第三章 二、《圧縮能力》
ニ、《圧縮能力》
空は雲ひとつ無い一面の青。こんな自然から離れた街でも、少ない木に留まる蝉の鳴き声が五月蝿い。そんな蝉時雨と暑い日差しの中、神野王牙は事務所までの道を歩いていた。片手にはカートンの入ったビニール袋。御堂摩紀に煙草を買って来いと頼まれた帰りである。
王牙は一瞬だけ空を見上げ、太陽の放つフレアに思わず片手で顔を覆った。アスファルトの上が蜃気楼のようにぼやけて見えるのもこんな日の特徴だろう。この現象なんていうんだっけ。等と考えながら歩を進める。御堂のことだから後々アイスでも買って来いと言い出しそうだと思った王牙はもう片方の手にアイスカップの入ったビニール袋を下げていた。
その時ふと、車道を挟んだ反対側の歩道に一人の男の姿を見た。というか目に留まってしまった。こんな暑い日に分厚い白コートを着て汗一つかかずに歩いていれば、誰の目にも留まる筈である。それ程にその男の雰囲気は異常だった。
ただ、立ち止まって見るまでには至らず、早くこの日差しから逃げ出したい王牙は男から視線を外して歩き続けた。
エレベーターの無いマンションの最上階へ息を荒くしながら階段を登った王牙は事務所に入った。
「ただ今戻りました」
そう言いながら王牙はそのまま台所へ足を運び、冷凍庫の中に買ってきたカップのアイスを袋ごと突っ込んだ。
御堂はというと、デスクの上に置いたモノを訝しげに見ている。王牙は御堂のデスクの上に煙草のカートンボックスを置きながら、デスクから大きくはみ出す程長細い桐の箱を見た。
「なんですかコレ?」
サンキュ。と煙草の封を開けながら御堂は溜息を吐いた。
「刀だよ。模造刀なんかじゃなく、本物のな」
それを聞いた王牙は目を丸くして木箱を見回した。
「何で刀がこんな所に!?」
「預かり物なんだけどね、今度取りに来るって言うから倉庫から出しておいたんだ」
こんなモノが普通に倉庫に入っているのなら価値のあるモノがまだ幾つかあるのかもしれない。と王牙は邪な考えを巡らしていたが、箱をじっと見ているうちに違和感を感じた。
「あれ?でも刀にしては長くないですかコレ?」
「ほう、気付いたか。大刀でも標準は二尺三寸なのだが、コレは三尺どころか四、五尺はある。《物干し竿》は知っているな?」
「巌流《佐々木小次郎》が使っていた長刀ですね」
「うん。これもその物干し竿と同じ《備前もの》だ。名を《備前長船銘大般若長光》という。古刀だよ」
御堂は煙草に火を点け、紫煙を吐きながら箱をポンと叩く。
「そもそも山城・大和・相州・美濃・備前は一門と目され、《五力伝》今にも伝わる刀工群だ」
「ふぅん。あ、有名な妖刀《村正》なんかもその中に含まれるんですか?」
「村正は相州伝の一派の名工だな。それからお前、村正が妖刀ってのは完璧なデマだぞ。それは徳川の人間が何人か痛い目にあったというだけで妖刀にされてしまっただけだよ。 ま、家康の祖父を殺した刀であり、信長によって切腹させられた長男を介錯した刀であり、父広忠もこれによって斬り付けられているのだから無理もないな。
で、徳川幕府に嫌われた刀は様々な脚色をつけられて妖刀伝説になっちまった。でも幕末になると妖刀のジンクスは打倒幕府を夢見る維新志士達に愛用されるようになったんだがな」
「村正は徳川にとって呪われた刀だったんですね」
「ん?それも違うぞオーガ。何故なら、徳川の家臣として大活躍したあの本田平八郎忠勝の《蜻蛉切》もまた、村正だったのだから。
あー、お前の所為で話がズレちまったよ。えっと、《備前》の話だったか? あ、《佐々木小次郎》か」
「はい」
「うん、で、小次郎にとって物干し竿は鬼に金棒的なアイテムだった。有名な秘剣《燕返し》があるだろ? あれには長い刀がなくてはならないんだ。
《燕返し》の枢要は、相手との間合いをいかに見切るかにある。長い刀を持つ小次郎は、相手の間合いに入る前に己の間合いで刀を振ることができた。小次郎は相手が己の間合いに入る直前に初太刀を振るう。それを相手は難なくかわす。勿論相手はしめたとばかりに打ち込むだろ? だが最初の一撃はフェイクなんだよ。相手は打ち込もうにも小次郎への間合いが僅かに遠い。
