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『血鎖の支配』
作:是音



第五章 四、《江本音々子》


 四、《江本音々子》


 夜の闇に溶け込むように、誰にも意識される事もなく工業地区にひっそりとたたずんでいるのはコンクリートの壁しか無い廃ビル。二十年前、まだこの街がただの商店街でしか無かった頃。このビルは当時企画された都市化に先がけて作られた。持ち主は伝手で都市化計画の情報を聞き出し、安い地価のうちに自社のビルを建てたのである。

 確かに都市化は進み、僅か数年のうちにこの街は著しい発展を遂げた。道路は広く舗装され、デパート等も立ち並び、大手企業まで進出してきた。一気に駅を中心として栄えたのである。

 ただ、先んじて建てたビルがある場所には都市部開発は来ず、代わりに工業地区として開発されてしまった。同時にこのビルの持ち主が大破産してしまったため、取り壊す事もできずにこうして一人場違いな場所で死んだようにたたずんでいるのである。

 そして今、その地元の暴走族による落書きだらけになった真っ暗な廃ビルの内側では、数人分の声だけが響いていた。

「〈式神〉が二人も集まるのか?」

「うむ。我ら織神楽家の長と、もう一人……」

「九条の長か。何故こんな辺境の地に?」

「なんでも九条本家の脱走者がこの街に潜伏しているらしい。だから長が直々に討伐の任で出向いていたところを、幸いこちらの任務にも参加してくれることになったそうだ」

 話しているのは織神楽家の人間達である。皆漆黒の忍装束に身を包んでいるため、殆ど闇に溶け込んでいた。
 今任務の拠点である廃ビルで待機しているのだ。
彼等が集っている空間の、その周囲には改造を施されたバイクが何台も無造作に転がっており、更には死体までもがごろごろと転がっていた。地元暴走族である。それらは個々によって違う死に方をしており、顔が溶けてしまった者、内蔵が溶けてしまった者、大量の血を吐き苦悶の表情で死んだ者。全員毒による死亡だった。

 集合した忍装束達の中心に、片耳の無い男の姿があった。

「序列十位、破帝の力は予想以上だ。あの手突は目視できぬ」

 男は皆の前に自分の削ぎ落とされた耳を放り投げた。周囲の者達はそれに一度だけ目をやり、中心の男に戻す。

「目視できぬ程に速い……? それは式神でもか?」

「式神でも難しいだろう」

 耳無き男は一度頷き、全員を見回す。

「とにかく、我々には帰還命令が下った。後は式神のお二人にお任せしよう」

 そして、散という合図と共に毒爪使い達はその場から消えたのだった。

 ◇ ◇ ◇



 休日、破帝と音々子は外に出ていた。
 今の状況からすれば出歩くなど考えられない筈なのだが、少女の〈出掛けたい〉というごり押しに負けてしまった破帝は諦めて渋々外へ連れ出したのだ。

 だが社長令嬢であり、今まで一度も自由に外へ出た事の無かった音々子にとっては、こんな状況だからこその願いだったのである。
 そんな気持ちを察してなのか、絶対に却下するべきところを男は承諾した。

 街に出たのは良いが、そもそも逃げる為にやって来た街なので破帝も地理がわからないし好奇心旺盛な音々子は周囲をキョロキョロと見回すばかり。
 結局うろうろし続けて辿り着いたのは遊園地だった。人混みの多い方が敵も下手に動けまいと考えた末の結果だった。
 事実休日の遊園地は大盛況で、裏世界の人間も破帝を避けて音々子に対する何らかの行動を起こすのは不可能だろう。

 破帝は周囲に目を光らせながらも、音々子が退屈しないように様々な物を買い与えたりアトラクションにも付き合ってやっていた。
 音々子に引かれながら一つのアトラクションから出てきたバンダナ男は、柄にも無い行動をしている自分自身に対してヒクヒクと片方の頬肉を引きつらせて苦笑いしていた。
 そして何気なくパンフレットに目を落としている少女を見る。

「おいネコ」

「音々子!」

「……この手はなんだ」

 破帝は自分の右手を持ち上げた。

 同時に白くて小さな少女の左手も持ち上がった。

「いいでしょ別にっ!」

 少女は破帝に見向きもせずそれだけ言うと背の高い男を引っ張って歩きだす。
 殺人魔槍と呼ばれたその男は鼻で小さな溜息を漏らすと、バンダナを巻いた頭を左手で押さえて困った顔でそれに従った。

