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影が薄い

作者:足軽三郎
この物語はフィクションです。
 影が薄い。


 芦尾一郎はこの言葉に憧れていた。なんて素敵な言葉だろうかと。現在三十代半ばの彼はひっそりと生活したいにもかかわらず、そのキャラクターの濃さから注目されがちなことに少々ウンザリしていた。


 (おかしいですね。何故私のような一般人がこんなに影が濃いんでしょうか)


 会社帰りにたまに寄っている某チェーン系のコーヒーショップDでブレンドのSを啜りながら芦尾はふう、とため息をついていた。その顔に憂愁の陰りが見えるといえば言い過ぎかもしれないが確かにその雰囲気はある。そしてそもそも"影が濃い"なんて言い方は日本語としておかしいのだが、それに芦尾は気づいていない。


 芦尾は何故自分が影が薄くなれないのか考えてみた。関西人らしからぬ薄めの顔立ちのせいか。それとも理由もなく笑いを取りに走ってしまう性格のせいか。それとも初対面の人間でも全く気後れしないある意味図々しい点か。


 (一つ一つは別に要素としては普通だけど合わさると濃いのだろうか?)


 冷めたブレンドを啜る。窓ガラスに映った自分に注目する人間は誰もいない。そう、普通こうあるべきだ。都会というのは大勢の個性を集合体の中にまとめ、ひっそりと息を潜ませるものなのだから。


 芦尾は考える。彼自身は普通に、自己の行動基準に沿って行動しているに過ぎない。目立とうなんてしていない。趣味でやっている某SNSでのオフ会に出た時にいつの間にか副幹事と会計をやっていたのも流れであり、別に目立とうとしたわけでもなかったのだが。


「あ、メールだ」


 スマホが緩やかに振動する。"パパ、お仕事お疲れ様です!""お父様、今メールしても大丈夫ですか?"などなど芦尾のそのSNS内の愛称で呼びかけるメールが数件。未だに慣れない、この慕われぶりはひっそり生きたい彼にとって暖かいことではあるのだが、何やら気後れしてしまうことであった。


 そしてこのような交友関係をわざわざ某SNSの簡易ブログでちらっと報告してしまうあたりが芦尾の脇の甘さであり影を濃くしていることに芦尾は気づいていない。



******



 "影薄くするお手伝いします"


 ある日、家の最寄り駅で降り駅前商店街を歩いていた芦尾はふと立ち止まった。その視線の先は脇道、正確には路地に向いている。

 その家と家の隙間のような路地にかかる看板の奇妙な文句に芦尾は失笑した。影薄くする手伝いだって。そんなの自然となるものであり、人にどうにかしてもらうものではない。


 (時間の無駄だよなあ)


 通り過ぎようとした芦尾であったが何故かその視線が看板から離れない。赤茶色い錆がついた白いペンキ塗りの看板はパタリと風もないのに閉じ、その動きがまるで芦尾には自分を誘っているように思えた。


 気がつけば彼は路地に足を踏み入れていた。商店街の明かりもうっすらとしか届かない暗い路地を進むとむわりとした空気が鼻をつく。無意識に顔をしかめた時、頭上の看板に気がついた。左を指す赤い矢印。それに従い顔を向けるとなるほど、古い木製の扉がある。この中か、と思い芦尾はそのドアノブを握り滑り込むように店に入った。





「こんにちは。どのようなご用件ですか、お客様」


「影を薄くしてくれるというのは本当かい」


 店主だろうか、狭く暗い店内に立つ一人の女、いや、女の子と向き合う芦尾。黒いパーカーを被りその視線を隠したいかにも怪しげな小柄な女の子だが妙に迫力があるのが気になる。小柄でほっそりとしており、見ようによっては少女というより少年にも見える。どちらにせよロリの性癖はない芦尾にとってはどうでもよかったが。


 (まあ笑い話さ)


 芦尾とて本気で影を薄くすることが出来るとは思っていない。看板に釣られて店に入ったのは酔狂99%であり、いわば平凡な日常にささやかな波紋を立てたいだけのアクセント。笑い話のネタになれば上々というだけだ。


「わかりました、お望みとあればあなたの影を薄く出来ます。しかしよろしいのですか、影が薄くなっても」


 女の子はパーカーで顔を隠したまま芦尾に話しかける。中性的な伸びのあるイケボは優しく芦尾の鼓膜を刺激し、自然と彼は頷いていた。


「構わないよ。僕は元々目立たない男だ。今の妙に影が濃い状況はなんだか落ち着かなくてね」


「へえ、お客さんイケメンですもんね。某バスケ漫画の鷹の目使う人に似てますしねあれでしょパパとかお父様とか呼ばれて舞い上がってるんでしょ僕知ってます」


「舞い上がってないしイケメンでもないしそのバスケのキャラ、確か頭文字がT、にも似てないから、ほんと似てないから。で、君。影を薄くするのはどうやるのかな。料金は?」


