困ったペットボトル
「時間、あんまり無いと思いますけどいいんです?」
「三十分もあればじゅうぶんだよ。さ、こっちだ」
駅前のホテルなので人通りは多い。六時前、まだ宵の口だ。男はホテルに隣接するデパートに入っていった。そして真っ直ぐ地下へ直行。
何で地下なんかへ?
仕事帰りの兼業主婦でごったがえしている食料品売り場を歩く。男なんかほとんどいない。女だらけの空間だった。
「あそこがいいな。フレッシュジュースでも飲もうじゃないか」
男の指し示した先のコーナーには、売っている果物をその場でミキサーにかけて作るフレッシュジュースを飲ませるスペースがあった。周囲の買い物客との境界は床から立てた高さ一メートルほどのポールとポールの間をテープで結んだだけの柵だけである。だから柵沿いの席ともなれば、その横を、食料品を買い求める客がゾロゾロと行列になって通り過ぎるという状態になる。
そして男はまさにそういう席に陣取った。
なんか、やな感じ。
麻美にカンが走った。
言われるがまま恐る恐る椅子に腰掛ける。座れないことはない。ちゃんと座れる。だが、股間にあったペットボトルは椅子の座面に押され、真っ直ぐ上向きに持ち上がる。それはちょうどスカートの中央あたりにニョキとした出っ張りを作ることになり、スカートそのものを見事なテントに変えるポールとなった。
男の狙いが分かった時にはもうどうしようも無かった。その異様に膨らんだ股間を隠す方法は麻美には無かった。しかも男の目線ではその膨らみはテーブルに隠されて見えない。つまり彼は堂々と知らんぷりができる。一方、テーブルの脇で行列を作っているおばさん、いやオバタリアンたちからは、ちょっとだけ脇見をすればいくらでもその異様に膨らんだ状態を見ることができる。
麻美がそのことに気がつくよりも早く、間近で交わされるヒソヒソ話が耳に届いた。
「ちょっと、あ〜た、あれ、何? ほらそこに座ってる女の方」
「ちょっと、なに、あれ、やだ、もしかして、ニューハーフ?」
「まあ、ほんとだ。でも分からないわね、あれが見えなかったら、どう見ても女よ、すごいわ」
誰のことを言っている会話か確かめる勇気は麻美には無かった。ただひたすら背を丸くし、少しでも股間が目立たなくなる姿勢を取り下を向き続けた。
だがいくら時間が過ぎても人混みは一向に減らない。次から次へと新手が来る。しかも麻美を話題にしたヒソヒソ話はオバタリアン特有の、声高な話し声となって麻美を容赦なく打ちのめし続けていた。
「若くてきれいなんだから、さっさと切っちゃえばいいのに」
「まあ、カゲキ! でもやっぱり、いざとなると度胸がいるんじゃないの」
「それにしても相手の男は分かってるのかしら、あれ、女じゃないって」
「さあ、鈍感な男も多いらしいし」
「それにしても、あれって、何? ずっとあの大きさ? もう、興奮状態? 何ヤラシーこと考えてるのかしら、それとも、もっと大きくなるの? どんだけ大きいのよ」
「もう、やめなさいよ、こっちが恥ずかしくなっちゃう」
手錠というものがこんなに辛い拘束だと思ったことは無かった。またさらに言えば、同性の目がこれほどコワイと思ったことも無かった。
「ご注文は?」
「ああ、僕はオレンジジュース、君は何がいい?」
麻美は俯いたまま小さく言った。
「同じでいいです」
「あ、はい……、か、かしこまりました。オレンジジュース二つですね」
動揺した声を上げたウェイター。しっかり見られたらしい。
「ボク、だめよ、そっちは行っちゃいけないの」
「え〜、なんでー。ボクノドがかわいたー、ジュース飲みたい」
「どうしてもダメなの。とにかくこっちに来なさい。早く……、ほら、あっちにもっとおいしいのがあるから、ほら、早くしないと置いていくわよ」
ジュースに引かれてこちらに近づいた子どもを必死に止める母親。
麻美は耳を抑えたくなる一方だった。手錠が恨めしい。
ようやくジュースが来ると、男は麻美のジュースにストローを差した。
「さ、どうぞ」
そして何事もないかのように自分もジュースを飲む。
「暑くないかね、そのコート? 脱がないと変に思われるかもな。ここはかなり暑いし」
その通りだった。だが脱げるわけがない。
ま、まさか、この手錠まで彼等に見せるつもりなの?
麻美は男の言葉に内心を凍り付かせ、表面上は聞こえなかったふりをした。しかし首を伸ばして少しだけ口に含んだジュースの味などさっぱり分からない。
一方男の方は麻美の反応を気にする様子もなく残ったジュースをゆっくりと飲んでいる。
そうか、これも一種の言葉責めなのか。
麻美もとにかくそれを飲み干さないことにはここから動いてもらえないと思い、あわてて残りを飲んだ。
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