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『血鎖の支配』
作:是音



第二章 四、《曇空の死神》



 四、《曇空の死神》

 月も隠れ気味な夜空の下。御堂摩紀は街の高層ビルの前に立っていた。とうに勤務時間は過ぎ、ビルの中は勿論、周囲に人気はない。

「さてと」

 御堂はビルの壁に沿って裏へ回る。途中、このビルの警備員らしき潰れた死体が転がっているのを見た御堂は、一度だけ上を見上げて再び歩き出す。
 どこで調べたのか、人目につかない従業員用の小さな入口のドアノブに手をかけ、軽く捻った。

 がちゃ。と、普通なら開く筈もないドアは呆気なく開き、女は平然と中に入った。コツコツと階段を登る靴の音が暗く静まり返ったビル内に響き渡る。ダークスーツに身を包んだ女の片手にはアタッシュケース。口には海外の不味い煙草。無表情で歩くその顔には普段異常に冷酷な雰囲気が漂っていた。
 十階のフロアに着いたところでふと御堂は足を止め、近くの大きなガラス窓に顔を向けた。視線の先にあるガラスは大きな窓を開けて割られている。特に何も考えず、女は再び階段を登った。


 ◇ ◇ ◇


 夜、自宅マンションに帰った王牙はベッドに寝そべりながら日誌を読み返していた。そこで浮かんだ疑問は、何故御堂が日向を調べているか。であった。
 それはやはり自殺事件が関係あるのだろうが、ただの事件なら警察に任せれば良い。大体御堂摩紀という女はそんな小さな事件に首を突っ込みたがらない。それなのに御堂は動いている。それはつまり、御堂が誰かから依頼を受けたという事。ということは、御堂に依頼した誰かがいる。

――守野家のように?

 その瞬間、王牙はガバッと跳ね起きた。

 何故、いつもは夜遅くまで事務所に居させる御堂が、自分と日向に関わりがあると知った途端、早く帰って良いなどと言ったのか。
 何故、御堂が守野一郎と同じように日向波遠の資料を持っていたのか。
 
 答えは簡単。

 王牙はジャケットを羽織ると、外へ飛び出した。向かう先は御堂の事務所。

――〈死神 御堂〉は今夜、日向波遠を始末するつもりだ。


 ◇ ◇ ◇


 屋上に立った御堂は上を見上げた。高層ビルニ十階の屋上に立てばなんとなく雲に隠れた月が近くなったような感覚にもなる。柵に近づいて下界の風景を俯瞰してみたかったが、そういうわけにもいかず、次に御堂は周りを見渡した。鉄網に囲まれた正方形の広い空間の端には現在御堂が立っている屋上への階段と、その反対側の端に倉庫があるだけである。

倉庫の前に、一人の少女が立っていた。

「どうして私の居場所がわかったの?」

 少女が問う。

「私はこれでも〈探偵〉を表稼業にしているものでね」

 御堂が答える。

「探偵が〈表〉という事は、今は〈裏〉の仕事中なのね?」

 御堂が首肯する。

「目的は何?」

 少女の問いに御堂は短くなった煙草を地面に落としながら一言答える。

「〈お前〉」

 それは本当に冷酷な、背筋までもが凍り付きそうな、邪悪な笑みだった。それでも少女は臆することなく言う。

「わかっているの? 私に関わればあなたは確実に命を落とすわよ」

 女は新しい煙草に火を点けた。一息吸い、煙を吐きながらアタッシュケースを乱暴に下に落とし、両手を腰に当てて少女を見据えた。

「おーおー、自分で自分の能力が解ってるんじゃないか」

 あくまで余裕な御堂の態度に少女は、日向波遠は苛立った。

「私に関わらないで!」

「じゃあどうしたいんだお前は?」

 波遠は黙ってしまう。

――わからない
  わからない事が多すぎて
  気付けばこんな事態になっていて
  自分がどうしたいか?もうどうしようもない
  あの子が教えてくれた私の能力
  私の所為で皆が死んだ
  あの警備員は……意識的に、本当かどうか確かめたくて
  殺してしまった
  本当に飛び降りてしまった

