表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

オモイオモワレ

 ――あなたは、あたし。


 まどろみの中で、あたしは揺れる。

 思い切って短くした頭だけど、長髪の時が長過ぎて、首元がひどく物寂しい。

 全身は鉛がついたように重くて、セピア色の中、深紅しんくに染まったシーツが、まるで心の傷から溢れた血のようで。

 あたしは、かすれた声で小さく笑った。


「いつまで、ここにいるの?」


 ベッドに横たわるあたしに、腰まで伸ばした黒髪をさらりとかぶせながら、彼女が無表情で聞いてくる。

 身を起こす事なく、あたしは薄く目をあけた。


「ねえ、もう起きたら?」


 うん、でももう少しだけ……

 そう口を開いたつもりが、あたしの身体は少しも動かせないでいる。

 こうしてても、仕方がないのは分かってる。でも、あと少しだけ……


「こんな事してても、あいつは戻って来ないのよ」


 そんな事、知ってるわ。


「万が一、やっぱりお前が一番なんだ。って戻ってきたとしても、絶対に、また繰り返されるわよ?」


 ――知って、いるけど。

 あたしの中で揺らぐ何かが、心の中から追い出しきれない彼への愛情なのか、ただ悔しいだけなのか。判別がつかない。

 またうとうとと、まどろみの奥へと落ちていく。

 目が覚めても、夢の中でも、決して救いの手がどこにもないのは分かってる。


「ねえ、ここにいたって意味がない事くらい、分かっているんでしょ? 何の為に、髪の毛を切ったのよ」


 黒髪の少女が、ベッドにうつぶせになり、頬杖をついている。

 呆れた声。咎めるように、諭すように単調な声が、あたしの脳を打つ。

 苦しくて。でも、息をするのも億劫で。

 あたしは、あえぐように声を絞り出した。


「自分の、為よ。重い……重たいかせを、外したかったの」

「そうよ、そのはずでしょ? なのに、どうしてこんな所で沈んでいるのよ。おかしいじゃない」


 綺麗な臙脂えんじの着物が着崩れるのも厭わず、彼女は疲れたように、あたしのベッドに転がって、至近距離であたしをにらむ。

 あたしは、以前にも増して重く感じる頭を上げる事も出来ない。


「もう少しって、いつまでなの?」


 髪の毛を短くした違和感が、彼を思い出すきっかけになってしまっている。


 あたしを好きだと、言ってくれた。

 あたしを大切だと、言ってくれた。

 あたしが家にいてくれるから、帰ってくるのが楽しみなんだって……


 目を閉じても、さらに手で覆っても、彼の声、彼の温もり、彼の笑顔が浮かんでくる。


「忘れなよ」


 そう出来れば、どんなにいいか。

 彼があたしに向けた、あの目が忘れられない。

 知らない女と腕を組んだまま、嫌なモノを追い払うように手を振って、


『お前はもう、いらねーんだよ』


 九月の夕涼みには、一緒に浴衣を着て遊びに行こうねって言ってくれたのは、あなたでしょう?

