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『血鎖の支配』
作:是音



第五章 一、《破帝》


 一、《破帝》

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」

 暗黒の森。荒い息と道無き道を駆ける足音だけがよく響く。

 男は大量の汗を流し、雫をこぼしながら、木と木の間を縫うように駆け抜ける。
 時々後ろを振り返るその目はかっと見開かれ、目の下には濃い隈ができていた。
 そしてその目を脇に抱えたソレに向ける。

 男は年端も行かぬ少女を抱えて走っていた。
 彼女は動きを封じる為に縄で縛られ、助けを呼べないように口にガムテープを貼られている。

 その少女はというと、うっすらと目を開け、抵抗しようともしない。ただ男の腕を支点にくの字に身体を折り曲げて浮いている。
 目に映るのは、後ろへ流れていく黒い地面だけ。

 少女は何も考えない。

 ただただ揺さ振られ、男の荒い呼吸音と足音を聞きながらぼんやりとしていた。

 男の走る速度が落ちる。森の中、その一部を切り開いて作られた空間には小さな小屋があった。

 男はここで初めて必死だった顔を崩してニヤリと笑い、小屋の中へ入る。
 ここは男の隠れ家だった。そして誘拐してきたこの少女を身代金を受け取るまで監禁する場所でもある。

 彼は乱暴に身動きのとれない少女を床に転がし、小屋の中に沢山置かれている木箱の一つに腰を下ろした。
 それから呼吸を整えるために長い溜息を吐き、ポケットから煙草を取り出す。

 少女はうつ伏せに放られた為、ごろんと仰向けに体制を変えて楽になった。

 男は少女に背を向ける形で座っており、肩を震わせて笑い、ぶつぶつと何かを呟いている。

「へ、へへへ。ちょろいもんだ。さすがは殺し屋《殺人切札》と呼ばれるだけはある。移動中の車両の前にいきなり飛び出した時は馬鹿だと思ったが……。まさか護衛を全員殺しちまうとはな。大金払って雇った甲斐がある。へへへへへ! おかげで学校帰りのお嬢様を楽に連れ出す事ができたわけだ」

 煙草をくわえ、上着のポケットをさぐっている。ライターをさがしているのだろう。

 少女はどうやって逃げようかとは考えもしなかったし、この状況にも驚いてはいない。

――またかぁ。

 彼女はうんざりしていた。父親が大会社の社長であり、社長令嬢の自分はいつも誘拐の標的にされる。
 彼女の父親はいつも娘が誘拐されると三日後に必ず身代金を払い、警察に頼んで犯人を追おうとしないのだ。
 いつしか彼女は犯罪者達から絶好の標的とされ、こうして何度も誘拐されるようになった。

――けれど……。

 そう思ったところで思考は止まった。
 さすがに彼女でも動揺する事が起こったのだ。

 仰向けだった身体が突然誰かの手でごろん、と再びうつ伏せにされる。 下を向かされたまま顔を動かせない少女は背中をポンポンと手で叩かれた。
 おそらく〈動くな〉という意味なのだと理解し、そのままじっとなる。

 誘拐犯の男はというと、少女の異変にも気付かずに背を向けたまま座って火を点ける為にライターをカチカチさせていた。

 そこに、

「残念だが煙草を吸ってる暇は無いぞ」

 若い男の声が響いた。誘拐犯のものではない。
 心臓が飛び出そうになる程驚いた誘拐犯は勢い良く立ち上がって後ろを振り向いた。

「だだ、誰だてめぇ! 追っ手は殺し屋が全員殺した筈だ!」

 月明かりが古い小屋の壊れた屋根から差し込み、侵入者と誘拐犯を照らしだした。
 焦りの表情を剥き出しにする誘拐犯に対し、その真正面に立った男は涼しげな笑みを浮かべている。
 頭にはバンダナを巻き、迷彩パンツのポケットに片手を突っ込み、無駄のない筋肉が隆起する上半身には素肌に直接ベストを羽織っただけ。首には青い石のついたペンダントをかけていた。

