『血鎖の支配』(34/50)PDFで表示縦書き表示RDF


『血鎖の支配』
作:是音



第六章 三


 三、

「絶対におかしいって!」

 美央は乱暴に机を叩きながら、その机の持ち主である友人に訴えた。

「う、うん」

 席に座った波遠は、授業終了の鐘が鳴った直後に自分の席まで来てわめき散らす友人に苦笑いしつつも頷いた。
 髪をツインテールに結び、一目で活発な印象を受けるその友人は中村美央といい、〈新聞部〉と書かれた腕章を付けている。
 美央は探求心が旺盛で、常に事件を求めて学校中を奔走している新聞部員として有名だ。波遠と出会ったのも五月に学校で起こった大量自殺事件を無駄に調べていく過程で美央の方から接触したのが始まりだった。
 波遠にとってあの件は今でも、そしてこれからも心に残しておかなければならない事件であり、他人には触れてほしくない部分である。
 今までも何度か波遠に近づく者達の中にその事を訊いて来る者が居たが、美央だけは彼女のそんな雰囲気を一度接触しただけで察知したらしく深入りしようとはしなかった。
 それでも学校の陰謀というジャンルに興味を持つ美央は波遠を勝手に情報収集仲間として引き連れ、些細な出来事でも一層力を入れて駆け回るようになった。
 そして今回もまた、何かを嗅ぎつけて波遠に話を持ちかけてきたのだ。

「それで、誰が行方不明になったって? 美央ちゃん」

「今度はバレー部の男子生徒よ! ほら、隣のクラスだった鎖龕亮太さがんりょうた!」

「鎖龕って、なんか不吉な名字だね」

「これで三人目よ三人目! 学校側はあまり素行の良くない生徒達だったから家出だろうとか言うし。そんなわけがないでしょ! どうして保護者側も黙ってるのかしら。やっぱ陰謀よ陰謀!」

「大げさな……」

 波遠は友人の口癖にいつも通りの返事をしながらも、しかし気にならないわけではなかった。
 彼女自身、人知を超えた能力によって奇怪な現象を起こしてしまった事があるからだ。

 能力。

 日向波遠が友人にさえも秘密にしているのがそれである。
 それは言霊といい、言葉に乗せた呪詛の力で相手の意識に介入し、相手に幻覚を見せる等の影響を与えるというものである。
 事件発生当時の彼女には自分が能力者だという自覚はなく、強力な言霊を垂れ流しにした。

 それが原因でクラスメイトを全員死なせてしまったわけだが、能力で引き起こした事件だった為に彼女を戒めるものは無く、現在も別のクラスへ移って学校生活を送っている。
 それは今も波遠の中に重くのしかかるものであり、思い出す度に自分だけ生きているのが許せなくて死んでしまおうと思うのだが、それは逃げであり、許されない行為だともわかっている。
 波遠はそんなジレンマを抱えて苦しみながら、しかし決して表には出さずに今を生きているのだった。

 忌まわしい能力だけは身体に残る。
 御堂摩紀という女性に能力の抑え方を教えてもらったおかげでだんだん人と接することに慣れてきたのだが、時折身体が疼き、言霊を発したい衝動に駆られるようにもなっていた。
 波遠の中に流れる純血一族の血がそうさせるのだろうか。

「まったく! こういう事には詳しそうな握人くんは転校しちゃうし!」

 目の前で腕を組み、うーん、と唸る友人を上目遣いに見た波遠はクスリと笑った。

「ねえ美央ちゃん、王牙先輩ならそういう事信じて協力してくれるかもしれないよ?」

 言われて美央はぎょっとした顔になる。

「えっ、神野先輩? 当たり前のように言うけど、あの人と普通に話せるのって波遠くらいよ?」

 神野王牙とは波遠を助けてくれた人物の一人である。本人は否定するし、実際に彼がしたのは絶望状態にあった彼女と公園で一度話したくらいだった。しかし波遠にとってあの時の彼という存在は、とても有難く思えたのだ。
 事件後も彼の事を気にしていた波遠は登校を促すためという口実で彼のバイト先へ度々通うようになり、その甲斐あってか王牙はついに学校へ来るようになっていた。

