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『血鎖の支配』
作:是音



第七章 九


 九、

「それが、七年前に起こった事か」

「そうなるな」

「……姉さん」

 静かな喫茶店の中。一番奥で向かい合うように座った二人。
 御堂摩紀は神野砕牙の話を黙って、時折哀しそうな顔をして最後まで聞きつづけた。
 話し終えた砕牙も一息吐き、御堂の辛そうな目を見てもう一度息を吐く。

「これでお前の望む事を全て話した。お前の姉の仇、純血一族の行く末、そして今これらがどのような状況にあるのか――」
「お前達一族のことなんざ興味ない。ようは姉さんの仇、皇真とかいう奴はまだ生きているという事だな?」

 彼女の目は殺気を帯び、今にも飛び掛ってきそうな勢いで睨み付ける。
 対して男の方は少しだけ目を細めた。とても憐れな者を前にしているかのように。

「皇真は生きている」
「そいつは何処に居る!」
「お前の……身近にいたはずだ」
「なんだと?」

 ますます眉間に皺を寄せる御堂。彼女にはこの男が何を言いたいのかがわからない。だが言い辛そうな感情であるという事だけはわかった。

「御堂、私は言ったな? 皇真は別の人格に入り込んでしまった、と」
「関係ないね。人格がいくつあろうと、身体は一つだろう。まとめて殺すだけだ」
「………」

 この女は本当に何も知らないのだな。と、砕牙は思う。

「……どう動くかはお前の自由だが、一つだけ教えておこう」

 言われて首を傾げる御堂。
 砕牙は一度口をつぐみ、そしてまた開く。

「私は皇真ではない皇真を逃がす時、彼にこう言った。
“名字は血に与えられる呼び名。名前は個人に与えられる呼び名。〈王牙〉、お前は名前だけを大切にしろ”と」

 そう言って、砕牙は口を閉ざした。
 もう彼女には何も語ることがないから。語る必要がなくなったから。
 だんだんと、呆然と目に力が無くなっていく御堂の様子を見れば、砕牙の言いたかった事の意味が伝わったのは、一目瞭然だったから。

「………は?」

 御堂摩紀の方はなんと言ったらよいのか、どういう反応を示したらよいのか、判断ができないくらいに砕牙の言葉を頭に響かせていた。
 ――王牙。そればかりがはっきりとした輪郭を持って脳内を駆け巡る。
 なにも知らない御堂が、この話の中でその名が出てくるなんて、予想できるはずもない。
 ――姉さん。その単語だけを反芻していたのに。
 そこに王牙という単語が混入した途端、彼女の思考は混乱の中へ突き落とされてしまった。落ち着いて整理し始めていた砕牙の話の内容が、一気にばらばらになってしまう。

「なんで、そこで。王牙が出て来るんだよ」

 ごちゃごちゃと、うざったく混み合う思考の中で。彼女は一番表面にあった疑問を口に出してみた。だが目の前の男はなにも言ってはくれない。

「……関係ないじゃん」

 関係ないじゃん。
 だって王牙なんて、ただの一般人だから。事務所でこき使ってる、ただのお気に入りのバイトくんだから。

(た、煙草……)

 気分を落ち着かせようと、煙草の箱に手を伸ばす。
 王牙に買わせた煙草。色々な銘柄を吸ってきた御堂も、今は王牙と同じ銘柄にしている。未成年のくせになかなか旨い煙草を吸っていた。
 箱に片手を乗せただけで、取り出そうとはしない。

「お前、何言ってんだよ。王牙はお前にも一度会ったことあるじゃないか。初対面の態度だったじゃないか」

「一族に居た頃の記憶は消したからな。私もまさかお前のところに居るとは思わなかった」

 あれは夏の暑い日。
 砕牙が御堂に預けていた刀を取りに行った時。
 会話の途中で横からお茶を出してきた高校生が居た。整形をさせていた為に最初は気付かず、なんともなしに砕牙はそれを受け取るだけ。
 しかしその次に御堂が発した言葉。
 ――“オーガか”
 それを聞いてどれだけ驚いた事か。鬼人と呼ばれた男は動揺と興奮を隠し切れなかった。それ以前の五月頃、皇真らしき者をこの街で見たという報告を受けていた砕牙はもしや、と思っていた。
 自分に茶を出した後、ソファに寝転んで本を読み出した彼に名を尋ねると、
 ――“王牙”
 と、当たり前のように返された。

「混乱しているのなら、もう一度言ってやるぞ。御堂、〈皇真と王牙は、同一人物だ〉」

「……なんだよ。それ」

 皇真の中に作られた人格が、神野王牙じんのおうがであるという事。
 御堂自身、神野かんや家という存在を知ったときは、読み方が違うだけで変だとは思った。過去のデータが無い事も変だと思った。
 御堂も馬鹿ではない。もしかしたら純血一族なのかもしれないという疑いまで持っていた。たとえもしそうだとわかっても彼女は気にしなかった。御堂には九条八雲のような友人も居たように、純血一族に興味がなかったから。
 なのに……。

