其ノ二~HEARTの形状~
「さァ皆さんお待ちかね、狩りの時間ですよォッ!」
コトシロの号令に続いて、コマイヌ達の猛々しい咆哮が夜闇をつんざく。
守護獣の役割に恥じず、この一族は、数多いる妖怪の中でも武道派として名高い。
荒野だろうが砂漠だろうが難なく走破する卓越した運動能力と比例して、常識外れの大食漢揃いゆえに、備蓄食料だけではとてもじゃないけど旅を乗り切れない。従って、不足分のご飯は現地調達が常、とはコトシロの弁である。
「いつも通り二人組を作ってね! 今回はクエビコ御一行様も初参加なのでくれぐれも粗相の無いように!
あと、ロクちゃん、あなたは罰としてお留守番!」
オアシスの森の前に集まった面々は、息の合う者同士でそれぞれコンビを結成し、木々の合間の暗がりへと雪崩れ込む。ニギはと言えば、群の中心にぽっかりと形成された空間でひとり、ひどく憂鬱な気分に浸って佇むばかり。
(なんか懐かしいや)
いよいよもってこの状況、今日は厄日ではなかろうか、と悲観的にならざるを得ない。
クエビコとの口論で乱れた心を引きずったまま、小学校以来のトラウマに悩まされるとは。
社会集団を渡り歩くたびに直面した、他者に対して踏み込めぬがゆえの孤立。普段は努めて意識の隅に追いやっている寂しさを嫌がおうにも呼び起こしてくれるのが、先生による『二人組つくって』の声だ。うちのクラスはみんな仲良しと勘違いする幸せな大人は、誰にも話しかけられず誘われもしない児童の苦しみを、決して慮る事はない。
「なぁ、おれと組んでくれねぇか」
クエビコはそう言って、ニギの真横を通り抜けてゆく。
「えっ、拙者と? こ、光栄でござるが……その」
指名されたクラミツハはぎこちない返事の後、
「あの子と何かあったのですか?」
声をひそめて耳打ちした……つもりなのだろうが、実際にはニギにも聞こえてしまっている。
しくじった事にも気付かない様子だし、口元に添えた掌もまるで無意味。実直な性分のためか、隠し事に向かないおっちょこちょいぶりをことさらに露呈しただけである。
「別にいいだろ。とにかく、たのまぁ」
「ひん、クエビコ殿、角は小突かないでくだされ。しびれちゃうでござるから~!」
半ば引っ張られるようにして、牡鹿めいたツノを揺らすサムライ少女の後ろ姿は、闇に溶けてゆく。
(参ったな、唯一の希望が取られちゃった)
よろしくない展開だ。哀れなあぶれ者に笑いかけるのは大抵の場合、諸悪の根元たる先生か点数稼ぎの優等生か。
「ニギちゃん、フリーなら一緒に行こ! キミの心に産地直送、鮮度が売りの俺ちゃんでっす!」
あるいは、下心満載の悪タレ坊主か。
「てかコレ肝試しっぽいじゃんね。お楽しみの大特価処分市じゃね? 吊り橋効果でワンチャンあんじゃね?」
タヂカラオの夜間テンションは、乙女に身の危険を感じさせるくらいに高かった。
鬼仮面の目玉から眩しいほどのスパークを放ち、喉元の排熱孔が間欠泉のごとき勢いで蒸気を吹きまくっている。
「のー! のーさんきゅー!」
みっちゃんみたく捕まって悪戯されてはたまらぬと恐れおののくニギは、無謀にも単身のまま、森へと逃げ込む。
「あ、ちょっ、おーい! 危ないって~!」
焦り調子の声が追いかけてきても、構わず走り続けた。
※ ※ ※
熱帯雨林は虫の鳴き声で溢れ、時おり獣や魔物のものとおぼしき不気味な遠吠えが響き、夜の静寂とはほど遠い。
「わうぅ……まだついてくるし、かんべんしてよもう……」
ニギはうんざりし、ため息をつく。
木々の間を縫うジグザグ走法でようやくまいたと思った矢先、追っ手の足音が猛然と近付いてくる。
いいかげんしつこい。独りになりたい気分なのに、あの能天気サイボーグはなぜ放っておいてくれないのか。
文句でも言ってやろうと決心した時、違和感を覚える。
二足歩行ではあり得ない、不自然に重なって響く音に。
(これ違う、倍に聞こえる!)