次の瞬間、空を切った筈の小次郎の刀が猛烈な勢いで跳ね上がってくる。それを避ける手立ては相手になかった。秘剣としての《燕返し》は最強の間合い技だよ」
御堂は指でひゅん、と刀の動きをやってみせた。
「だけど実際、宮本武蔵に負けたんですよね」
「うむ。宮本武蔵といえば《敵を知り、己を知らば、百戦危うべからず》の兵法の忠実な実践者だからね。
奴が相手の術を知らずに戦った事は一度もない。《燕返し》を知った武蔵はさすがに勝てないと思ったらしいけど、結局武蔵はニ天一流、つまりニ刀流に加え、船の櫂を削って長い得物として対抗した。
結果はご存知の通り。秘剣も対策練られたら秘剣ではなくなっちまうよな。ま、こんな話は誰でも知っているのだろうけど。この刀の持ち主が昔、私達に暇潰し話してくれたものなんだ」
御堂は昔の事を思い出しているのか、顔をしかめながらデスクの上の刀を睨み付けていた。
「昔、というと御堂さんがまだ……確か、えっと、なんとかの猟犬?」
「《ティンダロスの猟犬》」
「そう、それに所属していた頃の話でしょう? 昔の仲間なのに何でそんな嫌そうな顔をするんですか?」
フン、と煙草を灰皿に押し付けながら、椅子に座っている御堂は頬杖をついた。
「私はあの〈鬼人〉が昔からどうも苦手なんだよ」
〈鬼人〉。御堂の持つ〈死神〉と同じ異名なのだろうか。王牙は御堂が昔、世界的な暗殺組織に所属していた事は聞いていた。《仕事を手伝う身なら知っておけ》だそうだ。今は脱退し、七人一組だったチームメイト達もそれぞれバラバラになってしまった。それでもたまに連絡を取り合っているのだという。〈鬼人〉と呼ばれるこの刀の持ち主もその内の一人であろう。
「他のチームメイト達は現在何をしているんです? やっぱり御堂さんみたいに裏稼業ですかね?」
だろうな。と御堂。
「裏稼業はビックリするほど儲かるからな。しかも元ティンダロスの猟犬なんて肩書きがあれば世界中の諜報機関から引っ張りだこだ。んー、たしか〈無音〉と〈瞬撃〉は一緒に宿だか寮だかを表稼業として営んでいるとか言ってたっけ。この前連絡があった。他の連中はよく知らん。濃い連中だから想像もつかないよ」
ふと、御堂は何かを思い出したように突然笑い出した。今までしかめっ面だったのが急に満面の笑顔に変わったのだ。余程楽しい事を思い出したのだろう。
「フフッ、そう! そうだよ! あいつら! 〈無音〉と〈瞬撃〉は最近変な少女を、ナイフ使いの少女を保護したらしいんだよ!」
また物騒な話である。御堂の同僚は解散後も危ない仕事を止められないのだろうか。
「でな、保護というか、二人は最初その少女を始末する仕事を引き受けていたのだが、なんとその少女、戦闘中に〈無音〉の小指を切断しちまったんだとさ! 元〈ティンダロスの猟犬〉、その中でも上位クラスのメンバーに傷をつけたんだぞ!? 何者だよ! ハハハハハ! しかも二人がかりで処分しようとしたのに! 本人達も笑いが止まらなかったそうだ」
小指切り取られておいて笑いが止まらないとは、いささか人間味に欠けるのではないか。と王牙は思った。あちらはあちらでいろいろあるらしい。
「向こうも良い仕事の手伝いが手に入って喜んでいたよ。無論〈無音〉のことだから小指代だとか言って一生バイト代なんか出さないだろうな」
そんなことを言いながら御堂はまだクスクス笑っている。手伝いとははたして表なのか裏なのか。おそらく後者だろう。その危険な少女の姿を思い浮かべながら虚空を見つめている王牙だったが
「オーガ」
と、ふいに呼ばれた事で我に返った。
「この間の件で、日向波遠から興味深い情報が入ったよ。日向に能力の事を教え、余計な事を吹き込んだ男《九条 握人》の名が日向本人の口から出てきたんだ」
なにやらとても嬉しそうである。が、目が笑っていないという事は本当は面倒がっている証拠である。
「この男はな、私が三年前に処分を依頼された対象でな、巧みに行方をくらますから保留にしておいたんだ。当時は確か十三歳だったかな」
「十三歳!?」
そんな歳で既に殺される恐怖を背負っていたというのか。いや、それも特に驚く事でもない。驚くのは平和ボケした国である証拠。王牙はそう自分に言い聞かせ、問う。
