第七章 八、《SAIGA memory 3》
八、《SAIGA memory 3》
再び戻った惨劇の室内。もはやこの異臭には慣れてしまい、私と皇真は荒い呼吸で中を進んだ。
分家の男が誰かを抱えてこちらを呼んでいる。忌部の生き残りを見つけたらしい。抱えられていたのは青年で、なんと無傷でこの状況を生き延びていた。
私たちが近くまでやって来ると、彼を保護した男が頬を軽く叩く。
「おい、名を申せ」
すると青年は薄目をあけ、与えられた水を飲んでから私たちの方へ目をやる。
我々が神野の人間だということを理解したようだ。
「……忌部成吉と、申します」
それが彼の名だった。忌部家で唯一生き残った者の名前。
しかし次に口を開いた時、彼はまた別の名を名乗った。
『そして私は、忌部裏吉でございます。砕牙様』
……成吉がふざけているものだと、最初は思った。裏吉は当主の名であり、そしてもう死んだ者の名前なのだから。
だがよく考えてみると、この成吉は私の顔と名前を知らない筈。そして私の顔と名前を一致させることができる人間は、他家系では当主という身分の者だけなのだ。
つまり、成吉の口から発せられているこの声は、当主の裏吉のもので相違ないということ。裏吉の人格が、成吉の中に入っている……?
「これはどういう事だ、裏吉」
『わかりませぬ。気付けば、死んだはずの私たちは、この成吉の中におりました』
「私たち……だと?」
声色は違えど、口調は私の知る裏吉のものだ。そして今の言葉から察するに、成吉の中に入ってしまったのは一人ではないらしい。
それを証明するかのように、目の前の成吉が目線を私からゆっくりと皇真へ移す。そして成吉の手が持ち上がり、そのまま、私と成吉の会話を聞くばかりだった皇真の着物の袖を突然つかみ、
『皇真くん』
まるで娘子のような口調でそう言ったのだ。成吉も、もちろん裏吉もこのように皇真を呼ばない。
呼ばれた皇真も目を見開いている。
『皇真くん。わたし』
「こ、小町?」
皇真が訊ねるが、相手の瞳にはもう成吉の色が戻っていた。
「そう。今のは小町です。我が父、裏吉をはじめとする二十人が、中におります」
一人や二人どころではない。二十人分もの人格が成吉の中に……。こんな例は聞いたことがない。
どうやら中に入った者達は喋ることしかできないようだ。しかも長く出ていられない。
一体なんなのだこの現象は。私はこの屋敷でこれほど悩むことになろうとは思っていなかった。
死んだ者の意識を自分の内にしまう能力。これは忌部の呪詛能力ではない未知の能力。
未知の……能力とは。
「まさか成吉。お前は自然発生能力者でもあるのか?」
口に出してから私自身も驚いた。父から受け継ぐ事になる使命がもう身に染み渡っているという事か。当然、皇真と分家の男の口から声が漏れ出す。
「兄貴! まさか……」
「砕牙様、純血一族にも〈破滅の物語〉が?」
こやつらは知らない。が、父の言っていた約束の刻が迫ってきているということか。これはその予兆。
この事は成吉自身と皇真、分家の者、そして私しか知らない。父は内密に片付けろという意志を示していた。こういう事態を見越して。
「よし。これから成吉を神野家当主に会わせる。成吉の現象については決して口外するでない。この事態の真相についても、だ」
皇真と分家の者は黙って頷く。その様子から、彼らもしっかり考えていたとみえる。家系が一つ壊滅したのだ。これが明るみになれば他の家系に混乱が起き、神野家の統率に揺らぎが生じる。
そうと決まればここに長居する必要はない。
此処。死に満ち溢れた忌部の屋敷。今やそこらじゅうから、ぱきぱきと氷の割れるような音が聞こえてくる。
血が固まる音だ。
忌部家の能力は、血を鉄並みの硬度で凝固させることができる。つまり、これは屋敷中に染み付いた彼らの血液が凝固する音なのだ。
私は忌部の奏でる血の不協和音を背に受けつつ、衰弱した成吉を肩に担いで最後に屋敷の敷地から出た。皇真は分家の男に付き添わせて先に戻らせた。
門から出たところで、肩に乗った青年の顔を見る。彼の中には、二十人の忌部がまだ存在する。忌部は滅びたのではなく、彼自身が忌部家となったのだ。
日本人であるのに金色に輝く髪。これこそ忌部家の証。
「お前は生き延びねばならんぞ。私には、お前たちの力が必要だ」
眠る成吉にそう言い、顔を前方へ向ける。
