6 エピローグ/チビ犬の勝利!
あと少しで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
事件は解決した。なのにまだ、サヤマはこのクラスに居る。
私もサヤマと並んで教卓の前に立っている。ユカの元へ行こうとした私の腕を、サヤマが強く掴んで引きとめたから。
私を捕まえたまま、サヤマは顎に手をあてた『考える人』のポーズのまま黙り込んでいる。
「何よ、サヤマ?」
待ちかねた私が、泣きまくった後の鼻声で尋ねると、サヤマは意を決したように顔を上げた。
「えーと、チビ子。この際だから、お前にも言っておきたいことがある」
いつもとは違うサヤマの態度に、私は小首を傾げた。
あれだけ満ち溢れていた自信は影を潜め、視線は所在なさげに私の顔や胸元へと移り変わる。
いったい何事かと身構える私の斜め上から、サヤマの声が遠くに飛ばされた。
「ユカちゃんもだよ? ユカちゃんにとっても大事な話だから、ちゃんと聞いて欲しい」
有無を言わさず人を従わせる、リーダーの声。
机に突っ伏していたユカが、ぽってりと腫れた瞼をこすりながら身体を起こし、小さく頷く。
そんなユカに軽く頷き返すと、サヤマは一度深呼吸した。だいぶ目つきの険が取れて、いつも私をからかう余裕たっぷりな表情で。
「えーと、まずは俺のバカ兄貴のことな。アイツがアホなことユカちゃんに言ったせいでこんな事件になって、本当にゴメン。ヤツは爽やかだなんだって言われてるけど、ただのバレーバカだから。バカ過ぎて、言って良いことと悪いことの区別がつかないんだ。全くあのアホは……」
ユカは、自分の好きな人をバカだのアホだのと連呼され、ちょっと嫌そうに眉をひそめている。でもサヤマの行動原理をだいぶ理解できた私は、こう解釈した。
サヤマが誰かをけなすのは、きっと愛情の裏返し。
ヘンなところで子どもっぽいんだから、と内心苦笑していた私は、まだ気付かなかった。
今まで私自身が、サヤマからどんな扱いを受けてきたのかを……。
「もうっ、佐山君てばヒドイよ!」
口の達者なサヤマが放つ淀みない悪口に、とうとうユカの堪忍袋の緒が切れた。サヤマが「ゴメン」と顔の前で手を合わせると、ユカは尖らせていた唇を緩め「しょうがないなぁ」と泣き笑い。
ユカの片思いはもう完全にバレてしまって、これでクラス公認だ。きっと中には悔し涙を流している男子も居るはず。
誰が一番ショックな顔をしてるかな……ときょろきょろし始めた私に、サヤマが突然クイズを投げた。
「で、バカ兄貴がユカちゃんに、何で『チビ子について教えろ』なんて言ったか……チビ子、分かるか?」
楽しい推理を邪魔された私は、ムッとして叫ぶ。
「はあっ? そんなの私に分かるわけないでしょ!」
「そう吠えるなって」
サヤマは、バレーボールが片手で掴めるほど大きな手のひらを伸ばし、私のポニーテール頭をぽんぽんと叩いた。そこまでは、チビッ子の私に対するからかいの延長。
次の台詞で、私は完全に凍りついた。
「おまえ、黙ってりゃ可愛いんだからさ」
ヨーシヨシヨシと頭を撫でられ、ポニーテールの尻尾を掴んでふりふり振られ、涙の跡がこびりついた頬をむにゅっと摘まれ。
それでも私は、フリーズしたまま動けない。目ん玉が飛び出しそうなほど大きく見開いた目と、顎が外れそうなほどポッカリ開いた口のまま。
カンペキ放心状態の私を見て、サヤマが「すげー、アホヅラ」と小馬鹿にする。
その一言で、ようやく私は解凍した。今度は、みるみる顔中が熱くなっていく。
「あっ……あんた今、何を言って……!」
「皆は、もう分かっただろ?」
さっきまでの重苦しい雰囲気は、一体どこへ行ったのだろう?
