第六章 六、《歌姫絢爛》
六、
“共鳴の器で独り泳ぐ”
“狂った蓄音機すら今は無く”
“綴った呪歌は夜に訴う”
“訴えはすれど謳う者は無く”
“永遠に綴りし呪いの歌は”
“愛しこの世を呪いし歌で”
“唯、世界の終焉を待ち”
“唯、物語の終演を待ち”
“終末の風に乗せるが如く”
“三千世界で謳い手を求む……”
◇ ◇ ◇
雪が降っていた。
薄暗いカンバスから溢れ落ちる冬の象徴はゆったりと地面に着地する。
着地しては溶け、着地しては溶ける。
時間が経てばその数の多さにやがて溶ける事無く積もり始めるだろう。
両手ではとても抱えきる事のできない欠片。
(そうだ。積もったら王牙先輩と雪合戦をしよう)
日向波遠は楽しい事を想像しながら、降り注ぐ欠片を肩に浴びて立っていた。
閉ざされた校門の内側。
門を飛び越え、恵西高校の敷地内へ入った直後に降りだした冬の使者にしばし見とれていた。
彼女の最終目的地。恵西高校旧体育館。
そこに答えがあると確信していた。
連続で発生する行方不明者。そして彼等の実家が空き家だったという謎。美樹本という生徒が燃やしきれなかったメモ。御堂摩紀が調べるような事件。大切な友人が、何も知らない友人が首を突っ込んでしまってはいけない危険な事件。
波遠は歩き出す。
シャーベット状になって地面に溶けた雪がシャク、と音をたてた。
旧体育館はその名の通り今は使われていない体育館である。木造のそれは新しい体育館よりも小さく、そして古い。そんな場所に地下室があったとは波遠も知らなかったし、知っているのは精々校長や教頭、古参の教諭くらいだろう。
波遠は美樹本の空き家へ侵入した時と同じように言霊を使って旧体育館の扉に掛けられた南京錠を外し、その重い扉に手をかけた。
ずずず。と錆びた音を出して重々しく引きずられるように開く。
中はしんと静まり返り、埃っぽさも混じってか不気味な空気が漂っていた。
夜中なので旧体育館の内容が把握できず、波遠は鞄の中から懐中電灯を取り出した。一旦家に戻ってまで取ってきた甲斐があったというものだ。
スイッチを入れ、ライトを上下左右に動かす。
まるでこの広い場所が一つの単なる空箱であるかのように何も無かった。器具庫の両開きの扉がいくつも並び、その端には他より小さな片開きの扉が見えた。
「あった。多分あれだ」
暗い場所で不安感が募ったのか独り言を呟く声も普段より大きい。
目的の扉にだけ懐中電灯を向け、開いた少女はついに見つけた。下り階段を。
(うぅ、怖い)
年頃の少女が人気の皆無な夜の体育館に一人で居る。恐怖心よりも警戒心を働かせなければいけないのはわかっているが、やっぱり怖いものは怖い。
ギィギィ、と軋む音に怯えながらも口を真一文字に結んでゆっくり階段を降りる。内股になった波遠の膝は震えっぱなしだったが。
その地下室は狭かった。
おそらくは式や舞台で使う大道具などを保管しておく場所だったのだろうが、今は運び出し忘れた長机が一つ無造作に置かれているだけ。
しかし明かりを長机に当てた波遠は無言で驚愕した。
守野一郎。
九条握人。
そして自分の写真が置かれていたからだ。
(な、なんで。なんで私の写真がこんな所にあるの……!?)