 芦尾の問いにクス、とパーカーの女の子は笑ったようだった。ゴソゴソと棚から絵筆を取り出し、くるりとカウンターの向こう側からこちらに回りこむ。


「簡単ですよ。濃い物なら掬いとって薄くしてやればいい......料金はそうだな、感想でいいです」


「感想?」


「はい、影が薄い人生の感想で」


 そんなものでいいのかと芦尾は首を傾げた。まあ元々おふざけだ。素直に頷く。


「わかりました、それではお客様の影を薄くします」


 パーカーの女の子は芦尾の背後に回った。何をするのかと首だけ背後に回して見ると女の子はしゃがんで芦尾の足元を筆(絵筆のようだ)でさらりと払った。そして立ち上がりフードの中から強い光を放つ目を芦尾に向ける。


「出来ましたよ、お客様。あなたの影はこれで薄くなります。徐々に、徐々にね」


 パーカーの女の子はそう言ってカウンターの向こうに戻った。「じゃあ帰るよ、ありがとう」と芦尾は声をかけその店を出た。だから彼は気づかなかった。女の子がにやりと笑いながら見た筆の先に真っ黒に滴るタール状の液体がいつの間にか付着していたことを。



******


 一週間後。


 芦尾は晴々とした顔で毎日を過ごしていた。あの店に行ってから過度に注目されることが無くなった。道を歩いていて必ずといっていいほど迷子の人に道を聞かれたり、自分の発言がやたら注目されてもてはやされたりということが無くなった。


 (ああ、影が薄いって素晴らしいな。最高だよ快適だ)


 今まで他人の目を気にし言いたいこともいえず、気を使っていた芦尾。そんな彼にとって注目度が適度に下がった今はまさに天国だった。


 だから彼は気づかなかった。すれ違った少年が自分を振り返り、首を傾げたことに。


「ねえ、ママ。なんであの人、影が薄いの?僕みたいに黒くないよ」


「馬鹿ねえ、影なんてみんな同じよ。何かの見間違いよ」


「でも......」








 (おかしい。最近何かがおかしい)


 芦尾はうなだれていた。休日の日差しの中、家庭持ちにもかかわらず一人ぽつんと公園のベンチに座る彼の姿はもしタイトルをつけるなら"孤独"というのがピッタリだった。


 あの店に行ってから一ヶ月が経過した今、芦尾は本当に影が薄くなっていた。薄い、どころではない。人に気づいてもらえないのだ。


(電車に乗れば平気で足を踏まれラッシュの時にはホームに突き落とされそうになるし。道を歩いていれば後ろから自転車にひかれそうになる、スーパーのレジに並んでも大声出すまで気づいてもらえない......)


 そう、厳密には気づいてもらえないのではない。極端に気配が薄い。思い切り大声を出したり、肩を叩いたりすれば「あ、いたんだ?」と気づいてもらえる。逆にいえばそこまでしないと目の前にいてすらいないものとして扱われる。あれほど届いていたメールも今ではまったくない。まるで世界が彼を無視することを決意したかのように。


 全てが異常である。異質である。そして何より危険であった。


 今日も芦尾が家にいるのに家族は一瞥もくれずに出かけてしまった。喧嘩したわけでもない、本当に空気のように芦尾の存在を感じていないのだ。あまりの酷さにたまらず追いかけようとしたが、彼の目の前でドアは閉まり家族は出かけてしまった。虚ろな目をした芦尾を一人部屋に残したまま。


「なんだなんだなんだってんだ畜生!こんなの影が薄いって言わないぞ、俺は幽霊か何かじゃないか!?」


 一人公園のベンチでうずくまる。そんな異様な姿にも誰も気に留めようともしない。本当に芦尾一人、この世の事象から切り離されているかのようだった。

 勿論彼もこの異常が生じてから何もしなかったわけではない。真っ先にあの看板が出ていた店を探した。だがない。どこにもあの路地もなく、看板も見つからずパーカーの女の子もいなかった。何度探しても結果は同じ、精神的にも限界に達した芦尾は探すのさえ止め日々を過ごすしかなかった。そう、まるで彼自身が声もなく透き通るだけの影になってしまったかのように細々と。


「っ!?あぶなっ!」


 不意にベンチから咄嗟に身を捻り芦尾は飛んできた何かをよけた。野球の軟球だ。公園でキャッチボールしていた中学生二人組の一人がふざけて思い切り相手のグローブとは明後日の方向に投げたのだ。


「危ないな!気をつけろ!」と怒鳴る芦尾、しかしそれにもかかわらず。


「おー、あんまふざけんなよー、探すの大変じゃん」


「わりいわりい、ほら俺投手だからさ。たまに全力投球したくなるんだよね」

「すげえノーコンじゃねえか、それで投手って」


 二人の中学生は和気あいあいと話しているだけだ。芦尾を無視しているのではない。全く気づいてもいない。壁に当たって跳ね返ってきた軟球の白が芦尾の視界でぼやける。ああ、俺は泣いているのかと気づいた時にはたまらず彼は走り出していた。




 (もうっ!たくさんだ!影が薄いなんて嫌だ!俺は、俺はこんな人生望んでなんかいないっ!オレハアアアア!!)


