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『血鎖の支配』
作:是音



第七章 七、《SAIGA memory 2》


 七、《SAIGA memory 2》

 それから数日がたった巳の刻。
 その日も私は父の隣で鬼桜と雪の絡み合いに見入っていた。
 音を楽しみ、景色を楽しむ。
 日本は他国と違い、自然の移り変わりそのものに美を見る。手を加えず、状態をとどめようとはしない。移り変わるからこそ、その刹那の景色に貴重さを見出す。
 私はその感性が好きで、自分はやはり日本の伝統という普遍の中にも含まれているのだな、と自覚した。不思議な気分だった。
 しかしそんな静寂と雰囲気は、突然の声と共に消え失せた。

「御目通り願う!」

 どたどたと何人分もの足音が近づいてくる。
 せわしなく床を響かせる音。しかしこの屋敷でそんな音を聞くのは珍しい事だ。私は父のそばを離れ、素早く部屋の外へ出た。この部屋は離れにあり、ここへ来るという事はつまり父に用があるという事だろう。しかし無礼にも程がある。
 その者達に一喝。

「当主は療養中の身であるぞ! それを知っての上でこの喧噪か!」

 無論知っての上ではあろうが、いかなる理由があろうと当主である父の前に出るからには礼を弁えるのは当然の事。
 しかし、その者達を見た私は事態を察した。
 廊下には筆で書いたように赤い線が続いていた。
 そして横に並ぶ三人の男。血塗れの男を、二人で両脇から支えていた。支えているのは神野の分家に所属する二人で間違いはないのだが、支えられている男の方は見覚えがない。もはや赤く染まってわかりづらいが、羽織っているものが白地で丈が長いことから、そいつが忌部家の人間であることはわかった。
 男には片腕がない。さらに各所を切り刻まれ、片目は潰れていた。止血が済んでいないのに無理矢理身体を動かしてきたのだろう。全身に巻いた包帯から血がにじみ、足から地面へと垂れている。
 私に気付いた分家の一人が顔を上げた。

「さ、砕牙様! 申し訳ございません、この者が……」

「いや、いい」

 私は説明を始めようとするその者を制して、満身創痍の男に近づいた。なにか必死に伝えようと私に視線を向けていたからだ。

「某……忌部家副当主、忌部赤具いんべせきぐと申します。どうか、神野家当主様への御目通りを、許可して頂きたい」

「……わかった」

 赤具という男の鬼気迫る眼光にあてられた私は、父の御前へと案内した。
 父は部屋の中で、上体を起こして待っていた。和室の中へ男が支えられながら足を踏み入れ、畳がじわりとどす黒く染まる。父は顔色を変えず、男が座るのを待った。
 赤具は目元からも血を滴らせながら、支えていた二人の手から離れて父の前に座す。
 父は男を見据えて言う。

「何事か。忌部の副当主殿」

 病に侵されているとはとても思えないほど威厳のある声。
 赤具は眉間に皺を寄せ、父と自分との中間の畳に、視線を落とした。忌部家から神野の本家までこの傷で来たのだと思うと、その体力には私でも溜め息が漏れる。
 赤く染まった白い男は、搾り出すように言った。

「忌部家当主、忌部裏吉いんべうらよし様……討死!」

「………っ!?」

 その一言は私を含め、彼をここまで連れてきた二人、そして父の顔を豹変させた。
 異常な事態であることは予測していたが、まさか。

「な……に?」

 さすがに驚きを隠せない父に、赤具は続ける。命尽きるまでに告げようとしているのだ。

「続いて忌部咎吉、弁具べんぐにし卦凪けなぎ――」

 次々と名を述べてゆく。これが彼にとってどれほど辛い事なのかはわかる。もはや私は呆然とそれを聞くばかりであったが、父は出される名前の一つ一つに頷いていた。
 一体何人の名を述べたのだろう。赤具の声もかすれて弱まり、聞き取りづらくなってきた。それでも父は懸命に名を聞こうとする。

「――梓空しがら、小町、前刀さきと流心るうら……。忌部家、総勢……名……全て……討……死……」

 言い終えた直後、赤具は前のめりに崩れ落ち、畳に顔をぶつけ、そのまま息をひきとった。
 父は病弱な身体を動かし、血に染まった屍の前で頭を下げた。私と、部屋の外に居た二人も目を臥せる。

