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『血鎖の支配』
作:是音



第七章 六、《SAIGA memory 1》


 六、《SAIGA memory 1》

「父上。お身体の具合は?」

「……ああ、今日はなかなか良い」

 畳の香り漂う父の和室。冷たい空気を防ぐ為に閉ざされた襖。広く質素な空間の中心には布団。
 その中で父は相変わらず咳き込んでいる。
 隣に座した私は父の顔を見て具合を窺う。ここ最近は調子が良いようで、私もこうして父と話す機会を多く持つ事ができていた。

「砕牙よ。皇真はどうしている」

「また忌部の家へ遊びに行っております」

「……はは。あの子は元気が良いな」

「困ったものです。統一家系の人間であるという自覚も無ければ、口調も荒々しい事この上なし。あまつさえ支配下の家へ遊びに行く始末」

 私が溜め息混じりにほとんど顔を合わせない弟の愚痴をこぼすと、父はそんな私を見て肩を震わせて笑った。

「そう言うな砕牙。あれで良いのだ」

「良いとは……。総当主である父上がそのような事を申されるとは聞き捨てなりませんよ」

「いや、良いのだ」

 父は私の顔から天井へ視線を移す。

「例の暗殺組織へお前を送り出す時に一度、話したであろう」

「純血一族の未来……ですか」

 うむ、と父は頷いたが、私は更に続けた。

「私はまだ納得がいっておりません」

「そう言うな砕牙。お前には大切な役を与えているのだぞ」

「私が納得していないのはそこへ送られた事ではなく、純血一族と他の世界危険勢力を統合するという父上のご意志です。確かに今は裏に力有る者達が跋扈し、それらをのさばらせておかぬ為に徒党を組んで駆逐せねばならない世ではあります。
 しかし我らは別。古きより十三の家系のみでそれらをこなしてきた伝統ある一族ではありませんか。それを今更……」

「何ゆえ他の異なる者達とも徒党を組まねばならぬのか。と?」

「……はい」

 だんだんと声を荒げている事に気付いた私は冷静に戻って内省する。
 父は天井を見つめる目を細くした。

「世界危険勢力。今最も力を持っているのは我々と、猟犬。つまりお前を送り出した暗殺組織であろう。そして近年、死使十三魔という組織が力をつけ始めた。他にも危険勢力はあるが、私はこれら三つの勢力は同じ目的の為に存在する事を知っている」

 同じ目的とは、やはり人を殺すという事だろうか? それなら他の危険勢力も同じ。考えてみれば、我らはどういった根源の上に殺人集団として存在しているのだろうかいまいちはっきりしていない気がする。
 昔から一族は殺しを請け負う集団だと聞かされただけだ。神野家が他の十二家系を支配している事で大きな規模を有す。

「伝統……それは支配の事を言っておるのか?」

「十三家系、純血一族の伝統とはそれ即ち支配。我ら神野が頂点に君臨する殺人集団。そうでありましょう?」

「……違う」

 父の放ったその言葉が信じられなかった。
 違う。
 純血一族全員が信じている事を、違う。と、この総当主は言った。
 不変であり不屈である絶対の根底を、当主の口で違うと。
 このような事を言うものが居れば普通ならその場で生首を転がすことになる。

「神野家だけは、違うのだよ砕牙。違う。違うのだ」

 違う。と心の中で父は繰り返しているのだろう。何度も、何度も頷いて言葉を噛み締めていた。
 父は私に何か大切な事を話そうとしている。

「父上。神野家だけが違う、ということは有り得ません。純血一族の意志は神野の意志。当主である父上が一人だけ違うと申されると、私を含めた皆が夢幻の中を彷徨っている事になります」