「どんな子なんですか?」
珍しく自分から情報を聞きたがる王牙に御堂は驚く。
「自分から情報提供を求めるなんて感心だねぇジンノくん。情報か。三年前の写真は当てにならないから無いが、そうだなぁ。《九条握人》。やはり純血一族の人間だ。彼は元九条本家の人間で姉が一人いる。姉の能力は一族でも例を見ないほど群を抜いて優れているらしく、弟であるこいつはなかなか苦い思いをしてきたみたいだな」
眉を寄せながら話す御堂はだがな、と付け加える。
「今回はオーガ、お前は何も調べなくて良い。過去についても昔私が全て調べ上げたから。あちらさんの依頼内容は処分だ。この街にいるという情報さえ入れば私は絶対に逃がさん。今夜にでも仕留めに行く」
「それは、やっぱり九条家からの依頼なんですか?」
その言葉を聞いた御堂は無言になり、少し考える様子を見せる。
「それがな、今回のクライアントは九条家の依頼文に〈御上〉直々の依頼だと書いてあるだけで、他は全然わからない。ただ、先に物凄い額の報酬を振り込んでもらってあるから黙って仕事をこなすだけなんだが・・・・・・。
なぁオーガ、〈統一一族〉って何だと思う?どうやら御上って呼ばれているその一族がそうらしいんだよな」
「オカミ? 統一?」
〈統一一族〉。それは、その名の通り〈統一する一族〉ということではないだろうか。とすると、今まで出てきた純血一族は全て繋がっているということになる。
だが、純血一族というのは自分達が唯一無二の超越種となりたいが故に呪詛を身体に流し込んでまで純血となった筈である。つまり、そもそも連中にとって連中同士の関係、接触は皆無と考えて良い筈なのだ。何故なら彼等の根源、根元、ルーツとなっているのは〈支配〉という野望なのだから。
御堂の話が本当だとすると、守野家も、日向家、九条家、その他存在するであろう純血一族は全て〈御上〉という一族に統一、つまり支配されているということになる。それはつまり、現時点で〈御上〉が全純血一族の頂点に立っているということ。幾多数多の〈支配欲〉をもねじ伏せる圧倒的な支配。自分達が一番でありたいという根底を持っている連中を完全に抑え込む圧倒的な力。〈御上〉。
自分達より上の位だと理解し、認めているからこその呼び名〈御上〉。
「悪い悪い、変な事を聞いたな。ま、一族関係は我々が入り込んでいい世界じゃない。余計な詮索はしないほうが良いか。さて、九条家の能力なんだが、これも面白い能力だ」
言いながら御堂は煙草に火を点ける。カートンで買ってくると本数が増えるな、と危惧する王牙にヘビースモーカー女は一本薦めたが、気分じゃない、と断られた。
「ん、そうか。でな、九条の能力はズバリ《圧縮》だ。オーガ、圧縮といえば何を思い浮かべる?」
「……物理。ですかね」
「そういうところは学生なんだな。うんそうだ、物理学的な圧縮。私は凝縮理論だとかそういうものはイマイチわからないが、主にそれが九条の攻撃手段だ。手に触れれば何でも圧縮する能力。腕なんかを掴まれれば圧迫された血液、筋肉によって簡単に千切れ飛ぶ。まぁ握人の場合十三歳で一族を破門された身だからそれくらいしか知らないだろうがな」
「でも圧縮ってそういうものでしょう?」
「ただ押し潰すだけなら機械でもできる」
それは屁理屈ってものでは、と思ったが王牙は口に出さない。
「九条家の能力がただ物を押し潰すだけ? 〈そんなことしかできない〉のだったら今ごろ守野家に喰われて滅びているだろうよ。いや、そうさせない為に統一一族がいるのか? まぁいいや」
いまいち理解できない王牙は疑問符を浮かべるばかりである。
「はぁ。それでは御堂さんの言う九条家の圧縮能力ってなんです?」
頬杖をついた御堂は、んー、と漏らしながら紫煙を吐いた。トントンと刀の入った桐の箱を指で叩いてリズムを取っている。
「一番怖いのは〈精神圧縮〉だろうな」
「精神圧縮?」
「ああそうだ。お前の言う物理的圧縮が攻撃的な能力とするなら、精神の圧縮は暗示のようなものだ。いや、暗示なんて生易しいものじゃあない。
