序章・虫になる人々
序章・虫になる人々① 虫になった友人
十五歳の頃、島を出た私はごく短い期間ではあったが傭兵団に身を置いていた。
私の次に経験の浅かった新兵レニタフは傭兵に似つかわしくない気弱な男で、隊で唯一私に好意的に接してくれた友人でもあったのだが、その晩に虫になってしまった。それはこの『テンベナ義兵団』での私の最初で最後の任務となる、ノンド樹海の山賊征伐のための行軍のさなかでの出来事だった。
中間地点である峠の村を越えた次の晩――港湾都市テンベナを出発してから四日目の野営地にて、皆が寝静まった後、私の眠るテントでそれは起こった。怒号と振動とひどい悪臭に気付いて私が目覚めた時には、既に犠牲者が出ていた。レニタフに食い殺されたのは私よりも一つ年上の少年兵のカイノらしかった。私の寝袋から二、三歩のところで眠っていた彼は全身をずたずたに引き裂かれ、もはやまるで見られないひどい有様だった。テントの上部が大きく切り裂かれ月明かりが差し込んでいたため、視界はすぐにはっきりとしたのだが、私は寝ぼけ半分だったせいもあり、それが誰なのか以前に、それが一体何なのかを理解するのにすらしばらくかかった。
「誰かが虫になっちまいやがったんだ!畜生、一体どのバカだ!隊長か副隊長は居ねえのか。あぁ、ロウィス!あんたでいい。あっちだ!」
外から聞こえたそんな怒号でようやく状況をはっきりと把握した。
レニタフは駆け付けた副隊長のロウィスによって殺された。私がのんきに上半身だけを起こして視線をテントの入口の方へとずらすと、巨大な人食い昆虫と化した私の友人だったものは外へとおびきだされ、満月の下で矛槍に貫かれて串刺しになっているところだった。彼の姿もまた悲惨に変形していたが、今度は何故だろうか、直感的にそれがレニタフだとすぐに理解できた。
レニタフはまだ生きているらしく両腕を弱々しく蠢かせていたが、ロウィスが矛を大きく薙ぎ払うと割れた胸の甲殻だけが矛に刺さったまま残り、引きちぎられた体はまっすぐ空を切って岩に叩きつけられた。
騒ぎを聞きつけたらしく、今目覚めたばかりらしい他の傭兵たちが続々とテントから出てきて、その様子を見てなにやら大声を上げていたが、レニタフの全身の殻が砕ける、大木を切り倒したような轟音はそれをかき消すほどの存在感を持って暗闇に響いた。
レニタフは完全に動かなくなった。
いつもひどく疲れたような眼差しの寡黙な大男という印象しか無かった副隊長ロウィスは、鬼神にでも取り憑かれたかのような気迫で、殺意と驚愕に満ちた目を大きく見開いていた。彼はレニタフの傷口から噴き出した体液を浴びて全身を真っ赤に染め、矛を握りしめる力を抜けないままでいた。レニタフの体液がまるで人血のような鮮やかな赤色をしているのは、彼がまだ虫化して間もなかったためだろう。元々人血だったそれは、完全には虫のそれに変化しきっていないのだ。
副隊長はレニタフの居たテントの入口に立っている私を見つけると、やはりまた普段からは想像もつかない力強い声で私を呼んだ。
「ヌビク、無事か」
私はこの時はじめて少しだけ恐怖という感情を思い出した。虫化した人間を見たことはこれまでも何度かあったが、たった一人でそれを倒してしまう人間を見たのは初めてだったからだ。私は咄嗟に頓狂な声で答えた。
「それ、レニタフです」
「そうか」
私の間抜けな顔を見てようやく力が抜けたのか、彼の瞳の炎は急速に熱を失い、眉は垂れ下がり、次に目が合った時には既に、覇気の無い普段の彼の顔になっていた。彼はゆっくりと周囲を見回した後、私に向き直って言った。
「…なんとしたことだ。彼の母親と妹が不憫でならない…」
ロウィスはレニタフが私の友人だったと知っているようだった。
彼は巨大な昆虫の死骸に近づき、跪いた。
「レニタフ、すまない」
彼もまたあまり傭兵向きの性格ではないらしい。
私と同じテントの者たちの多くは丁度哨戒任務中だったため、犠牲はカイノ一人だけで済んだようだった。ロウィスはテントの中に踏み入ると、カイノの死体の前でもまた跪いた。
私には言葉が無かった。心には一切の悲しみも無かった。少しだけ思い出した恐怖ももう消えていた。私はたった一人しかいなかった友人の死を容易く受け入れてしまった。そんな私が彼らの死について言及することは冒涜のように思えたのだ。
私がロウィスの背中を見つめている間も、外では男どもの荒々しい怒声が絶えなかった。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。