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プレリュードは優しい音色で
作:狛江大和



†7


何を話したのか、アイツがどんな顔をして喋っていたのか、アタシは思い出せなかった

喫茶店を出て駐車場に向かう間も、アイツの車の助手席に収まっている間も、アタシは終始無言のままだった

自宅の駐車場に車を停めた時、アイツが具合悪いのって声をかけてくれたけど、アタシの口からやっと絞り出されたのは、「なんでもないよ」なんて、気持ちとはまったく裏腹な言葉だけだった

それでも心配してくれたんだろうね、アイツはアタシの家の玄関までついてきてくれた
それなのに、アタシは逃げるようにしてアイツに背中を見せたんだ

実際、アタシは逃げたんだと思う

何から?
アタシは何から逃げたの?

分かってる

アタシが逃げたのはアイツに彼女が出来たと言う現実
自分の気持ちに気がついたくせに、それを否定しようとする現実

現実からアタシは逃げ出して、今こうしてベッドの上で膝を抱えているんだ

何故気づいてしまったのだろう
何故このタイミングでアイツに彼女が出来たんだろう

いくつもの何故がアタシの心をオブラートのように包み込んでいくけど、アタシの中のこの気持ちを覆い隠すには、その膜はあまりにも脆弱だった

アタシはどうしたら良いのだろう
これからアイツとどんなふうに接すれば良いのだろうか

次に会った時、アタシはアイツにおめでとうと素直に言えるのだろうか

しかしそんな疑問を並べる度に、アタシの心はきつく締めつけられていくばかりだった

結局なんの答もでないまま休日が終わり、アタシは仕事と言う煩雑な日常に無造作に放り出されていった

アタシの心を一時的に救ってくれたのは仕事だった
その忙しさに駆け回っていれば、少なくともその間は問題を棚上げできる
幸い、アタシのスケジュールはめいっぱい詰め込まれていた

プロのヴァイオリニストとして、次のコンサートのためにしっかり調整していかなければならなかったのだ

しかし元々仲の良い幼なじみの事、顔を合わせないはずがない
夕食を一緒にとるなんて事も日常茶飯事なわけだし

その度にアタシは無理やり笑ってみせたけど、はたしてうまく笑えていたかどうか…

自信はない

次の休日が巡り、桜の木が花開き始めても、アタシの中の桜はまだ小さな蕾のままだった

アタシもアイツも子供じゃない
こう見えてもアタシだって今まで交際した男性はいるし(1人だけだけど)、アイツにもそういう女性はいた(多分1人だけど)

そう…あの時は、アタシが男と付き合い始めてからしばらくして、アイツにも彼女が出来たのよね

確か同じ音大で綺麗な黒髪をした彼女

今は割と有名なチェロ奏者なのだけれど

アイツが彼女と付き合っていた時、アタシはそれを妬ましく思ったりはしなかった
それは自分に交際相手がいたからなのだろうか

でも、お互いにフリーになってからも、アタシはアイツの事を好きだなんて思わなかった

いや、今考えれば思わないようにしていたのかもしれない

1番近くにいて、1番長い時間一緒にいて、アタシが失恋した時、倒れないように支えてくれたのもアイツだった

アタシはその関係を壊したくなかったんだ
アイツを失うのが怖かった

アタシはずるい人間なんだ
このままの関係が続けばいいなんて、それは自分の気持ちを欺き続けてきたアタシが作り出した、卑怯な幻想でしかなかった
今までは逃げていただけだったんだ
でも、幸か不幸かアタシは気づいてしまった

アイツを好きだと言う事に

アイツの優しさはずっと昔から知っていたはずなのに
もっと前から惹かれていたはずなのに

アタシは今頃気づいてしまった

皮肉な事に、アイツの口から彼女が出来たと聞かされ、アタシはようやく自分の気持ちを陽の光の元にさらす事が出来たんだ

もう遅いだろうか
アタシのこの気持ちはすでに手遅れだろうか

アタシはどうするべきなのか
アタシは一体どうしたいのか

胸が苦しい
呼吸する度に、胸の奥で鉛のかたまりが転がっているようだった

アタシはそんな苦痛をごまかすために、アイツの通っているお店でお酒を飲んだりもした
一回だけ連れてきてもらった事のあるお店だ

アイツはここでどんな事を考えていたのだろうか

そんな事をぼんやりと考えながら常連客と話したりしてみたが、やはり答は見つからなかった

そんな悶々とした毎日を送っていた時だった
アイツに突然誘われたのは

桜でも見に行かないかーー

最初、何を言っているのか理解出来なかった

見に行くって、誰とよ
誰って君と僕
2人で?
だって2人しかいないだろう、君と僕なんだから

彼女は一緒じゃないのだろうかとか、そう言えば、彼女ってどんな女性なんだろうとか色々な疑問が浮かんではきたものの、結局アタシはうんと頷いていた

2人でお花見なんかして彼女は怒らないのかな、と心配になったのは約束した当日、珍しく私服でスカートを選んだ時だったけど、アタシの足は躊躇する事なく、待ち合わせの公園へと向かっていた

アイツと待ち合わせなんて久しぶりだったから
だって、家が隣だしね

アイツは今日、用事があるとかで先に出かけたけど、アタシが待ち合わせ場所に着いた時、アイツはすでにベンチに座っていた

公園の桜は五分咲き程度で、そこには確かに春の匂いがあった
ベンチの前には立派な一本桜があり、アイツはそれを見上げている

アイツの姿を見つけた時、アタシは苦しさよりも嬉しさを感じていた
嬉しかった
その気持ちが一番強かった

そしてそれが答だと思った
アタシは決めた
自分がどうするべきか

ようやくアタシは自分の問題に1つの答を見いだす事が出来たのだ












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