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『血鎖の支配』
作:是音



第七章 五


 五、

 神野王牙と日向波遠が、資料だらけで雑然とした御堂の事務所の様子に言葉を失っている頃。

 御堂摩紀は街から少し外れた場所に位置する喫茶店の、一番奥のテーブル席に一人で座っていた。
 夕方の、客が集まる時間帯だというのに店内に客は全く居ない。
 女は何本目かもわからない煙草をふかし、天井でゆったりと三枚の羽を回すローターをなんともなしに見つめていた。

(……来たか)

 煙を吐き、顔を上に向けたまま目だけを入口の方にやる。
 次に、からんという鐘の音を鳴らして扉が開いた。が、声を掛ける店員は居ない。御堂の頼んだ紅茶を持ってきた後、奥に入ってしまった。故にこの店内には今まで御堂しか居なかったわけである。
 現れた人影は、こういった場所には全く不釣合いな格好をしていた。
 背が高く、間違いなく外を歩けば目立つような黒い着物を着ている。短く切った髪はしかし、襟足だけを長く伸ばして縛っている。そして一番異様なのは腰に差した長い刀であろう。
 時代劇の撮影から抜け出してきたのかと尋ねたくなるくらい、それは異様な出で立ちだった。
 ところがその男を少しでも知る者がいれば、この喫茶店から早々に逃げ出したいと思う筈。
 生物界最強である必死の黒刀を前に、戦うという考えを持つ者など居ない。大概、どうやって逃げるかという事ばかり考える。
 この男は、そういう存在だった。

「ふむ」

 黒衣の男は迷うことなく歩みを進め、奥のテーブル席で一人ぷかぷかと煙に包まれている女の、向かい側に腰を下ろした。
 死神と鬼人。
 その二人が街外れの喫茶店という場所で向かい合わせに座っている。見る者が見れば、それは異様を通り越し異常事態だと感じるだろう。
 死神の方はまだ顔を上に向け、男を見下ろすように眺める。男の方も、そんな元同僚に笑みを浮かべた。

「本当に来るとはな。鬼人」

「ふっ。死神御堂からの呼び出しとあっては参上せねばなるまい。しかし、ティンダロス時代の回線を使うとは」

「それしか連絡手段がなかったんだよ」

「それもそうか。まあ良い。で、私に用とはなんだ?」

 ずっと天井を見上げていた御堂は口にくわえた煙草をつまみ、やっと頭を下ろして指のそれを灰皿に押し付ける。
 必要以上に力を入れて押し付けた吸殻はついに粉々に破れ、女は上目遣いに男を睨んだ。

「純血一族の人間に、ちょいと訊きたい事があってねえ」

 すっ。と一瞬、男の柔らかかった眼つきが鋭いものに変わる。無論御堂はそれを見逃さなかった。

「ふん、やっぱりか」

「いつ……気付いた」

 観念したのか、それともこの女ならばいずれ気付くだろうと予期していたのか。男は目を閉じた穏やかな顔でそう訊いた。
 決して小さくはない二人の声。しかし喫茶店の中で稼動する暖房機の音の方が大きい。
 いつ自分が純血一族であると気付いたのか。そう問われた御堂は人差し指をぴっと上げた。

「一つ目。お前が私の事務所へその腰に差している刀を取りに来た時。そこで私とした会話だ」

「何を話したかな」

「お前の実家にある桜の自慢話だよ」

「ん。確かにしたが」

 それでも理解ができず首を傾げる鬼人に、御堂はもう一本、中指を立てて見せた。

「二つ目。この辺りで私はお前を疑い始めた。私がオーガを八雲と共に孤島へ向かわせた時、お前はあっさりと九条家という言葉を口にしたらしいな」

 らしいな。というのも、その時に鬼人と会話をしていたのは御堂ではなく、正確には御堂の姿をした代理屋だったからだ。
 御堂本人が聞いたわけではなかったが、これに鬼人は静かに首肯した。

「ああ。そうだったな」

 そして御堂は親指も立て、伸びた三本の指をぴぴっと二回振って見せた。

「最後の一つ。妙な桜を見た。これで全部が繋がった。七年前、私の姉が最期に残した言葉……」

 私の姉。
 その言葉に男は目を細める。過去に失った同僚を思い浮かべているのか、眉を下げて哀しげな顔をした。

「死神の姉。蜘蛛……か。彼女はとても優れた戦士だったな。仕事中に死したのは本望かもしれな――」
「ふざけるな!」

 着物の襟が絞り上げられる。腰を浮かせて男の襟首を掴んだ御堂の目には怒りが満ちていた。
 鬼人はもう微笑んでいない。襟を掴まれたまま、無言で女の目を見つめていた。彼女の内側を透視するかのように目を細めて。

