最終章 【廻る世界のフラグメンツ】
――小さな一つの物語は終わり。
――大きな一つの物語は終わらない。
【廻る世界のフラグメンツ】
◇ ◇ ◇
ここは街の大きな病院。
いつの時代も、この医療施設には人が集まる。病というものは、人間でもあらがう事のできないものだから。
今日もその建物は薬品の臭いをそこらじゅうに漂わせ、多くの人を含んでいた。
受付のロビーは広い。自分の名前が呼ばれるのを退屈そうに待つ人や、入院患者達がロビーのソファに座っている。
その中に、二人の男女がいた。
男の方はジーパンにセーターという格好で、一言で言えば地味だ。対して女の方は、その整ったプロポーションを惜し気もなく、むしろ余計に際立つように、長袖のカッターシャツの胸元を開けて着ており、下は和風な刺繍が施されたタイトなダメージパンツ。地味な男と派手が好きそうな女。こんなカップルも見かけはする。
だがこの二人はもちろんそんな関係ではなく、別に診察のためにここへ来たわけでもない。先程から横に並んだまま、行き交う人を目で追ったりしていた。
ちらりと隣の女の方へ目を向けた男が、先に口を開く。
「結局……」
その男の髪型は珍しい。短く切ってあるのに、襟足だけを伸ばして縛っているのだ。
「結局、王牙は一般人に戻ったみたいだな」
平坦な口調でそう言った男に、女は目を合わせる。
彼女は斜めに流した前髪で片目が隠れているが、見えている方の目だけでも睨まれたらたまったものではない冷たさを帯びている。
「そりゃあどういう事だい」
冷たい目で見られながら言われても、男はそれに慣れてしまっているらしく、自嘲するように鼻で笑った。
「自然発生能力者は、皇真の方だったらしい」
「……そっか」
「王牙が異形と出会うようになったのは、不完全ながらも皇真が目覚めてしまったからだった。御堂、お前と王牙が出会ったのも、皇真の力によるものだったのだよ」
御堂摩紀というその女は、口元を緩めて鼻で笑った。
そして膝の上に置いていたハンドバッグの中に手を入れ、小さな箱を掴んだところで手を止める。
「病院は禁煙だったかな」
残念そうな顔でバッグから手を抜く。
仕方なく隣の男に付き合うことにし、ぶっきらぼうに訊いてみた。
「お前はこれからどうすんだよ。砕牙」
「……あまり私の名前を出さないでくれよ。私の立場はお前とは違うのだからな」
「その不公平さが良いんじゃないか」
言いながら摩紀はけらけらと笑い、砕牙の方は顔をしかめた。
この女は随分と表情が豊かになったな。と、そんなことを思いながらやれやれと首を振る。
「私は変わらんよ。お前の七年間の物語は終わったかもしれんが。私の――いや、我が家族の物語はこれからなのだ」
「約束の刻。ってやつか」
「うむ。またさらに自然発生能力者の数が多くなった。純血一族を始め、ティンダロスの猟犬、死使十三魔、その他の危険勢力も危機感を募らせている。成吉もじきに呼び戻すことになるだろう」
「……統合に乗り出すんだな?」
もはや彼女には関係のない話なのだが、興味があったので話を聞きたかった。
統合という、砕牙の目的。
摩紀の言うとおり砕牙にはその時が近づいていた。
「そうだな。もう既に各勢力の上層連中との会合が予定されている」
「ほー。すごいじゃないか」
素直に感心する女。すごい、という言葉に男は笑った。
「ああ。本当にすごいぞ。有名どころの勢揃いだ。〈天下無双〉、〈魔炎〉、〈魔天〉、〈ジ・エンド〉、〈ドゥーム〉などなど。どれも初対面だが、名前だけは何度も聞く異端だな」
その名は、摩紀自身も何度か耳にしたことがある。どれも音に聞く豪の者達だ。そして摩紀とは格の違う者達。
「世界を守るために……か。格好良いな」
「みな必死なのだよ」
これからを考えたら。と、そう付け足して砕牙は席から立ち上がった。摩紀はその長身を見上げる。
「もう行くのか?」
「ああ。外で雪乃を待たせているからな」
「たまには王牙に会ってやれよ。形はどうであれ、あいつもお前の弟なんだから」
摩紀の口から出た意外な言葉に、砕牙は目を丸くした。
「ほう。それでは私と御堂は親戚関係ということになるな」
「……純血一族の親戚。それは嫌だ」
窓から日が差し込み、それを浴びながら二人は笑う。どれも作り物ではない、素直な笑いだった。
摩紀という女は死神という異名を持っていた。姉という分身を失ったことで、一度死んだも同じだと思っていた。
望みは早く死ぬことだった。姉と再び会いたかったから。早く会いたかったから。それは今も変わらない。しかし今はもう、早く会いたいとは思っていない。