 渋るあたしに、赤い浴衣を買ってくれたのは、あなたじゃない。

 あたしは、夕暮れに染まる部屋でセピア色に包まれながら、身体を丸くする。


「あいつがまた来たらさ、あたしが追い払ってあげるから」


 ――それは、ダメ。でも、ダメじゃない。

 彼の顔なんて見たくもない。でも……会いたい。


「絶対にあなたを裏切らないのは、あたしだけ。でしょう?」


 分かってる、分かってるの。

 頭が重い。頭が痛い。

 眠たいの、すごく。落ち着くまで、眠らせて。


「いいよ。あたしは、ここにずっといるから」


 夕闇が、シーツを赤から黒へと染めていく。

 目に映る色は、儚く沈む。

 身を震わせれば、彼女が手を握りしめてきた。

 あたしはその手を握り返す事は出来ないけど、確かな現実を感じながら、目を閉じた。


 いつかきっと、忘れられる日がくるのだろう。

 笑い飛ばせる日は、きっとくる。

 どうしたらいいなんて分からないし、今は何も考えられない。

 深みにはまるように、あたしは暗い底に沈んで眠る。


「大丈夫。『あたし』が代わってあげるから」


 あの子は、何も聞こえない場所まで沈んだ。あたしはゆっくりとベッドから身体を起こす。

 短くなった髪に手をやって、あたしは暗くなった部屋で立ち上がった。


「長い髪の方が、あたしには似合うのに」


 着崩れた赤い浴衣を直そうとして、手を止めた。

 調子の良い事ばかり言っては、寄生虫のようにあの子の金をあてにしていた男。

 気持ちが悪くなって、赤い浴衣を無造作に床に落とす。

 キャミソールとホットパンツに着替えて、安堵した。


 暗くなった部屋に、明かりをともす。

 男がねだってはあの子の金で買った物が、散乱している部屋。

 窓を開ければ、昼間の残暑を洗い流すように涼しい風が、頬をなでる。

 床に落ちたままの浴衣を拾って、ゴミ箱に放り込んだ。


 明かりを確認してなのか、呼び鈴がせわしなく押される。

 あたしは返事もせずに覗き穴から外を窺い、そのままチェーンをかけた。

 あの子の愛しい愛しい彼。


『昨日は悪かったよ。あの女はただの友達だし、冗談で言っただけだろ?』

「消えて。あんたはもう、いらないの」


 あたしの声に、あいつは扉をひどく蹴りつけた。


『はあ!? ふざけてんじゃねーぞ!』

「あたしは真剣よ」


 扉一枚へだてて、吹き荒れる嵐のように騒ぎたてているあいつ。

 どうしてこんな奴を、あの子は好きなのだろう。

 どうしてこんな奴が――

 あたしの心に、黒い炎が宿った。それは瞬く間にあたしの全身を支配して、激しい怒りとなってあたしから噴き出しかける。


 思うがままに鍵を開け、刃を振り下ろせば気持ちは晴れそうなほどに。

 あの子は、この状況を見てはいないし。聞いてもいない。

 ならば、あんな奴がどうなっても構わないではないか。


「そう、全部あなたの為なのよ?」


 それでも、あたしは怒りに身を震わせたまま動けない。

 扉は目の前にあるし、包丁はすぐそこにあるのに。

 あたしがした事は、あの子の罪にもなる。それが分かっているせいで、動けない。


「あなたを助けたいのよ。でも、あたしのせいであなたが犯罪者になるなんて……」


 扉越しに、しきりに喚いている男の声が一層怒りをあおりたてる。

 でも動けないのは。傷つきやすく、純粋に人を信じられるあの子の為。

 あたしは歯噛みした。手をのばせば届く距離にあいつがいるのに。

 寒々しい蛍光灯の白い光すらも、腹立たしい。

 出来る事は一つだけ。あたしは、怒りをそのまま声にして叫んだ。


「ここはあたしの名義で、あたしの金で住んでるわ! 二度とあたしの前に姿を見せないで。ストーカーと詐欺で、警察に通報するから!」


 何度も扉を蹴り、悪態を吐きながらも、あいつは消えた。

 ただそれだけのくだらない男。取るに足らない奴なのに、あの子は愛していたのだ。

 自分の胸に、手をあてる。


「傷つける奴は、あたしが絶対に許さないから。ちゃんと傷を癒して」


 ――あたしは、あなた。

 いつの日か、あたしが消える時がくるのかもしれない。

 でも今は、ここにいる。あいつに繋がる物は、全て捨てよう。あの子が傷つかないように。


 そして、怒りも悲しみもすべて放り出して、心の奥にあるセピア色の部屋の中で、あたしたちはまどろむのだ。

 身体を寄せ、お互いを助け合うように、頼るように手を繋いで。



読んでいただきまして、ありがとうございます。

私が書いた物で、明るい作品が多い中、少し暗めな物となってしまいました。

イラスト小説での参加作品です。

一つのイラストに、たくさんの方が小説をつけております。

よろしければ、そちらもどうぞ楽しんでいただけたらと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
[一言] こんばんは、そしてお久しぶりです。 九月参加というのにコメントをお返しするのに2ヶ月も間を空けてしまい申し訳ありません。  本当に遅ればせながら送らせていただきます。 乙麻呂さんの素敵な絵…
[一言] 今晩はm(_ _)m執筆お疲れ様です。 てっきりホラーな方面にいってしまうのかと思い、ハラハラしておりましたが……切ないですね。 もう一人の彼女が彼女を想う気持ちに、じんわりきましたf^_;…
[一言] 拙作にコメントありがとうございました。 拝読させていただきました。 本当はダメな男とわかっていてもズルズルとしてしまう女心が悲しく表現されているなーと頷きながら読んでました(笑) 苦しいから…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