「見事……。忌部赤具よ」

 忌部赤具。もしこの男が父の言葉を聞いていたら、喜んだだろうか。私は、当主である父から賞賛の言葉を貰ったのなら、それは名誉な事だと教えられてきた。
 赤具もそう感じただろうか。
 そうは思えなかった。赤具は父に頼んだのだ。家族を殺され、そして死んだ家族の名を、とどめて置いてほしかったのだ。それだけを願い、ここまでやってきたのだと私は思う。
 父は私と、分家の二人に向き直った。

「忌部の人間がこれだけ殺されたということは、本家を襲われたのだと見て間違いない」
「………っ!」

 父の言葉に、私の頭はすぐに反応を示した。
 そうだ。これだけの人数で殺しの仕事へ赴くはずがない。忌部の屋敷が襲われたと考えるのは当然の事。私はその重要性に気付いていなかった。否、気づく事を拒んでいたのかもしれない。
 なぜなら――

「お、皇真は?」

 私の弟は、神野皇真は、忌部の屋敷へ出かけていた筈だ。
 それが何を意味するのか。
 弟の……無事に関わる。

「そうだ砕牙。忌部の家には皇真が居た筈だ。神野の人間が関わった以上、動かない道理はない。お前はその二人と共にすぐ忌部へ赴き、皇真を探し出せ」

「御意」

 皇真を探し出せ。それは、生死問わず、と付け足されているような気がした。
 返事をして立ち上がり、父の部屋を出た私の後を二人の男が付き従う。
 この事を知るのは我らだけ。つまり父はこの件を内密にしようとしているのだ。私たちの出動には工作の意も含まれていた。

  ◇

「……これは」

「なんという有り様」

 あれから数刻の後、我ら三人は忌部の屋敷の入り口である門の前に立っていた。
 ここまで死臭が漂ってくる。私のうしろに立つ二人は着物の袖で鼻を覆い、目線を屋根より上へ向けている。一番大きな中心の建物から煙が立ち昇っていた。
 否。煙と言うよりもそれは――霧。
 赤い霧。血煙ともいう。
 一体どれほどの血を流せばここまで血煙が上がるのか。戦場でもこれほど色の濃い血煙――もっとも、忌部の血は少々変わっているが――を見るのは珍しい。私は腰にさした愛刀に手を当てて、敷地の中へ踏み込んだ。

「まず神野皇真を探せ」

「承知しました」
「承知しました」

 ……雅かつ趣に溢れていたはずの屋敷。
 ……花と草の香りに満ち、白に染められていたはずの庭。
 私が踏みしめる地面と、見渡す風景にはもうそんな穏やかさは無い。
 土足で屋敷に上がり、襖を乱暴に開けながら早足で歩を進める。形が変わり、普通には開かないものがほとんどだった。そこらじゅうに転がっているモノ。それらから放たれる死臭が尋常ではない鋭さで鼻をついてくる。
 すべてが異常な殺され方だった。一目ではそれが元は人間の形をしていたとは思えないくらい、細かく輪切りにされ、儚く散り散りに転がり、畳に染みを作っている。染みと染みはいくつも繋がり、一つの部屋で染まっていない部分を見つけるほうが難しかった。
 そんな――死体の放置された場所。
 死体?
 どれも形を留めていないではないか。ばらばらというより、それはもう粉々に近い細かさ。断面はとても滑らか。刀かとも思えるが、こんなに徹底的に、これほどの数の人間をばらばらにできるほど刀は軽くない。

(………?)

 私はこれほどの芸当ができる人物を――まとめて一気に命を奪える人物を、知っていた。

(だ、だが)

 私の知っているそいつは、殺しを好まない暗殺者だ。そして温厚な女だった筈だ。
 こんな、怒りに任せたように、ずたずたに人間を切り刻むなど、想像できなかった。
 だが――人だけでなく、同じように鋭利に切り刻まれた柱や壁。あまりにも特徴が似すぎている。
 自然と、私の歩く速さはさらに増していた。
 襖も、もはや流暢にいちいち開けたりしない。太刀で斬り捨てて進む。

「砕牙様?」
「いかがされましたか」

 私の変わり様に違和感を覚えたのだろう。二人も足を速めてうしろを付いてくる。
 神野の屋敷ほどではなくとも、ここは十分広い。暗黒の色に染まった部屋の一つ一つを突き進み、襖を斜めに斬って蹴破る。
 斬る。
 蹴破る。
 そのくり返し。
 足にぐちゃりという弾力を受けるも、それを脚力で押し潰す。何度もそのくり返し。
 そうして暗黒の中を進んだ先。
 その襖を蹴破った瞬間、光が差し込んできた。外へ蹴り飛ばされた襖の残骸は、ついに畳の和室ではなく、中庭の真っ白な雪の上に乗った。
 次に目に入ったのは異端の風景。中庭の中心には季節はずれに咲き誇る桜が、天に向かって花を自慢していた。
 ――どうだ、自分は誰も花を咲かせぬこの季節に、見事に咲いてやったぞ。
 そう天に叫んでいるかのように。高々と誇らしく。見る者全てを魅惑する。
 雪と共に舞い散る花びら。
 その中に、桜の木の下に、私の弟は立っていた。