 神野王牙という男は、本人は気付いても気にしてもいないが誰が見てもルックスが良い。
 それ故、すぐに彼への憧れを抱く生徒が増え、またその事で波遠は若干複雑な気持ちになっていた。
 しかし当の王牙は普通人嫌いという妙な性格をしている為、話し掛けられたとしても基本的に無視を決め込む始末。その猫のようなそっけなさが逆に人気上昇へと繋がっていたりもするのだが、如何せん猫よりも人に近寄らないのでやはり彼に近付きたくても近付けないのだ。
 しかし校内で、ただ一人だけ彼が自ら話し掛けた例外的人物が居る。

 それがこの日向波遠である。

 二年生の王牙はなにかと波遠に会いに来ては彼女を気に掛けてくれる。
 中村美央もこれには驚いていた。
 〈あの神野王牙の知り合い〉という事で波遠はすぐに色々な生徒との交流が増え、馴染む事ができた。ここでも王牙は一役買っていたのだ。
 王牙にしてみれば完全無意識な現象なのだが、彼女の方はそんな彼を校内で見かけた時とかには自然と目で追うようになっていた。
 そして今波遠は美央に、王牙と話せるのは波遠だけだと言われて軽く赤面しながらも、それを悟られまいとして会話を続ける。

「でも、ほら王牙先輩って探偵事務所でバイトしてるし、興味を持ってくれるんじゃないかな」

「うーん。波遠がそう言うなら、どうせ今は昼休みだし行ってみるか。何か知ってるかも」

「だよね、だよね」

 仕方ない。と、美央は呆れたように目の前であからさまに赤面して座る友人に目をやり、この子がこんなにも慕う神野王牙に一度会ってみるのも悪くないと思った。

 ◇ ◇ ◇

 サボり常習犯である王牙がいつも屋上にいる事を知っていた波遠は、あの後すぐに美央と一緒に屋上へ向かったのだが、どういうわけか二人は屋上階段の扉の前で停止していた。
 というより扉に隠れていると表現したほうが正しい。
 彼女達の目線の先にはやはり件の彼が居た。しかしいつもと様子が違う。
 なにやら一人で呟いたり喚いたりしていて、とにかく変なのだ。

 ところが波遠はその光景よりも、彼の発した言葉の一つ一つに驚いていた。

(何? 今、なんて言ったの先輩)

 隣の美央も訝しげにその様子を見ているが、波遠のように言葉は聞き取れなかったらしい。

「ねえ波遠、神野先輩っていつもあんな感じなの?」

 明らかに侮蔑の感情が籠もった調子で言った。
 しかしもう一人の方は一心に屋上で一人奇妙に動く男を見つめている。

(なんだろう? 二重人格ってどういう事?)

「聞いてるの波遠?」

 ポンと肩を叩かれた少女はビクンと反応し、慌てて友人に困ったような笑顔を向けた。

「うん、私もあんな先輩を見たのは初めて。本当にどうしちゃったんだろうね」

 これは本音である。一体彼の身に何が起こっているのか。あの様子が尋常ではない事態であることは尋常ではない事態を経験した事のある波遠には明白にわかる事であり、早く事情を知りたかった。がしかし――

 屋上に用があったのは波遠と美央だけではなかった。

「ちょっと。あんた達こんな所で何やってんのよ」
「あー、私こいつ知ってる。一年の日向波遠だよ」
「へぇ、〈例の事件〉に関わってた奴?」

 階段の踊り場から聞こえてきた三つの声の主は、波遠達の一つ上にあたる二年の女生徒達であった。
 新聞部で学校中を駆け回る美央は、この三人の柄の悪さを知っているらしく顔をしかめた。
 二年生の三人は王牙と同じクラスに属し、彼女達もまた王牙に会うためにやって来たのだ。
 その三人の顔はいかにも不機嫌だという感情を剥き出しにしており、目の前の後輩二人を冷ややかに睨み付けていた。普段男子の前ではおとなしかったり、性格も良さそうに見せたりしているが、こういう場面になると途端にがらりと態度を変える。いわゆる〈狡猾な女子〉の典型的なタイプというやつだ。

