プロローグ
「麻美さん、行ってくれる? センチュリーホテルなんだけど」
「ええ、いいですよ。どんな声でした?」
「うん、落ち着いた感じだったかな。あんまり緊張しているようには聞こえなかった。何? どうかしたの?」
「いえ、この間のお客が、」
「何? 何か変なことされたの?」
「あ、いえ、そういうんじゃなくて、何ていうかな、とにかく慣れてないというか」
「慣れてない? 別にそんなの不思議でもないでしょう、今更。SMプレイが初めてのお客さんは多いわ」
「あ、SMじゃなくてですね、その、どうも女性とつきあうこと自体に慣れていなかったみたいで」
「何よ、それ。もしかして童貞くんだったってこと?」
「もしかしたらそうかも……。でも歳は四十八だって伺ったんですけど」
「ま、あんた、それって大天使って感じじゃない。それで、どうなったの?」
「それが……、結局ホテルで一緒にお茶を飲んだだけで終わっちゃって、さすがにお金を下さいって言いだしにくくて……。一応は頂いたんですけど、どうしても百パーセントとはいかなくて」
「まあ、それは大損害ね。形だけでも何かしてくれないと……。まあよほどの決意でここに電話してきたことは間違いないんでしょうけど。物事にはステップってもんがあるのにね」
「でもなんか私、この商売を始めてから、考えてみたらあんまり普通に責められた覚えって無いんですけど。いきなり足を舐めさせてくれとか、あるいは縄持参で来たのはいいにしても、何もかも初めてで、まともにできなくて、謝まられてばかりだったとか、自分ではSだって言ってる癖に踏んでくださいとか……。なんかこう、私はMとして問題があるんですかね」
「アハハハハハ。なんか、欲求不満になってるのは麻美ちゃんの方みたいね。まあ私に言わせればそれは麻美ちゃんがラッキーだったってことよ。大変よ、本物のS男くんばっかりだったら。身体中痣だらけにされるから」
「確かにそうでしょうけど。でもこういうクラブには来ないでしょ、そういう人」
「ま、少ないわね。こんなSMごっこ程度の遊びでは満足はできないでしょうし。そういう意味ではこの商売は意外と安全ね。だけどね、時にはすごく厄介なヤツもいるから注意しなさい」
「どんな?」
「普通のSっていうのとはちょっと違うのよね。滅多にいないんだけど、責め方を研究してるマニアみたいなやつ。女をすごく冷静に観察してその女に一番向いたやりかたを仕掛けてくるの。決まった技じゃないから何を考えてるかさっぱり分からないし、責め方がとにかく巧妙で、身体だけじゃなくて、気がついた時には、お金も心も全部相手に貢がされてる感じになるのよ。これが一番厄介ね。だいたい一方的にやられまくってるのに相手を恨む気持ちがちっとも涌かないから、どうしようもないの」
「それは辛いですねぇ。でも自己申告とか、勘違い野郎ならともかく、本当にいるんです? そんな男。自称天才調教師だったら私も何人か会ってますけど、ホントに自称でしたよ。ヤクザならアリかもですけど。真珠、入れてるんでしょ」
「昔と違ってヒモ稼業のヤクザは少なくなったわ。AVビデオでも撮った方がよっぽど金になるもの。真珠入りでなんて昔はともかく今の子に通じるなんて思えないわ。みんなおもちゃで自習済み」
「なるほど、そっか」
「ま、何にしてもそんな男は希少種だから心配することはないけどね。商売上はつまらない男の方が何かと好都合。自分の妄想に勝手に酔ってる男がいいお客なの。だから、あなたは絶対ラッキーよ。じゃ、しっかり稼いでらっしゃい」
「は〜い」
麻美は渡された予約メモを持ち、ポシェットを肩にかけ、颯爽と出陣した。
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