「皇真様!」
「ご無事で!」

 分家の二人が皇真に駆け寄ろうとするも、途中で躊躇した。二人はその奥の、桜の木の根元を見て躊躇したのだ。

「ま、まさか」
「一人……?」

 皇真は片手に赤い〈杭〉を握り、鬼桜の根元をじっと眺めて動かない。
 少しだけ私は歩みを進めて前に出、皆が見ている光景を視界に入れる。

 木の根元で〈彼女〉は、とても優しい表情で座り、もたれかかっていた。
 どう見ても忌部家の人間ではないスーツ姿。
 当然だ。彼女は私の知人、そして別の組織での同僚だった。

「……あら」

 彼女は私の存在に気付いた。彼女は私の正体を知らない。現れるはずのない男だと思っていただろう。
 それは私も同じだ。この状況で、彼女に会うとは思ってもいなかったのだから。
 だから私たちは二人共、驚きの表情のまま対面した。

「き……鬼人? なんで貴方が」

「それはこちらの科白だ。蜘蛛」

 そう、私はこの女のことをいつも蜘蛛と、そう呼んでいた。本名は組織の規定によって知ることはないが、私の仲間だった。共に戦地で戦った事もある、戦友。
 彼女を見た私は一つの納得と、一つの疑問を抱いていた。
 納得したのは、この忌部家を全滅させるほどの実力者が一体誰だったかという点。
 全滅ということは、他の分家もこの本家と同じ有り様であるということ。組織で動けば間違いなく情報が先に入るはずなのだ。だが今回のこれは突発的に起きた。だからこの女を見て納得したのだ。こやつならば、と。
 同時に抱いた一つの疑問。それはあまりにも初歩的だが、私にはまったく解決する事ができない疑問。
 なぜ、その蜘蛛がここに居るのか。
 私は立ち尽くす分家の二人を追い越し、同じく立ち尽くす皇真の隣を通り過ぎ、彼女の隣に膝をついた。特に抵抗するわけでもなく、細いその目は舞い散る雪と花びらに見入っているようだ。
 その腹には一本、赤い杭が刺さっていた。忌部の能力である凝血矢だ。刺したのは……皇真に違いない。戦闘経験の浅い皇真が彼女に攻撃を加えられるとは思わないが、それでも彼女は多数の忌部家の人間を相手にしていたのだ。疲労も溜まっていたのだろう。

「私には、この事態が理解できないな」

 そう耳元で口に出すも、彼女は黙ったまま。
 私の顔色がとてもよくなかったのか、はたまたこの事件を巻き起こした本人に近づく事を危惧しているのか、二人の分家の男が心配そうな顔をこちらに向けていた。

「お前達二人は生存者を探せ」

 指示された二人は、一度頭を下げて再び死臭溢れる屋敷の中へ戻っていった。
 忌部の屋敷。そこかしらに散らばる忌部の屍。鬼桜と雪に包まれる中庭。
 中庭に居るのは、私と皇真、蜘蛛の三人。
 謎ばかりだ。木の下には女。純血一族と同じ、世界危険勢力に分類される組織に所属している。そして我が弟。おそらく蜘蛛をここまで追い詰めたのは彼だ。
 その弟が、この場で初めて口を開いた。

「兄貴」

 その声は哀しさを帯びている。

「この女がよ、みんなを殺しちまったんだ」

「みたいだな」

 ところが、そこが謎なのだ。この蜘蛛という女は、部隊の中で最も命を重んじる者だから。彼女がここまでするのには何か理由がある。
 皇真は女を見たまま続ける。

「今は落ち着いてるくせに、ここに来た時のそいつの目は、むちゃくちゃ冷たかった。みんなをばらばらにする間も、無言で、無表情で、でも怒りに満ち溢れているのだけはわかった。俺様じゃ相手にならねえくらい、こいつは強かったんだ。でも……」

