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幽霊は死ねない

作者:暁薫
 ――限界だった。もう何もかもが嫌だった。
 少女はふらふらと階段を上がっていく。おぼつかない足取りで、どこかを痛めているようだ。時折、手すりにもたれかかっている。その顔はすべてを諦めているようで、目はぼんやりとして焦点が合っていない。
 少女は扉に手をかけ、開ける。ギギッと錆びついた音を立てて、いつものように扉は開いた。
 外に出ようとした少女を押し戻すように冷たい風がゴッと吹き込む。とっさに少女は顔を庇う。少女は、自分が外に出るのを拒んでいるようだと思った。
 少女は入り口から一歩踏み出して屋上へと出でると、やはりおぼつかない足取りでフェンスへと近づいていく。
 網状のとフェンスに手をかける。校庭では体育の授業が行われていた。
 フェンス越しに同級生たちを見下ろして、少女は……何かを思おうとして、結局何も思い浮かばなかった。もはや彼らに対しては興味というものがなくなっていた。

 少女はそれほど高くはないフェンスをゆるゆると乗り越える。スカートでそんなことをするなんてはしたない、などと以前であれば思ったかもしれない。今となってはそんな羞恥心も少女にとっては空虚なものだった。
 屋上の縁に立つ。再び強い風が少女に吹きつけ、思わず少女はフェンスにもたれかかる。少女は、やはり拒まれているようだと思った。
 大きく息を吸って、吐く。
 意を決して顔を上げ、目の前の光景に向き合ったとき、少女は思わず息を呑んだ。

 高く青い空に白い雲。
 黄金色の田を縫うように流れる川
 荘厳な佇まいをみせる山脈。

 少女は頬を何かがつたっているのを感じ、そっと手で拭う。涙だった。
 日常の一部でしかなかった光景に、少女は生を受けて以来の感動を覚えていた。
 ――毎日見ていたのに、何故なんだろう。
 流れる涙を感じながら、少女は考える。後ろのフェンスに手が触れた。じっとそれを見つめていて、少女は思い当たる。
 ――檻、か。
 普段は教室の窓から見ている景色だった。屋上でもフェンス越しに見る景色だった。しかし今、少女とその光景との間を阻むものは何もない。圧倒的な開放感。
 ――ああ、私はこんなにも……
 飢えていたのだ。少女はすべての束縛から開放されたかった。フェンス一つ越えただけで、これだけ世界が変わったのだ。
 ――なら、この選択は間違ってない。
 少女はそう考えて、穏やかな笑みを浮かべた。それは、なんとも美しい表情だった。


 いつの間にか下が騒がしくなっていた。グラウンドにいた生徒たちが屋上の端に立つ少女に気がついたらしい。
 壊れそうな勢いで扉が開き、教師が一人、屋上に飛び込んできた。少女の担任だった。
「おい!なにしてるんだ!危ないだろう!!」
 教師は叫ぶ。顔だけ振り返るようにして教師を見つめる少女は静かな表情のまま、なんの反応も見せない。そんな少女の様子にすぐにことに及ぶことは無いと思い、教師は少し声を緩めた。
「あれか、この間言ってたことが原因なんだろ?」
 教師は分かった、という顔をして言う。
「先生もお前がまだこっちに馴染めてないのは気に病んでたんだよ」
 教師はジリジリとフェンスに近づきながら、説得を続ける。それでも相も変わらず静かな表情のまま少女は教師を見つめていて、その様子に教師は安心した。彼は少女がブラフとして、興味を引くためにこんな事をしているのだと判断したのだ。彼女を思う気持ちを伝えていけば良い、そう考えてさらに説得を続けることにした。
「先生」
 教師が口を開く前に、少女が口を開いた。
「私は自由を知ってしまったんです」
 透き通るような笑みを浮かべて少女は言う。突然に出てきたその言葉に教師は混乱した。彼の中では、彼女を取り巻く環境に対してどうにかして欲しいという要望が彼女の口から語られるはずだったのだ。
「話は聞いてやるから、とりあえず、こっち側へ戻って来てくれないか」
 少女は屋上のほうへ体を向けて、笑みを深めた。それを見て、教師は彼女が思いとどまったのだと思って笑顔を向ける。
「嫌です」
 少女はそのまま後ろ向きに倒れこんだ。

