【逢夜 参】 キルト
私は家路に着く前に夕食をコンビニで購入し、マンションのエレベーターで五階まで上り、オートロックの鍵を開けて電灯を点ける。虚ろな蛍光灯の灯りが室内を照らし出す。
「―――――」
気配の感じられない室内で、私はある種の異変に気づいた。誰がいるとか、部屋が荒らされたとか、そういう具体的な雰囲気が漂っている訳ではない。何かがいた、もしくは何かが去った後の名残のようなものを感じたのだ。
室内には何の気配も感じられない。奥に在るリビングの闇と静寂がそれを物語る。
私は特殊警棒に指を這わせて、ゆっくりと中に侵入する。……自分の家なのに。
フローリングの廊下を歩いても物音はしない。綺麗に掃除されているため、埃も目立たない。誰かが入って来たのだとすれば、何かしらの痕跡は残すと思うのだが、それも一切無く、それが逆に否応無く奴を連想させる。
無用心にリビングに入り込み、何の警戒も無く電灯を点す。スイッチをオンにすると、室内が照らされる。背の低いソファに足の短いテーブル、それなりの大きさの液晶テレビと事典や雑誌の詰まった本棚、カーテンの閉めきられたガラス戸などが目に入る。どこにも人の気配はしないし、影も形も見当たらない。
―――ただ、私はテーブルの上に一通の封筒が置かれている事に気づいて、それに歩み寄る。
「…………」
宛名は無い。差出人の名前も無い。何の装飾もされていない、白く潔癖な封筒の封は始めからされていなかったのか、開いたままになっていた。中には、一枚の紙。取り出すと、それは予想通り奴からの手紙だった。
『 恐らく、今この場に俺はいないだろう。
これが届いたという事は、俺は死んだはずだからだ。
率直に言おう。おまえの運を試したい。
ここで死ぬようならそれまでだし、生き残ったとしても褒める気は無い。
ただ、俺はおまえの運を試したいだけだ。
七人の殺人種を殺してみせろ。
ルール等は指定された場所で聴け。
時間は零時ジャスト。
行かないのならそれも好し、行くのなら覚悟を決めろ。
おまえが生き残ろうが死のうが構わない。
結果がおまえの全てを物語るからな。
人鬼 』
……紙の端にはこの町の文化会館の名称が記されていた。
……奴は、死んだはずだ。それは間違いない。……なのに、どうしてこれが届く? 私は何とか頭を働かせてみたが、……如何せん私の足りない頭では到底理解には及ばない。思考は、する奴がすれば事足りる。すぐに沈思を打ち切る。
壁に掛けられている時計を見ると、……十一時半。ここから文化会館まで歩いて丁度の時間だ。
立ち上がり、食べ残しのアイスを流し場に運ぶと、適当に濯いで捨てる。
汗が臭う服を脱ぎ、簡単にシャワーを浴び、Tシャツの上にタンクトップ、デニムのスカート、そしてその上にキャミソールを羽織り、外に出る。寒くなってはきたが、あまり重ね着しないのは、運動性に欠けるからだ。いざという時に動けなくなるような格好は好まない。……日頃からそうしてる訳じゃなく、今日はその可能性を考慮してのコーディネートだ。
スニーカーを履き、秋の夜に繰り出すと、夜風が肌から熱気を奪う。シャワーの後に髪を少ししか乾かさなかったため、些か冷え込むが、時間が無いので構えない。が、それでも歩く速度は変えない。急ぐでもなく、走るでもなく。ただ、いつものペースで目的地へと向かう。
先程男と少年を殴り殺した道を避け、文化会館へと辿り着く。そこには、見知らぬ人の影。それも、一人分じゃない。
「……ほぅ? 二人も女子が居るとはのう。殺し合いにしては、些か華が多過ぎるのではないか?」
……明らかに時代錯誤な格好と物言いの男に、私は眉根を寄せる。
着流しという格好で、腰に帯刀している男は、澄んだ瞳を細め、流麗な顔立ちを僅かに曇らせる。文化会館の灯り無しではほとんど見えないが、確かに麗人に見える。時代劇のドラマからそのまま抜け出して来たような錯覚を感じる程、その存在は辺りを非現実に誘う。