神野本家へ帰る前に、やる事があった。私は腰に差した刀の柄に手を当てる。
「いいかげん出てきたらどうだ」
しん、と静まり返る忌部屋敷の前に、私の声だけが響く。だが聞いている筈だ。これほどわかりやすく殺気を出しているのだからな。
ずっと感じていた気配だ。蜘蛛を送り、成吉を見つけたときから。手を出すわけでもなく、ただじっと、殺気をさらけ出したままこちらを窺っていた。無論、皇真と分家の男も気付いていただろうが、私が放っておいたので彼らもそうしていた。
殺気は四つ。
「クインテット。と、そう呼ぶのだったか。お前達は」
そやつらは決して私に姿を見せようとはせず、殺気だけをただ私に叩きつけてくる。
否。私ではなく成吉に、か。
憎悪。その邪な感情の化身とも思えるくらい、殺気は強い。
「もはや……」
声が風に乗って聞こえてくる。
「もはや我々は」
「五重奏ではない」
「一人が死んで四重奏」
「そして純血一族を……恨む者」
我々を恨む者、か。蜘蛛を殺した我々を。おそらく彼女は一人だけで各屋敷を襲ったのだ。そして彼女の部下であるこやつらは……間に合わなかった。駆けつけたときには全てが終わり、自分達はただ憎しみと悲しみと悔しさだけを抱き、そして仲間の一人と蜘蛛を殺した忌部家の人間を、その眼に焼き付けていたのだ。
実に賢い。今出ても私に殺されるとわかっている。感情に任せて動くような愚かな真似をしない。蜘蛛の為に。
こちらも位置は把握できている。だが私もあえて動こうとはしない。
「蜘蛛の部下だな」
私の一言で殺気が強まった。まだ、強くなるか。びりびりと頬を撫でられているのがわかる。
「主人を殺した純血一族」
「復讐だ」
「たとえ何年かかってでも」
「貴様らを必ず滅ぼしてくれる」
……今、斬り捨てるべきだ。そう思ったが、私は動かなかった。その隙に四つの殺気は、一瞬にしてこの場から消え去った。
なぜ私は動かなかったのか。あやつらはこの先、我らの障害となる宣言をしていたにもかかわらず。死神の真似ではないが、私は興味があったのだ。私の戦友であった蜘蛛という女が、どれほどの器量であったのか。どれほど慕われていたのか。それをあのカルテットという連中は復讐という形で示してくれる。だから、見届けてみようと、そう思った。
……復讐。
復讐は復讐を呼び、まるで螺旋のように続く。果たしてこの繰り返しの物語は終わるのだろうか。もしかしたら、今私が止めなかったことで永遠に続くのではなかろうか。そんな気持ちになる。もしかしたらそういった感情でも、世界は崩壊してしまうのかもしれない。
私は人前では決して見せたりはしない表情で溜め息を吐く。
未来の協力者を肩に乗せたまま、再び歩き出した。
◇
赤い血痕を白いコートに付着させた青年を前に、父は〈ううむ〉と唸った。
私を始め、忌部の屋敷へ赴いた二人の分家人、一部始終を目撃した皇真は、父の和室の中にて成吉の後ろで静かに座っていた。
そして父は結論を出す。
「この一件、忌部家の謀反ということにする。そして神野家が忌部家を全滅させた。そう一族全体に報告する。蜘蛛という女については、闇に隠せ。忌部の屋敷はすべて焼き払う」
やはりそう来たか。と、半ば予想していた私は目を細めて思った。
ティンダロスの猟犬、その戦闘員が関与したこの事件。もし一族中に知れ渡れば、当然のことながら危険勢力同士の戦争に発展する。勢力の統合を唱える父としてはそれだけは避けたいのだ。
忌部を〈討伐〉したのが神野家だという事にすれば、問題ない。神野家の脅威が増すというだけ。
私以外の、隣に並んだ三人は目を丸くしていたが、成吉は凛としてその言葉を受けた。
「では当主様。他の者に私の存在を知られる前に、私めの首を。生き残りが居てはその案も成り立ちますまい」
「いや、成吉。お前は生かす」
「は?」
「生き残りであり、破滅の物語でもあるお前は本来今すぐに殺すべきだろう。しかし、お前は一人ではない。今やお前自身が忌部家なのだ。そして事実、忌部家は神野家に対し、一度も手など出してはおらん。その家系をどうして滅ぼす必要があろうか」
「し、しかし……」
ここで父は咳払いをして、成吉の意見を遮った。
「忌部家には特務を与える」
「特務……で、ございますか」
動揺する成吉と同じく、私にも父の考えがまったく読めず、結果として父の前に座した五人全員が首を傾げることとなった。