恐怖。焦燥。疑問。混乱。動揺。
波遠の精神は不安定を極めていた。それでも三枚の写真を手に持って懸命に観察する。
三枚共まだ若い時期に隠れて撮ったものであるらしく、しかし埃を被った長机とは対照的にそれらはつい最近置かれたのは明らかだった。
さらに異常なことに守野一郎と九条握人の写真にはペンで大きくバツ印が書かれていた。
それは二人を消したという証であり、バツ印が書かれていないのは波遠の写真だけ。
つまり、次にこの写真の持ち主が消す予定なのは――
「え?」
ここで波遠は勢い良く地下室の入り口へ顔を向けた。
微妙に光が地下へ差し込んでいる。
波遠は急いで階段を駆け上がった。
通ってきた扉は開きっぱなしにしていた為に地下まで差し込んだ光。その光は一体どこから来た光だったのか。
それは簡単な事だった。
「な……」
地下から出てきた少女は暗闇に慣れていた目を、突然の眩しさに細めた。
旧体育館内の照明が全て点けられていたからだ。
そして、まるで彼女を待っていたかのように、当たり前のように立つ三つの人影。
「おかえりなさい日向波遠。アハハ」
笑ったその顔は藤乃宮園子のものだった。
その横一列に並んで立つ二人。身体的特徴から舞阪、鎖龕とおぼしき者達も笑っていた。
当然のごとく波遠には何が何だかわからない。
行方不明になった三人が横一列に並び、自分を笑っている意味が。
「藤乃宮……園子?」
やっとの事で出した一言。
それを聞いた園子は、は? と間の抜けた顔をした後、急にゲラゲラと先程よりも激しく笑いだした。
「ああ! そうかそうか、そういえばそういう名前だったね〈この体〉は!」
園子の妙な発言に波遠は首を傾げ、光に慣れてきた目で三人を睨んだ。
ところが睨んだその目は次に驚愕の眼差しへと変わる。
園子を含む三人が、突然指を揃えた手刀を顔の横に突き刺したのだ。自分で自分のこめかみに指を埋めている。
揃って指を何かをいじるように動かしている姿は奇妙としか言いようがない。
そして三人の体に徐々に変化が起こり始めた。
否。変化というより、それは変身と表したほうが正しい。
藤乃宮、舞阪、鎖龕。そいつらの骨格はみるみる変形して別の体格を形づくる。形成されたそれは、肌白き背の高い男の体格。
頭髪は一度全てが抜け落ちて新たに金色の髪が尋常ではない早さで生える。形成されたそれは、長い金色の髪。
服装にも変化があった。身に纏っていた制服は形、色を変えていく。形成されたそれは、白いコート。
ほんの短時間で三人は全く同じ姿に変身してしまった。
その寸分違わぬ三つの姿は、誰が見てもまず思うだろう。
――白い。と。
「白い……男」
それも三人。
波遠は身体を変身させる能力など聞いた事が無い。純血一族にも、死使十三魔という組織にも、そんな能力を持った者が三人も居るという話は聞いた事が無いのだ。
ティンダロスの猟犬という組織など、能力者はある一人を除いて存在すらしていないらしいので、それもありえない。
なら、今波遠の目の前に居る――もはや誰が園子だったのかもわからない程にそっくりなこの三人は一体……。
「一体貴方達は何者なの?」
波遠は問い掛ける。
三人の目は冷たく、鋭い。
先程のような馬鹿笑いは絶対に似合わない端正な顔立ちと雰囲気だが、恐らくはその姿も偽りだろう。
三人のうち、右の男が口を開いた。
「カルテット。主人は我らをそう名付けた。故に私はカルテットBと名乗っている」
次にその隣、真ん中に位置する男が言葉を繋げる。
「そして私はカルテットCと名乗っている。四重奏という名の通り普段は四人一組であるが、今は理由あってカルテットAが不在だ」
「カルテットDである私は藤乃宮園子という女の姿でも活動をしていたわけだが、その理由は唯一つ」
カルテットDと名乗る男の、波遠に向けたその目がギラリと光った。
「日向波遠、貴様の抹殺だ」
Dの言葉を皮切りに三つの白いシルエットは茫然と立ち尽くす波遠に向かって疾走を開始した。
◇ ◇ ◇
“待つのは果たして謳い手か”
“見極めてみよう真の目的”
“見極めてみよう真の動機”
“歌を綴ったその所以”
“歌とは何を謳うのか”
“綴った想い、愛しき想い”
“我は呪歌”
“切に欲するは勇気”
“想いを伝える、強い勇気”
◇ ◇ ◇
日向波遠は調べ尽くされていた。
否。それもあるがむしろ調べ尽くされていたのは日向家の能力、言霊である。
その力。大気中の呪詛に語り掛け、意識に語り掛け、操る力。
その特徴。術者の周囲には結界が張られ、言霊はその領域内でのみ有効であるという特徴。
それらと、波遠を既に調べ尽くしていたカルテットと名乗る三人に、少女は苦戦していた。
「傾聴! その忌まわしき身体に掛けられた罪深き枷は、汝の動きを無慈悲に封ず!」
言霊で三人の動きを止めるべく声を放つ。その声を聞いた者は強力な暗示によって言霊使いの意思通りとなるのだ。
音を武器とするこの能力は一見すると避ける術は無いように思われる。
しかし
(届かない!)