気付けば、私とユカを除くクラスの全員が、ニヤニヤといやらしい含み笑いを浮かべていた。壁の丸時計をチラッと気にしたサヤマが、少し早口で語り出す。
「時間もあんま残ってないし、正解な。実は俺がずっとバカ兄貴に相談してたの。女子バレー部期待のホープ、ユカちゃんにいつもじゃれ付いてるチビっ子のこと、好きになったって」
「――えっ?」
解凍しかけた身体が、再びフリーズする。
サヤマの言葉が頭の中でぐるぐると回る。回って回って、結局手に取られなかった回転寿司のネタのように干からびて……。
混乱する私を置き去りに、サヤマの告白は続く。
「そしたら、バカ兄貴が調子に乗って『どんな子だ』ってシツコくてさ。しかも、わざわざ〝イニシャル入りハンカチ〟なんてアホなもん作って、『チビ子の前で落とせ』とかベタな作戦持ちかけてくるから、しばらく無視してたんだけど……」
私は目をまん丸くしたまま、手元の白いハンカチに見入る。
本日お世話になりまくりの、サヤマブランドハンカチ。サヤマがそんなベタなアイテムを持っていた謎は解けた。
だけど。だけど……。
「しかし、まさかユカちゃんに、そんな誤解させるようなこと言ったとは思わなかったな……ユカちゃん、アイツのこと許してやって。単にチビ子のことリサーチしたかっただけだからさ」
どうやら置き去りなのは、私一人になってしまったようだ。ユカは、サヤマの言葉をちゃんと理解できたらしい。「分かった」と囁くと、花が咲くように微笑んだ。
しかし次の台詞で、ユカは再び私と同じぐるぐる回転寿司屋へ逆戻り。
「ついでに言うと、兄貴はユカちゃんと喋るキッカケが欲しかったみたいだよ。入学してすぐ俺がユカちゃんに話しかけたのも、実は兄貴の命令だったんだ。『仲良くなって情報流せ』ってさ。ホント、バカだよなー」
ユカは「えっ」と呟いて絶句した。
なるほど、この話は私にも良く分かった。
つまりサヤマ兄は、最初からユカのことを気に入っていたのだ。
そして、サヤマ自身は……。
私はリンゴのように真っ赤な頬をしたユカから、サヤマへと視線を戻した。爆弾発言を落としまくったサヤマは、一人スッキリした顔をしている。
涼しげな横顔を見上げる私の心に、ふつふつと湧き上がる熱い感情があった。灼熱のマグマは、理性という名の地表を一気に突き破る。
――ああ、もうムカつく!
私もユカも、サヤマ兄弟に振り回されすぎ!
私は教卓の影に隠れた足に力を入れ、できる限り背が高く見えるように爪先立ちした。どんなに頑張っても、随分下からサヤマを見上げる形になってしまう。でももう気にしない。
思い切り、下っ腹に力を入れて……。
「――佐山悠太!」
驚いたサヤマは、まるで授業で先生に当てられたように「ハイッ!」と返事をした。姿勢までキチンと『気をつけ』にして。
私はそんなサヤマを、容赦なく睨み上げた。
火事場のクソ力というのは、こういう状態を言うのだろう。緊張も動揺も、全ての感情が限界を超えてしまった。サヤマの瞳を直視したところで、もう身体も声も震えたりしない。
私はサヤマの十八番を奪い取り、斜に構えたような口調で問いかける。
「あんた、私のフルネーム知ってるんでしょうね?」
「当たり前」
「じゃあ言ってみて」
「相川千夜子……さん?」
語尾が微妙に上がったことが引っかかり、ギンと鋭く睨みつける。自分の唇から、聞いたことが無いくらい低い声が漏れる。
「何それ、うろ覚え?」
「まさか!」
「だったらちゃんと言って」
「相川千夜子!」
私だけを見ているサヤマは、きっと気づいてない。ついさっき、授業終了のチャイムが鳴ったことを。そして、うちのクラスで〝事件〟が起きたって噂が、学年中に広まっていることを。
