第4章その1 神様の「企み」とオトコとオンナ
1週間後の日曜日、祥子は汐留にある高層ホテルのラウンジにいた。
すぐに、エレベーターから、髪の長い、パンツスーツの似合う女性が降りてこちらへ走ってきた。
「祥子、久し振りねえ。変わらないわねホントに。」
「私たち、会うのって、いったい何年ぶり!?」
「ええーもう全然わかんない。とにかくすっごい久しぶりよ!」
アユミは日焼けして、シミは増えていたけれど、相変わらずスタイルは良いし、小さな顔はつやつやして、表情も生き生きしていた。外国生活が長いだけあって、サングラスが似合う様子もなんとなく日本人離れしている。
二人はホテルの最上階の日本料理レストランへ向った。
「ご主人は放っておいて大丈夫なの?」
「旦那は日曜日が稼ぎ時だからね。今回の日本訪問で、またコネをたくさんつくるつもりなんだって言って、今日も営業活動よ。それより祥子、ここの和食は、外資系ホテルなのに定評があるのよ、知ってる?あー久しぶりに本物の懐石料理を食べるぞー!」
正午の明るい日差しが上品に差し込む日本料理レストランは、ホテルの中でも奥まったところにあり敷居が高い感じがあるせいか、小さな子供をつれた家族づれなどはおらず、静かで落ち着く雰囲気だった。
「カナダへはいつ戻るの?」
「再来週。ほんとは今回1か月くらいはいたかったんだけど、子供の学校が始まってしまうんで、おじいちゃんおばあちゃんに任せっぱなしにもできないからねえ。学校で先生との面談会もあるし。」
「ちゃんと親やってるのねえ。」
「おほほほ、まあねー。祥子は、たぶんまだ再婚してないんだろうなって思ってたわ。」
「お見込みの通りですわよ。」
「だめじゃないのー、開き直ってちゃ。やる気にならないと、結果は出ないんだからね。」
「そうよねえ。でももう全く全然ダメよ。それにしても世の中には、それこそ私なんかより百万倍は魅力的で賢くて人格者な女性たちで、ずーっと独身の人ってたくさんいる気がする。どうしてなんだろうなあって、思うわ。」
「祥子、それは違うのよ。そういう人たちは、素敵な女性だからこそ、結婚できないのよ。」
ちょうど仲居さんがお料理を持ってきたので、アユミと祥子はちょっと咳払いをした。
「え、なんで?」
「ほんとに、そんなことも分かってないの?祥子〜」
「悪かったわねえ」
「おほほほほ、いいこと?じゃあ説明するわよ」
アユミはちょっとおどけて威張った様子をつくり、髪をかき上げ、足を組み直した。
「おおむね年齢が近い男たちと女たち、そう、同じ世代とか年代の男たちと女たちと言ってもいいけれど、これを同じ年代のグループと呼びましょう。このグループが、結婚適齢期・・・そうね、20代としておきましょうか・・・に突入したあと、このグループの中ではどんどん夫婦が成立していく。もちろん男女の人数はほとんど同じだから、人数的には全員が相手をみつけられるはずなんだけど、グループ全体が年齢を重ねていくにつれ、相手がみつかった者と、みつからずにいつまでも残っている者とに、だんだん分かれていくわけよね。」
「そうそう。」
「そのとき、どうして、女性は素敵な人がかなり多く残っているのかが、不思議なんでしょ?祥子は。」
「そう。自分が残っているから、というわけじゃないわよ。本当に、世の中を見ていると、そう感じるからよ。」
「よく短絡的になされる説明は、『女性から見て素敵な女性と、男性から見て素敵な女性とは、違うからだ』というものだけど、これはこの現象を説明するにはあまりにも不十分な理屈よ。その理由は後で説明するけれど。」
「じゃあ、この不思議な現象の、本当の理由は何なの?」
「不思議でもなんでもないのよ。理由は簡単よ。男は、自分以下の女性と結婚しがちだし、逆に女は、自分以上の男性と結婚したがるからよ。よって、ダメな男と、上等な女が、売れ残るのよ。」
「なななななによ、その、以上とか以下とかって。」