 だんだんと私は、この会話がとても危険なものに思えてきた。
 一族の未来。今の私はそこへ向かう際の重要な分岐点に立たされている。そんな感覚。

「夢幻。そうだな、純血一族は眠っているのだよ。その刻が来るまで、氷の中に閉ざされているのかもしれない」

 純血一族は夢を見ている。今も夢の中に居る。刻が来るまで、夢を見続ける。
 やはり我らが夢の中を彷徨い、幻を追い掛けていると、そう言いたいのか父は。

「だがな、氷は溶かさねばならん。刻が近づいている。世界の希望を託された我々は目覚めなければならないのだ。それが、代々神野家の当主が受け継いできた真の意志。氷を溶かす役を、夢から覚まさせる役を担う宿命」

「では、私はこれ以上聞くべきではありません」

 次期当主が決まるのはまだ先。私はここで歴代の当主が受け継いできた事を聞いてはいけない。
 故にそう言ったのだが、父は首を横に振った。

「お前は次期当主となるだろう。先代も、先々代も、自分が死ぬより早くに見極め、密かに伝えてきたものだ。私の余命はあと数年。約束の刻が来る前に私は果てる。だから、お前がきっと氷を溶かす役を務めなければならぬ」

 私は何も言わず頷いた。
 冬の空気が影響してか、父の放つ言葉の一つ一つが私の胸にしん、と突き刺さる。
 私が次代の当主。これは最大限の喜びを感じるべき筈なのだが、父の様子と見た私はどうしても喜ぶべき事柄ではないように思える。
 当主という称号は名誉であると教えられてきた。
 しかし父が私に告げる時の様子は名誉を与えるものとは違う。むしろ耐えがたき重荷を預けてしまう自己嫌悪のようなものを感じた。そんな、顔だった。

「父上。その重荷、この神野砕牙がお引継ぎします。その重役、この神野砕牙が成し遂げて見せます。ですから……」

 御安心下さい。私は最後にそう付け足して頭を下げた。
 父は哀しそうにこくりと頷いた。
 父の思っている事はわかる。できれば自分でやり遂げたかったのだろう。
 息子である私に押し付けたくはなかったのだろう。

「すまないな。お前には何もかも見通されている気がするよ、砕牙」

「………」

「私は、今ほど病に侵されたこの身体を呪った事はない。自分の息子に好んで苦難を背負わせる親がどこにいようか。先代も、先々代も、こう残して死んでいった」

――どうか我が息子に、約束の刻が重ならぬように。切に願う。

「………っ!」

 私は非情なる純血一族の中に人間の根本的な弱さを見てしまった。結束が堅ければ堅い程、その情は深い。
 我らは純血一族。結束の堅固さで右に出る組織は居ない。冷酷卑劣を極めていると表し、殺人衝動、殺人能力を掲げる一族。
 だがそれ故に、一度〈人〉である事を見せてしまえばどんな組織よりも顕著にさらけ出てしまうのだ。
 人ならば誰もが秘めている弱さであり、強さ。
 思えば過去に一族を抜け出した者達は、皆家族という言葉に疑問を持ち、動機にしていたのかもしれない。
『逃亡者は死あるのみ。抜けた家系の人間がこれを処分せよ』
 処分した者、された者。その者達にとってこの掟はなんと残酷なものに感じられただろう。悲しき結末を突きつけられ死んでいった者達。
 私はこの時初めてその事を考えてしまった。
 家族とは結束の為の鎖。血鎖だと思っていた。血鎖と、我ら神野家の力で支配していたものと思っていた。反発さえも生ませない圧倒的な力で押さえ続けてきたというのは、誤った認識だったのかもしれない。
 では、我ら十三家系を繋ぎ止めているのは何なのだろうか。

「それは……愛情ぞ」
「!」

 父の目。その澄んだ目こそ私の心中を貫いていた。

「あ、愛情?」

 意味は知っている。それがどのような感情であるかも勿論理解している。
 しかし、まさか純血一族の人間からそのような言葉が出てくるとは思わなかった。

「最初の神野家は支配などしておらぬ。支配に溺れていた他の十二家系に信念、情を与え、統合したのだ」

 当主の口から語られる真の歴史。
 それは今の純血一族が信じる歴史が偽りだという証明だった。

「……氷で閉ざしたのですね。その歴史を。しかし、何故そんなことを? 残酷な掟まで用意して。結束した状態のままではいけなかったのでしょうか」

「試していたのだと、思うぞ」

「試していた?」

「支配し、支配され、それでも約束の刻まで純血一族で居られるかを。それに一般社会とは相容れない体質を持った我々は殺人集団として裏を生きるしかない。掟は必要なものだった」