「私の……私の姉さんを……」

 御堂の声は震えており、歯を食いしばっているのがわかった。

「私の姉さんを殺したのはお前の一族だろうが!」

 弾丸を放つような叫び。彼女の怒声に集中する視線は店内になかった。
 鬼人は納得したように頷く。

「そうか。純血一族に訊きたい事があるとは、そういうことだったか」
「しらばっくれるな! お前が純血一族のどんな立場にいるかは知らないが、同僚が関わった事くらい知っていた筈だ!」

 黒い着物の襟を握りしめた御堂の手はぶるぶると痙攣する。引き寄せるのではなく、握りしめるのに力を注いでいるのだ。過去の思い出が琥珀の中から溢れ出すのを防ぐように。
 御堂は怒りというよりもむしろ、感情のダムが決壊しそうな感覚に恐怖していた。何もかもが、沙紀という姉との約束の記憶までもが失われてしまうから。

「姉さんは白く咲いた桜を見たと言っていた。冬だったし、私は彼女の幻覚だと思っていたよ。……もっと早くに気付けばよかったんだ。そうすれば七年も無駄に過ごさずに済んだかもしれない。興味が無いからだなんて愚かだよ。もっと早く、もっと早く純血一族について気を回すべきだったんだ。そうすれば……」

 いつの間にか御堂の襟を掴んでいない方の手には手甲が嵌められていた。〈凶〉という名が似合わない程、その装甲はまるで水面に光が当たったような透き通った煌きを放つ。
 もはや片膝をテーブルの上に乗せて身を乗り出した女は、その拳を握り締めて肘を曲げ、大きな動作でそれを男の顔面に放った。

「そうすれば白く咲いた桜が、雪の日に咲いた桜だとわかった筈なんだ! お前達純血一族の家に咲く、季節はずれの〈鬼桜〉だってなあ!」

 ごきん、という鈍い音。
 女の拳は男の頬にめり込んでいた。天下無双と呼ばれたこの男ならば、避ける事など容易い筈なのに。
 甘んじてそれを受けた。彼女の憎しみや悲しみ、悔やみ、怒りを全て受け入れるように。
 殴られた男は顔をしかめてうめいた。とても苦しそうに。
 そんな彼の姿を見るのは初めてだった御堂は、異常に苦しむ鬼人を訝しげに見ている。

「……重いな御堂。ここまで重いものだとは。ここまで痛いものだとは」

「なんで、そんな苦しそうなんだ」

「これは……私の受けるべき、背負うべき業であるからな。純血一族を、〈統べる者〉として」

「は?」

 緩んだ女の手から着物の襟が滑り落ちる。

「統べる者って。まさかお前……」

 男の頬に当たっていた拳も、今はテーブルの上。
 目を見開く死神にゆっくりと頷いた男は、ついに自分の正体を明らかにした。

「お前の言う通り私は純血一族の人間。統一家系、神野かんや家現当主。名を、[神野砕牙かんやさいが]という」

 初めて明らかにした自分の名前。鬼人の異名を持つ男の本名。
 そして自分の立場。それは彼が他の純血一族の人間と大して変わらない立場に居ると思っていた御堂の予想を遥かに超えていた。
 必然、声が震えてしまう。

「お、お前が御上で……しかも当主? じゃあやっぱり姉さんを殺した事を……!」

「ああ。知っていた。だが彼女を殺したのは、私ではない」

「なら仇の名を言え! 七年前の事を私に教えろ! お前にはその義務がある!」

 そうだな、と神野砕牙は頷いた。
 怒りと驚きに声を荒げる御堂とは対照的に、砕牙はとても落ち着いている。
 そしてテーブルに身を乗り出す女の両肩に手を置いて座らせた。

「ならば、聞く側もそれ相応の覚悟と、落ち着きを持つ義務がある。違うか?」

「………」

 言われて御堂は頬を赤らめた。ここまで激昂したのは久しぶりだった事と、それを一番見られたくない男の前で見せてしまった事に。また他の元同僚たちに言いふらすのだろうな、と激しく後悔した。

「御堂。これから私は七年前の出来事と、お前の姉の仇の事を話してやる。だがそれによってお前は残酷な選択をする事になるかもしれない。その覚悟は、あるのか?」

 腰を椅子の上に戻した女は興奮する気持ちを落ち着かせようと、震える手でスーツの内ポケットから煙草の箱を取り出し、一本を口にくわえて火を点ける。
 斜めに流した前髪。そこから覗く目は落ち着きの無さがうかがえる。
 が、一度煙に遮られると、次に表れたときには凛とした目つきに変わっていた。
 それを返事と受け取った砕牙は一度小さく頷き、静かに口を開く。

「では今こそ語ろう。七つの星霜を静かに送ったお前に。発条ぜんまい装置を巻いてやるのは、私の役目……か」












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