物だ。でも……、一度聞いてしまった声は、もう耳を塞いでも染み込んで、染み込んで。

「さて……あいつはなかなか帰ってこないなぁ。すぐ帰ってくるって話だったのに。病院なんてここから見えるじゃないか。どうしてそんなに時間がかかるか。いろいろ可能性もあるよな」

「うるさい! あいつは俺のこと逃がしてくれたんだ! 今更……」

「待てよ、可能性なんだからそうだとは言ってないだろう。こういうこともあるって話だ。備えあれば憂いはない」

「……!」

 握りこぶしが地面に叩きつけられる。

「影を殴れた記憶があるならそれも良かったかもな。

 あいつは何してんだろうなぁ……通報? だったら辛いねぇ、裏切りだ。逆に身元を隠してお前を……俺を殺そうとしてるのかもな。あいつは色々な裏道を知ってる。この状況なら逃走したとして見つからない場所に隠せば大丈夫だ。動機は……友人の死、目撃者多数の容疑者……他に何かあるかねぇ」

「やめてくれ……」

「冷静に考えれば、可能性なんて無限に出てくる……落ち着けばなんてことはない」

 影が沈黙すると同時に、彩嵜は帰ってくる。

「お待たせ……。やっぱ何にもなかったわ。確かにお前が来たとは言われたけど、日本語じゃない言葉をベラベラ話して帰っていったそうだ。そんときカードを見せてきたけど、見たことないカードだったって」

「……」

 そんなことはない、僕は彩嵜を信じてる。心の奥底でそう訴えつつも、影の『可能性』が耳にこびりつくようで、カビのようにしつこくて、そして……頭の中に広がる。

「それだけか?」

 口から出る言葉を僕は覆い隠したくてしょうがない。

「……? どう言う意味だそれ」

「いや随分時間がかかってたなと思って」

「おいおい、疑ってんのか?」

「違うよそう思っただけだよ。僕は恩人を疑うほど堕ちちゃ……」

 体が……勝手に動いている錯覚に陥る。それは錯覚などではなく……両手は彩嵜の首を力の限り絞っていた。

「……がッ……! 蕪……菁……なんで……笑っ……」

 膝から崩れていく彩嵜、やめろと心が叫んでいるのに、その手は強張っていく。ついに倒れきる彩嵜、苦悶に歪む顔から目をそらす。その先にあった水たまりは……『笑う自分の顔』を写していた。

 てから力が抜ける、呪いが解けたように手の力は抜け、指には少し食い込んだのか皮膚や血が滲んでいる。

『笑って殺した』

『死体を見て戸惑った』

「……僕が……!」

 もう、逃げ出すしかなかった。彩嵜の生死を確認したくなかった。すれば何もかもが終わってしまう。僕の中の、すべてが。


 心臓が脈のつながりが曖昧になるほど激しく走った。逃げて、逃げて、逃げて。

 裏山の麓の森の中で、足が動かなくなった。

「なにから?」

「……お前からも……だよ……畜生……」

 現実からは逃げられない。この両手の感触からも、二人を殺した罪からも。

 僕の中で事態は深刻さを極めていた。僕は勘違いしていたんだろうか。実は心のどこかで殺意がたぎっていて、その罪から逃れようと宿題をしたなんて偽の記憶まで……だとしたら僕自身がドッペルゲンガーじゃないか。

 もう誰も信じられなくなっていた。自分自身すら、あの彩嵜を殺したんだ、笑って。

「言ったろ? 冷静になれって」

「黙れよ……お前も消えてくれ。お前に唆されたも一緒だ」

 自分で付けた、も、という一文字に、心をえぐられるような気分になった。影のせいにする、これも逃避だ。皆逃げ出してしまいたい。消え去ってしまえばいい。全てなかったことであればいいのに。それがどれだけ幸せなことか。