 そしてもう片方の手を持ち上げ、手に持っているソレを誘拐犯に見せた。

 誘拐犯は目を細めてそれを見る。彼は最初、それがとても大きなドーナツだと思った。

 だがさらに月明かりが差し込みドーナツを照らしだすと、誘拐犯は腰を抜かして尻餅をついた。

「ひ……!」

 迷彩パンツのバンダナ男が持っていたのは大きなドーナツなどではなく、胴体から切り離された人の頭部だった。

 ドーナツに見えたのは、その顔のど真ん中にぽっかりと大きな風穴が開いていたからである。
 穴の中では血液や脳内の液体がだらだらと滴っていた。

 バンダナ男は誘拐犯の足下にそれをドンと放り投げた。

 少女には音と声だけで何が起こっているのか理解できていない。

「たかが《殺人切札{killing joker}》ごときでは俺を五秒も止められないぜ」

 両手をポケットに突っ込み、仁王立ちした男は顎を上げ、床に尻餅をついたままの誘拐犯を見下し、言った。

「諸手を挙げて歓迎しろよ」

 誘拐犯は歯をガチガチさせ、膝をガクガクさせながらもなんとか立ち上がると、右手に拳銃、左手にアーミーナイフを取り出した。
 そして目の前の男に問う。

「お、お前何者だ! こいつは腕のたつ殺し屋だったんだぞ!?」

 謎の男はフン、と鼻で笑った。

「死使十三魔、序列十位。万物を穿つ《魔槍の破帝》と自己紹介すれば、殺し屋も、そしてその諸手に握られた玩具も、もはや無意味だと理解できるか?」

 それを聞いた誘拐犯は目が飛び出すのではないかというくらい驚きを露にし、口をあんぐりと開けた。

「し、死使十三魔!? 世界危険勢力の、しかも序列入りした人間が何でこんなところに!?」

 破帝という男はその言葉を無視してポケットから両手を出し、肘を曲げて後ろへ引いた。

 そしてもう一度、

「諸手を挙げて歓迎しろよ」

「ひっ!」

 誘拐犯は今度こそ抵抗する様子も見せずに両手の武器を下へ落とし、反射的に頭の上へ手を挙げた。

 はずだった。

 ぼとり。

 自分の両足と両腕が同じ高さ、同じ床の上にある事に誘拐犯は気付いていない。

 破帝はそのままニタリと笑った。

「あぁそうだ。何も見なくていい。何も考えなくていい。抗わなくていい。お前に許されるのは……死を感じる事だけだ」

 言い終えた時には既に誘拐犯の人生は終わっていた。
 ドーナツのように顔に大きな風穴を空けて。

 ドサリと死体が倒れる音に、何が起こったかわからない少女はびくりと反応した。

 そんな彼女を抱え上げた男は、死臭が充満する前に小屋の外へ運び出した。

 そこでやっと少女を解放する。

「ぷはっ」

 口からガムテープを剥がしてもらうと、自分を助けてくれた男の顔を見る。小屋の中で何が起こったのかはわからないが、とりあえずもうあの誘拐犯が居ないことだけは理解できた。

 男は片方の眉を吊り上げて少女を見下ろしている。オレンジ色のバンダナの下からは鋭い目が覗いており、相当恐い印象を与えてくる。

「あなたは?」

 少女はなんともなしにそう尋ねた。

「俺は《破帝》だ」

「はてい? 変な名前」

「異名だからな」

「本名は?」

 その問いに破帝は少し驚いた顔をし、笑った。

「ハハハハハ! 俺に本名聞く奴ぁ初めてだぜ」

 少女はきょとんとしている。

「私の名前は《江本 音々子》だよ。本当の名前を聞くのってそんなに変?」

 首を傾げて見上げてくる音々子に、殺しのエキスパートは困った顔で頬をポリポリかいた。

――似ている?

