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言葉のウイルス
作:ルシカ


 折笠咲美は平凡な女性会社員である。

 勤めているのは、とある設計会社。紙の図面をCAD図面に――コンピュータ内の3Dモデルに変換する作業を主としている。

 その日も彼女は通常通り、業務を行っていた。

 特に問題も無く、いつものペースで仕事をこなす。

 定時である17時に作業を終え、帰宅してもいいはずだった。この会社での残業は、よほど仕事が詰まっていない限りありえないのだから。

 しかし。

「折笠君、これ今日中に頼むよ」

 定時の寸前、上司から仕事を言い渡された。

 そのような時間に「今日中に」と言われ渡される仕事。嫌がらせとしか思えない。

 だが咲美は文句も言わず、反論もせずに受け取った。無駄だとわかっていたからだ。

「二つ……か」

 渡された図面を見ながらため息をついて仕事に取り掛かる。今夜の約束をしていた彼氏に後で連絡をしなければならない。とてもすぐには終わらないのだから。

 次の日。

 まず朝にやることは携帯のメールをチェック。朝食をとって会社へ向かう。

 またもや定時の寸前のことだ。咲美の使っていたコンピュータにおかしな模様が映った。

 同僚や上司を呼び、見てもらう。

「うあ、こりゃウイルスだね。多分中を食い荒らしてるよ」

 どうやらウイルスが進入し、活動を開始した模様。その関係に詳しい人に見てもらったが、いくつかのデータを破損してしまった。

 破損したデータは……

「五つ、か。ちょっと多かったな。気をつけないと」

 呟いた彼女の言葉を聞いた人は、不思議そうに首を傾げた。

 次の日。

 朝に携帯をチェックして、朝食をとって今日も会社へ。

 何も起こらなかった。

 次の日。

 今日は休日だ。ホッとしながらメールをチェック。

 うきうきしながら彼氏とデートする。そのせいで油断した。

 デートが終わり、ベッドの中で。

 無意味に十七回殴られた。

 文句は言わなかった。自分が悪い。咲美はそう呟く。

 次の日。

 今日も今日とてメールをチェック。痛みでまともに動かない腕で簡単な朝食を作り、会社へ。

 咲美の腫らした顔を見ても、誰も何も気にしなかった。

 三回。

 今日は三回、何かあるはずだった。

 ビクビクしながら一日を過ごす。

 何もない? そう安堵して眠った後。夢の中で三回死んだ。

 次の日。

 滝のように汗を流しながら飛び起きる。荒い息を抑えながら、包丁を目に入れられる瞬間を思い出して身震いする。夢でよかった。

 こんな思いはもうたくさんだ。しかしメールはチェックする。

「今日は……簡単かも」

 肩に触れてはいけない。誰の肩にも、自分の肩にも。

 心の中で何度も復唱して、気合を入れて朝食を作り、会社へ。

 悪魔の呪いか悪戯か、いつもは空いている時間帯の電車が満員だった。

 端に寄り、角に身を潜め、誰とも触れないように細心の注意を払う。

 しかしそのようなことは不可能。数えるのが怖くなるほど肩が触れた。

 帰りも同じ。

 その日は彼氏に何度殴られたかわからない。

 普通ならば警察沙汰。しかしそれはできない。

 彼氏に罪はない。だって咲美を殴ったことなど覚えていないのだ。

 次の日。

 殴られた拍子にか、携帯が壊れていることに気づいた。

 絶望的な気持ちになる。だが今は会社に行かないと。『今後、会社を休んではいけない』と、そう言われたのだから、守らないと。重い身体に鞭を打って出勤する。

 痣だらけの身体を誰にも心配されることもなく業務を終える。

 急いで携帯ショップに行き、直してもらう。

 メールは受信することができた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 自然と息が荒くなる。鼓動は早く、震えが止まらない。

