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『血鎖の支配』
作:是音



第七章 二、《MAKI memory 1》


 二、《MAKI memory 1》

 私はただ嫉妬していたのかもしれない。
 嫉妬というのは妬み嫉むと書くのだが、それは結局のところ対象の力量を認めて自分の力量の無さを認めているという事だ。憧れとは少し違う。いずれは自分も到達したい域に先んじて到達してしまった者に向ける感情、それが嫉妬だ。その目標とする域が到底辿り着けないものだったとしても嫉妬するのは個人の自由だと、私は思う。
 される側は迷惑だけどね。

 彼女は私なんかよりずっと優れていた。

「摩紀、もう少し感情を抑えなさいな」

 開いているのか閉じているのかわからない程に細い眼で彼女にそう言われる度、私はむすっとしていたものだ。
 別に反発の意志でそんな表情をしたわけではなく、はいはいわかりました、という素直でない私なりの承諾の意なのだ。
 私がそうする度に彼女は穏やかに口の両端を持ち上げ、ふふっ、と笑っていた。
 何に対しても笑顔で受け応え、上品に笑うその姿は相手に完璧を感じさせる。
 実際完璧なのだから当然だがね。
 いつも私の隣に居て、私の事が大好きな奴。
 逆にしか見えないのに私のオプションのような立場で居ようとする。しかも自分は全然気付いていないときた。そこが私のみが知る彼女の完璧でない点だろう。

 そんな御堂沙紀という姉が、私には居た。

 ◇ ◇ ◇

「ねぇ摩紀、うちのEったらこの間もね――」

 ある国の山中、偶然見つけた大きな岩の上に腰を降ろした沙紀はいつものようにくすくすと笑いながら話を始める。
 私はというと近くにあった木にもたれかかり、しきりに周囲を警戒していた。

 そもそも今は仕事中なのだ。
 私の仕事は簡単に言うと暗殺。誰かに頼まれ、誰かを誰にも見られずに殺す為に世界中を飛び回る。そういう仕事。沙紀も同じ組織で同じチームに属している。
 ティンダロスの猟犬と呼ばれるこの組織の規模は相当なもので、ひとえに暗殺のみを請け負うわけではない。
 私達のように戦う技術が秀でた者は暗殺よりもむしろ戦場の第一線に駆り出される場合が多い。ま、気付かれずに狙撃手やら見張りやらを駆逐するという点では暗殺と呼べるのかもな。
 つまるところ、今も仕事中であるという事は今も戦場の第一線に居るというわけで。

「――でね、やっと呼び方を変えてくれたかと思ったら、今度は私の事を主人なんて堅苦しい呼び方にしたのよ」

 沙紀みたいに能天気に会話を展開しようなんて考える者は居るわけがない。
 彼女はいつも自分の部下――というか彼女はそいつらの事を家族みたいな風に言う――を話題にあげて楽しそうに語る。
 クインテットとかいう五人組の能力者で、そいつらは今頃敵兵の姿に変身して敵陣に潜り込んでいる筈だ。そういう能力を持った五人。
 部下と言ったが実のところそいつらはティンダロスの暗殺員ではない。生まれつき能力を持っていたが為に疎外されていた五人を沙紀がどっかの国から連れてきたのだという。
 まあ沙紀らしいといえば沙紀らしいな。

 呆れながら沙紀の話を聞いていた私は木の上に現れた気配を感じ取って顔を上げた。

「偵察ご苦労だったな。不可視」
「ご苦労様、不可視」

 沙紀も顔を上げて何もない木の上に笑顔を向ける。
 何も見えないだけで、確かにそいつは居る。
 絶対に姿を見せないそいつは透き通るような声で木の上から喋った。

『いえ。〈死神〉と〈蜘蛛〉もご苦労様です。もうこの一帯での仕事は十分だと思われます』

 さらりとそれだけを述べて再び気配は消え去った。
 蜘蛛の異名を持つ沙紀はそれを聞いて立ち上がると大きく伸びをする。
 一見すると私に仕事を任せてサボっていたような態度にも見えるだろうがそうじゃない。
 今回の仕事は殆どこの蜘蛛がやったようなものだから。
 この山もそうだが、入り組んだ場所は全て沙紀の得意分野だ。それでもって苦手も無い。

「さてと、帰ろうか死神」

「了解、蜘蛛」

 そんなやりとりをした後、沙紀は片目を少し大きく開いた。

「その前に一人片付けましょうか」

 出てきた気配を感じ取った私達は遠くの方にある木へ視線を集中させた。
 不可視は気配を消す事にとても長けてはいるが、気配を読み取る力は私達と同じだ。気付かなかったのも無理はない。
 そして私達でも気付かないような奴は、危険勢力に属している者しかいない。
 まさか敵軍も危険勢力に依頼を出しているとは思ってもおらず、不可視に頼んだのは敵状視察だった為に気付かなかったわけだ。