着流しの男は腕を組むでもなく両手を垂らしたまま、辺りに気を配っているように見える。周りの連中――二人の人間に向かって。
一人は中学生らしい女子学生。格好を見ればすぐに夜中でもうろついていそうな奴だと分かる。暗くて色までは掴めないが、髪をあちこち染め、カチューシャにピアス、ネックレスにブレスレットなど、見ているだけで何点ものアクセサリーを挙げられる、付けるだけで時間が無くなりそうな気がする格好をしている。……まあ、ああいうのは付けたままで外さない子もいると聴いた事があるけど。まだ十代半ばと思われる女の子だ。
もう一人はヨレヨレの草臥れたスーツを着た男。体格は少し太ってるような感じで、大柄な熊のような雰囲気を醸し出している。無精髭が少し目立つ位に在って、全体的にスーツと同じく草臥れたような感じのする二十代後半に見える男の風貌は穏和そうで、着流しの男とは別種の、場に合わない空気を纏っている気がする。
……そもそも、こんな場所にいるような奴の雰囲気なんて私は知らない。ただ、奴――人鬼はそういう空気を懐いていたのは間違いない。
「お嬢さんは、ここに呼ばれて来たのかな?」
男――草臥れたような雰囲気の奴が、物腰柔らかに尋ねてきて、私はどう応えようか迷った。応えるべきか、無視するべきか、判断が付かなかった。
「あー、いいから、こんなおっさんスルっちゃって。つか、うっざいよねーこーゆーおっさん。話し掛けてくんなっつの、セクハラで訴えるぞバーカ」
応える間も無く、女子学生が口を挟んで一気に捲くし立ててきた。一瞬早口言葉を言ってるのかと思ったけど、どれもちゃんとした日本語のようで、内容もそれなりに聴き取れた。
「君は少し酷過ぎるんじゃないかな? 年上に対する態度がなってないよ?」
教師のような口調で諭してくる男に、教え子のような女子学生は苛立ちを隠さない。
「それがウザいってーの! 黙れって言ってんのが分かんないの? それとも頭ん中ゴミしか入ってないの? ゴミも入ってないよね? 存在がゴミだもん。あ、それじゃゴミに失礼か。あんたゴミ以下って言うのもおこがましい位の下劣種だもんね」
……よくまあそこまで罵倒する単語が出てくるモンだな、と少し感服してしまう。
着流しの男は二人の(と言うよりは一方的な)言い争いには参加せず、達観したように二人を見据えている。私も、話し掛けるでもなく全容を把握しようと静観する。
―――じゃり、
そこにアスファルトを噛む音がして、振り返ると新たな人間が姿を現していた。
この異様な雰囲気に合う、異様な空気を漂わせる男の格好は、白衣。丈長の白衣の下はこの寒空の中、シャツさえ着ていないようだった。白衣の前ボタンを留めず、その間から病的なまでに白い肌を少し露出している。髪は短髪だが、前髪が目元を少し隠している。隙間から見える眼は、澱んだ泥水の色を浮かべていた。
「……漸く真剣に斬り結べそうな輩が来よったか」
着流しの男が満足そうに呟いたのを見て、言い争っていた二人も第三の男の存在に気づいたようだ。
「おや、寒くないのかい、君は? 私は寒いのにコートを着忘れて来てしまってね」
「ダッサ! バカじゃないのおっさん? 寒いのに着忘れるなんて度の過ぎたバカね。クソバカ、鬼バカ。寧ろ死ねってカンジ? つか死ねよ。今すぐでいいよ、そこで死んでもう死んで今死んで早く死んでああああああウザい!」
「…………」
白衣の男は私達を見据えて何の感情も浮かべず、着流しの男のように無言で壁に寄り掛かり、一言も発さずに私達を眺めている。
文化会館の壁に付けられた時計は、もう間も無く零時を差そうとしていた。分針があと一回動けば―――
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