「王牙が……姉さんの仇と同一人物?」

 抱いていた懸念や疑いがまるごと払拭されてしまうほど、事実は御堂の予測をずっとずっと、残酷なまでに上回っていた。

「王牙と皇真が、一つの身体だと!?」

 誰に向けるわけでもなく、御堂は怒声を吐き出していた。

「ずっと、ずっと一緒にいたんだぞ! 王牙は王牙だ! 私の大事な手駒なんだぞ! 私の……」
「だが、皇真は目覚めた」
「………」
「皇真も、お前を探しているのだろう。だから神野を抜けたがっていたのだと、私はそう思う」

 御堂は姉の仇を追い求めつづけ、皇真は殺した女の妹を追い求めた。
 ならば。
 二人は出会わなければならない。決着をつけなければならない。

「どうする御堂」
「どうするって……」
「迷っているのか?」
「………」
「お前は王牙を好いているのではないか?」
「………っ!」

 手元に置かれた煙草の箱を見つめ、御堂は自分の顔が熱くなるのを感じた。

「お前が姉以外の存在をそばに置いていることもまた珍しい。まったく、私には初めての事が多すぎる」
「………」
「で、どうするのだ」

 チッ、と舌を打つ音。御堂は片手にはめていた手甲を外し、無言でアタッシュケースの中へしまい始めた。その顔は強張ったまま。
 静かだが暖房機の音が気になる店内に、かちゃかちゃと金属のこすれる音が響いた。

「鬼桜」

 ぱちん、と蓋を閉めながら、女は口から単語を呟く。

「そこで決着をつける」

 それが、御堂摩紀の答え。死神の決断だった。

「私は殺す」

 仇の命を取る。それはつまり、同じ身体を共有する王牙の命も奪うという事。
 砕牙に言われた通り。御堂は王牙を好いていたのだろう。姉が死んでからは仕事以外の、プライベートで人と共に過ごすなど、有り得なかった。そして今の決断を一度躊躇した時点で、それは明白だった。
 それでも最後には、御堂摩紀という名の死神は姉の敵討ちを選んだ。自分の分身を殺した仇を討つ方を、選んだのだ。
 本物の死神になる事を決めた七年前の冬。今さらそれを、七年間の生きてきた意味を、曲げる事なんてできない。
(坊や相手に一目惚れ……だなんてとても言えないね。二十四にもなって年甲斐の無い)
 御堂は煙草の箱を手に取り、苦笑した。
 王牙に買ってこさせた煙草も、残り少ない。その中の一本を抜き取り、口でくわえる。
 もう一本を箱から覗かせると、目の前の男へ差し出した。

「お前は吸わないんだっけ?」
「いや、貰おう」

 少し微笑んで、砕牙は差し出された箱から煙草を引き抜いた。
 御堂のライターで互いに互いの煙草に火を点けあい、二人同時に煙を吐き出す。
 この一連の動作は、ティンダロス時代からのメンバーしか知らない御堂の信頼表現でもあった。

「なあ鬼人、どうして私に純血一族の、しかも当主しか知ってはいけない事を話したのさ?」
「それはな。王牙が、破滅の物語でもあるからだ」

 ますます厄介な雑用係だ。と御堂は思った。

「自然発生能力者ということか。王牙が」
「ああ。おかしいとは思わなかったか? 彼自身は一般人であったにも関わらず、この一年で多くの異形と出会ったはずだ。たった一年で」

 確かにおかしい。王牙はこの短い期間でたくさんの能力者や力有る者と関わった。その出会いは偶然とは言えず、奇異を感じるほどの数。
 獣人に始まり、死神、言霊使い、圧縮ピエロ、鬼人、赤き潰し屋、生命の研究者、実験体。そして神野家の異端児、皇真。王牙の住むこの街でも、出会いはしなかったものの知らず知らずのうちに多くの異形が集まっていた。
 まるで王牙という磁石と、それに集まる砂鉄のように。

「彼は力有る者を呼び寄せる能力者だ。今は些細かもしれんが、究極的に考えれば世界中の異形がいずれ一度は彼と接触するということも考えられる。その時、皇真と王牙が共に居たら最悪の事態となる」

「集まってきたそいつらを一人づつ殺していけば、最後に残る力有る者は皇真と王牙だけになるってことかい」

「その通り。王牙が引き寄せ、私に匹敵する潜在力を持った皇真が駆逐する。自然発生能力者も、呪詛能力者も、高い技術を持った裏稼業も。それをくり返せば御堂、お前の言う通り最後に残るのは彼らだけとなる」

 もくもくと煙に包まれながら砕牙は語る。こればかりは砕牙自身が総当主として背負うべき事で、御堂にここまで話すつもりはなかった。
 煙草一本の礼、にしてはいささか不釣合いかもしれない。

「でもさ、それじゃあ世界は滅びたりしないだろ。この世界に力有る者が何人居ると思ってるんだよ」

 御堂の意見に砕牙は首を横に振る。

「先ほど忌部成吉の話をしたな。彼は死にかけの人間から人格を抜き取り、内に入れることができる。そういう自然発生能力者だ。さらに忌部家の呪詛能力も持ち合わせており、容易に人を殺せる」