言霊にはその効果が及ぶ領域という制限がある。
それは言霊使いを中心に張られている結界で、術者によりその大きさは異なる。
波遠の場合その結界の大きさは直径約十ニメートル程度。言霊使いとしては若干小さい。
カルテットはその事について当然知っていた。
(でも……)
カルテット達は巧みに波遠の効果領域に入らないように体育館内を縦横無尽に疾走する。
その動き、息の合い方は絶妙の一言。
必ず一人は波遠の目の前に現われ、一人は撹乱の為に若干スピードの変化を加えながら結界に入ってはすぐに出、もう一人は少女の背後つまり死角となる位置を取り続けている。
(何故私の効果領域を把握しているの?)
自殺事件を知っていたとしても彼女の効果領域を把握するには不十分だ。精々把握できるのは少なくとも恵西高校の教室を埋め尽くす。この程度である。
だが彼女が唯一広い場所で言霊を、それも戦闘に使用した場所があった。
御堂摩紀と戦ったあのビルだ。
波遠は知らないが、あのビルの遠くからカルテットは戦闘の様子を静観していたのだ。
御堂摩紀という強敵に対し、ぎりぎりまで距離を置いて言霊を使っていた事が今になって仇になってしまったのだ。
考えても仕方ないと頭を切り替えた波遠はどうにかして敵を領域内に引き入れようとしきりに動きまわる。
ここで結界の端に違和感があった。
運良くカルテットの一人が侵入したのだ。
(よし!)
ところがそれはカルテットの作戦だった。
波遠が結界に入った者に反応すると、別の者がその隙を突いて攻撃してくる。
赤き矢で。
「あうっ!」
波遠の制服の肩を切り裂く矢。
その攻撃は異常だった。
何故ならそれは彼等自身の血液が凝固した矢であるのだから。
攻撃が異常というよりも、彼等カルテットの行動が異常だった。
白いコートの内側からナイフを取出し、それを武器にするのかと思いきや自分の腕に突き刺したのだ。
その光景に絶句した波遠はしかし、次の瞬間それが彼等の攻撃方法だと気付かされた。
腕を振ってカルテットは血飛沫を波遠に向けて飛ばし、宙を舞う鮮血は矢となり少女に襲い掛かったのである。
射程外から、しかも三人がかりでの攻撃。
攻撃する手が無くとも言霊使いの少女は壁を作り出す等してかろうじて回避していた。
波遠にはもはや〈傾聴〉という発動キーは必要の無いものなのだが、過去のトラウマでどうしてもその枷を意識せずには居られない。
たった一つの単語なのだが、それを加えるか否かの差は意外に大きい。
「守野一郎、そして九条君を殺したのは貴方達なのね」
壁を具現化し、降り注ぐ血の矢を弾きながら波遠は問う。
もはやB、C、Dと名乗ったところで誰が誰なのか分からなくなったカルテットの内一人が、コートを翻し体育館の壁を三角飛びの要領でバック宙しながら頷いた。
「その通り」
「何が目的!?」
たたん、とリズムの良い足音が背後で響いた。
「純血一族の滅亡」
たたん、とリズムの良い足音が頭上で響いた。
「自然発生能力者の自由と安全」
たたん、とリズムの良い足音が正面で響いた。
旧体育館。
結界を張った波遠はいつの間にか中心に位置付けられていた。
そして彼女から見て前、後、上の壁。
その三面に、見分けのつかぬ白い影が張り付いた。
直後、全方向から波遠に赤い雨が放たれる。
まさに今の彼女は格好の的。
「壁壁壁壁! 四方八方、我を守護せよ!」
波打った旧体育館の木造の床が巨大な壁が彼女を囲むように現われ、箱状の盾となる。
今までは防御ではなく具現化する壁の勢いで矢を弾いていたのだが、三方からの攻撃に対処するには防壁という策しか残されていなかった。
「愚かな……」
「我らの凝血矢は」
「鉄に匹敵する硬度を有する」
堅い木造の床で形成された防御壁を易々と貫通する赤き矢。
箱の中に居る波遠は貫通によって速度が落ちたそれらをぎりぎりで避けていた。
死の雨が止む。血液を使用する能力であるが為にカルテットも多用を避けたいのだろう。
穴だらけになった防壁達を消す。