 自分と繋がっている少女の手。
 細い指先には艶やかに煌めく可愛らしい爪がある。

――解毒の爪……か。

 織神楽の者達は様々な種類の毒を爪に持っている。以前破帝と対峙し、片耳を失った織神楽の男はその能力は陰陽道で用いられる〈蠱毒こどく〉と似たようなものだと言っていた。
 蠱毒とは相手を呪い殺す呪術の一つである。

 器の中に大量の毒虫類や小動物を入れて互いに共食いさせ、最後に生き残ったものを使役する。最後に生き残ったものを

といい、これを使って主は対象を殺害するという。つまり織神楽の連中も毒を持った虫を飼う蠱主のように毒を持った呪詛が血の中におり、爪を媒体として毒を放つ身体になっているという事。
 そして音々子の持つ解毒の爪はそれら全てに相反した解毒作用を持つ貴重な能力なのだ。
 連中はその爪のついた音々子の腕を、

――切り落として永久保存するだと?

 破帝は憤怒していた。

 そして突然、頭の中に音々子の姿が浮かんだ。

 いや、これは音々子ではない。

 似てはいるが、違う人物。

 その子は破帝に笑いかける。

――………腕。

 腕が無くなる。

――腕の無い……娘。

 その子は泣いている。

“ごめんね兄さん”

――っ!

 片手の娘。

 その子は泣きながら笑っている。

“両手で握りたかったなぁ”

「く……っ!!」

 破帝は頭を振った。
 左手で胸元を握り締め、必死に何かを耐えるようにギリギリと歯を食い縛っている。

「は、破帝さん、痛い……!」

 音々子は破帝に握り締められていた手を引き抜き、その場に苦しそうに跪く男を心配した。

「どうしたの破帝さん!? すごい汗!」

 額や手のひらに汗を滲ませて胸を押さえ、固く目を閉じていた男はしばらくすると荒い呼吸を整えはじめた。
 音々子は一生懸命近くのベンチへ破帝を歩かせ、伏せたまま異常な迄に苦しみ震えるその背中を撫でる。
 ふー、ふー、と肩を上下に動かした男は頭を上げ、ベンチの背もたれにドカッと体重を乗せた。

「破帝さん、大丈夫?」

 顔を覗き込みながら心配する音々子に男は頑張ってニッと笑顔を作って見せた。

「……ッハァ……ハァ……。あぁ、悪ぃ悪ぃ。心配かけたな」

 安心した音々子もホッとしたようにベンチの背もたれにストンと体重を乗せた。

「ほんとだよー。破帝さん、どこか具合が悪いの?」

「たまに痛むんだ」

「どこが?」

「心」

 ぷははっ、と音々子が吹き出す。

「なにそれ! 急にロマンチックな事言うから驚いちゃった!」

 フッ、と破帝も吹き出す。

「柄じゃないってか? 違いねぇや」

「でも……」

 急に音々子が曇った表情を見せる。

「もし本当に心が痛くて破帝さんがあんなに苦しむなら、破帝さんが可哀相だよ」

 予想外の事を言われた破帝はその鋭い目を丸くした。

「なぜだ?」

「知ってる? 身体にできる傷はどんなに深くっても、跡が残っちゃっても、必ず痛みは消えて行くものなんだよ。でもね、心の痛みだけはどう頑張っても自分では消せないんだよ。心の傷と痛みは同じ物で、けっして自分一人で消す事はできない。心だけは自分一人で傷を付けることができないのだから」

 必ず人との交わりが、心に影響を及ぼす。
 そう言いながら音々子はぴょんとベンチから降りた。

「おい待て、どこ行くんだ」

「おトイレだよっ。ほらそこ!」

 少女が指差すすぐ先には園内の公衆トイレがあった。もじもじする音々子を見た破帝は慌てて周囲の安全を確認し、行って良いというジェスチャーをする。
 それを見た途端に駆けていく少女を男は苦笑いで見送った。

――心の傷と痛みは同じ物か。

 音々子が言っていた言葉を頭の中で繰り返しながらも、彼女が入っていった公衆トイレに近づく人物を一人一人観察し、警戒を怠らない。

『そんなに警戒せずとも、今は動かぬよ』

――!?