「フン、つまりお前は自分で自分を追い詰めているわけだ。気付けば周りに死体だらけ。自分の所為ではないかという不安。そして逃避」

 御堂の言葉の一つ一つが日向に突き刺さる。容赦のない。攻撃的な。

「ううう、うるさい! お前に何がわかる!」

 堪らず日向が怒声を上げる。瞬間、御堂は背筋に威圧感を感じた。冷たい、密封された容器の中に入れられているような。日向を中心とした冷たいドーム。そう。今この空間は日向波遠のモノ。日向波遠の領域であり、日向波遠の猟域。
 それでも御堂は顔色一つ変えずに話す。

「結局のところお前は身動きの取れない袋小路に自分で入り込んだのさ。最後に残ったのは殺人能力だけ。だから人を殺さないと自分には何も残らないという考えに到達している。勝手にな。誰に何を吹き込まれたかは知らんが、自殺事件についてお前は何ひとつ悪くない。だがな、〈今から人を殺そうとするお前〉は最悪だ。私が言えた事ではないがな。人を殺すには人それぞれに理由がある。お前の場合は自己の保全か。ま、どちらにせよ私には知ったこっちゃない話だ。依頼を遂行して報酬を貰うだけだからな。あぁそうだな。知ったこっちゃない」

 ケラケラと馬鹿にしたように笑う御堂に対する怒りを抑える為に、日向は深呼吸をした。そしてすぅっと息を吸い込む。

「なら……死んで!」

 声を聞いた瞬間、御堂の頭の中に違和感が溢れた。直接脳髄に語りかけてくる何か。抗う事もできずに〈それ〉は歌うように語り掛けてくる。

――『死』は楽園。

――『死』は希望。

――『死』は快楽。

――『死』は超越。

――『死』はそれこそ全て。

――生は偽であり死こそが真。

――何故生きようとする?その先に何がある?幸せを感じたいから?夢を叶えたいから?
  叶っても叶わなくても結局は死ぬのに?なら今すぐ死んだほうが無駄なく済む。
  生に一体何の意味がある?その行き着く先に何がある?何もない。何も見えない。
  私達一人が死んだって、世界は、少しも、微塵も、微妙にも、微細にも変わらない。
  変わらない変わらない。
  小さな存在が小さく生きたところで、それは無価値であり、無意味。

 抗い様も無く冷たい棒で脳の中をこねくり回されるような、嫌な感覚。しばらくすると声も感覚もおさまったが、御堂はあからさまに不機嫌な顔をした。

「な………ぜ………?」

 たじろいだのは日向だった。

「何も感じないの?」

「感じたさ」

 御堂は足元のアタッシュケースを開く。その中には皮の上を鋼鉄のプレートで覆った手甲が一組並んでいた。それを両手にはめながら楽しげに話し始める。

「『死』がいかに素晴らしい物かがよ〜く解ったよ。全く。強力な暗示だ。ありゃあ逆らえないわね。お前のクラスメイトやここの警備員が自殺したのも頷ける。しかしまぁ、なんだ。自分の能力に気付いた途端〈発動キー〉無しで使えるようになるとは……いやいや、たいしたもんだ」

 暗示が通用しない焦りと、能力の事を自分より知っているかのような口振りをする女に対する驚きとが入り交ざり、日向の中にそれは怒りとして湧き出てきた。

「一体何を言っているの? 発動キーなんて知らない! それより、何故あなたは『死』ぬことの素晴らしさを体感しながら、それでいて死のうとしないの! 私の言葉を聞いた人達は皆自らの命を絶っていったわ!」

 御堂の意識は手甲をはめることに集中している。故に日向への返事もぶっきらぼうなものだった。

「あぁ。私は〈死神〉だからなぁ。『死』を体感する以前に、既に体験しちまってると言った方が良いかな? 悲しいよなぁ、死がどれだけ素晴らしいものかを見せ付けられても、別に何も感じないんだもんなぁ」