 三人の真ん中に立つ女。一年の女生徒の間では色々と有名な先輩である藤乃宮園子は、先頭に立って階段を上りながら波遠に詰め寄る。
 別に波遠は絡まれる筋合いなど無いので、美央と二人で黙ったままその場に立っていた。

「ねえ、自殺事件で生き残ったのってあんただけなんでしょう?」

(やっぱり……)

 大概波遠が初対面の人物に話し掛けられた時に言われるのは、今園子が言ったような科白ばかりである。今回はそれを話の入りに用いて波遠に絡むつもりらしい。
 いいかげんうんざりしてきている波遠だが、うんざりしているのは誰もが同じような事しか考えられないのか、という点に対してのみであり、事件に関して只の興味本位や軽い気持ちで触れられるのは何度言われても腹が立つ。
 背負ったクラスメイト達への為にも、腹を立てなければいけないのだ。
 園子や、それに続く二人の先輩は嫌味に笑いながら波遠達に近づいて行く。

「どうして一人だけ死ななかったのかしら?」

「こいつが呪いでもかけたんじゃない?」

「えっ、じゃあこいつが殺したって事? やだやだ、クラスメイト達が取り憑いてたりして!」

(……)

 波遠は自分の頭に血が上って行くのを感じた。
 園子達はケラケラと笑いながら波遠と美央を取り囲む。
 あまりに質の悪い発言に怒った様子の美央が

「ちょっと!」

 と口を出したが、

「お前に用なんかねえよ!」

 と、乱暴に突き飛ばされた。
 美央は肩を強かにぶつけてしまい、顔を歪めている。
 それを見て更にかちんときた波遠は無言ながらに年上三人を睨み付けた。

「なに怒ってんの?」

 園子と二人の女生徒は普段なら絶対に見せないような表情で笑う。

「つーかさ。こんな所で隠れて屋上覗くとか、マジでストーカーなんじゃない?」
「やだー!」
「王牙君に気があるのよ」

(この……)

 波遠は奥歯を噛み締めて怒りに耐える。自分を貶された事ではなく、友人を傷つけられ、軽々しく事件の話を口に出された事に腹が立つ。

(こんな奴ら……)

 黙ったまま敵意をむき出しにする生意気な後輩に苛立った園子は、少女の頬をひっぱたいた。
 波遠は倒れはしないものの、頬の痛みを感じつつ少しふらついた。

「波遠に何すんのよ!」

 美央が叫ぶが、三人は聞く耳を持たず波遠にだけ狙いを定めている。

「いつまでも黙ってんじゃないわよ!」
「何とか言いなさいよ!」
「アンタって気味悪いのよね日向」

 苛立ちのまま園子は目の前の一年生の顎を掴み、顔を壁に押しつけた。
 そのまま笑みを浮かべて波遠の耳元で囁く。

「……ねえ。クラスメイト全員を自殺させる方法とかあんの? ふふっ」

 容赦の無い言動。
 今まで何度も他人に対して嫌味な言葉を浴びせてきた故に、度の過ぎた発言に躊躇が無い。

 容赦の無い言葉。
 園子は何度そのナイフで人の心を突き刺してきたのだろうか。

 園子が本日の標的とした少女には、本当に容赦の無い言葉とは如何なる物かがわかっている。

 言霊。
 人の命に対して容赦の無い言葉の最先端。

 しかし最も残虐というわけではない。
 最も残虐な言葉とは、人の気持ちも考えず、永久に傷を残す言葉だから。
 そう。
 園子の言葉は、人の気持ちに対して容赦の無い言葉。
 残虐な言葉。
 最も質の悪い言葉。
 皮肉な事に、残虐な言葉は誰にでも使う事が出来る。
 見えない心に傷をつける武器。