凄まじい風圧が背中を撫で、乾いた破砕音が響く。
脳裏を駆け抜けるのは、己の首から上が風船みたく爆ぜ散る戦慄の想像。
振り向けば、全長五メートルにも及ぶ獣の姿が目に飛び込んでくる。体毛代わりに苔まみれの鉱物を纏う異形は、タケルと助け合った過ぎ去りし日々を鮮明に呼び起こす。
懐かしき怪物・岩熊との、突然のエンカウントだ。
一瞬前に振りおろしたと見える両手の爪は、図太い木の幹を半ばまで割いて埋まっている。幸運だった。その位置に木がなければ、偶然にも盾になってくれていなければ、先ほど抱いたイメージは現実のものとなっていただろう。
「こ、こいつぅっ、やるっていうのかぁ!」
ニギは腰の櫛火切を抜き放ち、情けなく裏返った声で、はち切れんばかりの胸の鼓動を紛らわす。
「グるぁゥ」
岩熊が唸り、爪を引き抜く。へし折れた巨木を跨ぐと、腕を水平に広げて、臨戦の構えとなる。
圧倒的にでかくて生臭い、捕食者の威容。血走った眼球は煌々と輝き、視線だけで射殺されそうだ。
現実で熊と遭遇した経験もなければ、サバイバルの知識もないニギには、正しい対処法がわからない。なにより、ゲームという『安全な世界』で合間見えた時と訳が違う、実感しやすい死の恐怖を前にして、竦み上がってしまう。
(いやこれ無理だろ。勝ち負けとかいう以前の問題だってのに、なに戦おうとしてんだボクは?)
流れ出る汗で、全身に水を浴びたようになる。
汗とは別の液体によって下着が濡れている事に気付き、刀を掲げた手は弱々しく震え、腰の高さまで降りてゆく。
(ししし死ぬ。狩りに来たのに逆に狩られる? やだよ。たすけてよクエ、タケル、誰でもいいから)
戦意は折れた。逃げ出したくても一歩たりと動けない。
思考が真っ黒に塗り潰される中、
「ニギちゃん!」
岩熊の巨躯の向こう側、数メートル前方にタヂカラオの姿が見えた。
前腕の装甲板から露出したマシンガンが、目も眩むほどの発火炎を撒き散らす。
無数の弾丸は岩石の鎧ごと肉を抉るが、岩熊は恐るべき野生のタフネスで、銃撃に耐えきった。
「今度はもっとデカイのいく。危ないから離れて!」
サイボーグ神の肘が変形し、小型砲を組み上げる。
「ああぁ……タヂカラさん」
来てくれた、助かった。
硬直していたニギの頬は緩み、涙でびしょ濡れの笑みが溢れる。
これでもう安心だ、あとはお願いしよう。
生への希望に奮い立ち、ただちに避難しようとした足はしかし、刹那的な葛藤によって縛り付けられる。
(またか、またボクは足手まといか。いつも一人じゃ何も出来ずに、守ってもらってばっか)
『きみなんか所詮そんなもんさ』
『寄っ掛かるもんが欲しいだけだろ?』
二つの声が、意識の裏で弾ける。
(ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!)
どろどろとした感情に突き動かされ、気付けばニギは、地を蹴っていた。
「何してんの、邪魔だって!」
遠くで響く叫びは、もはや耳に入らない。
跳躍の勢いに乗って空中で身を翻す。強制的な肩車の格好で、岩熊の首筋に足を引っ掻け、組み付く。
手負いの獣は怒り狂って身を揺するが、先の攻撃の影響でかなり弱っているのか、振りほどくには至らない。
(いける、今なら倒せる)
弱点なら、知っている。
鎧に守られていない、柔らかい部分を狙えばいい!
逆手に持ちかえた櫛火切の刃を、右耳の穴に突き込む。頭蓋の奥深く、脳みそ目掛け、渾身の力で貫き通す!