 精神異常者のようにフラつきながら、人気の少ない裏路地へ出る。

 周囲に誰もいないことを確認して、メール受信欄を見る。

 今日も、ある。

 必死に朝から今までの行動を思い出しながらメールを開く。

「どうか、どうか……!!」

 メールの文面は――

『本日、右手の親指を曲げてはいけない』

「え……?」

 目を見開く。

 頭が、真っ白になる。

「おや……ゆび?」

 ゆっくりと、自分の右手に視線を移す。

「いまも……まげてるよ?」

 声は泣き声。

「なんどまげたか、わからないよ?」

 ほら、また曲げた。これでまた一回――

「あ、あああ、あああああああ……!」

 叫ぶ。携帯を投げつけそうになる。しかしそれはできない。自分の見ていない間にどんなメールがくるかわからない。それに気づかないと、またこんなことに――

 それから先は、よく覚えていなかった。

 いつの間にか家に帰っていた。家の全ての鍵を閉め、あらゆる家具で蓋をして、部屋の隅で布団を被って体育座り。まるで怯えた子供のよう。

 傍らには携帯電話。手離そうにも手離せない。それを見ないと対策が打てないのだから。

 ――ある日突然送られてきたメールに従って以降、毎日届く不可解なメール。そのメールは全て『〜してはいけない』という内容で、それに違反した回数だけ不幸が起こる。不幸の内容は様々。欲しいものがいくつか売り切れだったり、身体の各所に怪我をしたり、仕事を増やされたり、誰かに暴行されたり、夢の中で**されたり。

 そしてそれを“執行”した人間は、誰一人としてその行為を覚えていないのだ。

 携帯が鳴る。メールの着信音だ。あのメールは一日一回だけではないのか? いいや、そんなこと誰も言ってはいない。

 おそるおそる、携帯に手を伸ばす。

 他のメールであってほしい。しかしそれはありえない。咲美にメールを送るような親しい人物など、一人としていないのだから。

 受信欄を開く。

 ある。

『             』

「…………?」 

 呆気にとられ、目をさらに丸くする。

 何も書いてない?

 そんなこと、今まであったっけ?

 あ。

 あった。

 文字があった。

 書き込まれていく。

 咲美の指に。咲美の腕に。文字を打つよポチポチポチ。肩を通過し、左腕へと大冒険。言葉をあなたに刻むのは、慣れているから軽快に。身体を言葉で埋め尽くす。

『瞼を閉じてはいけない』『目をそらしてはいけない』『携帯を離してはいけない』『震えてはいけない』『手を動かしてはいけない』『誰かと喋ってはいけない』『誰かと会ってはいけない』『外へ出てはいけない』

 奪っていく。

『声を出してはいけない』『音を鳴らしてはいけない』『歩いてはいけない』『走ってはいけない』『座ってはいけない』

 咲美の、人としての機能を。

『鼻で息をしてはいけない』『口で息をしてはいけない』『肺を動かしてはいけない』『心臓を動かしてはいけない』『脳を動かしてはいけない』

 じゃあ死ねばいいか。そう思ったとしてもすでに遅い。ほら『死んではいけない』と、そこに書いてあるだろう?

 あと一つ。それで全ての文字を打ち終わる。

 その命令の数こそ、本日咲美が指を曲げた数に他ならない。

 これが最後の命令文。

『ここにいてはいけない』

 そうして咲美は誰に気づかれることなく消えていく。健在を確かめてくれるほど親しい人間はすでにいないのだから。

 ――うあ、こりゃウイルスだね。多分中を食い荒らしてるよ。

 誰が言ったかこの言葉。それは咲美に向けても正解だった。最初のメールに従った時点で活動開始。心の中に潜伏し、地味な活動を続け、外界から隔離していき……後に発症する。

 彼氏。そんなデータもあったかもしれないが、所詮それはウイルスの作ったダミーの一部。咲美に恐怖を与えやすくするためだけに作られた幻覚だ。現に名前すら無い。

 ウイルスによって破損したデータは消えるだけの運命だ。目的は誰も知らない。無意味に群がる細菌と同じく、ネットを謳歌するコンピュータウイルスと同じく……そのウイルスはどこからか発生し、ただただ活動を続けている。

 さて、そのウイルスの手口だが。

 こんなメールがきたら、あなたは気にしないことができますか?

『差出人:あなたの友人の誰かの名前』

『受信時刻:今』

『サブタイトル:お久しぶりです』

『文面:あなたはこのメールを気にしてはいけない』

 無理ならすでに、あなたは術中。

 このメールがこないことを祈りなさい。





 読了、ありがとうございます。
 ホラー短編二作目です。

 前回と違い、淡々とした怪談のように書いてみたのですが……結論。

 ホラー難しい!!
 いやー筆力あればもっともっと怖くできたんだろうなぁと口惜しく思います。
 
 でも新ジャンルでいろいろと話を考えることができて楽しかったです。
 企画は終わってしまいますが、また気が向いたときにでもこのジャンルに手を出してみようかなーなんて思いました。
 






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