箱の中から表れた波遠の腕は深めに切り裂かれている。
血の滴る片腕を押さえる言霊使い。
目の前には三人が再び並んで立っていた。
「……貴方達の能力は、変身ね。なら、この血を矢にする能力は?」
どうしても震えてしまう口を無理矢理動かす。
腕の痛みに耐えつつ、波遠は会話によって時間を稼ぐ事にした。
幸い敵も波遠が手負いになった事で余裕を見せ始めている。
言霊は精神力を要する為、傷を負って集中できないのは事実ではあるが。
「フッ、我々の能力」
「正確にはコピーする能力」
「無論、対象が持っていた能力ごとコピーする事も可能」
カルテットは次々と、滑らかに言葉を繋げる。
「しかしこの身体の素体」
「忌部成吉という男はもうこの世には居ない」
「つまり我らがオリジナル」
どうやらカルテットの能力は対象とした存在の外見と能力を真似る事ができるというもので間違いは無いようだ。
藤乃宮園子や、舞阪、鎖龕も実際に存在した人物なのであろう。
「なるほど……ね」
(自然発生能力者? やはり呪詛は感じられない。危険勢力の人間ではないのかしら)
裂けた波遠の片腕の肉はぱっくりと亀裂が入り、血が袖口から滴り落ちている。戦いというアドレナリン分泌の激しい状況下でなければ痛みに声をあげていただろう。
冷や汗が頬を伝う。
血液と汗のブレンドが旧体育館の床にいくつもの水滴を落とした。
汗。
焦りというよりも集中しようと努力しているが故の発汗。
波遠の眼は鋭く面前の三人に焦点を絞っている。
彼女には策があった。
結界の形状を変化させ、領域外に居るカルテットを内側に含むという策が。
三人が正面に立っている今がチャンスだった。
背後の領域を狭め、正面の領域をじわじわと増やす。
御堂摩紀が銘打つだけあり、言霊による戦闘知識が皆無に等しい波遠がここまで能力を使いこなすのはやはり天才の証なのだろう。
しかしながら、いくら天才といえどもこれは戦法の基本を実戦で把握した程度。
浅はかだった。
「ところで――」
一番端の者が口を動かした瞬間、集中していた波遠の視界が揺らいだ。
ドクン、と異常なまでに心臓が脈を打つ。
その脈打ちは急激な血圧変化、血液流動から来るものだった。
「貴様の結界が我々に届くまで、あと幾尺かな?」
視界が赤で埋め尽くされる。
次の瞬間、少女の脳に電撃が走った。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
痛烈な悲鳴をあげる波遠。
吹き出す血。
波遠の両手と両太股に一本ずつ、矢が貫通していた。
激痛に悲鳴をあげた少女はたまらずその場に崩れ落ちる。その際に更に矢が四肢に食い込んだ。
「うぅぅぅ! っ……は! あっ……ぅ! く、くそぉ……」
痛みと同時に呼吸がし辛くなる。
急激な出血によるショック症状が表れていた。
「は……っ! はぁ……っ! はっ、はっ、はっ!」
涙を浮かべながら過呼吸を必死に抑えようとする。
痛くて痛くて、しかも息ができない。
狂ってしまいそうだった。
その様子を、白い三人は冷ややかに見続ける。
「ぐ……うぅ! っはぁ、はーーーーっ! はーーーーっ!」
やっと整い始めた少女の呼吸。
常人なら心が折れてしまう状況だが、波遠は苦悶の表情で前に立つ三人を地面から睨み上げる。
波遠がその才覚によって発見した結界の変形という技術。しかしそれはカルテットにとって既知の技術であった。
能力者にとって、相手に術中を知られるという事は死を意味する。対策・戦術を練られてしまうからだ。
日向波遠の現状がまさにそれであった。
全身から血が抜けていく感覚は体温が低下する感覚に似ている、と波遠は感じた。
(まだ、声は出せる)
変形させた結界が勝利を確信するカルテット達に届いた途端、肺の中にあった空気全てに言葉を乗せて吐き出した。
「傾聴せよ! 縄縄縄縄……あぐぅ!」
左腹部にも激痛が走り言霊が遮られる。
血の矢が突き刺さっていた。
最後の足掻きが虚しくも不発に終わり、波遠の意識は虚ろになってゆく。