派手女子軍団を筆頭に、皆の机の下でフル稼働するスマホと、リンクして行くチェーンメール。
バトルの最終決戦は、リアルに観戦したいと思うのが人の常。教室のドアにも、ベランダの窓ガラスにも、好奇心旺盛な生徒たちの顔がびっしりと貼りついて、事件のクライマックスを見守っている。
そんな中、熱くなった私とは別の、冷静なもう一人の私が諦めの溜息を零す。
私は一生、目立たない『クラスメイトA』で良かったのに。
でも……もう、いいや。
私は背伸びを止めた。身体を支えていた教卓から手を外し、サヤマの前に一歩近づく。
揺るぎない想いを胸に、ダークブラウンの瞳を真っ直ぐ見上げて、叫んだ。
「あんたが私のコトどう思ってるか、ハッキリ言え――ッ!」
「好きです! 俺と付き合ってください!」
その瞬間……教室中、いや建物中が震えるほどの大歓声が沸き起こった。
嵐のような拍手と、床を踏み鳴らす上履きの音。興奮のるつぼの中、私は胸の奥でキラキラ光る宝石を見つけた。
「私も、サヤマのことが好き」
大歓声の中でも、私の囁きはしっかり届いたらしい。サヤマの目尻にくしゃっとシワが寄る。それはサヤマが初めて見せる、普通の男の子っぽい隙だらけの――本気の笑顔。
これで私とサヤマの立場は大逆転だ。レンアイなんて、先に「好き」と言った方が負けなんだから。
私はサヤマの緩んだネクタイを掴んで、整ったその顔をグイッと引き寄せる。
「……でも、今度チビって呼んだら別れるからね?」
なんて、至近距離で強気に微笑んでみせる。
耳の先まで赤くなったデカ犬のサヤマが、「ワン」と鳴く。私はめいっぱい背伸びして、ヨーシヨシヨシとサヤマの柔らかい茶髪を撫でた。
* * *
――翌日。
相変わらず遅刻ギリギリで登校した私は、真っ先にアイツの姿を探した。
いつもならふてぶてしく私の机に座っているというのに、今日は居ない。私は残念なような、ホッとしたような、複雑な心境で席に付いた。
昨日はあの興奮状態のまま、何一つ『約束』をせずに別れた。電話番号さえ交換していない。ユカ経由で番号を聞き出して連絡してくるかもしれないと、夜更けまで待っていたけれど、いつの間にか眠ってしまった。
今朝だって、ずっとドキドキしっぱなし。
サヤマがいつものように絡んできたら、どんな対応をしたらいいのやらと……だけど、見事に肩透かし。
(サヤマもきっと、私と顔を合わせるの照れくさいんだろうなぁ……)
重たい鞄を机に置き、私は溜息をついた。ふと周囲を伺えば、サッと目を逸らすいくつもの顔顔顔。
この状況はまさに自業自得だ。あんな派手なことをしでかしておいて、注目するなという方が無理だ。
昨日のアレは完全に勢い一〇〇%だった。いわゆる『真夜中に書いたラブレター』ってやつだ。
今も思い出そうとするだけで、心臓が破裂しそうになる。
「……全部サヤマのせいだよ。バカサヤマッ」
独りごちつつ、胸の中に浮かんだサヤマの額にデコピンを落とす。ちょっとだけ溜飲が下がった私は、気を取り直して鞄に手をかける。
教科書をしまおうとしたとき、机の中で指先にカサリと触れる物があった。
それは一冊のノート。すっかり存在を忘れてしまっていた例のノートだ。
(これってもしかして、今朝サヤマが返しにきた、とか?)
恐る恐る開いてみると、最初のページの一番上、二人並んだ名前の間には。
『佐山悠太【はーと】相川千夜子』
と、しっかり〝正しい〟アイアイ傘が書き足されていて……私は、笑った。(第一部・了)
※昨夜のサーバートラブルの影響により、最終話のみアップしなおしました。スミマセン……。