「お前の中で完結してるそれ、ピースを無理やり押し込んだパズルだ」

 意味深に影が言う。

「カード、それが抜けてるんだよ」

「カード……」

「言ってたじゃないか、武蔵境を殺した時もカードで殺したんだ」

 確かにそんなようなことを言っていたような気がする。

「どこぞのカードゲームじゃないんだからそんなこと出来るわけないだろ!?」

「だけどその場面を克明に目に焼き付けたはずの間柴がそう言ってる。そして病院に行った時も、カード」

「……」

 でも、だからなんだというのだ。ドッペルゲンガーがいるという証拠もない。そのカードだってなんだかわからない。僕は頭を抱えて腐葉土を眺めるしかなかった。

「……うぅ……」

 水溜りに自分の顔が写っている。それがたまらなく恐ろしくなった。この情けない顔が、あんな狂気に満ちた顔で笑うのだと知ってしまったからだ。

「うううううううううう……」

 全身がどっと疲れ……揺れる。体を支えているのがやっとだ。それでもその水溜りが恨めしくなって、蹴飛ばした。水面が揺れる。静まる。そこには……『笑みを浮かべる自分が、僕の首を絞めようとしていた』。

「!」

 よく見れば水たまりの中から自分が手を伸ばしているわけではない。自分で自分の首を絞めているのだ。

「くそ……なんで……なんで!」

 手は離れてくれない。力が次第に強くなっていく………。

「誰か……たす……」

 意識が……。


 その時だった。水面でなく、しかし鏡写の顔が。

「ににせつら!」

 意味不明な言葉を吐いて、僕の手を首から外してくれた。

「ありがとう……」

「けろまのなこ……えろぬコラーンご……?」

 おそらく通じていないのだろう。だが分かる。コイツもまた、何も信じられず、動揺している。

 僕は心の中で少しだけ安堵した。ドッペルゲンガーが存在するということに。

 だが、ドッペルゲンガーはANDに浸る余裕もなく次の行動に出た。

「ちらえうざコーデど!」

 懐からカードを取り出す。僕は疲れきった足を引きずって、必死で距離をとった。あれは武蔵境を殺した道具だからだ。

「だげダータほづあぬら。ぶこねダータぐあわぎさせれちさむおねだはにあこ……」

 何かカードを使うことにためらいを感じる。カードを使うのになにか制限があるのか? それともカードを使うごとにペナルティを負うとか……もしくはカードは単純な殺戮道具ではないのだろうか。あいつは確か死体を見て戸惑っていたらしいが……。

 なんにせよ使えないのなら……殺されないようにカードを奪わなければ……。

「う、うおおおおお!」

「!」

 僕はなんてバカなことをしたもんだと後悔した。この疲れきった状態で、今行く必要がなかった。タックルは躱されてしまい、手にカードが掠る。その瞬間、僕の中で何かがスパークした。

「……クローン? そのカードはクローンのデータカードなのか? お前は……笑ったってのは治せると思ったからだったのか? 本当は『不良体』は全部消えるはずだったのか? お前は一体……」

 小さな何かが駆けてくる音がする。二人はそちらを見た。

 そして同時に叫んだ

「ロンゴ!」

 それは汚れを知らないドブネズミの名前。

 ロンゴのそこからの動きはまるでスローモーションのようだった。

 家で、借りてきた猫のようにおとなしかったロンゴは、俊敏さと跳躍力を活かし、ドッペルゲンガーの足元に張り付いた。そして服を上り、カードにまでたどり着く。

 そして、自分の体にそのカードを突き刺したのだ。


 僕は親に『一人で帰る』と言って、自分の不幸《入院》を呪いつつ、未来のことでも考えて立ち直ろうと考えていた。

「神様は僕のこと嫌いなのかねぇ……」

 何も電柱とおしゃべりする趣味があるわけでなく、

「なぁ、彩嵜。お前もそう思わんか?」

 答えてくれる友人がそこにいたからだ。友人はニッコリと笑う。

「思わないねぇ。どんなネタよりもお前が夏休み入ってそうそう入院したって事実にはかなわねぇ。最高に笑えるぜ」

「おいおい同情の一言もかけてくれねぇのかよ」

「ははははは!」

「この人でなし!」

 なぜだか後ろを振り向いた。何かが僕を見つめているようなそんな気がして。

「ん?」

「……いや、なんでもない」

 そこには何も無かった。

この物語のSF要素はタイトル通りShapeshift のSとFearのFです。

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