 波遠の怒りは頂点に達していた。

 言霊使いはそれが許せない。
 言葉を敬い、慈しむからこそ、言葉は慎重に扱わなければならず、難しい。
 そんな事を考えもしない人間は言霊使いから見れば万死に値する。
 許さない。
 止まらない。
 衝動が止まらない。
 疼く。
 疼く。
 誰かが頭の中で波遠に呼び掛けてくる。

“やってしまえ”と。

 許さない。
 止まらない。
 衝動が止まらない。
 疼く。
 疼く。
 誰かが頭の中で波遠に呼び掛けてくる。

“こいつは敵だ”と。

 波遠が自ら備え付けた自制の枷を解き放ち、血の疼くままに敵を滅す。
 もはや枷など必要無いのに、自制心で架していた枷。
 抗えなかった。

“殺しましょう”

 園子は運が悪かった。その一言に尽きる。
 なにせ絡んだ相手が純血一族の一人。
 いくら自制しようとも、その血が許してはくれない。

“貴女は敬われるべき存在”

 もし、その血が通う彼らの一人に道ですれ違いざまに肩をぶつけてしまったのなら、運が悪かったと諦めた方が良い。

“この女は無礼”

 もっとも、それに気付く頃には意識は無いだろう。

“貴女なら鎧袖一触”

 怒りに触れれば彼らは容赦しない。向かって来るものに彼らは容赦しない。それがどこだろうが、人混みの中であろうが、学校であろうが。
 能力による事件は謎のままに終わる。

“日向は無敵”

 いくら自制しようとしても、波遠にはその血が目覚めてしまっているのだ。
 抗う事はできない。

“貴女は日向の天才”

 それでも残った自制心で、発動領域である結界の大きさを自分と園子を覆うくらいに調節する。
 自分を心配そうに見る美央へ攻撃してはいけない。
 だが、今目の前で波遠の顔を押さえ付けているこの――

“無礼な輩は”

 彼女はすうっ、と息を吸い込む。
 枷を外す――発動キーと呼ばれる単語を唱えた。

“斬り捨てよ”

「〈傾聴〉せよ!」

 もし感覚が鋭敏な者が居たとすれば、屋上階段の一部が寒くなったと感じただろう。
 波遠と園子を包んだその結界は、言霊使いの領域であり――猟域である。
 次に命令を下せば、おそらく園子は廃人と化すだろう。急に意識が朦朧とし、施設に入れられ、言霊の命令を待ち続ける空の人間となってしまうのだ。

“でも”
(でも)

“次の命令なんて”
(次の命令なんて)

“してやらない”
(してやらない)

 そう、それは永遠に廃人であり続けろという宣告。
 そしてそれはまさしく――

“無間地獄”
(無間地獄)

 園子は運が悪かった。その一言に尽きる。
 絡んだ相手が純血一族。

“純血一族は容赦しない”
(純血一族は容赦しない)

“容赦しない”
(容赦しない)

 まるで暗示にかけられたように波遠は目を泳がせていたが、急にキッと再び園子を睨み付けた。

(……容赦なんて、するもんかぁぁぁぁ!!)

 再び波遠の肺は空気で満たされた。
 あとは言葉を乗せて息を吐きだし、自分を壁に押しつける愚かな女を無意識たる廃人にしてしまうだけだった。

 ところが。

 喉から少し息を出したが、次の瞬間波遠は息を止めた。
 意識的か、それとも本能的にか、言霊を放つのを躊躇した。
 園子を睨んでいた波遠の目線は、次に園子の背後へと移動し、そのまま固定されていた。
 力を入れていた波遠の眉間は緩み、半開きになった口から止めていた息が漏れ出す。
 命令の言葉ではなく

