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『血鎖の支配』
作:是音



第七章 十、前


 十、

 喫茶店での会話から丸一日が経った次の日。
 冷えた潮風にあおられる草原の上で、御堂摩紀もまた髪をなびかせていた。
 ここは懐かしい思い出の場所。
 昔住んでいた家は、今もそこに、ぽつりと建っている。
 御堂はその庭のなかへ足を踏み入れ、ある場所へと歩いてゆく。そこには白い墓石があった。

「よっ、姉さん。ちょっと来ちゃったよ」

 墓石に向かい合った御堂は、片手を挙げて気さくに言った。石には姉の名前が彫られている。
 その墓石の上には、どういうわけか四本の花がすでに置いてあったのだが、御堂は気にせず自分の持ってきた花を一緒に並べた。

「今日は夕方までここに居ることにするよ。夜は大事な予定が入ってるからね」

 言いながらすたすたと芝生のうえを歩き、白いベンチを墓石の近くまで持ってくる。腰を下ろすと、木製のベンチは軋む音をあげ、年月の経過を物語っていた。
 御堂は滑らかな墓石の上を手のひらで撫でながら、太陽が雲に覆われてしまった冬の空を仰ぐ。
 雲の隙間から漏れる光は、まるで世界が光から遠ざけられているかのようだった。

「あの日はもっと寒かったっけ」

 誰にでもなく、語る。

「時が経つのは早いよ。切なくなるくらいに。あれからもう七年、まだ始末屋なんて仕事をやってる。笑っちゃうよな。自分は全然、過去に始末をつけちゃいないのに。他人の始末をつけるのは、簡単なのに」

 ポケットから煙草の箱を取り出し、小刻みに振ってみる。
 からからと、残り本数が少ないことを表す音に、舌打ちをしながら一本引き抜いた。

「でもさ、今日やっと始末がつくよ」

 口元にライターの火を近付ける。吐き出す煙が顔を覆った。

「仇を見つけたんだ。姉さんを殺した奴。七年間ずっと探してきた奴。でもさ、厄介なことに……」

 ――そいつ、私のお気に入りでもあったんだよね。
 とは、とても口に出せなかった。
 神野皇真という名の仇と、神野王牙という名のお気に入り。いや、御堂にしてみればお気に入りとかではなくもはや想い人。彼は怖がっているだけかもしれないが。
 たとえそうであっても、この場でその事を口に出すなんてできない。この思い出の場所で、迷ってしまった等と、言えるわけがない。
 それにもう彼を殺すと宣言した。殺さなければ、代わりに鬼人という絶対が、死を与える。
 元から迷う選択肢すらなかったのかもしれない。

「まったく。私も困った運命に絡まっちゃったよね」

 そうぼやいた御堂は、隣から上品な笑い声が聞こえてきそうだと思った。
 おそらくは、ここが、この場所が、彼女にとって唯一気のおける場所なのだろう。常に堅さを保っていた表情もここでは常に軟らかい。素直と言うに相応しい表情。
 実際、彼女の過去を考えてみても、この場所で安心できなかったら他に安心できる場所などない。

「あーあ。嬉しいはずなんだけど。ここへ来るとどうにも素直になっちゃいそうでダメだ。姉さんが隣に居ないと素直にはならないよ、私。とにかく、今日は夕方までここに居させてもらうからね」

 誰に許可をとるわけでもなく、ぶっきらぼうにそう言う。
 そして彼女はそのまま、海が赤く染まり始めるまでそこに居続けた。

 ◇ ◇ ◇

 夜。
 暗闇に包まれる通学路を、学制服姿の男が重い足取りで歩いていた。

(……ふう)

 息は荒めで、その童顔には疲れの色が見られる。手に持っているモノのせいかもしれない。

「これ、すっげえ重い……」

 彼、神野王牙は両手で抱えるように持った刀を一瞥してごちた。
 がちゃがちゃと音を鳴らして揺れるそれは、刀にしてはかなり丈が長い。
 かなり。
 そう、こんな長い刀は類を見ないほどに。これは鬼人と呼ばれる男の愛刀で、名を〈いましめ〉という。
 刀で三尺を越えるものは大太刀と呼ばれるが、これはその三尺すらゆうに越し、その刀身は五尺。つまり百五十センチほどもあるのだ。
 こんなものを愛用する鬼人はまさしく超越した存在であるのだが、なぜこの王牙がそれを持っているのか。