「つまりね、男は、自分が知性でかなわない女性とは結婚できない。女は、自分に知性でかなわない男性とは結婚したくない。簡単でしょ?この基準で組み合わさっていくから、結果、だめな男と、上等な女が、残ってしまうってこと。」
「・・・なるほど・・・。」
「もちろん、分かっていると思うけれど、深刻な病気があるとか、そういう、特別な事情などはない人間を想定して話しているからね。」
「わかってるわかってる。」
「そして、神様は、しかもさらにちょっと厳しい仕掛けも加えたのよ。つまり、男は、知性の度合がすごく高い人からすごく低い人まで、ものすごくばらつくようにした。一方、女は、わりと’中’から’中の上’くらいに多くがかたまるようにした。だから、一定以上のレベルの知性の持ち主の人数は、女より男のほうが少ないのよ。よって、一層、だめな男と、上等な女が、多く残ってしまうのよ。」
「はあ・・・・」
「もちろん、分かっているとは思うけど、知性とか知的レベルとかっていうのは、学歴とか地位とかとは、別ものよ。一致することも確かに多いけど、完全な相関はないわね。」
「そうね。」
「まあ、自分以上の男を選ぶという点に関して、祥子はちょっと例外だったかも知れないけどね。自分以下の男と結婚したわけだし。もちろん、ただ単にひとを見る目がなかっただけかも知れないけどねえ。」
「えー、ひどーい。」
「見る目がないというのは、悪いことではないのよ。選択肢がそれだけ広がるんだから。それでテキトーなオトコと結婚して、なんだかんだ言いながら意外と上手くいったら、結局儲けものかもしれないわよ、ずっと相手が見つからなくて悶々とするより。・・・なんて、そう考えられるような女性は、そもそも苦労しないか。」
「そうよそうよ」
「まあとにかく、そういうことで、分かったでしょ?一見不思議な現象が、実はごく単純なしかけが原因の、そしてその当たり前の結果なのだってことが。」
「世の中に、そう、私が知っているだけでも両手に余るくらい、本当に頭も性格も良くて外見もステキなのにずーっと結婚しないでいる女性が多いのは、実は不思議なことでもなんでもないってことね。」
「そう、だから全ての女性は、本当にその気になれば明日にでも結婚できるのよ。つまり、女性は、どんな女性でも、相手を見る目が多少欠けているか、あるいは相手のオトコに関してちょっと妥協すれば、みんないつでも結婚できるということよ。」
「ひえええ」
「神様のつくったしくみの鍵は、女性が自分以下のオトコと結婚『したくない』という部分だからよ。つまり、女性の『意思』の問題なのよ。ここが神様のすごいところよ。女性の意思をデフォルトでそうつくることで、女性を拘束された。だからこれを超えるひとつの方法は、女性が自分の意思でそこを突き破るということね。」
「うーん」
「その証拠に、祥子、貴女の周りにだって、『どうしてこの男性が、結婚できたんだろう』と不思議に思えるような既婚オトコはいても、『どうしてこの女性が、結婚できたんだろう』と不思議になるような既婚女性って、あまりいないでしょ?」
「た、確かにそうかもね・・・。」
祥子は村上部長代理のことを思い出していた。確かに、信じたくないが彼は結婚している!子供までいる!祥子は村上部長代理の奥様がどんな人かは知らないし、おこがましいこととは思うが、
あのようなオトコを選ぶ女性は、オトコを見る目が絶望的に欠如しているか、よほど何か理由があって妥協したか、あるいは親の借金のカタに無理やり結婚させられたかの、いずれかとしか思えない。
ともかく、アユミの理論は明快だ。
もちろんできることならば祥子は、そのように女性に不利にできている需要と供給のマーケットみたいなしくみで男女関係が出来上がって決まっているとは思いたくないが、祥子が、今まで自分が多少なりとも好きになった男性たちのことを思い起こしてみると、まあ、確かに、どの男も「自分以上」であったかも知れない。頭の良さ、仕事のスキル、人生経験・・・。
「だからね、祥子。もしあなたが本当に独りは淋しいって思うなら、発想の転換をしなきゃだめよ。」
「え?」