 全ては約束の刻の為。ということか。
 そしてこれから父はその約束の刻について、純血一族が生まれた理由について私に語る。そうすれば歴代の重みが全て私にのしかかるだろう。

「当主のみが知る起源。それはたったの一言。そして純血一族の向かう先を示す言葉」

 私は息を飲んでそれを聞く。もう後戻りはできない。
 父の言う刻が来た時、私が一族全てをまとめあげなければならない。
 耳を澄ます。
 ひゅうひゅうと外に吹く風の音が聞こえ――。
 その音に父の声が重なった。

「純血一族は世界を保持する為につくられたのだ」

「それが……我らの使命」

「お前も我らが共有する運命論を不思議に思った事はあるだろう?」

 運命論。人生を物語に例える純血一族の哲学。
 世界は脆く弱く、常に破滅の物語の脅威に晒されている。
 世界の敵。破滅の物語。
 まさか、と、そう思った。そして父も首肯した。

「そう。我々の真の目的、役目は、破滅の物語を駆逐する事。あやつら自然発生能力者に対抗する為、神野家は生まれた。伝えられた言葉はこれだけ。良いか、過去の歴史なぞ関係ない。お前が、新たな歴史を刻め。それが重要だ」

「では約束の刻とは」

「世界が最も危険に晒される時期の事だ。近年、世界中で異常な数の自然発生能力者が確認されている。今までに例を見ない数だ」

「予兆、ということですね」

「そう。お前の考える通り、この先もっと増える。そして純血一族は呪詛の力を以ってこれら全てを敵にまわさねばならぬ。……果たして世界を守る事は本当に正しいのか。もしかしたら約束の刻こそ、守らなければならないのではないか。それは誰も知り得ん事。だが……」

「純血一族は戦う」

 力強くはっきりと言った私に、父も力強く頷いた。
 時折咳き込みながらも、こんなに長く喋った父は初めてだった。
 本当に、重い。

「それが運命だ。我々の。良いか砕牙、この先必ず約束の刻は訪れる。お前は純血一族の運命を、たくさんの愛すべき家族達と共に見届けよ」

「……承知」

 そして父は、話はここまでだというように長い溜め息を吐き、穏やかな顔へと戻った。少しの時間しか経っていない筈だが、私には久しぶりに見た父の穏やかな顔に思えた。
 緊迫していた和室という空間は緊張を解かれ、その名の通り和む空間へと変わる。

 父は顔を横へ向け、閉ざされた襖を見つめた。

「砕牙、少し襖を開けてはくれぬか」

「はい」

 私は傍らに置いてあった刀を掴むと、着物のこすれる音と共に立ち上がり、入口に膝をついて襖を開けた。

「おお……」

 雪が降っていた。
 そして中庭には満開の桜。我ら一族を象徴する異端。
 冬に満開となる、鬼桜。
 妖しく映える花びらに、舞い降りた雪が着地して水滴となる。
 極小の世界。
 異形の芸術。

「神野の鬼桜は満開ぞ」

「ええ。他の家系も今頃は見とれておりますでしょう」

 静かだった。
 私と父が動かなければ、聞こえてくるのは自然の奏でる音のみ。
 まことに、美しかった。
 十三の家系、全ての本家に植えられたこの桜はなかなか珍しい種類だ。

「息子とこのような風景を共に見られて、私は幸せだ」

「今度は皇真も連れて参ります」

「うぬ、あの子は騒がしいからの」

「ふふ、確かに」

「ははは」

 純血一族とて、愛はある。
 私はこの時そう実感した。   












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