彼女が早く姉と会いたかったのは、もちろん大切な人であったからなのだが、他にもう一つ理由があった。
寂しかったのだ。姉を失ってから、ずっと一人。誰かを求めようともしなかった。頭のなかは姉のことでいっぱいだったから。
そんなことが七年も続き、始末屋という裏稼業をやっていた彼女はふと『雑用係くらいは欲しいな』と、考えた。ちょうどその時に道端で倒れていた学生を拾った。経歴、性格、共にわからないことだらけの男だったのだが、逆にそれが良かった。
それから色々あったが、そいつは今、彼女の中でとても大きな存在となっている。
家族になろうと言ってくれた。死ぬなと言ってくれた。それが嬉しくて。
だから寂しくなくなった。
だから今もこうして笑っている。まだまだ笑顔が苦手だけれど、いつかとても素敵な笑顔になる。
摩紀は生きようと思った。
「私が今、こうして笑っていられるのは、やっぱり姉さんのおかげなのかな」
ふうむ、と砕牙は顎に手を当てる。
「それはお前にしかわからんことだが、そうなのかもしれんな。この結果は、よくよく考えてみればお前の姉が起源となっている。純血一族をも巻き込んだ物語。御堂摩紀に影響を与え、神野皇真に影響を与え、私を含めた――数々の異形に影響を与えた。今の御堂摩紀という結果は、姉という起源があって成り立っている。無論、皇真に影響を与えたことで――純血一族にも」
「お茶目な姉さんだったからね。こんなにみんなの生き方を変えるなんて」
微笑し、なんともなしに明るくそう語る摩紀。
しかし砕牙はそれを聞いて、何かに気付いたのか目に力を入れた。
「ここまでの影響力。もしや、あの女は世界のタネだったのかもしれんな」
独り言のように呟く。今度は摩紀が目を丸くした。
「姉さんが、自然発生能力者だったってのかい?」
砕牙は力を抜いて首を横に振る。
「今となってはわからんよ。ただ単に、異常なほど人望があっただけとも言える。それを特殊能力と称すのはいささか都合の良い話だ」
「そうだね。姉さんは誰よりも優しくて、誰よりも笑顔が素敵だった。人並み外れた力だと思われるくらいに」
姉のことを語る摩紀の顔は、とても誇らしげで。自分の姉がどれだけすごい存在だったのかを、もう一度噛み締めて。彼女もまた、そんな姉を目指し、追い越そうと頑張って生きていくのだろう。
七年は無駄ではなかった。どれだけ大好きだったかを証明できた。七年分の寂しさはとても愛おしく、そしてそのぶんだけまた頑張れる。
希望あふれる摩紀の表情が、砕牙には微笑ましかった。
御堂摩紀という元死神も、こんなに変わることが――いや、素直に戻ることができたのなら、純血一族とて素直に戻れる。そう思った。
「やはりお前の姉はすごい。私の思ったとおり、たいした器――大物だよ」
「なんだよ。そんなに褒めちぎって」
「いや――」
砕牙は一度肩をすくめ、深呼吸のようなため息をした。
「死してもなお原因として心のなかに存在し続けている。あの女からしてみれば、世界の物語など小さく思えるのだろうな。お前の物語の方がよっぽど大切らしい」
そう言って一人で笑い、ぽかんと首を傾げている摩紀にひらひらと手を振る。
「では、王牙ともう一人の家族に宜しく伝えておいてくれ」
「ああ」
「また会いに来る」
最後にそう残し、純血一族の総当主、神野砕牙は正面玄関から外へ出ていった。
摩紀が窓の外を見ると。彼を待っていたらしく、派手な赤いスーツに身を包んだ女が、車の前で出迎えていた。きっと砕牙の言っていた雪乃という人物なのだろう。
砕牙も、その女も、笑みを浮かべて車に乗り込んだ。
(笑う鬼……か。ちゃんと変わり始めてるよ、お前も)
病院の中から車を見送った摩紀は、席から立ち上がる。
そのまま受付の前まで行き、
「えっと、きのう普通病棟へ移った二人の見舞いに来たんだが」
と言った。
応対する受付係の女性は机の上にある名簿をめくりながら入院患者の名前を尋ねてきたので、少し照れ気味に応える。
「御堂王牙、御堂波遠の二人」
「ご家族の方ですか?」
「ああ」
病院では当たり前のやりとり。
しかし摩紀にとってはこの上なく心にしみるやりとり。嬉しくておもわず目頭が熱くなってしまうのを感じた泣き虫で強がりな女はなんとか我慢した。
受付係から病棟と病室の番号を教えてもらうと、早足でその場を離れた。手にはハンドバッグと、果物の詰め合せを抱えて。
病室へ入った摩紀を待っていたのは、二つの明るい声だった。
「遅いぞ摩紀さーん」
「待ちくたびれちゃいましたよー」
王牙と波遠だった。
個室に並べられた二つのベッドの上で、それぞれ上半身を起こして布団をぱんぱん叩いている。