「ふん。案外脆かったか」
「守野一郎と同じく実戦経験が皆無に等しいからな」
「ここまでやれたのはむしろ誉めるべきか」
波遠の周囲から結界は消え、代わりに溢れる血液によって血溜りが広がっていた。
そこを、まるで赤い絨毯の上を歩くようにカルテットの一人が足を踏み入れた。
「この娘が心の臓。このカルテットBが頂く」
「構わぬ」
「憎き純血一族の心臓。引き抜いてやれ」
カルテットBの腕から滴る血液が凝固して歪な杭に変わる。
薄れゆく意識の中。無表情な顔で自分の胸に赤き杭を突き立てようとする白い男に問うた。
「何故……そんなにも私達が憎いの?」
それは純粋な質問。
男も手を止めて答える。
「我らの主人を殺したからだ」
波遠は弱々しく唇を震わせる。
「……そう。ふふ」
死を目前にして尚も笑う少女にカルテットBは訝しげな顔をした。
「何が可笑しい」
「ううん。貴方達にも、大切な人が……居るんだなぁ……って」
その笑顔が彼の主人に似ていたのか、カルテットBは顔をしかめた。
コピーではなく、彼自身の表情だった。
「くっ!」
弱り切った小さな体躯に。
四肢は貫かれ、左腹部にも矢を突き立てた小さな体躯。
その胸元に向かってカルテットBは腕を振り上げた。
「貴様に恨みは無い。……御免!」
振り上げられた杭は頂点に達し、あとは直下に落とすのみ。
だが。
それは彼の耳に響いてしまった。
“歌――”
「む!?」
何故か反射的にBは波遠から離れた。
後ろで見ていた二人もその異常な行動に眉をひそめる。
「どうした」
「何をしている」
ところがカルテットBは二人の言葉を無視してキョロキョロと周囲を見回すばかり。
“共鳴の器で――”
刹那、今度はCとDも気が付いた。
異変に。
再び周囲が寒くなる――結界が張られるという異変に。
「誰だ!」
結界から逃れようと後退し続けた三人はしかし、その結果自分の身体が壁に張りついたのを感じて絶句した。
余裕で躱し切れる程度だった結界が今や旧体育館を埋め尽くす程に広がっていたのだ。
無論、波遠にはもはやそこまでできる体力も精神力も残ってはおらず、実際その少女はぐったりとしていた。
“共鳴の器で独り泳ぐ”
“狂った蓄音機すら今は無く”
結界という器。
その中で共鳴する歌。
しかし見渡せど音を出すものすら見当たらない。
「あがぁぁぁぁぁぁ!」
波遠に一番近かったカルテットBが突然叫び声をあげて崩れ落ちる。
その身体は痙攣し、全開にまで開いた口からは唾液が滴る。
“綴った呪歌は夜に訴う”
“訴えはすれど謳う者は無く”
共鳴する歌が大きくなる。
そしてカルテットCとDは見た。
「……!」
「馬鹿な」
――ゆらり。
と、波遠の上に現れたシルエットを。
髪は長く、妖艶な雰囲気を漂わせる裸の女性のシルエット。
透き通った紫色の姿に顔は無い。
しかし大きく口を開いた姿は。そう、まるでこの旧体育館が巨大なステージであり、そのステージを支配する――歌姫。
謳わない歌姫。
謳えない歌姫。
「ディ、D。あれはまさか……」
「認めん!」
宙を揺らめく歌姫に向かって駆け出すカルテットD。その表情は憎悪と戦慄に満ち溢れていた。
憎悪という感情に身を任せ、血液の矢を無数に放つ。
歌姫にではない。
地に伏す日向波遠に。
カルテットDにはわかっていた。あの歌姫を呼び出したのは日向波遠であるという事を。
カルテットBが苦しむ様を視界の隅に置きながらも、焦燥と憎悪、戦慄で満ち満ちた感情の中でも、純血一族への対策だけは身に染みている。
「死ねぇぇぇぇ!」
ガトリング砲のごとき連射で、赤き矢は血塗れの少女の身体へその切っ先を食い込ませんと風を切る。
“永遠に綴りし呪いの歌は”
“愛しこの世を呪いし歌で”
赤き矢は赤き砂へと変わった。
勢い良く少女へ向かっていた無数のそれは、矢先からさらさらと粉になり、波遠の上に赤い粉を舞わせただけだった。
同時にカルテットBだけでなくCとDにも異変が表れ始める。
「ぎ……っ!」
「くおぉぉ……!」
みしみしと音をあげて軋む骨格。