 日向は御堂の意味不明な発言に更に怒りを増す。

「『死』を体験したと言うのは不可能よ! 死を体験した時、その瞬間あなたは既に〈体験した〉という自覚を失っている筈なのだから! 死を体験したと言うのなら、前世の記憶がそのまま来世に引き継がれていると考えるしかない!」

 御堂は溜息混じりに煙を吐き、両手を開いたり閉じたりした。

「ふむ。私は〈輪廻転生〉を信じているわけではないのだが、まぁ、前世の記憶が引き継がれているというのはあながち間違っていないかもな。うん……どうでもいいじゃないか。今の我々はどちらが殺られるか。だろ? 自ら死ぬように仕向けるのが無理なら殺せば良い。簡単だろ? 数多くを殺したおまえなら」

「違う! 彼等は勝手に自殺したんだ! 私は『死』の真実を彼等に少し見せただけ!」

 御堂は吸いかけの煙草をプッと吐き捨てた。

「あーあー、そうかい。それならそれで良いよめんどくさい。じゃ、私が一番最初の被害者って事で良いよ。あ、一番は警備員だったか? どうでもいいか。お前は悲しい境遇に巻き込まれたイジメられっ子って設定で良いのかい? 受動的なお前にはピッタリの役だ。ハハハハハ」

 その発言で日向の怒りは頂点に達した。

「お、お前ぇぇぇぇぇ!!」

 少女の叫び声と同時に死神は疾走を開始した。曇り空の下、生暖かい空気を裂くように、常人離れした速さで標的へ突き進む。両手の指を開くと、ジャキッという音と共に指先から鋭い爪が飛び出す。
 日向は向かってくる女に向かって力の限り叫んだ。

「壁壁壁壁! 数多の壁が行く手を阻む!」

 すると、疾走する御堂の目の前に地面から高くそびえる壁が何枚も飛び出した。が、御堂はスピードを落とさない。

「所詮は幻覚ね」

 御堂は当たり前のように壁をすり抜けようとしたが、次の瞬間弾け飛んだ。

「………!?」

 受身を取り、片膝をついた状態で壁を見上げた。

「……神経。感覚器官にまで影響を及ぼすか」

 幻覚であるにも関わらず、顔面から壁に激突した御堂の鼻からは夥しい量の血が流れていた。
 日向は尚も叫ぶ。

「縄縄縄縄! 決して解けぬ拘束の縄!」

 すると片膝をついた御堂の周囲に何本ものロープが現れ、身体をきつく縛り上げた。身動きの取れなくなった御堂は地面に倒れる。
 日向は汗だくだった。息も荒い。

――動きは防いだ。あとは……

「御堂さん!」

 突然、屋上階段の扉が勢い良く開かれた。中から青年が走ってくる。
 神野王牙は屋上で事務所の上司を発見した。様子が変である。彼から見れば御堂は一人で後ろに手を回し、ただ床に寝そべっているだけなのだから。急いで駆け寄ろうとする王牙を御堂は

