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『血鎖の支配』
作:是音



第三章 三、《圧縮ピエロ・前》



 三、《圧縮ピエロ・前》


 次の日の朝、王牙がいつも通り事務所に入ろうとドアノブに手をかけた瞬間、それは部屋の中から聞こえて来た。

「畜生がぁ!」

 ビクッとした王牙はノブを掴んだまま固まる。
 ガァン、とデスクを蹴り飛ばす音。灰皿を床にぶつける音。あげくガリガリザクザクと刃物で壁を切り裂いているらしい音まで聞こえてくる。音だけで中がどんな凄惨な状況なのかが目に浮かんでくる。昨晩の仕事に何かがあったと考えるのが妥当だろう。今日の御堂は激しく機嫌が悪いらしい。
 王牙は恐る恐る耳をドアにくっつけた。

「―――くそぉ!王牙ぁ!オーガはどこだ! アイツ来たら性欲処理で〈うさ〉を晴らしてやる!」

――・・・・・・。

 王牙は無言でドアに背を向け、階段を下り、事務所を離れる事にした。

――今日は近寄らない方が良いな。

 ◇ ◇ ◇


 事務所のあるマンションから離れた王牙は街をぶらつくことにした。
 相変わらず暑い。更に今日の街は警官が多い。あちこちに立っている。何があったのか等、世間の情報と縁の無い王牙にはわからないことであり、興味の無いこと。当たり前でくだらない世界の物語になど、全く興味が無い。自分が嫌が応にも〈それ〉に参加しているというだけで不愉快。だからニュースも不愉快。他人がどうなったかなんて知った事ではない。

 王牙は舌打ちした。

―――誰かが誰かに殺された?誰かが事故で死んだ?あぁそうかい。だからなんなのさ。その人の物語がそこで終わりって筋書きだったんだろ。殺人犯に殺された〈被害者の物語〉は、〈殺人犯の物語〉とクロスオーバーした結果、〈殺された〉という筋書きに沿って、〈被害者〉という完結を迎えた。運命だこれは。たとえ殺人犯と出会わなかったとしても、何らかの形で結局は〈被害者〉という完結を迎える事になる。必ず帳尻合わせはやってくる。それが運命からは逃げられないという事であり、因果というものなんだ。逆に殺人犯の筋書きにはその瞬間から〈殺した〉というものが足され、その一文はそいつのその後の物語に影響を与え続けていくだろう。完結を迎えるまでずっと。果たして一体どちらが結果的には不幸な筋書きなのか。双方破滅のルーイン? 両者破綻のカタストロフ? ……そんなもの、俺の知ったこっちゃない。


 暑さから逃げようと、王牙は近くの喫茶店へ入った。街から少し外れた場所に位置する喫茶店は、平日の昼間だからか客が少ない。天井でゆったりと三枚の羽を回すローター。木造のその店は空調が利いていた。一番奥の席に座ろうと足を運ぶ。
 が、テーブルに先客が居る事に気付いて足を止めた。いや、厳密に言えば王牙が足を止めたのは先客が居たからではなく、その先客が見覚えのある顔だったからである。以前、今年度たった一度だけ学校へ行き、日向波遠について調査した時。一年六組教室から出た直後に声を掛けてきた、男子生徒。
 ただ、今回はあちらも予想外だったらしく、王牙に気付いた小柄な男子生徒は心底驚いた顔をし、そして少し悲しげな顔をし、そして笑った。頬には何故かガーゼ。

「よぉ」

 と挙げた左腕にも包帯が巻かれ、もう片方の腕はギプスを嵌めて三角巾で肩から吊るされている。靴のかかとを踏んで履いているから足にも包帯を巻いているのだろう。ボロボロ。王牙が彼を見た感想はそれだった。男子生徒は溜息を吐き