既にカルテットBの腕や足等は信じられない角度に折れ曲がっていた。
否。
まるで骨という軸が存在していないような、折れるというよりも、針金のような曲がり方。
ぐにゃぐにゃに、飴細工のような形になったカルテットBは、絶命していた。
“唯、世界の終焉を待ち”
ベキリ、とカルテットDの腹から音が鳴る。
肋骨が砕けた音。
Dは血を吐きだしながら尚も腕をついて立ち上がろうとするが、直後支えにした腕がゴムのように軸を失う。
「………無念!」
最後に全身から壮絶な破砕音をあげてカルテットDも力尽きた。
“唯、物語の終演を待ち”
最後の一人。カルテットCにも死の瞬間が訪れようとしていた。
彼だけはDと違ってその場に座していた。
死を覚悟した正座。
潔く眼を閉じたカルテットCの両腕が破砕音をあげる。
痛みに歯を食い縛りつつ、彼は自分に死を与えんとする歌姫の名を口にした。
「……っ! 呪歌ぁ!」
それは悔やみ、憎しみの込められた咆号。
“終末の風に乗せるが如く”
カルテットDと同じように全身から破砕音を放ったCは、前のめりに倒れた。
「申し訳あ……りません。わ……たし……の……ある……じ」
こうして波遠を亡きものにせんと策を練り、卑怯を承知で挑んだ三人の白い男――もはや骨格を粉砕された者達は最後までその真の姿を見せる事はなかったが――は恵西高校旧体育館で目的を果たす事なく倒れたのだった。
“三千世界で謳い手を求む”
歌を最後まで聴くこともなく。
歌。
結界の中で共鳴しつづけた謎の歌。
共鳴は共鳴を呼び、いつしかそれは万物を粉末化する高振動波へと変わる。
岩も、砂も、骨も、内蔵も、全てを分子レベルにまで分解してしまう。
残ったのは血溜りの中に倒れる少女と、三枚の白いコートのみ。
ぴくぴくと痙攣する波遠。その前に呪歌という名の歌姫は降り立った。
自分を呼び出した最愛の主人の前に。
命尽きるまでの残り少ない時を、弱々しい呼吸で刻む血塗れの少女の前に。
そう。
日向波遠の物語は、ここで終わる。
◇ ◇ ◇
嗚呼。
終わったのね。
まるで周囲が霧に包まれているかのように視界がぼやける。
身体はとても重くて、骨が鉛になってしまったのかと思うほど。
手足は感覚を失い、横腹は熱い。
意志に沿わず身体が小刻みに動く。
血を出しすぎたみたい。
穴だらけにされちゃったのだから、当然だよね。
腕も足も貫かれて、とっても痛かった。
痛くて痛くて、耐えられなくて叫んだ。
でも有り難い事に今はもう痛みは無い。
恐怖しか無い。
怖い。
なんだか怖い。
すごく寒い。
冬の体育館って、寒い。
そういえばいつも体育の授業が辛くて辛くて、着替えの時からずっと歯を食いしばっていたかも。
そんな日常を思い出すと切ない。
もう、戻れないから。
でも良いんだ。
これでこの高校から危機は去ったから。
ん……。
目の前に誰かが、立ってる。
ぼやけた私の視界の前に現れた足。
そっか。
助けてくれたんですね。
「王牙……先輩」
だって私達は、ずっと一緒だって言ったもの。
助けてくれるのは当然ですよね。
私は心残りだったこの事件を解決しましたよ先輩。
一人で三人と戦ったんですからっ。
あとは私と王牙先輩の二人で……あっ、皇真さんを含めて三人ですね。
三人で。
逃げるだけですね。
“波遠……”
ほらね。
先輩はちゃんと私の事を名前で呼んでくれるもの。
名前を大事にするって、素敵ですよ。
私の名前を大事にしてくれる先輩は素敵なんですよ。
「先輩、私……頑張りましたよ」
私はゆっくりと、しかし一生懸命片腕を持ち上げた。
私は先輩の足を掴む。
そしたら先輩は、
“うん、頑張った”
ほらね。
ちゃんと誉めてくれる。
でも、今わかった。
私、自分の身体を自分で持ち上げられない。
「ごめんなさい先輩。わたし、動けません」
足手まといになるかもしれない。
でも、王牙先輩は一緒に居て良いって言ってくれましたから運んでくださいねっ。
図々しいですけど。
気持ち、ぶつけていいですよね?