 ベンチの隣。そこから発せられた突然の声に、破帝は反射的にベンチから飛び退く。

 ベンチの空いた席には白色の忍装束姿の男が座ってこちらを見ていた。
 そんな目立つ格好をしているのに不思議と一般市民からは察知されていないらしく、彼等は見向きもせずに通り過ぎていく。本当にこの男に気付いていないのだ。
 破帝ですら気配に気付かなかったこの男は只者ではない。
 かといってここで戦闘を始めれば間違いなく死人がでる。

「てめぇ、何者だ」

 睨まれても男は何ともなしに破帝からゆっくりと目を離した。正面を見据えたまま白い覆面に覆われたその口を動かし、

「織神楽家当主。[織神楽 響]という」

 そう自己紹介する。
 その声色は口調とは違い、破帝と同じ二十代の若い男のものである。

「織神楽家当主。つまりあの有名な〈式神〉の一人ってことだろ? そんな大物が何で出てくる?」

「解毒の娘。その回収に向かわせた我が家族の内二人が殺害されたと聞いた。しかも相手は死使十三魔だという。そんな大物を相手に大物が動かぬ方がおかしかろう」

――〈式神〉。

 現在純血一族の頂点に君臨しているのは統一一族〈御上〉。
 そしてその傘下にあり本来十二であったのだが、とある事件で数が十一となった家系達。
 その家系を束ね、家系最強でもある十一人の当主。実質上〈御上〉を除いて純血一族最高戦力であるこの十一人は平安時代の陰陽師・安倍清明が使役していた鬼神の意を籠め、

《式神十二式》

 と呼ばれている。
 御上という主が使役する鬼神達。これこそが御上による他家系支配の象徴。

 実力がものを言う世界の中で〈式神十二式〉の力は御上の中でも上位の人間に匹敵すると言われ、一人一人の力は将に一騎当千。

 死使十三魔という組織の名称はここから付けられたという説もある。

 その死使十三魔、序列十位の実力者《魔槍の破帝》は、式神十二式の一人、織神楽家の当主の正面に立ち、向き合った。

「織神楽涼子を殺したのはてめぇらだな」

 白い忍装束は頷く。

「いかにも。音々子の母親涼子を殺したのは我々だ。あやつは掟を破り娘を連れて逃げ出した。本来なら拷問の末に毒刑に処すところを解毒爪を生み出した母親ということで特別に見逃していたのだ。
我々が欲するのは娘。我々は父親に接触し、娘を誘拐・殺害という形で引き取らせてもらう旨を伝え、裏稼業に依頼して誘拐した」

 ところが、とひびきは続ける。
 その目からは殺気も生気も感じられない。破帝は声を聞いているから認識できてはいるが、これほどまで完全に気配を消しているなら周囲の客達に気付かれないのも当然だろう。

「ところが、あろうことかあの母親は独自に裏稼業に依頼して、我々が雇った誘拐犯達をことごとく消しおった」

「だから失敗は金で解決した事にし、何度も誘拐するはめになったわけか。邪魔をしていた奴がネコの母親だとわかったらさすがに生かしちゃおけねぇわな」

「その通り。しかし今度は父親が裏切りおった」

 白い覆面から溜息が漏れた。

「どういうことだ?」

「養子とはいえ自分の娘が腕を削がれて殺されるのが耐えられなかった。だから父親は貴様に依頼したのであろう? 奴は死に際にそう言っていたぞ」

 ここでやっと破帝は理解した。
 音々子は父親からも母親からもしっかりと愛されていたのだ。
 母親は懸命に娘を取り返す事に努め、父親は……。

――俺に全てを委ねたっていうのか?