「確かに、基本的に、売れ残っているのはダメ男ばかり。しかも、貴女を含め多くの大人の女性は、不幸にしてオトコを見る目もかなりあるし、しかも妥協だってしたくない。一見八方塞がり。」
「そうそう」
「でもね、独身で、しかも売れ残りのダメ男じゃない男が、一種類だけいるのよ。」
「ええ?」
「市場に出てきたばかりの男。つまり、年下の男よ。」
「でも、男は、若い女性が好きなものでしょう。」
「確かに、基本仕様では、男は年上の女性を、女は年下の男性を、結婚相手として積極的には考えないようにつくられていると思うわ。」
「でしょでしょー」
「ただし、それは男が年上の女性を対象外と考えている、という意味ではないのよ。」
「はあ」
「それにね、極端に年下の若い女性を好むのはむしろかなりのダメ男に多いのよ。」
「おおおお!」
「ダメ男の中でも特に自分に自信のないダメダメ男ほど、あるいは、齢をくって心技体いずれも全然ダメになった男ほど、すごく若い女性が好きなものよ。優秀で、若い男って、結構、相手の女性の若さにこだわらない場合が多いのよ。」
「なるほどねえ・・・。」
確かに説得力はあるような気もするけれど。
でもねえ。
仮に一時的に上手く行ったとしても、である。
「薔薇の騎士」の伯爵夫人のように、寵愛した若い男が、結局最後は若い女性と恋に落ちていくのを、暖かく見送る、そんなことになりそうではないか。
ああいやだいやだ。
(注:祥子は「フィガロの結婚」等々とごっちゃになっているが、正確には「薔薇の騎士」に出てくるのは「伯爵夫人」ではなく「侯爵夫人」である。)
それに、男をめぐるごたごたに再び?・・しかも疲れきった心で、果たして?・・・そんなめんどくさいことに、ふたたび着手などできるのか?
「あー、祥子、なんか理屈は分かるけどちょっとーっていう顔ねえ」
「そ、そんなことないわよお」
食事を終えて、二人は同じ階にあるスカイラウンジに場所を移して、お茶を飲んだ。
アユミと祥子は、こういう場所が好きなところが、とても趣味が合うことのひとつだ。高校を卒業してからは、まったく違う道を歩んだけれど。
アユミの家は産婦人科医院を経営するお金持ちで、一人娘のアユミは当然のように私立の医科大学へ進み、産婦人科医師になった。
しかし彼女が実家の産婦人科医院を継ぐことはなかった。
彼女が医者をやめたからである。
あるとき、大学病院で彼女が担当したひとりの産婦が、大難産の末にひとりの赤ちゃんを出産した。その赤ちゃんは、酸素の足りなかった時間が長かったため、脳に重大な障害が残った。
赤ちゃんの両親は、彼女の医療ミスだとして、彼女と病院を提訴した。
こういう提訴はこの業界では決して珍しいことではないらしいし、病院側は彼女に過失はないとして、戦った。結末は、和解の形式となった。
祥子には医学的なことはもちろん分からないし、アユミは祥子と同じで苦しい渦中ほど友達に決して迷惑をかけないタイプだったから、祥子も、当時の状況は断片的にしか知らない。
それでも、そういった断片的情報からも、赤ちゃんの両親から彼女がどんな言葉を浴びせられ続けたか、そしてどんな思いでひとことも申し開きをせず彼女が頭を垂れ続けたか、祥子にも想像できた。
彼女は、今も、誕生日や節句などの節目節目に赤ちゃんの両親へ贈りものをしている。両親から一切返事はないが、送り返されてきたこともないようだ。重度の障害を抱えながらも、赤ちゃんは成長し、養護施設で元気に日々を過ごしているという。
彼女は訴訟が終わったあと、病院を退職し、カナダへ渡った。
お金持ちのお嬢さんだから、そんな無責任な人生の逃避行ができるのだ、という批判の仕方もあるかもしれないけれど。
祥子は想像している。彼女が医者をやめたのは、確かにあの事件も大きな理由のひとつだろう。しかし、それだけでもないのではないか。たくさんのことが、一緒になり、総合的に、彼女の人生を動かしているのではないか。
あの事件後も、アユミの性格は相変わらずだ。自分に厳しい。
そしてまた同時に、確かにあの事件を境に、アユミは変わった。正確には、変わったというより、もともとあった強い部分が、何万倍も強くなった。