先輩は膝を曲げてしゃがんだ。
嗚呼。
顔が見たいです。
もっと近くに。
目が変なんです。
スモークガラスみたいで。
それでもって――
「少し、寒いです……」
正直、今のはちょっとしたイタズラです。
だって私がそう言えば先輩は、ほら。
抱き締めてくれる。
照れ臭そうに笑うけれど、そんなところが先輩らしくて。
嫌そうな顔をするけれど、そんなところが先輩らしくて。
いつも先輩を見てました。
あったかいです。
あったかいといえば。
あの日も雨が降り出しそうな夜で、少し冷えました。
最初に出会った公園。
先輩や摩紀さんに出会う前、わたし全然喋らない人間だったんですよ。
他の動物には無い〈声〉を人間は持っていて、人間はそれを当たり前のように使う。
でも私だけは使えなくて。
そうしたら自分は人間ではないような気持ちになってきて。
でも勇気を出してもう一度この声を使い始めたある日の事。
私は声で人を殺しました。
声を出さないと私は人間じゃなくて。
声を出しても私は人間じゃなかった。
寂しくて寂しくて。
じゃあ私は誰なんだろうって。
あの公園で悩んでました。
雨はその音で世間の音を覆い隠すから、雨が降るのをずっと待っていました。
寂しくて寂しくて。
ブランコをあと三回揺らしたらもう自分で死んじゃおうって、そう思っていた時。
話し掛けてくれたのが先輩でした。
私その時すっごく無愛想で。
今更だけどごめんなさいです。
人が怖くて。
正直、先輩も怖かったんです。
でも、あったかかったなぁ。
普通に話し掛けられて、王牙先輩がペラペラと喋るばっかりだったけど、そんな先輩の相手をしているうちに私はブランコをとっくに三回以上揺らしていました。
会話とは到底言えそうに無かったですけど、私は人と接するのがちょっと楽しいかもって、そう思いました。
それから、私は間違いを犯したのです。死んで当然だったのです。
摩紀さんに懲らしめられて、目が覚めてもすっごく怒られました。
摩紀さんはとても怖かったけど怒ってくれる人って始めてだったから、びくびくしながらちょっぴり嬉しかったです。
私は先輩に興味を持ち始めました。
恥ずかしいから思い出したくないですけど。
王牙先輩は私の何倍も無愛想に見えるけど、本当はそうじゃないんですよね。
普通人嫌いだなんて、何様だと言ってやりたいくらいです。
人を拒絶ばっかりして。
その癖、女からも危険からもモテまくりで。変な人です。
そんな先輩が一緒に居ていいって返事をくれた時は目眩がしました。
嬉しくって。
私、嬉しいって感情のほとんどを先輩から貰っていたのかもしれません。
ふふっ、恩返ししなきゃですよね。
私は先輩に抱きしめられたまま、素直に口の端を持ち上げて見せた。
「私、笑っていますよ」
“………”
「ずっとずっと、笑っていますよ」
“………”
「約束ですから」
こんな約束、守るのなんて簡単だと思ってました。
王牙先輩のおかげで勇気を出すことができて、だから笑っていられるんです。
でも、今はね。
ちょっと眠いんです。
先輩があったかくしてくれた所為です。
まぶたが、すっごく重いんですよ? 先輩なんていっぱつで爆睡です。
でも。
でも私……。
今、人生で一番眠りたくないです。
先輩。
先輩。
「王牙先輩」
私は足を握る手に力を、精一杯の力をこめる。
離れないように。
ずっと一緒に居られるように。
どんどん力が無くなっていくのがわかるもの。
意識が薄れていくのがわかるもの。
約束、まだ一つも守れていないのに。
「王牙先輩……」
嗚呼、私。
「先輩…先輩、王牙先輩……」
死んじゃうのかぁ。
「王牙先輩……王牙先輩……王牙先輩……」
やだなぁ。
「王牙せんぱい…おうが……せ、せんぱい……」
あはは、言葉が上手く出せないです。
「わ、わらってないと……」
笑ってないと。
「あ、あれ? ちがうんですよ。こんなはずじゃなくて……」
手を顔まで持って来たいけど。
動かないからそのままで。
抱き締める先輩の腕に
雫が落ちて。
そして――
“波遠は素直が一番良い”
先輩がその言葉を放ち、それを耳にした途端に私は大声で泣いていた。
胸の奥が締め付けられます。
笑えないです。
笑ってても涙が出てきちゃうんです。
「生きたい」
自然と、言葉は流れるように紡ぎだされる。
力なくも、気持ちが全て溢れ出る。
「生きたいですせんぱい。わたし、しにたくないです。……はなれたくないです」
私は人間で良かったと思った。
言葉が無かったら、今の私は押し潰されちゃうから。
溢れる気持ちで、おかしくなりそうだから。
“波遠”
私はずるいですよね。
たくさんの人を殺しておいて生きたいだなんて。
図々しくて愚かで忌わしい存在だってわかってます。
もっと早くに死ぬべきで、もっともっと苦しむべきで、もっともっともっと罰せられるべき存在だってわかってます。
それでも。
それでも私は。
「もっとせんぱいと一緒に話をしたいし、一緒に雪合戦したいし、一緒に摩紀さんにイタズラしたいし……楽しいこといっぱいしたいんです」
ね?
