【逢夜 弐】 キルト
今日の天気予報は雨だったが、空には雲が敷き詰められているものの、未だに水音は聴こえてこない。月も星も隠されてしまった空は、ただただ暗鬱に、地上の光をも吸い込んで沈んでいた。
闇夜――光の差さない場所は、完全に闇に堕ち、私や相手を隠してしまう。
相手――サラリーマンらしい男を。
何の変哲も無い、どこにでもいそうな、一人ぐらい減っても誰も気づかないような、極端に言えばいてもいなくても何も起こりそうに無い、普通の男。
男は私に気づかず、家路に着いている。途中、コンビニに立ち寄って週刊誌などを立ち読みしていたが、住宅街に入って以降、変わった動きも見せず、黙々と歩き続けている。
私はその後を静かに尾行し、人気が絶えたのを見計らい、ゆっくりと足を早める。少しずつ、男との距離を縮め、スカートに手挟んでいた特殊警棒を引き抜き、―――
―――男の頭蓋を、搗ち割る。
骨が砕ける音か、単に打撲の音か分からない程、鈍い破砕音が響き、男がつんのめるように倒れる。倒れる時も、派手な音こそ立てないが、何か重い物が落ちるような音ぐらいは響く。
体が痙攣し始め、まだ生命反応が在るのが窺える。死んではいない、が、もう間も無く絶える命の灯火をそこに見た。
私は誰も来ていない事を確認して、男の後頭部目掛けて、もう一撃、念入りに力を込め、――警棒を叩きつける。
今度こそ頭蓋が破損する音――少しばかり湿っぽい音が響き、男の痙攣が小さくなる。最早、意識は混沌に沈んだだろう。
私は、立ち上がる気配を見せない男を見下ろし、ただ冷淡に見下ろし、――何食わぬ顔で、その場を立ち去る。
これで一仕事を終えた。……とは言っても、これは嘱託されてした事じゃない。私が恒常的に行っている『習慣』でしかない。あまりに常識から掛け離れたモノかも知れないが、一度習慣付くと、中々止められないモノだ。
中毒などではないと自分では思っている。中毒の場合なら、これこれをしなくては生きていけないとか、しなければストレスが溜まるというようなモノだろうが、私の場合は別に殺人を犯さなくてもストレスが溜まる訳じゃないし、生きていけなくなる程切羽詰ったモノでもない。ただ、人を殺せそうなら殺すし、殺せないのならまたの機会にして諦める。
それでも止めないのは、やはり習慣になったからだろうと、私は思っている。思い込んでいる。
その場を後にして、今日の夕飯は何にしようかと考えていた、その時。
「…………あ、」
男の、声。
振り返ると、そこには―――倒れて動かなくなったサラリーマンの姿。
――と、学生らしい少年の、姿。
生きた、人間の、姿が。
「おまえ―――」
「―――――」
少年が何かを呟いた瞬間、私は特殊警棒を握り締め、咄嗟に体を反転させていた。もちろん、体の向く先は少年―――その、頭。
少年は倒れている男を見下ろして、すぐさま私の姿を目に納めると、咄嗟に逃げ出そうと背を向けようとして―――私の警棒に気づき、反射的に身を伏せる。
伏せても、私の特殊警棒の軌道からは逃れられず、私は特に軌道修正もせずに振り下ろし、―――少年の頭頂を破壊せんと叩きつける。
頭蓋の破砕される音と感触を味わい、少年の体が頭を先頭に路上に叩きつけられる。恐らく、今意識が在ったとしても朦朧としているだろうし、何より頭を強打すると大概意識が飛ぶ。ないし平衡感覚は取り難くなるし、動きも鈍くなる。
少年が即座に立ち上がる気配を見せないのを見て取り、トドメにもう一度、倒れ込んだ後頭部に向かって警棒を振り下ろす。――と、少年はギリギリのタイミングで横に転がって避け、荒い息遣いのまま、立ち上がろうと膝を突く。
凄い生命力だ、と素直に感心した。頭を強打されてこんなに早く回復する奴は初めて見る。ただ同時に、面倒な事になりそうだと内心舌打ちしていた。
一歩踏み込んで少年の側頭部目掛けて警棒を振り抜く。少年が膝を突いたところで目の焦点が合っていないのを見抜いてそのまま振り抜くと、少年の側頭部を砕かんばかりの衝撃と音が返ってきて、少年の体が再びアスファルトに沈む。平衡感覚を司る半規管を破壊されたのか、今度は即座に体勢を立て直せないのか、横になったまま動き出さない。
次こそトドメを刺そうと警棒を振り上げると、少年の喘ぎ声が聴こえた。――凄い。まだ意識を保てるなんて。今まで遭遇した事が無いタフマンだ。
少年は呻きながら涎を垂れ流し、ふら付きながらも膝を突いて立ち上がろうとする。先程倒れた時に打ったのか、鼻や口から流血が見受けられ、とても無事には見えないが、それでもまだ意識を保ち、尚も生に縋ろうとしている。
その根性だけは賞賛に値するモノだと私は思う。ここまで立ち上がった者が今まで無かったからか、私は今の事態に少なからず好奇心を懐き、また同時に焦燥感、そして僅かな恐怖も覚えていた。現在の事態は明らかにイレギュラーだ。
目撃者を生かしておく程私は甘くない。それに、目撃者を一人でも生かしておけば、私の足下が危うくなるのは火を見るよりも明らかだ。そんな事は何が遭っても阻止せねばならない。
仕方ない、とは思うモノの、この少年の処置に就いては大体見当が付いている。――殺す他無い。ただ、死ぬまで殺し尽くさねばならない、という段階にまで移行されたが。
「―――げ、ェ……ん、な、……ぅ」
少年がふら付きながらも膝を突き、もう間も無く立ち上がろうというところで、――再び側頭部を強打する。今度はさっきの逆側を殴りつけ、少年は三度地面を転がる。しかし、まだ動く気配が在る。タフ過ぎる。私は起き上がる前にその脳天を何度も、繰り返し、破壊するように、殴りつける。
がッ、ごッ、ぎッ、と、何度も、何度も。
途中、その瞳にも打撃を加え、同時に万が一の事を考えて足を折り、掌を砕き、喉も破壊した。
どれだけの時間殴り続けただろう。もはや少年は動かぬ骸と化しているにも拘らず、私は暴行を続けていた。まだ死んでいない、まだ生きている、まだ動く―――そんな妄念にとり憑かれたように、ただひたすら、飽くなき暴力の雨を降らす。
やがて我に返ると、そこには、――全身を殴打された撲殺死体が一体、転がっていた。
私は全身に大量の汗を掻いている事に気づいて、慌てて現場を後にする。いけない、長居し過ぎた。長居すればする程犯行は発覚し易い。それにアレだけ音を立てれば――と考えたが、冷静になると、見つかる事なんてあり得ない事を思い出し、ふと安堵の息を吐いた。
落ち着いて考えてみれば、確かに少年の存在はイレギュラーだったが、それは然程気にする事ではない。私の犯行は露見しないし、彼もまた目撃者として機能しない。私は、普通に生活できて、いつもの日常に破綻は起こらない。
何故なら、私はそういう人間だからだ―――
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