「……なるほど。組み合わせ次第ってことね」

 納得したように頷く。
 もし、忌部成吉のように人格を内に入れることができる能力者が、この先たくさん現れたらどうなるか。生きる者達のほとんどが、能力者の中に入れられたらどうなるか。無数の人格が一つの器に入る。これはつまり、その器自体が世界になってしまうのではないだろうか。
 そしてその器は、まぎれもない能力者。
 能力者を引き寄せる王牙のような人間に呼び寄せられ、殺されてしまったら。器を破壊されてしまったら。……その世界は滅ぶ。
 事実、成吉の中には現在二十人が存在し、成吉という世界の中で生きている。二十人だから家族と表しているが、これが何千、何万と増え、何億となったら国と表すのか。もっと規模が大きくなって初めて世界となるのか。問題は数ではない。多かれ少なかれ同じ事なのだ。
 そんな連中を、神野砕牙は敵に回す覚悟をしている。その為に今も必死で動いているはず。
 成吉は神野の特務という命令を守り、人格を増やさぬようにしているが、もし世界に反旗を翻した時、砕牙は天下無双と呼ばれたその力を以ってすぐさま首を刎ねるだろう。

 御堂は目の前の男が背負っている事の重さを理解した。

「つまり、私が皇真を殺さなかったら、お前が代わりに王牙を殺す。そういうことだな?」

 言われ、砕牙は首肯した。弟の皇真と、自然発生能力者の王牙が同一人物であるという事は、この男にとっても悲劇的な事なのだ。今度こそ、皇真を助けたりすることはできない。純血一族の掟という偽りではなく、真の使命というものの前に立ってしまったのだから。
 御堂は短くなった煙草を灰皿に押し付け、砕牙も同じ行動をした。

「鬼人……じゃなくて砕牙と呼ぼうか。砕牙、私は明日の晩、恵西高校の桜の前で待つ。と、そう坊や達に伝えてくれ」

「承ろう」

 先に席を立つ女。その顔に喜怒哀楽は見られず、砕牙には彼女がただ機械的に行動しているように思えた。御堂はすたすたと細く長い足を動かして喫茶店を出て行ってしまう。
 残された男は小さく溜め息を漏らした。

「この私に奢れ……ということか?」

 テーブルの上に残された領収書を一瞥し、それを掴んで立ち上がる。漆黒の着物がするりと擦れる音と共に、また溜め息を漏らす。
 最近妙に溜め息が多いな。そんなことを考えながら喫茶店を出ようとしたところで――

「きゃっ」

 砕牙は店に入ってきた少女とぶつかってしまった。

「おっと。失礼」

 見れば少女は二人連れで、制服を着ている。
 女子高生なのだろう。

「あ。す、すみません!」

 ぶつかった少女はぺこりと頭を下げつつも、目は男の身体を眺めている。無理もない。その男はそこらでは見かけない黒い着物に身を包み、さらに異常な長さの刀を腰に差しているのだから。
 砕牙は彼女の視線には気を向けず、落ちた鞄やら買い物袋やらを拾ってやった。
 純血一族の彼が殺人衝動を覚えないのは、長年の修行の賜物だ。

「ありがとうございます!」

 ぶつかった少女は渡されたそれらを受け取り、足早に店の奥へと入って行った。
 彼女のうしろにずっと立っていたもう一人の少女。その子は友人が鞄を落としても、店の中へ入ってしまっても、ずっとその場に立ったまま動かなかった。砕牙を見たまま、固まっていた。

「あ。その……」

「………」

 砕牙は何か言いたげな少女に無言で笑顔を向け、その肩に手を乗せた。
 少女の腕に付いている〈新聞部〉と書かれた腕章が、ぴくりと揺れる。

「お前にも、力を借りる刻が来る」
「は、はい……」

 小声で少女に語りかけた砕牙はそのまま歩みを進め、未だ固まる少女に背中越しに、

「頼りにしているぞ。式神」

 そう呟いて去って行った。

「……え」

 驚いた顔で少女は後ろを振り向くも、既に漆黒の着物姿はどこにも居なかった。
 呆然とその場に立ち尽くし、そのまま店の中から外を眺めつづけていたが、

「おーい、美央ちゃーん、どうしたの?」

 友人に呼ばれて我に返り、店の奥へと駆けていった。

「ううん、なんでもないよ波遠」

 やはり、店の中には全然客が居ない。
 暖房だけは、しっかりと効いていた。

 ◇ ◇ ◇

 街の大通りを歩く黒衣の男。腰には異常に長い刀を差している。
 そんな目立つ格好で人混みの中を歩いているにもかかわらず、誰も彼の存在に気付いていない。

(おやおや。もしかするとあの喫茶店にも、破滅の……)
「おっと、まあ良い。今は我が弟と三年振りの再会のほうが重要だな」

 一人呟き、笑う。
 ここで彼の肩にぶつかってしまった者が居たのだが、その一般人が振り向いても、ぶつかったはずの相手の姿は何処にも無かった。












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