「でも?」

「この中庭まで出てきたとき、そいつから殺気が一気に消えたんだ。鬼桜を見たまま固まって……だから俺様は刺した。そしたらそいつ、なんて言ったと思う?」

「………」

 ――《わあ、桜が白い。冬に咲く桜だなんて。摩紀に教えてあげないと》

「って。腹をぶっ刺されたのに、景色と、摩紀という誰かしか頭にないみたいだった」

 摩紀とは、妹の事か。
 私はゆっくりと同僚の頬に触れてみた。細い目をした彼女は、何か思いつめた表情をしていた。
 皇真の手から、赤い杭が滑り落ちて雪に埋まる。

「なあ兄貴」

 ん、と呼ばれた私は皇真に目を向ける。
 弟は、悔しそうな顔をしていた。

「そいつさ、自分の仲間を殺されたんだってよ。忌部の連中に」

「………」

 そうなのか? と彼女に訊く。
 静かに頷いた。

「ええ。私の、五人の部下。その一人を」

 五人の部下。たしか彼女はクインテットと呼んでいた。その連中の事か。

「奇襲だった。私とクインテット達が遠征用の拠点にしている場所に。クインテットEは私と他の四人を逃がす為にしんがりを引き受けた。穴だらけにされても、ずっと立ち続けた。命をベットしていないのに。私は奇襲が一番嫌い。する方は覚悟を決めているのに。フェアじゃない。命の重さを……知らない愚かなやり方」

 仕事へ向う途中か、終わった後の出来事なのだろう。
 命を重んじる。それが、この女が殺人行為をする上で自分を保つ為の信念。相手も自分も、命のやり取りをする覚悟をした時に、初めて動くのがこの女。殺す覚悟と、殺される覚悟。その二つを互いが持たなければ命のやり取りはできない。戦場では常に誰もがその覚悟を完了している。彼女が暗殺組織に属しながら、暗殺という行為を一度もしたことがなかった事に納得した。
 そんな彼女にしてみれば、戦場ではない場所での奇襲や暗殺は邪道も邪道。最悪なのだ。
 奇襲する側は相手を殺す覚悟をしているくせに、自分が殺される覚悟などしていない。無論、される側に覚悟などあるはずはない。

「私は……許せなかった。だから、忌部と名乗ったそいつらに、わからせてやった。クインテットEは、どんな思いで死んでいったか。お前達は、どんなに卑怯な手段で命を奪っていったのか。わからせてやったの」

 ざん、と着物と積もった雪が擦れる音。皇真は力が抜けたように地に膝をついていた。

「結局……悪かったのはこっちじゃねえのか? どっちなんだよ。悪いのは……誰だ」

 悪いのは誰か。
 誰でもない。忌部は自分達に依頼された仕事をやっただけなのだ。蜘蛛は自分の存在意義を保守する為に行動するしかなかったのだ。
 そして皇真、お前も悪くないのだ。大好きな忌部の人間を守る為だったのだろう。
 誰も悪くなどない。皆、自分のすべき事をした結果なのだから。
 あえて挙げるならば、そう――巡り会ったこの運命。

「鬼人……お願いを、聞いて貰えるかしら」

 耳元で囁く女。私は迷うことなく頷いてやった。

「妹の所へ……帰りたいの」

「妹。死神か」

「うん」

「わかった」

 彼女の腹に刺さった杭。抜き身の太刀を手に持った私は、その根元を切断した。引き抜けば血が噴き出すだろうから。どちらにせよもうこの女は助からない。が、家に帰るくらいはできるだろう。
 私は屋敷の中で生存者を探していた者を一人、呼び寄せた。

「この女に応急処置を施し、家へ……帰してやれ」

「は?」

 分家の男が怪訝な顔をするのも無理はない。この女は忌部の人間を全て惨殺した者なのだから。

「だが我らは神野家だ」

 神野家は神野家に害がなければ絶対に動かない。そう決められている。
 皇真は無事だった。ならば我らは太刀を収めるしかないのだ。

「……そうでしたね。失礼しました」

 男は蜘蛛を抱え上げる。

「蜘蛛よ。妹と、残りの時間を大切にしろ」

 これは私の、せめてものはなむけ。こやつはとても妹を大切にする女だと、知っている。
 彼女はゆっくりと頷き、部下に連れられてこの惨劇の地を去った。
 最後まで、私の前で笑うことはなかった。

 私は後ろを振り向き、弟を立ち上がらせる。

「大丈夫か」
「……おう」

「砕牙様! 生存者が一名!」

 中からの声。生存者を探しつづけていたもう一人の分家の者だ。
 私は急いで屋敷の中へ入る。皇真も後から付いてきた。












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