そんな二人に摩紀は笑顔を見せた。
「悪い悪い、ちょっと遅くなった。でもそんなに激しく動くんじゃない」
元気の良い声だが、二人は全身に包帯を巻かれているような状態だった。
椅子を取り出して二人の近くに座る摩紀。その腕を波遠が引っ張った。
「ねえ摩紀さん、どうだったんですか!?」
そう訊くためにずっと待っていたのだろう。波遠はじっと摩紀の目を見つめていた。
そんな彼女に頷いてやる。
「ああ。大丈夫だよ」
その返事を聞き、嬉しそうに目を輝かせた波遠は王牙の方へ顔を向けた。
王牙も笑っていた。
「王牙さん、よかったですね!」
「おう。利き腕が使えなくなってどうしようかと思ってたからな」
言いながら左腕よりも短い右腕を持ち上げる。
ちなみに腕に巻かれている包帯は、摩紀と波遠に書かれた落書きで溢れており、右腕はなにやらとても賑やかな腕と化してしまっていた。
王牙は波遠から摩紀へと目を移す。
「この短期間でよく見つかりましたね摩紀さん。普通の義手とは違うんでしょう?」
「ああ。義手とはいえ呪装具だからね。でもお前の右手は回収してすぐに技術者へ届けたから。それが幸いして神経とかの解析はすぐに終わったよ」
「それでも王牙さんの右手になるんだし、造るのに時間が掛かりますよ?」
波遠の疑問に、摩紀は得意げな顔をした。
「実はな、一年くらい前の依頼主で左手を自分で落とした馬鹿な男がいてな。そいつ用に両腕セットで造ってあったんだ。で、残った右手の呪装具を王牙用に作り変えて貰ったわけ」
二人は〈へー〉とか〈ふーん〉とか相槌をうつ。
摩紀は〈その男が魔槍と呼ばれていた男〉とは言わなかった。別に言う必要はなかったし、むしろ普通に生きようと決めたのだから知らないほうが良いのだ。
ここで波遠は身を乗り出した。そのまま隣のベッドで右腕の落書きを見て困った顔をする王牙の、腹に手を伸ばして撫でてみる。
「ほんとによく助かりましたよね。おなか」
感心して呟く波遠だったが、彼女自身もかなり危ない状態だった。よく助かったな、というのは波遠のも言えることだった。そんな少女の姿に王牙と摩紀は顔を見合わせて微笑む。
王牙の腹の傷はちゃんと塞がっている。刀の切れ味が恐ろしく良かったことと、切った人物の腕が良かったから比較的塞がりやすかったのだ。
皇真ならもっと切ることができた筈なのに。腹を刺した後に横へ刃を動かし、そして上へ引き切る。それくらい見事な切腹ができた筈なのだ。けれどそこまではしなかった。ちゃんと王牙だけは助かるような切り方に抑えたのだ。
武家色の強い純血一族は、未だに切腹を美化している。それなのに皇真がほどほどの加減で抑えるというのは、どれほど辛い決断だったか。
皇真にそれができたのはやはり、一人の女の影響なのだろう。
純血一族は変わる。その先駆けのような生き方を貫いた相棒を思い、王牙は目を細めた。
「純血一族の物語は、新たな章へと入っていくんですね」
自分の腹を撫でてくる波遠の頭に左手を乗せ、そう言う。
摩紀は何を思ったのか席を立ち、病室のカーテンを全開にした。王牙と波遠、そして摩紀は外を眺め、室内いっぱいに差し込んだ温かな日差しに目を細めた。
「私たちの物語も、これから始まるんだ。他の物語を気にする暇はないぞ?」
「うん。そうですね」
「そうですよ!」
摩紀の言葉に、二人は元気よく頷いた。
一人ぼっちだったそれぞれの物語は、繋がり、新たな物語として始まる。
それはとても素敵なこと。とても大切なこと。家族ということ。
どんなに辛い過去を抱えていようと、補い合えばいい。どんなに辛い未来が待っていようと、助け合えばいい。楽しいことも、分かち合える。もっと楽しくなる。
家族とは、一つの表現。言葉に表せない絆を言葉で示すための。
だから互いが互いを想う心さえあれば、本当は言葉なんて必要ではない。
それでも、互いの気持ちを言葉で確かめたいと思った時は、言おう。大好きだと言おう。大切だと言おう。
気持ちの詰まった言葉は互いの心に響き、結びつくから。かならず。
この温かい、三人のように。
「よし。じゃあ退院したら桜、見に行こうか」
「摩紀さんと波遠と見たら、きっと楽しいですよ」
「私も摩紀さんと王牙さんと見に行きたいです!」
――今は春。
生き物の命の息遣いが、一面に満ちる季節。
雪解けの水が、陽を浴びて温まる季節。
空の色が、紫がかった艶々しい色を帯びる季節。
満開の桜が麗らかな霞の下、まどろむような色合いで連なる。朝は木漏れ日がおだやかで、夜は柔らかい風の感触の中で仄白い。
そんな季節。
そして――鬼桜が、散る季節。
世界は今日も、廻り続ける――
【血鎖の支配】完 |