 敵の気配はたった一つ。他に仲間は居ないのはわかった。
 相手も悟られた事を理解したのだろう。木の影から姿を見せた。

「ほう……ティンダロスの猟犬か」

 相手が危険勢力で、しかも二人だとわかっても全く物怖じした様子は無い。
 実力者か、はたまた自信過剰か。
 割と木々が密集していない場所で距離を置いて私達はそいつと対峙する。

「お前。所属は?」

 私は問う。
 まずは同じ組織では無い事を確認しなければならないからだ。ティンダロスの猟犬は同胞同士の戦闘をどういうわけか固く禁じている。
 隣で沙紀が私の肩を叩いた。

「姿を見せたのなら、フォビデンスではないわね」

「うん。奴等は障害があれば敵味方問わないからな」

 そう。その同胞とは戦ってはいけないという掟にも例外がある。
 暗殺を主軸とする組織であるから必然、相手の姿を確認せずに戦闘を行う事を得意とする部隊が編成され、その者達だけは所属未確認の戦闘を許可されている。
 不可視も所属する隠密機動隊〈フォビデンス(禁)〉がそうだ。彼等同胞に殺された同胞も居るがそれは仕方の無い事だ。但し、最も任務死亡率が高いのも彼等隠密機動隊だが。

「私が訊いたのは戦力を把握する為よ」

 私は沙紀にそう言ったものの、実は興味本位だったりもする。
 そして私に所属を問われたその白い肌、白い髪の男はあっさりと答えてくれた。

「僕は死使十三魔、序列十一位。〈魔斧の雪白〉」

 なるほど、と納得した。
 色々な点について。

 まずあっさりと一人で私達の前に姿を現した理由。
 それは死使十三魔だからだ。
 規模は純血一族や我々ティンダロスに劣るものの、それでも世界危険勢力に挙げられるような連中。性格も含めて異端ぞろいの少数精鋭。
 序列入りした人間の実力は、敵がたとえ危険勢力所属の二人であっても余裕綽々で姿を現す程。自分の力量を正確に把握した上での余裕。

 次にその異名。
 奴の髪と肌を見れば雪のように白いと思うだろうし、更に青い衣服に身を包んでいればそれはもう雪か氷にしか思えない。中世的な美顔。こいつに異名をつけたのは間違いなく他人だと思った。 

「死使十三魔ね。大規模な裏戦争の直後だってのにご苦労なことだな」

 私の言葉に雪白という男は腕を組んで笑った。

「お互い様じゃないか」

 笑ったものの、この場に居る三人共殺気に満ちていた。
 沙紀はいつも通り目を細めて笑顔を保ったままだけど。こいつはいつもこうなのだ。
 そんな沙紀が今度は口を開く。

「序列入りでも、さすがに相手が悪いわよ?」

 大概この後に続く言葉は決まっている。

「この死神が居るのだから」

 ほらね。
 決して自分の事を上げたりはしない。その代わり決して私の事を上げなかったりはしない。
 沙紀の方がずっと優れているのに。嫌味だって気付いていないから厄介な話だ。
 沙紀の言葉を受けた男は両手を挙げた。

「いやいや、僕に戦う意思は無いよ。なにせ君達があと五歩進んだ位置にあるラインに入ってきたら迎撃するように頼まれているだけだからね」

 この男に与えられた任務は守備であるらしい。
 私と沙紀があと五歩進んでいたら攻撃されていたという事だ。
 隣からクスッと笑う声がした。

「でもね、私達には敵を駆逐する任務が与えられているの。境界なんて関係なくね」

「ありゃ。それは困ったね」

 ひょうきんな態度で顔をしかめる男。自分がいつでも攻撃されるという立場に居ながら、全く能力を出そうとする気配が無い。

「おい呪詛憑き。余裕こいてる場合じゃないでしょう?」

「全然余裕じゃないよ」

 両手を挙げたままおどけるこいつは不思議な奴だ。と思った。

「うーん、破帝の奴。困ったらとりあえず諸手を挙げとけなんて言って、全然効果が無いじゃないか」

 口を尖らせ、ぶつぶつと何か文句を言っている。
 私と沙紀は顔を見合わせた。こいつをここで始末してしまうか、危険を避ける為に撤退するのか。
 相手はまだぶつぶつ言っている。

「ったく、大体アイツはいつもそうだよ。何が諸手を挙げて歓迎しろだ。適当な事ばかり言いやがって。そもそも今から殺す相手に言わせるっていう時点で頭がおかしいとしか――」