「見えた」

 顔を上げた目線の先には、恵西高校の校門。もちろん完全に閉ざされている。
 王牙は迷う事無くそれを乗り越えて中へと入る。
 明かりなどどこにも見えない。校舎にも、体育館にも、旧体育館にも、校庭にも。
 暗い中を歩いてきたことで多少は目が慣れており、足元を確認しつつ王牙は校庭の真ん中を横切る。
 目指す先には冬に花を満開に咲かせる桜。

(摩紀さんはあそこで決着をつけると、言っていたらしいからな)

 王牙の額に汗が浮かぶ。疲れたから――というわけではなさそうだ。
 浮かんだ汗は雫として足元へ落下し、冷え固まった土の上へ着地する。
 それに続いて、今度は汗ではなく、もっと冬らしいものがちらりちらりと着地した。

「雪だ」

 彼は空から舞い落ちるそれに、今初めて気が付いたのだ。それらは既に肩にも乗り、黒い制服の上で月明かりを反射してきらきら点滅している。
 実は彼が学校へ到着する頃には、若干積もるくらいに降っていたのだ。

「本当に、雪と花が混ざり合ってら」

 その場に立ち止まって、見上げる。
 感嘆の声が漏れてしまうほど、妖しく映える鬼桜は雪の中にその姿を溶け込ませていた。

 ――もっと近く。もっと近くで。

 長い刀を肩に乗せ、一歩一歩近づいてゆく。背後の旧体育館で明かりが灯り、その明るさが校庭に届いても気付かない。周りの景色などどうでもよくなるくらい、その桜の木は人を魅了する美しさを持っていた。
 寒い季節にしか見せることのできない美しさを。
 ついに王牙は木の幹が目の前にくる位置にまで近づいた。木の下に入ったことで、彼に雪が届くことはなく、まるで包み込まれているような感覚に陥る。
 王牙は刀を木に立て掛け、背を幹にくっつけた。明るく灯った旧体育館が視界に入っても、それでも気にしない。あの中で日向波遠が戦っているとも知らず、彼はただ夜空と、白桃色の屋根と、白い粉に見とれた。
 否、見とれるというより、目を一点に置いているだけだった。

(皇真が、摩紀さんの姉を殺した男……か)

 王牙は考えていた。

(俺と皇真が同一人物だと知って、なんて思ったかな。きっと――)

 きっと俺を憎んだだろうな。王牙はそう思った。
 探し続けた憎むべき仇と約一年も共に過ごしてきたのだ。憎悪でいっぱいのはずだ。きっと怒っている。きっと皇真ごと自分を殺す。
 彼女はそういう人であることは、王牙にもわかっていた。もし自分なら、同じ気持ちになるだろうとも思った。

 目を閉じてみる。
 冷たい風が頬を撫で、たわむ枝の隙間を通り抜ける音が聞こえた。王牙はなんだか以前にもこうして桜の下でじっとしていた事があるような気がした。

(どうせ偽の記憶だけど)

 自嘲気味に笑う。しかしその笑顔はどこかぎこちない。
 こんなに寒い空気の中で立っているにもかかわらず、なんだか王牙は眠ってしまいそうだった。もしかしたら今も目を閉じていた間に眠っていたのかもしれない。
 実際、王牙がここまで歩いてきた足跡には雪が積もっており、それは本当に眠っていたことを表していた。

 そしてもう一人分の、新たな足跡も加わっていた。

「…………」
「…………」

 王牙と向き合う形で、死神の異名を持つ女が相変わらずのスーツ姿で立っていた。もちろん口には煙草をくわえて。
 最近はなにかと時間のすれ違いが多かった雑用係とその上司は、久しぶりに顔をあわせた。どちらも無表情だったが。

「よう。オーガ」

 先に声をかけたのは女。片手を挙げ、相手のあだ名を呼ぶ。
 呼ばれた男の方は木の幹から背を離し、それに応えた。

「お久しぶりです。鬼人に話を聞きました」

「そっか」

「……すみません」

 頭を下げて謝る雑用係。その姿に御堂は一度目を細めて苦い顔をし、次に眉を上げて不敵に笑ってみせた。

「なにもお前が謝ることじゃあない。これは仕方のないことなんだから」

「………」

 それは王牙にもわかっていた。だがどうしても謝っておきたかったのだ。
 別に自分がどうこうしたわけじゃないし、彼女の言う通りこれは仕方のないこと。でも謝っておきたかった。