「そう、特務だ。破滅の物語であるお前達にしかできぬ仕事」
父はあえて成吉とは言わず、忌部家自身が破滅の物語であるかのような言い方をした。
「破滅の物語には、破滅の物語を呼ぶ力がある。これはより早く世界を滅ぼす、禁忌の中枢となる為の力であろう。また同時に強い力を有する者も集まる。これを利用せぬ手はない。忌部家は、呪詛封じを施され一般社会に溶け込んでいる純血一族を探し出し、接触せよ」
「呪詛封じを施された者達……」
父の言葉を反芻した成吉に、父は強い眼差しを向けて頷いた。
「呪詛封じは幼少期で能力の弱い者に施される。戦う能力のない者には情報収集という役割を与えてやる為だ。しかしながら幼少期は力が弱くとも、年を経るにつれて絶大な力を開花させる者がごく稀に居る。そういった能力者はほとんどが発見されることなく呪詛を封じられたまま一生を終えるが、もし発見した時、その者は式神にも成りうる強さを得ているのだ」
私の隣に座る皇真の喉から、ごくりと息を飲む音が聞こえた。皇真を挟んだ反対側に座る分家の二人も、よもや自分達がこれほどまで重要な話を聞くことになろうとは思いもよらなかっただろう。私でさえ、今から闇に葬られる事実の中に居る事が信じられない。
成吉は父の話を聞き、頷く。その必要性、重要性を理解したのだろう。
「その、封じられし力有る同胞達を、我らが探し出し、解放せよと」
「そうだ。封を解いた時、まだまだ未熟であるやもしれん。だがお前が選んだ人間は、必ずや次期式神候補と成りうる。そう信じておる」
「これほどまでに重要な命、父の裏吉も内でさぞ喜んでいることでしょう」
「うむ。だが裏吉は肉体を失った。今からは成吉、お前が式神を名乗り、この神野の為に死力を尽くすがよい。約束の刻が訪れる、その時まで」
「はっ」
こうして忌部家は純血一族からその存在を消し、密かに特命を遂行することとなった。これが、純血一族の歴史上では失われたとされている一つの家系の、真相。
失われた筈の十二番目の式神は、神野家当主から最も信頼される式神となったのだ。
その後、私たちは当然この件を口外することを父に禁じられた。
皇真がどれだけ忌部家が気に入っていて、どれだけ歯がゆい思いをしたのかは、正直私では計り知ることができない。
しかし日常に戻った弟は、普段通り口が悪く、態度の悪い餓鬼に戻っていた。
ただ。
時折、私が神野家の中庭へ足を運ぶと皇真は必ずそこに居た。いつも鬼桜の木の根元をじっと見たまま動かない。
きっと、あの雪降る日に現れた蜘蛛について考えているのだろう。
春に差し掛かり、鬼桜の花は散り始めている。なのに皇真は、あの日から時を止めているかのように、木の根元を眺めつづけた。
ある日、もはや日課のようになってしまった皇真のその姿に、私はついに身体を動かした。
私が隣に立って一緒に木を眺めてみても、彼は反応を示さない。普段なら『珍しいじゃねえか兄貴。やっと弟様の感性に付いてこられるようになったか』くらいの軽口をたたいてみせるはずなのだが。
「後悔……しているのか?」
私が問うと、皇真は呆けた目で桜の木を見つめたまま、
「ん……」
と声を出した。構わず私は続ける。
「あの日、忌部家を襲った女。彼女の腹に杭を突き刺してしまった事を悔やんでいるから、こうして散り始めた鬼桜を毎日眺めているのか?」
皇真は言葉にされて苦い顔をしたが、少し考える素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「後悔、はしてねえよ。あの女、刺した後に事情を語りやがったから。俺様が気にしてるのはあの時の俺様自身の判断とか、そういうのじゃねえんだよ」
今日だけは言葉遣い注意するのを控えようと思っていたのだが、やはり神野家の人間としていささか品が欠けている。言っても直らないのだから質が悪い。
「あのさ。あの女さ、すっげえ良い奴だと思うのな」
「ほう」
「そりゃあ怒って何十人も切り刻んだのはいただけねえけど。でも、仲間を一人殺されて、いくら大事だからってあそこまでやる勇気がすげえよ。相手は純血一族だぜ?」
私は驚いた。皇真が他人を誉める事は滅多にないことだからだ。
「純血一族にも勝る仲間意識に感心したのか」