「おいお前」

 私の声に男はピタリと独り言を止める。

「能力を出さないのは、このまま私達に殺されても構わないという意思の表れか?」

 男はその質問に、はえ? と、すっとぼけた顔をした。

「それは僕が能力を出し惜しむタイプの人間だからだよ」

 その言葉に隣からクスッと笑う声がした。
 戦場で能力を出し惜しむだと? 私はそんな馬鹿野郎を初めて見た。

「これで決まりね、死神」

 沙紀はクスクスと笑いながら私の肩を叩いた。
 私はチッ、と舌打ちをして一歩下がる。
 相手に戦う意思が無いのなら撤退しようという結論に到ったのだ。大体、敵に危険勢力が居るという話は聞いていなかったし、私達がどう対処しようが自由なのだ。
 それを察した男も一歩下がった。

「おや。帰るのかい? うんうん、面倒は避けたいからな」

 本当に馬鹿にしたような態度をとりやがる。
 そいつはあっさりと私達に背を向けて歩きだし、途中で何かを思い出したのか、あっ、と声を漏らした。

「そうそう。君達、早くこの山から出た方が良いよ。そろそろ魁座さんが動き出すから」

 首を傾げる私達を残して意味不明な青い男は遠くへ消えていった。
 そろそろ動き出す。それはつまり、どこか遠くに奴の仲間が居るという事だ。
 そしてそいつが動き出すからここを離れた方が良いという事は……。

「どうやら急いだ方が良さそうよ。死神」

 沙紀は細い目を遠くへ向けながら私に言った。
 私も此れ程の変化は余裕で感知できる。山の中の温度が急激に変化しているのだ。風は若干の熱を帯び、遠くを見れば赤燈色に輝く山から煙が上がっている。それも信じられない程の広範囲に渡ってだ。
 敵は山に火を放った。つまりはそういう事だ。浸食の速さが尋常ではない。間違いなく呪詛能力による発火だ。たとえ死使十三魔であっても此れ程の能力規模で、しかも火という元素を操るなど――

(序列高位の人間か。金を懸けたな)

 今回はそいつが裏方だった事を運良く思いながら、私は沙紀と山を駆け降りていった。
 ところが山を降り始めてから程なくして私と沙紀の前に敵軍の兵隊達が見え、ここで初めてあの放火が炙り出しの為だったのだと気付かされた。

 こういった状況を表す際、よく四面楚歌という四字熟語が用いられる。
 私は幼い頃この言葉の語源を沙紀から聞いた時、鼻で笑ったのを覚えている。
 敵が歌った自国の歌を聴き、自国の民がみな敵国に降ってしまった、と項羽が嘆いたという故事に由来する。
 自国の民を信じられず、歌だけでいともあっさりと心動かされる。そこに信頼というものは感じられなかった。

 そして今。私達が耳にしているのはぱちぱちと木々が燃え、弾ける音。歌ではない。絶望する要素など、もとより無い。
 私と沙紀なら正面の敵を切り刻んでしまえばそれで抜け出せるのだから。

「さ、行きましょう」 

 チキ、と沙紀は両手にはめた手甲の指を動かす。
 この手甲はその名を〈マガ〉といい、呪装具の一つだ。
 呪装具とは呪詛に呪われた武具の事。私達ティンダロスの猟犬は、主にこの呪装具を扱う。同じ世界危険勢力でも、身体に直接呪詛を宿す純血一族や死使十三魔との違いがこれだろう。
 私は持ち歩いていないが。
 私は大きな鎌の呪装具を使役していたが故に異名を死神としていたのだが、今は素手だ。先の大戦で損失してしまったから。
 ま、そんな事は一般の兵士を前に大差の無い事だけど。
 一人の兵士が私達に気付く。
 仲間を呼ばれる前に私は動いていた。

「おい! 女が二人……」

 兵士が喋ったのはそこまでだった。
 私の三本の指先は、ぐじゅ、という慣れきった感触を付け根まで感じた。
 兵士の喉に突き刺したそれを素早く抜くのと同時に気管と声帯も引き千切る。
 私が血のついた指を振り払うと、周囲からどぼどぼと泥水の零れるような音がいくつも聞こえた。
 ざっと五人分。
 沙紀にスライスされた元人間のパーツがそこかしらに転がり、その一つ一つが残さず液体を吐き出す。
 キラリと一瞬だけ、沙紀の指から伸びた細い糸が空中で煌いていた。
 見れば兵士の屍のほかに、それらと沙紀との間に鬱蒼と繁っていた木々も全て切り倒されていた。
 邪魔だったのだろう。

 凶々まがまがしい切れ味。凶々しく美しい線。凶々しくあっさりと多くの命を奪う道具。
 それを扱う沙紀の姿はまさしく蜘蛛の様でもあり、私より死神らしくもあった。
 でも。

「姉さん、助かったよ」
「……ええ。急いでここを離れましょう」

 そう言って先に走り出す沙紀の顔にいつもの笑顔は無い。
 常にたおやかな微笑みを浮かべている沙紀は、たとえ仕事であっても生きるためであっても人を殺めた時だけはしばらく笑わなくなる。
 そういう女だった。

 これも日常。
 戦場という名の一欠片。  












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