今のアユミは、どんなに他人に悪く思われようと、自分が信じるところを口にする。タブーも、批判も、恐れない。
自分が正しいと思うことをやる。
そこが、祥子が現在最も彼女を尊敬しているところだ。
私生活では彼女はその後、カナダで出会った、7歳年下の画家と結婚した。親を説得するのは、なかなか大変な作業だったようであるが。
「そうねえ。祥子は、万一いい人と結婚できたとしても、『素晴らしすぎて子孫を残せない夫婦規定』にも抵触してしまうおそれが、なくはないわね。」
「なになにそれ」
「これは私の勝手な持論なんだけどね。素晴らしすぎる夫婦は、神様がなんらかの理由で、はいそこまでよ、って、おっしゃるのよ。子孫を残してはいけません、ってね。つまり端的に言えば、妊娠させてくれないのよ。少なくとも簡単には。」
「えーっ」
「あ、別に私は特定の宗教とかを信じているわけじゃないわよ。生き物のしくみってこと。表現は何でもいいわ。神様って言ってもいいし、天って言ってもいいし、大自然の理でもいいわ。」
「ふむふむ」
「ともかく、素晴らしすぎる夫婦には簡単に子供を懐妊させないって、どういうわけか、神様がそう決めてる。なんとなく私はそういう気がするのよねえ。」
「ふむむむー」
「源氏物語の紫の上は、すごく素晴らしい男性である源氏がついに手に入れたすごく素晴らしい女性だったけど、いえ、それゆえに、子供を産めない女性だったというのは、そのことを言っているわけでしょ?」
「紫式部は千年前にそれを知っていたということ?」
「私の知っている限り、両方が才色兼備すぎる夫婦とか、仲がものすごく良くてしかもすごく幸福な環境であまりにも問題がなさすぎる夫婦とか、とにかく素晴らしすぎる夫婦に限って、なぜか子宝に恵まれないような気がするのよ。長く苦しい不妊治療を続けておられるご夫婦は、こんな素敵な方々こそ子孫を残してほしいのに、と思うような、本当に素晴らしい方々が多いわ。もちろんその逆もまた真なりということはないけれど。そして、素晴らしい夫婦でも、もちろん子供ができることもあるけれど、それは、たとえば少し年齢を重ねて、旦那さんがくたびれてきてなんとなくみすぼらしくなったときとか、そういうときだったりするのよ。」
「ふむ・・・」
「神様はね、優れた人間が子孫を残すという生存競争のしくみを原則としつつも、その一方で、素晴らしい人間同士がどんどん素晴らしい子供をつくり、そうしてあまりにも人間が素晴らしくなりすぎることは、じつは嫌っていらっしゃるのよ。多分だけど。そのために、まずはなるべく、男女の両方ともが優れているようなカップルはつくらないしくみをお考えになった。そして、これはたまたまだと思うけれども、そのしくみをつくるとき、基本的にオトコの優劣を基準に仕掛けをつくった。」
「さっきの『男の、出来不出来の極端なばらつき』の話ね?」
「そうそう。さっきの話ともつながるんだけどね。具体的には、まず、オトコの知的な『出来の良し悪し』を、超優秀なレベルから超ダメレベルまで極端にばらばらに散らして、そして、男たちがその優れ度合で生存競争するようにした。」
「で、逆に女は'中'から'中の上'に固まっている、っていうことね」
「そう。そして次に、私が言った、あの構造をつくった。男は、自分が知性でかなわない女性とは結婚できない。女は、知性で自分にかなわない男性とは結婚したくない。この構造を。これが、とにかく大原則になっているのよ。こうすることで、優れた男と優れた女がカップルになるのをなるべく防ぐことにされたのよ。で、それでもたまに優れた男と優れた女がカップルになってしまうことがあるけれど。」
「たとえば、本人たちの意思に関係のない政略結婚とかで?」
「そういう場合じゃなくても、現代の我々の周囲でも、たまにあるわよ。で、そのときは、子供をそう簡単には授けないという非常手段まで行使されるのよ。これが『素晴らしすぎて子孫を残せない夫婦規定』。」
「ひえー」 |