「あ……」

 という一文字の言葉と共に。

 言霊を止めたのは、領域の中にもう一人侵入してしまったからだ。

 藤乃宮園子の背後には、神野王牙が立っていた。

「え……?」

 と背後を振り向いたのは園子だった。
 次の瞬間、波遠から園子が凄い勢いで引き剥がされた。王牙が園子の襟首を掴んで反対側の壁に叩きつけたのだ。
 その時の大きな音で波遠は我に返った。

 そのまま波遠や美央に背を向ける形になった王牙は、園子の足が地面から離れそうになる程に襟をねじあげる。

「あ……ぐ!」

 息ができない園子は苦悶の表情を浮かべた。
 傍らで園子が波遠に絡む様を笑いながら見ていた二人の二年生も、今は突然現れた男の鬼気迫る形相を見て恐怖と驚きで泣きだしていた。

 男は壁に押さえ付けたまま園子に顔を近付ける。
 そしてその光景を壁に張りついたまま見ていた波遠と美央にも聞こえない程小さな声で

「失せろよこの不細工。今度から俺様と擦れ違う時はその見苦しいツラを伏せて歩けバァカ。ギャハハ」

 と、そう囁くと乱暴に横へ突き飛ばした。
 まるで別人のような王牙の態度と表情に、園子を含む三人の女生徒は慌ててその場から逃げ出したが、その時、藤乃宮園子が咳にまじえて
「……接触には成功」
 と一人呟いていた事には誰も気付いていなかった。

 ふん、と苛立ち気味にため息を吐いた男は絡まれていた二人の方を向いた。

「なに絡まれてんだよお前等」

 素知らぬ顔でそう言うが、だいたい原因となったのは屋上などという場所でサボっていたこの男である。美央はムッと眉を寄せた。
 王牙に対してか、波遠を助けてあげられなかった自分に対してか、苛立ちを露わにしている。

「波遠、私はもう行くね」
「えっ、美央ちゃん?」

 パンパンとスカートの汚れを払う美央と慌てる波遠の隣で、王牙はきょとんとしている。
 美央は波遠を引き寄せた。

「これでも気を遣ってあげてるんだから感謝しなさいよね。あと夕方、買い物へ行く約束忘れちゃダメよ」
「う、うん」

 小声で波遠にそう言うと、美央は手を振りながらウインクをして階段を下りていってしまった。

 よくわからない後輩二人のやりとりを見ていた王牙は再び屋上へ出て行ってしまう。波遠はそれを追った。

 屋上は前日の雨によって所々に水溜まりができている。大体、水溜まりができるという事は床が平坦でない手抜き工事の表れである。

 二人は適当な場所に腰を降ろし、王牙は波遠の方を向いて言う。

「おい、もう授業始まるんじゃないか?」
「先輩が言う科白じゃないです」

 呆れ顔で返された王牙は、それもそうか、と呟きながら煙草に火を点けてボーッとした。
 のだが、直後今度は急にハッとした顔でまた波遠の方を振り向き、慌てて煙草の火を消した。

 波遠は、らしくもなく隣で挙動不審な王牙に微笑したが、その原因はもしかしたら先程この男が変な様子だった事に関係しているのではないかと考えると顔が自然と引き締まった。