私の夢はとってもわがまま。
“波遠”
もう先輩の顔が
見えない。
こんな望みを抱くのは、やっぱり我儘な夢だったんですよ。
だから一番辛い罰が下ったんです。
「しにたくない……しにたくないです」
最後の最後で。
一番望んだ夢が。
叶いそうなところで。
私の手から離れていく……。
「うう。やだぁ……」
私にふさわしい罰です。
“―――――”
もう、先輩の声が
聞こえない。
「たすけてせんぱい。いやですよぉ」
泣きじゃくる私の頭を優しく撫でてくれる暖かい手。
でも本当は暖かさなんて無い。
わたし知ってます。
いくら王牙先輩でも無理なんだってことくらい。
助けに来られないことくらい。
だから、この先輩が私の作ったマボロシだって知ってますよ。
わかって……ますよ。
でも。
時間が無いの。
だから
今だけは……。
せめて
目の前に居る先輩のマボロシでもいい。
想いを伝えたい。
“――――――――”
ゆったりと。
たゆたうように。
溶けてゆくように。
薄れゆく意識の中で。
私は人生で一番――
素直になった。
「私、先輩が大好き」
私という言霊。
冷たい終末の風に乗せ
唯、愛しき彼を想い
来世再びの邂逅を
心から祈ります――
◇ ◇ ◇
「私、先輩が大好き」
細くてガラスのように透き通った足を掴まれたまま、そう言って静かに眼を閉じた日向波遠を見つめ続ける歌姫。
膝を折り畳んだ呪歌は波遠の頭に手を乗せたまま、頬に透明の涙を伝わらせた。
顔が無くとも、表情が無くとも、彼女は悲しかった。
“やっと巡り合えた、やっと出会えた私の謳い手”
黒髪をゆっくりと撫でるその透き通った腕にはたくさんの雫が伝っている。
抱きしめた少女は、腕の中で泣いていたから。
“貴方に教えてもらった。待つだけでは駄目だと。自分から想いを伝える勇気を持てと”
語るその声はどこから響いてくるのか。謳うように、しかし語りかけるように。
“待った甲斐があった”
呪歌は自分より小柄な少女を抱き上げる。
抱き上げようとする。
だが自分の足を掴んだままの腕。掴むというより力のこもっていないそれはただ添えているだけなのだが、それに気付いた呪歌は波遠を抱き上げるのをやめた。
“永遠の時を待ち、そして刹那の時を過ごし、そして永遠の別れ”
きゅっと抱き締めて、もう一度頭を撫でる。
“刹那だからこそ、私にとって貴方はとても美しかった。二度と会う事は無くとも、私を満足させる貴方はとても素敵な――女の子”
動かなくなった波遠の耳に優しく語り掛け、そして呪歌は――
少女に唇を重ねた。
“大好き”
最後に口をニコリとさせ、優しく微笑んだ言霊の最高位、美麗の歌姫。
その身体は透明度を増してゆき――
空気に溶けるかのごとく消えていった。
共鳴する音はいずれ消えゆくように。
静かな余韻を残しながら……。 |