「違えよ。違え。ありゃあ仲間意識とか簡単な言葉で表せるもんじゃねえ。なんつーか。うーん。命の重さを……誰よりも知ってる感じがした」
私はむしろあの瞬間にここまで彼女の性格を読み取った弟に感心してしまう。
「我が弟にそこまで興味を抱かせるのだから、相当なのだろうな」
「うん。一度、ゆっくりと話がしてみたい奴だった」
「ゆっくりと? お前がか?」
思わず笑ってしまう。皇真からゆっくりという言葉が出るなど、予想だにしていなかった。また雪でも降るのではないかと思ってしまう。
「仕方ねえだろ! そういう雰囲気を出してる女だったんだから」
「まあな」
奴はそういう女だったな。と、私は彼女の性格を思い出して頷いた。
「で、お前は会って何を話したいんだ?」
「それを、ずっと考えてたんだ。死んだ奴と話す事なんてできねえのに」
「………」
「色々と話がしたかったんだが。いざ考えてみると思い浮かばないもんだな」
おかしな奴だ。なぜ、皆はあの女に惹かれるのだ。それほどの物をあの女が持っていたとは思えん。皇真にここまで興味を抱かせる蜘蛛は、一体何者だったのか。
私はあのカルテット達を逃がして正解だと思った。本人は死んだが、彼女を追う者は私の身近に居る。私の同僚である蜘蛛の妹、我らを狙う蜘蛛の部下、蜘蛛を殺した我が弟。手がかりは……ある。
「ふふ」
突然吹きだすように笑った私に、皇真が怪訝な顔をする。
「なんだよいきなり」
「いや、私も……いつの間にか惹かれている。そう思ったら笑えてきてな」
「兄貴が笑うとこなんて久しく見てなかったぞ」
「そうか? まあ良い。それで結局お前は話したい事とやらが思いつかないのか? 一つも」
「いや、一つは思いついた」
あれだけ悩んでたった一つしか思い浮かばないとは。つくづく興味があるよ。蜘蛛。
「俺様は、あの女を勢いで刺しちまうような俺様は、命を重んじてはいないのか。それを訊いてみたい」
殺した者に訊く事にしては……矛盾が過ぎる。
そんなものは自分で考えろ、そう言われても仕方のない疑問だ。
しかし蜘蛛ならなんと答えるだろうか。聞いてみたくもある。
「彼女の妹なら……居るのだが」
私の何気ない一言。
それを聞いた皇真は冷水を浴びた時のような顔でこちらを見ていた。
「あの女に妹がいるのか!?」
「ああ」
蜘蛛の妹。死神と呼ばれている女。性格は姉妹で違いすぎるが……。
皇真は、その言葉を待っていたかのような勢いで私の一言に食いついた。
「そっか。そっか。妹が……」
「奴の妹が、どうかしたか」
「ん、いや。あのさ兄貴」
下を見て呟いていた皇真は、真剣そのものの顔で私に向き直る。今日は、本当に大雪かもしれない。
動揺を隠して返事をする。
「なんだ」
「一つ、頼みがある」
◇
私の弟が人に頼みごとをするのは珍しい事だった。
彼はあの女と出会い、何かを悟り、少し変わった。そして私も、父の話を聞いたことで変わり始めていたのかもしれない。
皇真と私は兄弟であっても、滅多に会話を交わさないような関係だった。というのも私自身が幼き頃より殺しの才を見出され、ほとんど神野家ではなく戦地で生きてきたからだ。故に皇真と私の関係は、兄弟というよりもむしろ他人に近い。そして二人共、別にそれについてなんとも思ってはおらず、そのまま時が過ぎ今に到っている。
ところがここ最近の私は、皇真に少しずつ興味を持ち始めていた。
忌部の屋敷で呆然と、哀しげに立ち尽くしていた我が弟。あんな姿は初めて見た。彼がなにを思い、なにを考えているのか知りたくなった。
そう考えていた時に、彼の方から私へ頼み事などというものをしてきたのだ。私と同様、彼も私に興味を持ったのだろうか。思えば皇真と行動を共にしたのは、忌部の屋敷での一件が初めて。
私は自分に呆れてしまった。少し近づくだけで初めての事ばかりが露呈し、兄として情けなく思えた。
故に、せめて彼の頼みくらいは聞きいれてやる事にした。彼は私にこう頼んだ。
“俺様は、神野を出たい”
“……そうか”
何故、皇真がそのような望みを持ったのかはわからない。初めてだらけの兄にわかるはずもない。
しかし、それがたとえ掟を破る望みであっても、彼を優先した。家族の為だと考えると、家族内での掟を破ることには不思議と罪悪を感じず、父や歴代の総当主もこの矛盾に頭を悩ませていたのかもしれないと思った。
“では、もうしばし待て”
“どうして?”