「ストーップ!」

 と制止した。そして目線を日向に向ける。
 遠くに立つ一人の少女に気付いた王牙は眉をひそめた。

「日向 波遠」

 名を呼ばれた少女は呼吸を整えながら青年と視線を合わせた。

「神野 王牙……だったわね」

 王牙は御堂に視線を戻す。

「ところで一体何してるんですか? 御堂さん」

「見ればわか……んないか。まぁ待て、すぐ終わる。それよりなんでお前が此処にいる?」

 王牙は一枚の紙をポケットから取り出した。

「御堂さんのデスクの上にあった資料です。ここにあなたの調べ上げた日向波遠の潜伏場所が書いてありました。〈日向カンパニービル〉と」

 そうか。と御堂は特に驚く様子も見せず、あたかもこうなることは解っていたとでも言うような様子で居た。

「御堂さん! その子は自覚が無かったんだ!殺しちゃダメです!」

 御堂も、そして日向も王牙の発言を無視して睨み合った。
 少女は再び叫ぶ。

「精神が崩壊する程痛烈な幻覚を与えてやる! 剣剣剣……」

 そう言い掛けた所で日向の言葉は御堂の更に大きな叫び声によって掻き消された。

「あの!!」

 御堂が発した突然の意味不明な一言に日向と王牙は唖然とする。だが御堂だけは地面に倒れたまま口の端を持ち上げ、そして叫んだ。

「槍槍槍槍! 数多の槍が日向波遠に痛みを与える!」

 その瞬間、ぶわっと日向波遠の周囲に無数の槍が浮かび上がり、前も、後ろも、頭上まで、刃先を全て少女へ向けた槍で囲んだ。

「な、なにこれ」

 日向は初めて自分に突きつけられる幻影にたじろぎ、一歩下がる。が、背後に浮かぶ無数の槍の一本に触れて反射的に前に飛ぶ。

――い、痛い!

 王牙からは日向が一人で混乱しているようにしか見えない。幻覚の解けた御堂は立ち上がった。

「お前の思想は全部甘えなんだよ。甘えた事が無かったから。こんな時に全面に溢れ出ている」

 震える身体を抱きながら、歯を震わせながら、日向は虚ろな目をしている。顔は恐怖に染まっていた。

「し、知ったような口を………利かないで。私は……違…」

「終わりだ」

 御堂の一言。
 その刹那、全ての槍が凄まじい勢いで日向波遠の身体に突き刺さった。
 脳、脊髄、心臓、あらゆる臓器、肉も、皮も、目も、骨も、身体中の全てを穴だらけにし、ぐちゃぐちゃにされる。

「ギあァぁぁぁぁ!!!」


 ◇ ◇ ◇


 王牙は日向の元へ走り寄った。放心した日向はその場に崩れ落ち、目は焦点が定まっておらず、口をパクパクさせている。そしてフッと気絶してしまった。
 手甲の爪をギシギシさせながら御堂が近づいてくる。王牙は反射的に、日向と御堂の間に入った。

「大丈夫だオーガ。コイツはショック症状を起こしているだけだ。具現化させるほどの能力の乱発で相当疲労していたみたいだしな」

「御堂さん、この子を殺すんですか?」

 御堂はなんで? と首を傾げる。

「だって資料見ましたよ! 〈日向家〉から依頼が来たんでしょう?だから御堂さんはこの子を……」

「ああ。〈保護〉するつもりだが?」

 王牙はきょとんとする。それを見た御堂はまた煙草に火を点けながら笑った。

「ハハ! そうか、ナルホドね! 〈守野家〉と同じように〈日向家〉も能力者の処分を依頼してきたと思ったわけか! 違う違う。オーガ、〈日向家〉の依頼内容は『日向波遠の保護』だったんだよ。幸せだよこの娘は。純血一族は大抵、問題を起こしたり、公になった能力者は処分してしまうんだが、この子の両親は違った。仕事詰めで娘と話す機会が皆無だったそうだが……まぁ、親子ってこういうもんだろ? 〈日向家〉ではどうだか知らんが、少なくとも〈波遠の両親〉だけは彼女を見捨てなかったってことさ」

 殺すほうが簡単なんだが。と、御堂は物騒な事を呟きながら日向を抱え上げ、王牙と共にビルを降りて行った。

 ◇ ◇ ◇

 空から降ってきた一滴の水が屋上にぶつかった時、一人の男がそこにいた。顔は天を仰ぎ、虚ろな目で月の見えない空を見上げている。

「同族の血は互いに引き合う……。物語は何も流されるばかりではない。世界の物語とて同じ事……」

 白のコートに身を包んだ男。日向カンパニービル屋上の鉄柵の上に男は立っていた。
男は片手に持っていた心臓を天高く持ち上げ、握り潰す。血が弾け、血にまみれた腕を愛しそうに舐めた。

「統一一族である奴等は決して動かぬよ。統一……フン、虫唾が走る」












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