「......いかがでしたか、影が薄くなった気分は?」


 疾走の結果、呼吸困難になりそうな程喘いでいた芦尾の背中に聞き覚えのある声が降り注いだ。久しぶりに誰かから声をかけられたこととその声自体に驚愕する。


 息を切らしながら振り向く。いつの間にか神社まで走ってきていたようだ。境内へと続く玉砂利を踏み締めて芦尾を見つめるのは探していた人物、あの黒いパーカーの女の子。


「お、お前っ、お前いったい俺に何をしたああっ!」


「何って......おのぞみ通り影を薄くしただけですよ。怒られる筋合いはありません」


 ふ、と小さく笑った女の子は左の小脇にスケッチブックを抱えていた。そのスケッチブックが何かとてつもなく不吉な物に見え芦尾は一瞬たじろぐ。


「ねえ、あなた。影って何か知ってますか?」


「何って......物体が光を浴びた時に生じる黒い部分、だろう。光が通っていない部分」


 突然の女の子の問いにたじろぎながらも芦尾は答える。カアカア、と神社の杉木立を通して鴉が鳴いた。


「そうですね。影が薄いというのは慣用句みたいなもんで、気配や存在感が薄いという意味ですよね。物理的な影の意味はあなたがおっしゃる通りだ」

 女の子はひっそりと忍び笑いを交えながら言った。芦尾は相手が何のことを言っているのか分からず立ちすくむ。


「だけどね、それはこの世界の(ことわり)の一面しか見ていないですよ。影というのはね、光を触媒にして黒く輝く命なんです」


「は?君、何言ってんだ?」


 一瞬呆気にとられた芦尾は本来彼が今やらねばならないことを忘れた。自分の異常に薄くなった存在感を元に戻せという言葉自体、さらりと出てこなくなったことが異常だということに気がついていないのだろうか。


「存在が無ければ影も生まれない。それがこの世の真理、そこにある、いるという事実を自ら証明するための認識手段それが影......この世に残す足跡」


 ざらりと熱を帯びた女の子に気圧されるように芦尾は一歩下がった。神社の玉砂利に足をとられかけ「おっと」とたたらを踏む。そしてその時彼は気づいた。気がついてしまった。気がつかされてしまった。いやむしろ遅すぎた。今頃気づいても。


 昼だ。雨じゃない、青い秋の空が頭上に広がっている。だからこんなの有り得ない。


「お、俺の!俺の影がないっ、ど、どこにも見えない!嘘だろ、おい!?」


「嘘じゃありませんよ、あなた。言ったじゃありませんか。"影が薄くなりたい"とね。文字通りそうしてあげました、それだけです」


 ひゅーひゅーと喉から壊れた笛のような音を吐き出す芦尾と黒いパーカーの女の子。芦尾の足元にはあるはずの影はなく、反対に女の子は自分の影どころか影を圧縮させたような黒いパーカーに身を包んでいる。皮肉なことに。


「お、お前がオマエがゼンブやったんだナ......」


「そうです、僕は絵が趣味なんですけどそれには人の影が必要なんです。だけど無理矢理奪うのは嫌だからああして自ら望んで入店してきた人から頂いています、礼儀正しいでしょう?」


 人を喰ったような女の子の言葉に芦尾は呻いた。先程から足元が覚束ない。言葉も切れ切れにしか出てこず語尾が変だ。なんでだ、たかが影を奪われただけだ。俺は普通フツウだフツウダフツ......


 そう思っているのはもう芦尾だけだったろう。今や影だけでなく足首から膝までが透明になりかけ、指先も同様だ。そんな希薄になりかけた芦尾を面白そうに見ながら女の子はスケッチブックを開いた。


「一ヶ月かけて絞りとったあなたの影は僕の絵の良い絵の具になりました。ほら、もう苦しまなくていいですよ、こちらの世界にいらっしゃい」


 開かれたスケッチブックを見た芦尾は仰天した。声を出そうとしたが肺まで侵食されたのかまともに音声が出ない。それでも彼が生きた証のように振り絞った気力で指差したそのスケッチブックは。


 漆黒だった。


 黒一色の画用紙。いや、それにしては分厚く感じる。まるで油彩画を描くキャンバスみたいだと思ったのが芦尾が最後にこの世に残した思考。


「ヤメ、ヤメテクレ......!」


 そしてこれは最後に残した言葉。


「悲しむことないですよ、あなた。ほら、もう消えることも苦しむこともないんだから」


 優しく微笑み女の子はスケッチブックを覗いた。先程まで漆黒に染まっていたその用紙に細い針で引っ掻いたような線が走っている。少し美術に心得がある人間なら分かるだろう、それがエッチングという手法だと。


 黒を背景に白い無数の線で繊細に書き込まれたその絵は。


 にこやかに笑う芦尾一郎の全身絵だった。そう、まるで生きているかのような。


「あ、そういえば感想聞くの忘れたなあ......まあいいか」


 女の子はフードに顔を隠したまま可憐な声で囁いた。小脇に抱えなおしたスケッチブックをペットを可愛がるような手つきで撫でながら。


「僕が聞く時間はこれからいくらでも持てますものね」





Fin
この物語はフィクションですからね←

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