「さて王牙。私が何を言いたいのか、わかるな?」

 御堂は早速本題へ入ろうとする。
 王牙も頷いて言った。

「皇真を出せ、ですよね」

「そうだ」

 御堂の目的は王牙ではない。あくまで皇真を殺すことなのだ。
 しかし、ここで王牙は彼女に反抗した。

「残念ながら皇真は出てきませんよ」

「…………」

 一瞬にして女の顔が凍り付く。
 次にジャリ、と御堂の手から嫌な金属音が鳴った。はめていた手甲の爪を動かし、擦らせたのだ。そしてそれは威嚇の意味がこめられていた。

 ――ふざけた事をぬかすなよ。坊や。

 そんなメッセージのこめられた威嚇。
 いつもならこの雑用係はすぐに怖じ気づいて、彼女に従う。だが――

「皇真は、出てきません」

「……てめえ」

 王牙は尚も反抗をし続けた。死ぬほど怖い、怒らせたら本当に人を殺してしまうであろう上司が、本気で怒っているにも関わらず。

「そして摩紀さんは俺を殺せない」

 さらに自信ありげにそんな事まで口にした。

「なんだと?」

 御堂は明らかに苛立っている。頬の引きつり具合を見ればそれが相当なものであることもわかる。
 今日の王牙はどこかいつもと違った。御堂摩紀を前にしても物怖じ一つせず、あらがう意志を見せている。

「摩紀さんは俺を雑用係にした時、こう言った。〈身の安全は保障する〉と。だから摩紀さんは俺を殺せない。あなたは約束を破らない人だから」

 風に乗る王牙の声。御堂の口元から流れる煙がすぐに消えてしまうほど強く冷たい風に乗り、王牙の言葉の一つ一つが御堂の鼓膜に響く。
 鼓膜に響く度、彼女の苛立ちは増していった。

「――くな」

 御堂は呟きながらギャリギャリと爪を擦る。

 ――ギャリギャリ。

 強く擦る。その音が彼女の怒りの度合いを顕著に表していた。

 ――ギャリギャリギャリギャリ。

 火花が散るのではないかというくらい、摩擦の勢いは激しくなる。

 ――ギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリ!

 ついに女は怒鳴った。

「知ったふうな口をきくな!」

 びいん、と空気が張り詰める。
 御堂摩紀はもはや怒りの形相で全身をわななかせていた。

「お前が何を勘違いしているかは知らんが、私の約束をアテにして余裕こいてんなら大間違いだ!」

「仇だからですか。俺が」

 怒鳴られても落ち着いたまま。そんな男の姿にますます御堂は腹が立った。

「そうだよ、ああそうだよ! お前だよ! 皇真と同じ身体! 姉さんを殺した手を持つお前も仇なんだよ!」

 勢いにまかせてそんなことを言ってしまう。

「……そう、ですか」

「わかったらさっさと皇真を出せ!」

 怒髪天を衝くかのごとき勢いで、自分を高く評価しすぎている男を叱咤する。
 さっさと皇真を出せば、こんなふうにこの雑用係を怒らなくて済むのに。こんな時まで心を揺れ動かしてくるこいつに、御堂はひどく腹を立てた。

「俺は別に――」

 王牙は木に立て掛けてあった大太刀を手に取る。

「別に摩紀さんの約束をアテにしていたわけじゃないですよ」

 すらり、と反りのある刀を鞘から引き抜く際に生じる摩擦音。それを聞いた御堂は顔をしかめる。
 王牙が刀を抜いた。それが何を意味するかなど、語るまでもない。

「ただ俺はですね――」

 落ち着いた口調で語りながら、鞘を木の根元に置く。
 鬼人にしか扱えないような長さの太刀を、正眼に構えることなど到底できるはずがない。両手でしっかりと柄を握り締めた王牙は、棟を下にして肩に乗せるだけ。

「おい。ただ……なんだ」

 問い返す御堂。正直、今すぐにでも太刀を収めろと言いたかった。殺したいのは王牙じゃない。
 ところが、そんな彼女の僅かに残った情をも払拭してしまうことを、王牙は言った。