“父上はもう長くない。次期総当主を決める儀式が行われるのも、そう遠くはないだろう”
私の言葉に、皇真は苦虫を噛み潰したような顔を見せていた。
“儀式……。あの狂った殺し合いかよ”
私には理解できないが、あの儀式は彼にとって狂った殺し合いでしかないらしい。
“そんなもんに何の意味が……”
“お前をその儀式の最中に逃がす”
神野から抜けるには、それが最も確実な方法。というより、そうでなければ私はこの弟を殺さなければならなくなる。儀式で生き残って良いのは、一人だけと決められている故。つまり、皇真を殺した事にして、逃がす。
ただ、もう一つ問題が残っている。
“皇真、お前には純血一族の血が流れている。一族の人間が、一族を抜けても普通には生きられん”
“殺人衝動ってやつか。厄介な血だな”
“それについては私が考えておく。場合によってはお前の身体に魔術的、呪術的な処置を施すかも知れん。それでも一族を抜けたいか?”
皇真は少し考えたが、最後には頷いて承諾した。
こうして私は弟のたった一つの頼みごとを受け入れたのだった。神野家から、純血一族から抜け出すという最大の禁忌。次期総当主だと言われた私が掟を破るなど前代未聞であろう。だが時代は変わるのだ。私が、そう、私がこの先を見据えた上で判断し、新たな歴史を刻む。これはその先駆けだ。
それからは模索の日々。皇真が一族を抜けても一般の社会に溶け込める方法を探し続けた。父が亡くなれば即、次期総当主を決める儀式が執り行われる。父の命が期限。故に私は毎日のように父の様子を確認しつづけた。
とにかく情報が必要。
幸いなことに私は秘密ながらも純血一族とティンダロスの猟犬の二勢力に属す人間。その仕事柄、数少ない魔術や呪術の研究家と接する機会があり、とにかくそれらの資料を集め、知識を吸収した。が、良い結果は得られなかった。
行き詰まりを感じて頭を悩ませていた時、ふとある言葉が脳裏を過ぎった。
――純血一族の運命を、たくさんの愛すべき家族と共に見届けよ。
それは父が私に語った言葉の一つだった。
(愛すべき家族……)
これからは支配で繋がったままでは乗り切れない時代が来る。血鎖は縛るものではなく、結ぶもの。
十三家系が力を合わせて世界を守らねばならない。
(力を……合わせる)
そう考えたとき、一筋の光が差し込んだ気がした。
そう。魔術でも呪術でも開けなかった道が、我々の力ならば切り開く事ができるかもしれないと思ったのだ。
思いついたら後は早かった。私はすぐさま九条家と日向家の長――二人の式神――を呼び寄せ、ある一つの問いをした。
“……できそうか?”