「あの……せんぱ……」
「その口癖は直せって摩紀さんに言われただろ」

 少女は慌てて口に手を当てて頭を下げる。

「で、なに?」

「えっと、先輩。さっき様子が変でしたよね」

「変?」

「はい。二重人格がどうとか、ハンバーグがどうとか」

 それを聞いた瞬間に何故か王牙は目を見開き、次に苦笑いした。

「はは、二重人格ってのは、本当の話さ」

「誰が?」

「俺が」

 波遠が状況を把握するまでの時間が空き、その直後に

「ええええええ!?」

 屋上に驚愕する波遠の声が響いた。ちなみにこの時の叫び声は彼女が生まれて初めて出したような大きさだった。

「さっき、ちょっとだけ出てきたじゃん」

 耳を塞ぎながら王牙は言った。聞けば、どうやら先程波遠達を助けて園子の襟をねじりあげたのは眠りを妨げられて怒った王牙の別人格だったらしい。

「……王牙先輩は異常な出来事に遭遇しすぎです」

 落ち着きを取り戻した波遠は溜め息を吐きながらそう呟いたが、言われた本人は楽しそうに笑った。

「嬉しい事を言うね」

 男に対し、少女はもはや呆れを通り越した諦めの眼差しを向けた。

「私の件や、九条君の件、孤島にも行って事件に巻き込まれ死にかけたって聞きましたよ」

 波遠は御堂からその辺の事情は聞いており、大体把握していた。

「ああ、孤島ねえ。あれは事件に巻き込まれたっていうより、観客参加型の茶番劇を見せられたような感じだった……」

 苦笑しながらよくわからない事を言った。

「はあ。ところでその別人格って何者なんです? 急に現れたそうですね」

「うん。神野皇真かんやおうまって名前。純血一族の〈御上〉だってよ」

「へー」

 またもあっさりと言われて波遠は言葉の意味を理解するのに遅れた。
 宙を見つめながら、王牙の言葉を噛み砕く。

 〈御上〉という単語が脳内で反芻した直後、勢い良く隣で欠伸などをしている男の方を振り向いた。

「お、おおおお〈御上〉の人間!?」

 驚くのも無理はない。彼女の家系〈日向〉も、同じ純血一族であり、その御上の下にある十二家系の一つなのだ。
 王牙の方もその事に今気付いたらしく
「あ!」
 と声をあげた。

 二人は顔を見合わせて、互いに目線を交差させる。
 そう。この二人には誰が予測しただろうか純血一族というとんでもない繋がりがあったのだ。
 というか、この場合気付かなかった王牙の方が間抜けと言うべきだろう。

神野かんや神野じんの、漢字が同じで読み方を変えていただけ……ですか?」

 波遠の指摘に再び男は
「あ!」
 と声をあげた。

「そうなるよな。簡単すぎだ……」

 王牙も神野家のあまりに稚拙すぎる隠し方に軽く呆れたが、それに関連してある事を思い出したらしく腕を組んだ。
 この読み方の違いによって出会った人物が、一人居たのだ。

「……そういえば握人は」

 突然出てきたその名前に波遠は反応した。彼女も、彼が殺されてしまった事は聞いている。

「九条君が、どうしたんです?」

「ん、俺と九条握人が出会った理由がまさにそれなんだよ。名前の読み方を奴が勘違いしてな」

「へえ。間違えたという事は、九条君は王牙先輩ではなくて神野かんやの方を探していたという事ですか。先輩も彼と話した事があったんですね。それは初耳でした」

「まあな。二度目に会った時はボロボロだったが……」

 王牙は九条握人と喫茶店で話した内容を一通り波遠に話してやった。
 握人が九条本家の長男だった事や、御上に反逆して追われる身となった過程等も。
 握人とは少ししか話さなかった波遠も、彼の背景を知って心底驚いていた。