「ただですね。すっげえ安っぽいんだな、って。そう思っちゃいました。摩紀さんの約束」

 ますます空気が悪くなる。
 ますます御堂の怒りが増す。というより、限界に近づいていた。

「く、口を……慎めよ……王牙」

 かろうじて感情の決壊をこらえている。彼女はそういう口調だった。これ以上は、危険だと誰にでもわかるような臨界点。

 だが、王牙は止めなかった。

「鬼人さんに聞きましたけど。沙紀さんっていうんでしたっけ? これじゃあ摩紀さんがそのお姉さんと交わした約束ってのも、たかが知れますよね」

 この瞬間、ぶつん、と御堂の中で何かが切れた。
 かろうじて繋ぎ留めていたいたモノ。かろうじて決壊を防いでいたモノ。
 その全てを、御堂は放り投げた。

「王牙あああああああああ!!」

 雷鳴のごとき咆号。地震のごとき威圧。
 御堂が叫んだ時にはもう、王牙は吹き飛んでいた。

「ぐう……っ」

 冷え固まった地面に、二転、三転と人形のように跳ね転がった男。
 万力のような力で殴られた頬をおさえ、ふらふらと立ち上がる。その立ち上がり方は人体の脆弱さを目の当たりにするような立ち上がり方で、彼は刀を地面に突き刺して支えとし、弱々しい様をさらけ出していた。
 たった一発。
 殴られた頬はすぐに腫れ上がり、王牙は口の中の硬い異物を吐き出した。
 二本の折れた歯だった。

「うう……ぐぅ……っ!」

 御堂の拳は彼に尋常ではない痛みを与えていた。それなのに皇真が出てくる気配はない。
 怒り冷めやらぬ女は早足でふらつく男に近寄り、その制服の襟首をねじり上げた。

「ぐっ」

 呻く王牙の顔に、容赦なくもう一発、拳をぶつける。

「があ……っ」

 ごきっ、という頬骨の軋む音。
 今度は襟を掴まれているため、王牙は吹き飛ばされずに衝撃をもろに受けた。
 御堂は容赦という言葉を知らないのではないかと思わせる程、何度も、何度も、絶え間なく王牙の顔を殴り付ける。

 その度に、王牙の顔からは呻き声よりも大きな、重く痛々しい音が鳴った。
 怒りのままに女は顔を破壊する。

「てめえはさぁ!」

 歯が折れた音。

「調子に乗ってベラベラベラベラと!」

 頬骨が砕けた音。

「何様のつもりだよ!」

 また歯が折れた音。

「たかが知れるだと!?」

 鼻の骨が折れた音。

「姉さんとの約束を――」

 血がそこらじゅうに飛び散る。

「てめぇなんかとの約束と同じにすんじゃねえ!」

 ――ぐちゃあ!
 最後の一発は瑞々しい音を含んでいた。
 顔中、鼻血や口を切った血でまみれた王牙は、襟を離され、そのまま転がってゆく。

「はあ、はあ」

 御堂は汗だくで、肩を上下させて呼吸していた。
 だらりと腕を下げる。何度も休みなく人間の顔を殴り、砕いたその手甲からは相手の血液がどろりと滴り落ち、雪が薄く積もった校庭に点々と跡をつける。
 王牙の顔はひどい有様だった。
 学校中で評判だったその童顔は、今やぼこぼこと腫れ上がり、歯は数本抜けてしまっていた。

「あぁ……ぅ……」

 顔を押さえる左手から、どばどばと鼻血がこぼれ落ちる。
 地面に這いつくばってもがき苦しむ彼の様子を、御堂は怒りの眼差しのまま睨み付けている。
 彼の手には、まだ刀が握られていた。
 殴られている間も、殴り飛ばされても、決して手から離すことはなかった。
 王牙はそれを軸にして、またふらふらと立ち上がる。が、何度も脳を揺らされたために、すぐ地面に膝をついてしまった。
 なぜ、彼がそこまでするのか。御堂にはわからない。

「オーガ。お前じゃ相手にもならないってわかったろ。これ以上苦しむ前に、人格を皇真に――」

「皇真は……出てこない……っ!」

「………」

 意志を曲げようとはしない王牙。
 無言のまま、御堂は握り締めていた拳を開いた。指を伸ばし、指と指の間を広げ、掌を大きく開く。
 殴るだけでは心は変わらなかった。
 ならば――次の段階へ。
 殺すつもりで。












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