「今の俺じゃあアンタは殺せないな」

 不敵に笑いながらそんなことを言う。
王牙は無表情でその場に立ったまま口を開いた。

「お前……〈九条 握人くじょうあくと〉だな」

 男子生徒は先程よりも驚いた顔で

「名字は知っていると思ったが、名前まで知っていて貰えたとは光栄だね」

 そんなことを言った。王牙は無表情で問う。

「九条、お前は何で俺を知っている?」

 何をつまらない事聞くんだ。とばかりに握人は背もたれに身体を預けた。

「フン、同じ学校だからだろ」

「俺の一個下なのにか?」

「一個下でも学校に居れば見かけることくらいあるだろ」

 王牙は少し息を吐いた。

「…俺は新学期、つまりお前が入学してから一度しか学校に来ていない。お前に呼び止められたあの時だけだ。お前は学校に居ない俺を学校で見たのか?」

「………」

 握人は黙り込み、しばらく沈黙の時が流れた。席に座る握人。少し離れた位置に無表情で立つ王牙。沈黙する中でも二人の視線はそれぞれ相手の目を捉えて放さない。
 先に折れたのは握人だった。ギプスと包帯に巻かれた両手を挙げる。

「……OK。そう、俺はとある情報でアンタを追って来たんだよ。いや、情報が入る前からもずっと、アンタだけを追って来た」

 王牙はただ無表情で聞く。まるで興味が無いように。まるで他人事のように。
 だが一つだけ、聞いておかなければならない事があった。

「何故、日向波遠に妙な事を吹き込んだ?」

 妙な事? と握人は首を傾げたが、すぐに片眉を上げてフッと笑った。

「気分」

「……てめぇ」

 握人は少し感情をあらわにして一歩前に出る王牙を片手で制止した。

「まぁ待てよ先輩。ホラ、今の俺は怪我人なんだぜ? それに折角こうして会えたんだ。三年間も探し続けた相手によ。話くらいさせてくれよな」

 だがその言葉に反して王牙は踵を返し、喫茶店の出口に向かって歩き出した。
 無論興味が無いから。
 その背中に向かって握人は声を投げ掛ける。

「正直に。率直に言うぞ。俺はアンタを殺したくて仕方が無い! 三年間それだけを目的として生きてきた」

 興味が無い。何故なら……。

 九条握人は右腕のギプスを叩きながら続ける。叩くその手にも包帯が巻かれ、指は数本、棒で固定されている。

「けどな見ろよこの有り様。三年間俺を追い続けていた、三年間俺が一番見つかりたくなかった奴に昨晩ついに見つかっちまった」

 御堂のことであろう。

「逃げるので精一杯だったし、この腕はもう普通には動かない。それくらいヤバイ奴だ。俺を追っている連中の中で多分一番ヤバイ。裏で生きるオレ達にしてみれば絶対に関わっちゃいけない奴の一人だ。今まで無事に生きてこられた事が奇跡。決して大げさな話をしていないぞ」

 背中越しに聞こえる握人の言葉。そんなことは王牙も知っている。握人は王牙と御堂に関わりがあることを知らない。
 御堂は元ティンダロスの猟犬の一人。今朝の激昂は、現在王牙の目の前に居るこの九条という獲物を取り逃がした事によるものに違いない。《不可避》を信条とする組織に所属していた人間が獲物を取り逃がした。とんだ失態。