例えば記憶。その能力で必要なだけの記憶を意識的に、自他問わずできるとするぞ。無論圧縮された記憶は思い出せなくなる。それは一見すると記憶喪失にも見えるがそうじゃない。圧縮はあくまで圧縮だ。記憶は思い出せなくなっただけであって必ず残っている。ただ、自分では思い出せないから記憶喪失と言ってしまっても良いのかもしれない。勿論それによってできた記憶の空白部分に偽の記憶を書き込むことも可能だ。日向家の言霊なんかを使ってな。これはその人間個人の人生を崩壊させるに値する行為だ。
例えば痛覚。人間とは痛覚があるから、痛みを感じるから、恐怖すると言っても過言ではない。だが、私が思うに人間は痛覚そのものに恐怖していると思うね。傷を受ければ痛い。痛いから傷を受けたくない。傷を受けたくないから傷をつける人、モノに恐怖する。ならその痛覚をも圧縮してしまえば?傷を受けても痛くない。痛くないから傷を受けても何とも思わない。傷を受けても何とも思わないから傷をつける人、モノに恐怖しない。更に相手を傷つける事も何とも思わない。
今までの話はただの例だ。実際こいつらは恐怖心を消す為に痛覚を圧縮するわけじゃない。痛覚を圧縮したところで死への恐怖が残るからな。だから恐怖を感じたくないのだったら奴等は〈恐怖心〉それ自体を圧縮してしまうのさ。痛覚を圧縮するのは単に邪魔だから。痛みがあると行動が鈍ってしまうというだけ。
精神を圧縮するとはこういう事さオーガ。自分に都合の良いように、相手に都合の悪いように精神をいじくる。嫌な能力だよ、他人に記憶や感覚、精神を操作されるんだぞ?虫唾が走るね」
御堂摩紀がここまで毛嫌いする九条の能力。幸い握人という人物は精神圧縮の域にまで達していないという。
「オーガ、私が二度と九条家の人間を相手にしたくないと思った能力の使い方を教えてやるよ」
眉間に皺を寄せ、あからさまに嫌悪感を露わにする御堂。この女が思い出す記憶とはろくなものではない。これも王牙は心に留めておいた。
「どんな人間だったんです?」
「記憶、痛覚、恐怖心を限界まで圧縮し、空白の記憶部分に言霊で戦闘記憶を詰め込まれた狂人さ」
王牙はぞっとした。そんな人間はもはや廃人としか言い様が無い。完全に戦うことしか頭に無い特攻兵器だ。それよりも、そんな人間を相手にしたという御堂がここにいるということは、そんな狂人さえも蹴散らしてしまったということか。
「でもさ、私は戦闘の時、多少なりとも恐怖心は必要だと思うよ。そいつの場合、戦闘の技術は一級品だが私には劣る。刺しても裂いても潰しても焼いても向かってくるのが厄介だっただけだ。恐怖心が無いとさ、どうしても警戒心が衰えちまうよな。私の方が圧倒的に速いっつーのに、痛みが無いからノーガードで突撃して来やがる。普通の人間ならまだしも、相手はこの私だぞ?」
どこまで自信過剰なんだあなたは。などと王牙は言えない。
「首飛ばして終わりだ。全くつまらん仕事だった」
畜生め、と言いながら御堂は煙草を思いっきり窓の外へ放り投げた。御堂が九条家を相手にしたくないと、嫌な顔をしていたのはこういう事だったのだ。もしかしたら九条握人を三年間も放って置いたのはこういう理由も原因としてあるのかもしれない。
「九条の能力についてはこんなトコかな。はー、めんどくさいめんどくさい。始末したら財布奪ってやる」
本当に物騒な人である。
「御堂さん、今夜九条握人を始末しに行くんですよね?」
「うん。君も来るかい?」
この人は説明臭い物言いになると王牙の事をお前と呼ぶのに、気付けばいつの間にか態度が変わるのだ。
「……結構です」
言いながら王牙はキッチンへ向かい、冷凍庫で冷えたカップのアイスを二つ持って再びデスクの前に戻った。アイスとスプーンを受け取った御堂はスプーンを口にくわえながら、ソファに座ってアイスを口に運ぶ王牙へ身を乗り出した。
「オーガ」
「なんすか?」
「今夜もご飯作っていってよね」
「始末屋の仕事前に食事ですか?」
「うん? そうだよ」
手駒が主人に逆らえる筈も無い。
「はい」
そういえば冷蔵庫の中が空だということを思い出し、王牙はアイス片手に買出しへ出掛けて行ったのだった。
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