二人の長は互いの顔を見合い、そして自信なさげながらも頷いた。
“如何せん過去に例を見ぬご提案でありますゆえ、確実とは言えませぬが。はい、この九条の〈圧縮〉と――”
“この日向の〈言霊〉を利用すれば、不可能ではないと思われます”
不可能ではない。それで十分。もとより初めての事に確実性など求めてはいない。
皇真を一般社会へ溶け込ませる為に考えつづけ、その末に到った私の答え。それは〈二重人格〉。
一つの身体に二つの人格、つまり皇真とは別の人格を創りだすことで、殺人衝動を抑えるのだ。
たしかに呪詛は血に宿っている為、人格をいくつ内に持とうが意味はないと思える。しかしこの問題はすぐに解決した。
忌部成吉という、実例があったのだ。彼の中には二十人分もの人格が居る。だが忌部家の凝血能力は成吉にしか使えないという事は確認済みなのだ。つまりたとえ血に呪詛を宿してはいても、その効果を受けるのは一つの人格のみであるという事。
成吉のように必要に応じて人格を転換させれば、自由に殺人衝動を抑えることができる。
理論上は。
その頃は父の病が悪化しており、私はすぐさまこの案を皇真に話してやった。
ただし、方法だけは教える事ができない。まだまだ未知の方法であるゆえ、彼が知って自分の身体に妙な処置を加えるのは危険だからだ。
話を聞いた皇真は、
“本当かよ兄貴、すげえな!”
と、そう明るく応えた。
実のところもう一つの人格を自分の中に入れるという事に、間違いなく拒絶の意を示すだろうと思っていた私は驚いた。まるで気にもしていない弟の感性に、ひどく苦笑したものだ。
皇真の承諾を得た後は、すぐさま日向と九条の長による内密の協力で人格精製は行われた。
原理を簡単に述べるとこうなる。
まず九条の精神圧縮という力によって皇真の心を圧縮して隙間を作る。心とは対象に触発され、知覚、感情、理性、意志の活動、喜怒哀楽、愛憎、嫉妬のような精神作用を統合的にとらえたものをそう称するが、それを圧縮するのは九条家の人間にしかわからない感覚的な技術だ。
次に日向家の言霊という力で皇真の身体自身に新たな人格を作らせる。そう、言霊とは常に対象に何かをさせる事しかできないが、条件が揃えば対象はなんでもする。皇真の意識ではなく身体自身に、中の人格が消えたと錯覚させ、人格形成のプロセスを高速で行わせる事も可能なのだ。これで皇真の人格が眠っている隙に新たな人格を精製できる。
ここまで到達すれば、あとは九条が絶妙な人格のバランス調節を行い、二つのそれが自由に転換できるようにすれば完了である。
そうして全ては私の理論通りに進み、皇真の中にもう一つの人格を作り出すことに成功した。
これで次期総当主決定の儀式で彼を逃がす準備は整ったというわけだ。
私が眠っている皇真の頬を軽く叩くと、彼は薄目を開けて私を見た。
“皇真、喜べ。人格の精製に成功したぞ”
“………”
“どうした?”
“あ……えっと。あんたは……誰だ?”
出てきたのは生まれたばかりの人格の方だった。日向の長いわく、形成プロセスの時間からして歳は中学生くらいだという。この時の皇真と同じくらいか。
私はもう一度、彼の頬を叩いて皇真を呼ぶ。
嫌な予感がした。
“皇真。出てくるんだ”
“……痛いよ。どこだ此処?”
“皇真!”
“だから痛いってば。……誰?”
“な……っ”
結局いつまで経っても皇真は出てこなかった。完全に新たな人格に身体を乗っ取られ、元の人格は奥へと入り込んでしまったのだ。九条の処置は完璧だった。原因が何ひとつわからない。手の打ちようがない。
私は絶望した。弟のたった一つの頼みを叶えてやることもできず、それどころか弟の人格まで消してしまった自分の愚かさを呪った。
神野皇真はもう、神野皇真ではなくなっていた。
私が研究を始めてから四年が経過した頃の、悲劇だった。四年を費やした私の出した結果。それは弟を失うという、あまりにふざけきった結果。
それからすぐ、長年病と闘い続けた父が亡くなった。
当然、儀式は行われる。
(結局、私がお前にしてやれるのはこのくらいか)
儀式当日、私は皇真ではない皇真を連れて参加し、彼を一族から逃がす事に決めた。全く別人の、能力すら持たない彼はいずれ露見する。それに、これは皇真のたった一つの頼みごとでもあったからな。
その時は、何者かが屋敷に火を放つという予想外の事態が起こったものの、私はなんとかその騒ぎに紛れて彼を逃がす事に成功した。
彼を逃がした後、私は屋敷内の神野家の人間全てを殺し、父の言った通り神野家の当主となった。もう、家族を殺すのはこれで最後にしたかった。だが、少なくとも約束の刻が訪れるまで、この無常なる家族関係は続くのだろう。
私は、私の元から去っていった彼を思った。
私と皇真の字を一つずつ取った名前を与えた、何も知らぬ彼を。
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