 ――こういう時は走馬灯を見るものなんじゃないかな
 少女の想像とは裏腹にそれは一瞬でやって来た。重力に身を任せると、青空が見え、風を切る音が聞こえ、次の瞬間には何も無くなった。これで全てから開放される、最期に少女はそう思った。



 何が良くなかったのだろう。

 転校してきてしばらくは問題なかったと思う。音楽の趣味が合う子がいて、その子たちのグループでつるんでいた。
 二週間ほどたったある日それは始まった。
 よく話をしていた子も含め同級生全員から無視される。教科書や靴を隠される。ジャージや制服を汚される。
 突如として始まった嫌がらせに私は困惑した。なにより昨日まで仲良くやっていたのにその豹変ぶりがたまらなく不気味だった。
「よそ者が」
 そんな陰口を主犯格の子たちが言っていたから、単に気に入らなかっただけなのかもしれない。
 最初の頃は反発した。理不尽な陰口に反発したし、教師にも相談した。でも無駄らしいとわかってくると諦めた。馬鹿馬鹿しくなって、何があっても無視することにした。ある意味、現状を受け入れてしまった。多分、それがあいつらを増長させたのだろう。
 次第に手が出るようになった。あいつには何をしても良い、というような空気が出来上がっていた。
 あいつらにとって物言わぬ私は丁度の良いサンドバックだったのだろう。頻繁に引きずり回しては私を痛めつけていた。
 そしてあの日になった。
 昼休みだった。あいつらが急に私を抑えこんできた。誰も彼もが我関せずという態度でそれを見過ごしていた。
 私も助けなんてものは求めなかった。そんなものは無いと分かっていたのだ。
 抵抗らしい抵抗もせず、あいつらのなすがままになる。
 気が済むまで私を弄んだ後、あいつらは何事もなかったかのように日常へ戻っていった。
 あの瞬間に私はすべてが嫌になったのだろう。
 死ぬほどのことではないなんて言葉が聞こえてきそうだったけれど、私が自由になるためにはそれが一番手軽な方法だったのだ。
 その足で屋上に向かって、フェンスを乗り越えた。それだけのことだった。


 冷たい風が顔に当たって、物思いから覚める。
 目の前には相変わらず雄大な景色が広がっている。高速道路が通るようになったが、いつからかそれも味だと思うようになった。
 私は屋上の縁に座ってぼんやりと考える。
 あれからどれだけ経ったのだろうか。

 私はあの日、あらゆる事が煩わしくなって、全てから解放されたいと思って、死という選択肢を取った。
 死んでしまえばもう何も考えずに済むんだと信じていた。
 結果として、それは間違いだった。死んでも考えることからは解放なんてされず、更には私は今でもこの学校に縛られている。
 ただ、あのときの選択を後悔はしていない。
 完全な解放は得られなかったけれど、少なくともどうでもいい環境からは抜け出せて、檻の外に出られたことは確かなのだ。
 フェンスにもたれかかって、ため息をつく。
 私は後ろを見上げて、ずいぶんと高くなった堅牢になったフェンスを見た。
 今の子たちはずいぶんと頑丈な檻に保護されている。きっと抜け出すのも容易ではないのだろう。
 なんとも酷いことをするものだ。
 校庭の体育の授業の様子を見ながら私はそう思った。

 何が良くなかったのだろう。

 もう何十年も経ったと思えば、いい加減飽きもくるのだ。
 果たして幽霊はいつ死ぬことが出来るのか。
 もうずっと、そればかり考えている。

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