第五章 七、《魔手》
七、《魔手》
◇ ◇ ◇
「ギャハッギャハァァッ!ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
狂ったような大爆笑が園内を包み込む。
割りと童顔なその顔は狂気に満ちており、そういった攻撃的な物には滅多に動じない破帝でさえ、目の前の自分より年下の青年に恐怖していた。
「ヒャハハハハハハハハハハハハハハ……」
顔を上げたまま青年は急に笑いを止め、その姿勢のまま目だけをギョロリと下へ向けた。
その先には破帝がしゃがんでいる。
「おいコラ片腕野郎」
顔からは想像もつかないような乱暴な口調である。
「ここら辺に〈獣人〉来なかったか?」
それを聞いた破帝は死神の言っていた事を思い出す。
(あの女も獣みたいな人間を追っていると言っていたな)
「見たのか見てねぇのか。さっさと答えやがれ」
短気な青年の目は暗闇の中でギラギラと光っている。
「い、いや、知らねえ」
破帝が答えると謎の青年は両肩を少しだけ上げて残念そうな仕草をした。その仕草が表すのは見たかったテレビ番組を見逃してしまったとか、そんな程度の残念さだった。
「やーれやれ。アイツのお陰でやっとこさ出てこられたってぇのに、お礼のボコ殴りが終わらねぇうちに逃げちまったのよ。来なかったんかい? 見なかったんかい? あぁそうかい」
まったく意味不明な事を口走る青年。どうやら独り言らしい。
「んでちょいと遠くで呪詛っぽい香りがしたから来てみれば……」
今度は首だけを横に向けた。ギョロリと目を向けた先には壊れたアトラクションの瓦礫の下から出て来た響が居た。
次に遠くからこちらを見ている雪乃を見る。雪乃の視線はずっと乱入者に釘づけになっていた。
青年はニタリと邪に笑った。
「来てみれば片腕相手に二人掛かりで戦う馬鹿が見えたんでな」
どうやらこの青年、この場所へ辿り着いた時に見た光景が、片腕を失いしゃがみこむ破帝と敵対する二人だった為に妙な勘違いをしているようだった。
だが今はそんなことは関係ない。響は勝利への確信故に油断していたとはいえ突然の乱入者と、奇襲を受けた自分に腹を立てた。
「貴……様ぁ……何者かは知らぬが生きて帰れると思うなよぉぉぉぉ!!」
響は青年を睨み付け、片手の毒爪をむき出しにして駆け出した。
腕を振り上げ、触れた万物を瞬時に破滅に追いやる魔の爪を、幼さの残るその顔に突き立てようと。
そして乱入者の青年の方は、
口笛を吹いていた。
「――――――!!」
ぶち切れるとは今の響の状態の事を言うだろう。
織神楽家の中で稀代の毒爪使いと称され、雪乃に次いで若くして式神入りした天才と称された男。
そんな彼の前で口笛を吹く者など居なかった。
馬鹿にされていた。
若さ故に情緒不安定な響は怒りに我を忘れて飛び掛かる。
「やめなさい響!!」
突如として雪乃が叫んだが、白の忍装束は止まらない。
口笛は続く。
青年が奏でる曲目は〈TWISTED NERVE〉。密室の恐怖実験のテーマ等で知られるが、ゆったりと滑らかなその曲は口笛にはぴったりで、今や高速で接近してくる響とはまったく不釣り合いな曲である。
口笛は続く。
ゴキャァ!と白の忍装束が宙を舞う。
口笛は続く。
「―――っ! ぶふぁ……!」
白い覆面に吐いた血がじわりと染み込む。
口笛は続く。
織神楽響はグチャリと鈍い音をたてて落下し、白目を剥いて気絶した。
それでも口笛は続いていた。
響を一撃で殴り飛ばした青年は拳を下ろして、口笛も止まった。
目の前で見ていた破帝は言葉を失っている。
彼は見た。
響の毒爪からにじみ出た毒素を纏った手。それは周囲に近づいた物をも毒に侵す。
その毒素が、響の手から吸い出されるように噴出し、それが青年の周囲を螺旋状に天高く舞い上がって消えたのだ。
響はそれを目撃する間も無く、常人離れした一撃に沈んだのだった。
破帝は全然理解できていない。この男が何者なのかも、そして響を軽くあしらった力の事も。
だが九条雪乃の方は早かった。
彼女はすぐさま響に駆け寄り、助け起こす。
「響、貴方は式神に入ったばかりだから気付かなかったのですね」
意識の無い響に向かってそう呟いた雪乃は、先程から観察していた青年の方に目を向けた。
だが彼はもう二人に興味は無い様で、意識は破帝に向いている。
(まさか……いや、顔が違う。しかし顔等どうにでもなる。ということはやはり……。駄目、情報が少なすぎるわ)
なにやら考えを巡らしつつ、雪乃は響を担いでその広場から撤退した。
破帝は混乱の中、青年が自分の左腕を止血しているのを見て、とりあえず彼が自分を殺す気は無いと悟り、そのまま意識が薄れていくのを感じた。
◇ ◇ ◇
雪乃は遊園地内のアトラクションに身を隠していた。やはり追ってくる気配はない。
「うぅ……奴は?」
目を覚ました響は変形した片手を押さえながら周りを見回す。奴とはあの青年の事だろう。
そして今はもう別の場所に移動させられている事に気付き、目を丸くした。
「おい雪乃!何故逃げた!」
憤怒して隣の赤いスーツを睨み付けた男は、普段優しい顔をしている九条の長が厳格な顔立ちになっている事に気付いておもわず押し黙った。
「響、あの場から私達が先に撤退した以上、我々の負けよ。解毒の少女は諦めなさい」
「な……っ!」
撤退。
どちらかの死亡、撤退により勝敗を決する。そういう約束の決闘だった。
無論、響にそれを破るつもりはない。織神楽音々子はこの瞬間に江本音々子になったのだ。
ただ男は撤退に納得がいかなかった。一族の重要な任務を失敗するような長はいっその事死ぬべきだったと。
ところが雪乃は撤退が最前の策と判断した。純血一族の作戦参謀が判断した結果だ。
「そう。撤退が最前の策だったのですよ」
「死よりもか……」
「ええ。それともあのままアレに挑み、アレに目を付けられて織神楽の家系自体を破滅させた方が良かったですか?」
「ど、どういう意味だ」
その問いには答えず、雪乃は立ち上がるとひどく深刻そうな面持ちで、
「今我々がすべきは、いち早く〈御上〉にこの事を報告する事なのです」
そんな事を言った。
◇ ◇ ◇
街頭すらない工業地区の暗い路地。どんよりとした空気の中、一人分の軽快な足音と、雰囲気には全く似付かわしくない陽気な歌が、その空間を支配していた。
「ふんふふーん、ふーん。やーっと出て来た筈なのに〜♪ 何故だか俺様裏の顔〜♪ 表の顔はだぁれ〜? だぁれなんだぁ〜? 知らね〜!! ギャハッヒャーッヒャヒャヒャヒャヒャハハハハハ!!」
歌い続ける陽気な青年は、何もない路地の途中で足を停めた。
そのすぐ目の前にはなんと、喉や手足を引き裂かれた死体が転がっており、地面にへばりついた血は既に乾いている。
この死体は青年がやったわけではなく、青年が気分で殴り倒した獣人がやったものである。
ところが彼は死体には目も向けず、今まで肩に担いで歩いていたソレをその場に落とした。
「うぐっ」
今まで気絶していた破帝は、落下した衝撃とそれに伴う痛みで目を覚ました。血を多く出してしまった為に身体がうまく言う事を聞かない。意識は今にも失ってしまいそうな程朦朧としている。
「こ、ここは……?」
遊園地からの記憶が無い破帝はぎこちなく周りをキョロキョロ見回し、そして暗がりに立つあの謎の青年を見つけた。
近くに横たわるズタズタにされた死体も視界に入っていたが今はそれどころではない。
「お、お前が助けてくれたのか? 何故?」
青年はぶっきらぼうに答える。
「うん? そりゃおめぇ、片方は二人でもう片方は腕一本無くした一人。どっちかぶっ飛ばしてぇって考えたら間違いなく前者だろーが。俺様のお陰でテメーは大勝利ーー! ギャハハハハハ!」
げらげらと下品に笑う彼は、腕を押さえて自分を見上げている破帝を見ながら突然冷たい表情に変わった。
だがそれは破帝に対して向けた表情ではない。
「ん、悪ぃがテメーを担いで歩くのも〈此処〉までだ。後は自分で歩け。止血はしたし、なんとかなるだろ。つーか医者行け、医者」
「お前はどうするんだ」
「俺様はどうやらこの場所で気絶しなきゃいけねぇみたいだからよ。うーん、できれば誰か人を呼んでおいてくれ。ヒャヒャヒャ……」
わけのわからない事を言いながら青年は急に意識を失い、その場に倒れこんでしまった。
突然、予言通りに気絶してしまったのだ。
だが今の破帝にはその事について考える余裕すら無い。
確かに青年は見事な止血を左腕に施していたらしく、切断された左腕からの出血はかなり抑えられていた。
それでも血を出しすぎた彼の足は震え、路地の壁づたいに一生懸命歩みを進める。
そう。
彼は一生懸命だった。
帰りたかった。
会いたかった。
音々子に。
自分達は勝ったのだと、自由に外を歩き、自由に買い物をしようと、言いたかった。
(見えた)
隠れ家にしているアパート。死神の守っている寝室ではぐっすり眠っていることだろう。
自由を手に入れた少女が。責任をはたすべき相手が。
(片足動かねぇ)
破帝はずるずると足を引きずる。右腕の呪詛装甲はべりべりと剥がれ落ちていく。
アパートの小さな駐車場前まで彼は身体を引き摺ってきていた。
(回ってんじゃねぇよ)
ふらりとバランスを崩しかけた破帝は左側の壁に手を付こうとする。
(あ、左腕無ぇや)
空振りした破帝の身体はそのまま前のめりに倒れていく。平行感覚が麻痺しているのでイマイチ倒れている感覚が無い。
(あ? 地面が起き上がって来る)
そして彼は激突した。
小さな身体に。
「……!?」
「いたたたたた。ゴホッゴホッ」
破帝は小さな体躯に覆いかぶさる形で倒れていた。小さな少女は大きな男のクッションになって圧迫されたことで咳をしている。
「ね、ネコ!?」
「ネコじゃなくて音々子!」
「いや、何でお前……」
驚きを隠せない破帝は音々子の上から慌てて退くと、地面に座り込んだ。
『フッ、お前が心配で起きちまったんだとよ』
物陰がスーツ姿の女が姿を現わす。屋外なのでその口には煙草がくわえられていた。
「しっかしひでぇ有様だなぁ。えぇ? 一体どんなバケモンとやり合ったんだよ。……まさか獣人か!? おい、獣人を見つけたのか!?」
怪我などお構いなしで男の身体を揺さ振る女は、音々子によって突き放された。
破帝は獣人は見ていないと答えたが、あの謎に包まれた青年の事を思い出した。
「あぁ、そうだ死神」
「なんだよ」
依頼対象が発見できなかった死神は不貞腐れたように返事する。
「お前の追っている獣人なんかより遥かに危ねぇ怪物がずっと先に転がってるから、手駒にでもしてやるがいいさ」
ふむ。と女は首を傾げたが、それでも興味はあるらしく、
「一応見てみるわね。そいじゃお前の依頼はこれで完了ってことで、失礼〜」
煙草の煙をなびかせながら死神と恐れられている女はコツコツと靴音を鳴らして去っていく。
その時ぼそりと、
「……江本涼子の最後の依頼も完了ね。まったく、依頼を三つも掛け持ちするなんて私もよくやるわよ」
そう呟いたのだが、誰に聞かれる事もなく闇に溶けて行ったのだった。
「自由な人だ……」
去っていく女を見送りながら破帝は仰向けに倒れた。
傍らの音々子に顔を向けると、彼女は泣いていた。
「お、おい。何泣いてんだよお前」
少女は突然男に抱きついた。小さなその手は破帝の左腕を撫でている。
「破帝さん……っ!」
音々子は嗚咽を漏らしながら破帝の胸に顔を埋めて左腕を擦り続ける。
緊張の糸が解れた彼は目頭が熱くなっているのを感じた。
「雪白がさ……」
破帝は夜空に浮かぶ月を見ながら呟く。
「死んだよ」
少女は何も言わずに頷く。
「友達が死んじまったよ……」
少女は何も言わずに頷く。
「でも……なんでだろ……」
破帝の声は震えていた。
「大切な奴が死んだのは悲しい。悲しいのに……」
破帝は頭に巻いたバンダナを下げて頬を伝う涙を隠し、肩を震わせながらも言葉を繋ぐ。
「雪白が死んで……今まで痛かった心がもっともっと痛くなるんじゃねぇかって、怖かった……」
音々子は頷きながら男の首に手を回して嗚咽を漏らし続けている。
小刻みに震える小さな身体を破帝はぎゅっと包み込んだ。
「なのに……なのによぉ……」
音々子の頭を胸に抱きながら、破帝の涙を流すその顔は自然と笑顔が零れていた。
「お前と居ると、心が痛くないんだ」
音々子もまた涙を拭って力強く笑い、両手で男の右手を包み込んだ。
「ふふっ、破帝さんの手も《魔手》だけど、私の手も《まほうのて》だねっ」
人気の皆無な、とある路地。
壁に覆われ、暗く切なく、それでも月だけが見守るその空間で。
自由を喜び、相手を愛し、互いの想いを感じた二人。
小さいけれどあったかい。
五月下旬のある物語。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
零、《秋晴れ》
数ヵ月後の秋。
とある休日、青いバンダナを頭に巻いた男は街の雑踏の中に居た。初秋の空は快晴だ。
青。
単色ではなく、様々な青が入り混じった空の青。
似た色同士が集まれば、それらは全て同じ色として紛れてしまう。
――けどまぁ、同じに見えてもちゃんと違う部分が必ずあるんだよなぁ。
男は左腕の義手を持ち上げて太陽にかざし、クスリと笑った。義手をつけるつもりはなかったのだが、連れの少女に無理矢理造らされたのだ。
かざした義手の手首の位置には、
《from 音々子》
と彫られており、彼を度々苦笑いさせている原因の一つでもある。
すると人混みの中から問題の少女が男のもとへ駆けてきた。
「ごめんね《ジン》!」
ジンと呼ばれた男は呆れ顔で溜息を吐く。
「おい音々子、どこ行ってたんだよ。心配したんだぞ」
「ほんとにぃ?」
「ほんとだ」
男はぶっきらぼうにそう言いながら少女の前に右手を差し出した。
彼女はそれを満面の笑みで握り、二人は並んで歩いてゆく。
「ジン、死使十三魔ってトコ抜けたんでしょ? 大丈夫なの?」
「あんまり人前で口にすんなよ……。うん、あそこは抜けても仲間だと考える変な組織だからな。逆に俺達を守ってくれるぜ?」
「そうじゃなくって!」
「ん?」
「雪白さんを含めて二人分の空きができたんでしょ? それを巡ってまた争いが起きるんじゃないの?」
関係の無い音々子が組織の心配をしている事にジンは肩を震わせて笑う。
「はははは! いや、その辺は大丈夫だ。丁度良いタイミングで双子の姉妹が入ったらしいからな」
「双子の姉妹〜?」
「おう。見分けがつかないほどそっくりらしいぞ」
ふぅん、とその二人を思い描く音々子だったが、さすがに小柄な召し使いの姿を想像することはできなかった。
思考の途中で別の事を思い出した音々子は話題をそちらに切り替える事にした。
「そういえばさっきね、変な人を見たんだよっ」
「変な人?」
「うん。道のど真ん中でなんだかよくわかんないけどボーッと空を見上げてる若い男の人!」
「そりゃ変な人だな」
自分も先程までボーッと空を見上げていただけに、ジンは苦笑いするしかない。
「でしょー! 通行人が迷惑してたからつい注意しちゃった」
「偉い偉い」
「えへへ〜」
微笑ましい二人の姿は、人混みに紛れて消えていったのだった。
◇ ◇ ◇
―――第五章
【魔ほうの手】 了
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