 父親は苦しむ前に娘を殺してあげたかったから破帝に依頼した。
 そしてあわよくば、娘を助けてやって欲しいという願いを込めて。

「今までは手駒連中を動かしていれば良かったが、死使十三魔などという連中が出てきたとあっては我々も動かねばならん」

 ここで破帝は響の発言を否定する。

「この件は俺一人しか動いていない」

「なれど貴様は序列十位。某が出ることに変わりはなく、貴様と某が対立するということは死使十三魔と純血一族が対立するという事」

「違う! 俺は死使十三魔からは抜ける! これは俺個人としててめぇらと敵対していると考えて欲しい!」

 その言葉に織神楽家の当主は、ほう、と漏らして破帝と目を合わせた。

「そこまでする意味は?」

「年端もいかねぇガキの腕切り落とすって考えが気に入らねぇだけだ」

「あれは我が家系に必要な代物だ。永久に保存しておかなければならぬ程に価値があり、貴様等死使十三魔と全面戦争を起こしてでも手に入れる価値がある」

「だから俺は個人で敵対すると言っているだろう! 今回の件、死使十三魔は動かない!」

 そう大声で主張する破帝に対して白の忍装束は、くつくつと肩を震わせて笑った。

「おかしな事を言う。なら昨晩のあれはなんだ?」

 破帝は彼の言っている意味がわからずに首を傾げる。

「何の事だ」

「某と九条の長が拠点とする屋敷に単身乗り込んできた男。
あれは確か死使十三魔の序列十一位《魔斧の雪白》だったと記憶しているが?」

――雪白!?

「てめぇら雪白をどうした!」

「どうしたもこうしたも……預かってはいる」

「音々子と人質を交換しようってわけか」

 響はまたも肩を震わせて笑い、腕を組んで首を横に振った。

「否、この実力主義の世界、欲しいものは力で手に入れる。だが某は少し考えを改めよう」

 白い男はベンチから立ち上がり、破帝の右肩と自分の右肩とを合わせるように擦れ違う形で隣り合った。

「これ以上の争いを起こさない為に死使十三魔という後ろ盾を自ら排除した。その心意気や良。
貴様を式神〈織神楽響〉の敵として認める。
今晩丑の刻、この場所で良い。某と貴様、二人だけで力による決着をつけようぞ。
某が死亡、撤退すれば二度と貴様と音々子に手を出さぬ事を誓おう。されど逆の場合はわかっているな? 言っておくがこれは我が家系にとって最重要任務。某の撤退はまず無いと考えよ」

「待て! 雪白は……」

「それからこれは蛇足だが、以前貴様が潜伏先に張った呪詛結界。我々には通用せぬぞ。貴様が某と戦闘している間に娘を奪う事はしないが、信用できぬのなら不用心に娘を置いて行かぬことだ」

「!」

「地結による結界法。金剛獗。我らの毒なら地下の媒体まで侵食し、腐敗させられる」

「そんなことはどうでもいい! 雪白は無事なのか!?」

 破帝の叫びも虚しく、ベンチ付近の木の葉を凪ぐ風音と共に、白い忍装束は消えた。

 今夜この場で、遊園地で決着がつく。
 響は二人だけで力による決着をつけようと言った。
 破帝が勝てば敵は手を引き、負ければ少女は腕を切り落とされる。連中のことだから音々子を殺してしまうだろう。

 破帝と響。

 片方は一人の少女の未来を守り、責任をとる為。

 片方は当主として、家系に属する家族達の未来の為。

――家族。

 破帝は妙にその言葉が心に響くのを感じた。

「それにしても雪白の奴、一体何を考えてんだ。式神二人を相手に無事で居るわけがねぇよな……」

「雪白さんがどうかしたの?」

 いつの間にかトイレから戻っていた音々子が立ち尽くす破帝の服を引っ張った。
 しかも彼女が怪しいものを見るかのような表情で見上げているので何事かと思いきや、破帝は誰も座っていないベンチと向き合って腕を組み、しかめっ面で立っていたわけなので無理もなかった。
 破帝は音々子だけをベンチに座らせると、彼女の両肩を掴んで膝をつき、顔を近付ける。
 音々子はその神妙な顔に緊張した。

「いいかネコ、よく聞け」

「う、うん」

「今夜俺は出かけるが、結界法は敵に対して効力が無い事がわかった。だからお前を俺一人で守る手段が無い。だから……お前をある女に預ける事にする」

「ある……女?」

「おう。多分金さえ積めば承諾してくれるだろう。
今夜を乗り切ればお前は自由だ。俺はお前から少し離れる事になるが、許してくれ」

 そう頭を下げる破帝。
 少女は両肩に乗った彼の両手に自分の手を添えた。
 音々子の手は力がこもっていて、温かい。

「破帝さんがちゃんと帰ってくるのだったら、許してあげる」

 そう言ってにっこりと笑ったのだった。












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