「能力の使えない俺はもうアンタを殺すことができない。だから、だからせめて話だけでもさせろよ」

 興味が無い。興味が無いのに、立ち止まっている自分が居る。

「普通の高校生と裏社会で生きてきた奴が話すことなんてあるのか?」

 握人は目を丸くし、怒っているような、笑っているような、どちらとも区別がつかない、震えた声で叫んだ。

「普通? 普通だと!? アンタ今そう言ったのか!? 馬鹿言ってんじゃねぇよ! アンタ以上に普通じゃない、アブノーマルな人生歩んできた奴、俺は他に知らない!」

――やっぱり。

 握人の言葉に王牙は溜息を吐く。

――九条、お前は……。

「なあ九条。小中高と普通に上がってきた俺がアブノーマルだと言うのなら、話がしたいと言うのなら、そこら中にお前の話し相手は転がっていると思うぞ」

 その言葉に眉を寄せ、まるで異星人でも見るかのような顔つきで握人は王牙の背中を睨んだ。
ずっと。じっと。王牙を。男を。忌むべき者を。忌むべき筈の相手を。

そして

突然握人の顔中、身体中の力が抜けた。

「………マジかよ」

 しばらく背中を見続けるうち、彼は気付いたのだ。最悪なクロスオーバーに。最悪なシナリオに。筋書きがひっくり返るほどの影響力を持った痛烈な、劣悪な〈一つの予想〉。

――そうだ九条握人。お前はとんだ勘違いだ。

「ちょっ、おい。おいおいオイおいおい。待てよ、待て!」

 握人は顔を横にぶんぶん振りながら下を向く。そして真面目な、必死な、真剣そのものの顔で。背中に向かって

「いいか? 大事な事を聞くぞ? あぁそうだ。とても大事な事だよこれは」

 問う。

「……〈九条兼人〉及び〈九条雪乃〉の名を……聞いたことは?」

 本気の眼差し。王牙はそれを背中からひしひしと感じ取った。
 だがキッパリと、即座に、無慈悲に

「ない」

 と答えた。
 握人は無意識に半立ちになっていた身体を椅子に戻し、全体重を背もたれに預けた。

「なに? おいおいおいオイおいオイ。おかしい、おかしいぞ? それじゃあまるで俺が……」
「そうだ九条」

 王牙は振り返り、優しい、哀れむような顔で、王牙が最も苦手とする顔で、九条握人の顔と向きあった。

――最初から解っていた事。

――初めて会った時に教えてやれば良かったのだ。

――俺が

――俺は

「俺は《人違い》だ」


 バン!
 と握人がテーブルを叩く。喫茶店内の全員の視線が握人へ集中した。彼は構わず、混乱する頭を整理しながらも叫ぶ。

「違う! アンタは〈神野〉だろ! 次男で、俺と同じ失敗作で、落ちこぼれで、欠陥品の……」

「九条」

 力の篭ったその声に握人は顔を上げ、いつの間にか自分の前まで近づいていた王牙を見上げた。

「九条、俺の名字は昔から神野ジンノであって、お前の言う神野カンヤなんて奴は知らん。それに兄弟もいない」

 そう。だから王牙はこの男の存在に興味が無かった。初めて会った時も、欠陥品だの失敗作だの言われようが何も感じなかった。
 当然である。〈他人〉に向けて放たれた〈他人〉の言葉など王牙のとっては所詮〈他人の物語〉にすぎない。九条握人の物語が〈カンヤ〉という別の人物の物語とクロスオーバーする筈が、〈ジンノ〉の物語と間違えて接触してしまっただけなのである。
 
ただ。これは〈九条握人〉の物語にあらかじめ記されていた筋書き。

「なに………? ジ、ジンノ? 馬鹿な」

 呆然と虚空を見上げ、王牙など視界に入っていない。
 笑う。握人は小柄な身体を震わせながら、顎を上げ、片手で顔を覆いながら、喉で笑う。
 笑う。

「フフッ、ハッ。ここまで来て、なんて道化だ。滑稽だ」

 道化。そう、この男は道化だ。一人で一生懸命になって。周囲を盛り上げるだけ。
 道化。道化。ピエロ。

「……すまんな」

 王牙の言葉に、いや、いい。と握人は言う。

「アンタが謝る事じゃない。むしろ悪いのは俺だ。随分と迷惑をかけたな。えっと、ジンノ」

 王牙はこの男が酷く哀れに思えて仕方が無かった。いや、哀れむ感覚と言うよりも、放って置けないような、夜の公園であの娘を見た時のような…。
自分の矛盾さに自嘲する。

「俺は他人の物語には極力干渉しない主義なんだが……」

 言いながら王牙は握人の向かい側の席へ座った。
 そんな王牙を意外そうな目で追う握人。

「もう俺はお前に干渉しちまってるからな。何かの縁だ。あぁ運命だ。どうせ俺も暇だったし話くらいなら付き合ってやる」

「暇なら学校行けばいいじゃんか。アンタ俺と違ってノーマルな人間だろ」

「うるせー。それより俺はお前のブラックな過去が気になって仕方ねぇよ。〈カンヤ〉だっけか? 読み方は違えど、俺と同じ名字の人間がこうも俺と違った人生送ってるのは多少なりとも興味がある」

「他人の物語とは干渉したがらないってたった今言ったばかりじゃねぇか」

「ノーマルでつまらない物語限定だよそれは。あ、店員さん俺アイスコーヒー」

 なんだそりゃ。と漏らしながら握人は溜息を吐いた。

「フン、アンタに話したところで俺には何も利益は無いが…。まぁいいさ、俺もそんな気分だし。激しくつまらん昔話だ」

 最後の部分は独り言の様に呟きながら、静かに九条握人は語り始めた。












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