「九条君も実は純血一族だったという事は摩紀さんに聞きましたが、まさかそんな過去があったなんて……」

「摩紀さんは俺と握人が接触した事を知らないから、言わないでくれよ」

「はい。あれ? でも王牙先輩の別人格が神野かんやだったわけだから、神野かんや神野じんのも結局は同じになりますよ?」

 王牙は溜め息を吐きながら頷いた。

「そう。そうなんだよ……握人は神野かんやの次男坊を探していた。それは皇真の事で間違いない。という事はだぞ?」

 突然一人で考え始め、ぶつぶつと呟く王牙は、あまりにも頭の中で色々な事を繋ぎ合わせるのに集中しすぎて、気の抜けた顔になっていた。

「それじゃあ俺と会った時点で握人は目的を達成していたわけか……。いや、それは今問題じゃない。奴の言う次男坊を皇真だと考えて整理しよう」

 一人で考えに耽る男の隣で、波遠は話し掛けて良いものかと悩んだが、とりあえず傍観しておく。

「奴の昔話に出て来たのが皇真って事なんだ。という事は、という事はだぞ?」

 あまりに考え込む王牙の姿に、黙って見ているのが耐え切れなくなった波遠は顔を覗き込もうとした。
 が、

「うわ!」
「わわっ!」

 同じタイミングでいきなり王牙の顔が上がったので危うく激突しそうになった。
 王牙の顔は相変わらず口を半開きにした力のないものだ。その顔を波遠の方に向ける。

「ど、どうしたんですか?」

「大変だ……皇真には〈御上〉現当主である兄貴が居る!」

「お兄さんが? でも何故それが大変なんで……あっ!」

 ようやく波遠もその重大性に気付いた。
 純血一族については六月までは何も知らなかった彼女だが、事件の後に両親から純血一族の事情を全て、どんな情報屋でも手に入らないような事まで聞いていたのだ。彼女の両親も無論純血一族である。
 波遠は故に、今王牙が言った事の重大性が理解できた。

「掟に、背いているって事じゃないですか!」

 そう、掟。

 御上の掟では、当主を決める為に殺し合いを行う。そして生き残って良いのは一人のみ。

 王牙の話では、握人は三年前に現当主を決めるその儀式の中に居て、そこで結果的に現当主となった男が自分の弟――皇真を逃がすところを見たと言っていたらしい。
 どうして逃がしてもらえたのかは全くの謎だが、おそらく皇真の意識を圧縮して存在を消し、神野王牙という架空の存在を造り出す事で今まで隠し通すことができていた筈。
 三年眠っていたという皇真がその証だった。
 もしかしたら顔も整形させられているのかもしれない。と、波遠は目の前の男を見ながら思う。

 ところが、三年経った今。こうして神野王牙の中で皇真が目覚めてしまった。

 それはつまり三年前の儀式での生き残りが、皇真の兄である現神野家当主と神野皇真の二人になったという事だ。

 これが知れたら今度こそ皇真の兄は自分の弟を、王牙ごと消し去りに来るのは間違いない。
 いくら皇真という王牙の別人格が神野かんやの人間だとしても、神野へ近づいてはいけない身なのだ。

 波遠は口外すべきではないと悟った。

(先輩はきっと隠し通すしかない。皇真さんの存在を)

 そして波遠個人としても、その方が都合良い。
 正直、王牙が御上の人間であるという事実は彼女に驚愕よりも絶望に似たものを感じさせた。
 この男の隣に居る。彼女にとってその時間はとても幸福。彼女にとってその時間はとても憂欝。

 異常な程急速に廻りだした運命の渦――
 繋がりはじめた物語――
 それはあまりにも広く、世界ですら呑み込んでしまうかもしれない程に大きく成長しそうな――
 その中心に居るのは一体誰か。誰も居ないのなら、世界の物語が崩壊してしまうのか。

 アブノーマルなクロスオーバー。
 どっぷり浸かった王牙の末路は。
 果たして筋書き通りなのか。それとも、普通が嫌だ嫌だと嘆いていた彼が切り開き、書き替えてしまったのだろうか。

 どちらにせよ――危険。

 そんな事など王牙は露知らず、無論露考えず、ただ皇真の事で頭がいっぱいで。
 茶ぞめの髪を(これを染めた時の記憶も実は無いのだが)わしゃわしゃと掻くだけだった。

「あーあ……摩紀さんにはどう説明しようか」
「わ、私もついて行きます!」

 波遠は間髪入れず、自分でも無意識のうちにそう言っていた。
 そう。自分では全くわかっていない。それは何がそうさせたのか。ついて行くとはどういう意味で言ったのかも。
 これも運命の成せる業か。はたまた血の導きか。

(美央ちゃんとの約束は夕方だし、待ち合わせも外だから大丈夫ね)

 結局この後も王牙と波遠は途方も無い会話を続け、授業には出なかった。












ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう