繰り返す初恋
夏目志乃はリビングで写真を見ながら、深く息をついた。
結婚して3年、夫の事もある程度よく分かっている。恋愛結婚し子どもは娘一人、息子2人。でも、昔の方がよく分かっていた気がする。
志乃と、夫の陽一郎は幼馴染だった。
普通、幼馴染と言ったら兄弟関係の延長線になり、恋愛感情なんか入る余地も無い、と言われる。
志乃は違った気がする。
陽一郎が好きで。大切で。
でもオトコノコとオンナノコの境界線で分けられる日がいつか来る。志乃達もそうだった。自然と距離が離れた。でも、どこかで陽一郎を探していた。彼との接点を探していた気がする。
気恥ずかしさと恋心が同居しながら、自分を正当化させようとした。この感情は偽りだ。この感情こそが嘘つきだ。そう全否定する事から、旧姓朝倉志乃は始めたのだ。そうでないと、弱い自分をさらけ出してしまう。
知っていた。自分は陽一郎に守られていた。陽一郎を支えたいと言いながら、守られていたのは自分だ。さり気なくそばに居てくれる、そんな陽一郎に安心をもらっていたのだ。
この感情は恋なのか信頼なのか友情なのか家族関係なのかわからないまま。
均衡を崩したのはどっちと言えたのか。動いたのは志乃。まっすぐに言葉を伝えてくれたのは陽一郎。
純粋に嬉しかった。
幸せという言葉を表すならば、こういう事なのかなぁ、と思う。それなのに結婚して二人の答えを見つけたはずなのに、不安になっている自分がいるのだ。
分かっている。自分の不安は些細な事なのだ。いつもそう。自分は小さな不安に怯えている。それは陽一郎といる時間が何より幸せだと言い切れるから。それは何よりかけがえがない、そう言い切れる。
――結婚は墓場だよね。
――旦那なんかいなければいいのに。
――あの人と子どもと二倍手がかかるんだよね。
そんな言葉を既婚者の友達はよく交わすが、志乃には理解できなかった。
と、ノックされる音で我に返る。
陽一郎の弟の陽大が、小さく微笑んで立っていた。
「志乃ちゃんが最近寂しそうだったから、何かあったのかなぁと思ってね」
と陽大は写真を眺めながら優しく言った。夏目家と朝倉家は家族ぐるみの付き合いだ。ちょっとした事も機敏に察知してくれる陽一郎の兄弟達にいつも感謝してしまう。
きっと次女の美樹あたりが、気を回してくれたのは想像できる。三男の晃や次女の亜香里が水面下で立ち回り、次男陽大は全てを察しながらも、志乃に言葉を投げかけてくれる。
いつもそうなのだ。彼らはこうやって、志乃に勇気をくれる。
陽大は言葉を急かさない。
志乃は陽大を見る。自分の不安はなんてちっぽけなんだと、と思う。でも陽大は、それすら見越して、志乃に寄り添ってくれるのだ。本当に有難い。
「陽大君は笑うかも」
でも陽大は表情を崩さずに、志乃を真剣な眼差しで見やる。陽一郎をはじめ、この兄弟はみんなそうだ。志乃のどんなちっぽけな言葉でも真摯に受け入れてくれる。
「……一緒にいるのにね、距離が遠く感じるの。陽ちゃんと一緒にいるのが当たり前なのに、時々遠いというか――」
「兄さんが浮気してるかもって事?」
陽大の疑問に志乃は首を横に振る。そうで無い事は、志乃自身がよく知っている。仮にそうだとしたら、志乃は耐えられるだろうか? とても自信が無い。
幼い頃からそうだった。志乃は独占欲が強い。陽一郎が他の女の子と一緒にいるのは苦しい。自分の事を見てくれていると自覚した瞬間、本当に嬉しい。だから、些細な事で迷っては自己嫌悪に陥る。
「それなら」
陽大はにっこり笑って言った。
「志乃ちゃんの思うようにしてみたらいいよ。何度初恋してもいいんじゃない?」
志乃は目を点にして、そして――小さく笑んだ。そうか、そういう事なんだよね、そう思いながら。
「ただいま」
陽一郎が帰ってきた。いつもなら、子ども達が陽一郎に駆けていく。でも今日は違った。真っ先に志乃が駆けていた。
しっくりこない理由が、なんとなく自分でも分かった。
子育てや家事や陽一郎の仕事のサポートで忙殺されて、一番肝心な事を忘れていた気がする。
好きなのだ、陽一郎が。
気持ちが霞む日なんて無いくらいにずっと陽一郎を想っていて。そんな自分の感情は陽一郎には重いんだろうか、と心配になりながらも抑えきれなくて。
初恋は陽一郎で。
生涯のパートナーに選んだのも陽一郎で。
あなたが好き、それしか言葉にならなくて。
手を握ってもらえる事が少なくなって、自分たちを「お父さん」「お母さん」という記号で呼ぶようになったけど。
陽ちゃんが愛しい。
だから――志乃は陽一郎を全力で抱き締める。初恋を自覚した日から、何度初恋を繰り返してきたんだろう。数えられないくらい、思い出せないくらい、志乃は陽一郎が好きな事を自覚する。
と、陽一郎が志乃を優しく受け止めた。
「志乃が忙しそうだから遠慮してたのになぁ」
少し困った顔で。少し照れて。確実に志乃の目を覗きこみながら。
「お母さん、ズルい!」
「お父さんズルい!」
そんな子どもたちのブーイングは無視して。指先と指先を絡めながら、陽一郎の体温を確認しながら、これが何回目の初恋なのかと考えながら。
「陽ちゃん?」
「うん?」
「好きだよ」
今まで何故か気恥ずかしくて言えなかった言葉を、志乃は真っ直ぐに告白する。何回あなたを好きになるんだろう。何回あなたを愛おしく思うんだろう。些細な事で浮いたり沈んだり。それでも揺るがないただひとつの感情が陽一郎を求めて、止まらなくて。
「好きだよ」
そっと、陽一郎が志乃の髪を撫でた。
幼い時から、変わらないモーション。その度に繰り返す初恋、昂ぶる鼓動、変わらない想い、より強くなる恋心。全部、全部抱き締めるように――志乃は陽一郎をもう一度、全力で抱き締めた。
新春萌企画、滑り込み?と言っていいかしら。今回は夏休みの番外編での参加です。
こんなラブラブな夫婦がいてもいいよね、という事で(笑)
夫婦になると、恋をしていた時のような甘い時間だけで無いというのも重々承知ですが、この二人はね……。まぁ、こんな感じなんでしょうね。お互い、持ちつ持たれつというか。
夏休み未読の方でも読んで頂けるよう書いたつもりですが、未読の方は是非「夏休み」も!と宣伝してみる(笑)あ
でも今回は椿さん企画ですので、甘々に仕上げたかったのです。
稚拙ですが、お読み頂いた皆様に感謝を。