「んー、変じゃないが。俺達の世界じゃそういうルールなんだ」

 何をこんなガキに真面目な対応をしてんだ。と思うと馬鹿馬鹿しくなった男は立ち去ろうとする。

 が、その迷彩パンツを小さな手が握った。

「……連れてってよ」

 破帝は眉間に皺を寄せ、あからさまに嫌な顔をする。

「あぁ?」

「帰りたくない」

 男は呆れて大きな溜息を吐いた。

「てめぇなぁ、折角両親がとんでもない大金払って俺に依頼してまで助けたってのに、帰りたくないはねぇだろ。あん?」

 音々子はしょんぼりとしている。よく見ると14歳くらいのこの少女、見るからに高価そうな素材で作られた制服を着ていた。

「だって今日は助かっても、きっとすぐに死ぬもん」

「どういうこった?」

 破帝は知らないふりをして聞き返す。

「私の義父さん、まるで私がさらわれるのが当たり前みたいなんだもん。護衛だって適当だし、世間の目があるから一応お金を払って助けてくれるけど。本当はそのまま殺されてほしいのよ」

「何故そう思うんだ?」

「だって義父さんが愛しているのはお母さんだけだもの。だから……」

 男は虚空を見たまま固まっている。

「だから本当は破帝さん、私を殺すように頼まれたんでしょ?」

 ちっ、と舌打ちをする音がした。

――気付いていたか。

 破帝はすぐに帰るべきだったと後悔した。彼女をチラリと見ると、その子は男の顔を一心に見つめている。
 思わず目を逸らした。

「それに気付きながら……何で俺について来ようとする?」

――何でこんな事を聞くんだ俺は!

「だって私を殺さなかったもん」

 ギリ、と男は歯軋りをする。このままではまずい。

「ふん、対象がガキ娘だと聞いてりゃこんな依頼は受けなかったさ。子供は殺さねえ。他の死使十三魔なら躊躇なくてめぇをグッチャグチャのジャムみてぇにできるだろうがな」

 ところが破帝の脅し文句にも動揺せず、音々子は破帝の恐れていたものとは違ったが、それでも決定的な言葉を放った。

「もし私が無事に帰りでもしたら、破帝さん達の組織のレベルが下がるんじゃないの? 〈ガキ女一人を殺すだけの依頼に失敗した〉って」

「……てめぇ」

 確かに図星ではある。〈魔槍〉の異名を持つ破帝が痛いところを突かれる。
 こんなに皮肉な事は無い。

 だがこの少女は〈私を殺さなかったから〉とまで言っておきながら、破帝を確実に縛る事ができる一言を発してはいない。
 もしくはわざと言わずに居るのか。

「だから、私を殺した事にして連れていってよ」

――この程度の理由なら、重視する必要はねぇか。十三魔にバレても別に構わねぇし。

「そんな脅しにゃ乗らねえよ。お前を世話する義務もねえ」

 破帝は再び歩きだす。

「義務? うーん、あるよ」

 少女の言葉にぎくりとした男はピタリと足を止めた。
 そして音々子は、ごくあっさりと、なんともなしに、破帝が恐れていたその一言を発した。

「私を殺さなかった《責任》」

――くそっ!

 この瞬間、男は観念したようにうなだれ、今までで一番大きな溜息を吐いた。

「わかった。わかったよ。ったく……やれやれ。そうまでして死ななきゃいけねぇお前は一体何者だよ」

 やっと承諾を得た少女は立ち上がると、へへっ、と笑って破帝の手を握った。

――っ!

「………何の……真似だよ」

「仲良し!」

「ふざけんな……えっと、ネコ?」

 男は乱暴に手を振りほどいて歩きだした。
 それを少女が追う。

「ネコじゃなくて音々子!」

「知るか!」

 破帝と音々子は言い争いながら闇に消えていった。

 ◇ ◇ ◇

 闇。

 何もない、森の闇。

 その中で声だけが響いている。

『状況報告。殺し屋《殺人切札》、および誘拐犯の死亡を確認』

 声は聞こえるのに誰も居ない。
 この声の主は無線で別の人物と連絡をとっているらしい。

〈ご苦労だった《不可視》。で、少女の方は?〉

『……確保されました』

〈チッ……死使十三魔か。厄介だな〉

『追いますか?』

〈いや、追わなくていい。この件はここで打ち切りにする〉

『良いのですか?』

〈構わないよ。それに……また会いそうな予感がするのよね〉

『は?』

〈いやなんでもない。まったく、こっちは守野家の依頼も請け負っているのに。うん、今回は私が出ていくべきではないな。よし《不可視》、もう戻って良いぞ〉

『了解しました。《死神》』

 森に静寂が戻った。












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