と、ここまでが、彼女の脳内で展開した妄想の映像だ。
実際には、刀は敵の急所に届いていない。
岩熊の耳から出現した『虫』の、ひょろ長いロープ様の体によって絡めとられたのである。
「破傷虫……?」
タケルとの思い出として、ニギはその名を覚えていた。
奴らは全体の六割の確率で岩熊に寄生しており、宿主が生命危機に陥ると、自由に活動して防御を行う。
冷静であれば予測できたはずなのに。
彼女は動揺のあまり硬直してしまい、岩熊が再び暴れた事で、地面に引きずりおろされる。
これほど不細工な敗北があろうか。後先も考えず挑んだ末に、武器を手放し、残されたのは捕食を待つだけの餌。
絶望に心を蹂躙されかけた次の瞬間、
「あ~、もう!」
吹雪のごとく舞い散る木の葉を巻き上げて、乱入するはタヂカラオ。腿裏のロケットブースターが噴射する爆炎に後押しされた亜音速疾走で、一気に間合いを詰めるなり、体重×推進力の右ストレートを岩熊の横面にブチかます。
ずおん。
交通事故か何かのような衝突音が轟き渡り、岩熊の首は根元から捻じ切れて、空高く吹っ飛ぶ。
されど野生は、ただでは死なぬ。
執念が乗り移ってか、首無しの肉塊は地面にくずおれる寸前、巨腕を激しく振り回す。
その時だ。横薙ぎに一閃された鋭利な爪が、サイボーグ神の鬼仮面に僅かに引っ掛かり、叩き落としたのは。
こうしてニギは、隠されていた素顔との対面を果たす。
今までは仮面のせいで籠った声以外に判断材料がなく、『わりと若いかも』という曖昧な印象しか抱けなかった。豪快で開けっ広げで、欲望に忠実な振る舞いに相応しい、三国志の張飛っぽい髭もじゃ偉丈夫を想像した事もある。
とんでもない間違いだった。
月光に照らされるのは、幼い面影を残す少年の顔。
引き締まった体つきと裏腹に厳めしさもなく、陸上部の爽やかな男の子という表現が驚くほどしっくりくる。外見上では自分といくつも変わらない年頃にも思えるし、短い前髪に縁取られた広めのおでこがカワイイとさえ感じる。
何よりも特徴的なのは、目であろう。
泣き疲れた赤子みたく深い皺を刻む垂れがちの目尻と、真夜中の海原みたく薄暗い憂いに沈むディープブルーの瞳には、ほんの数秒のあいだ向き合うだけで訳もなく寂しくなって、どうしようもなく惹き付けられる何かがあった。
「うぇ……っ!?」
少年は随分と遅れて焦燥の色に染まり、アンバランスなほど大きな右の手のひらで顔を覆い隠す。
どうやら本来の彼は感情が表に出やすいらしく、ばつが悪そうにまごつきながら、足元の仮面を左手で拾う。熊に殴られた事を思えば至極当たり前ではあるけれど、綺麗に割れてしまっており、『鬼』の下顎の部分が欠けている。
「あーあ……しゃーなしか、見られちゃったもんは」
アイマスクになったそれを被り直し、平淡な声で呟く。
「てかキミさ、なんであんな無茶したの。どけって言ったじゃんよ俺」
「ひっ……ごっ、ごめ、なさっ……」
腰が抜けて座り込んだままのニギは、怒られて殴られるかもしれないという予感に怯え、お尻を擦って後ずさる。この動作により、できれば忘れていたかったびしょ濡れのスカートを再認識するに至って、恥ずかしさに涙が滲む。
「おい、逃げんなて。申し訳ないと思うなら、とりあえず下を脱ぐとこから始めよっか」
相手はずいずいと詰め寄ってくる。月明かりを背にしているので、輪郭が陰りを帯びてひたすらに怖い。
これはもう確定だ。お仕置きと称して、犯される。
遠い過去、兄の秘蔵のエロ本を盗み読む事で得た偏屈な情報が、少女の中で駆け巡り、ぐるぐると渦巻いていた。
「やっ、やめてぇっ。こないで、ゆるして」
そこらへんの小枝や葉っぱなどを掴み、夢中でぽいぽいと放る。
「うわ待ち、待ちー。なーんもしないよ。絶対みないし、あっち向くしさ。脱がんと風邪ひいちゃうでしょがっ!」
「おねがい。はじめては、はじめてだけはかんべんして」
「わーメンドくせー。スンゴい勘違いしてね、このコ?」
タヂカラオにしても、日頃の行いの報いとはいえ悲しき誤解だ。
彼は何を思ってか、とんでもない手段に及ぶ。
「だったらこいつはどうだ!」
ズボン状の袴を降ろし、己の股間をさらけ出したのだ!
「きゃあ~!」
「落ち着いて、よーく見て!」
固く閉ざした瞼を指で強引にこじ開けられて、ニギは、ハッと息をのむ。
そこにはただ厚い装甲板があるのみで、普通の男として持っていてしかるべきものは、どこにも存在していない。
「ほらね、ないんだ俺。これじゃ変な事できないっしょ」
鬼面の下の口がほころび、やわらかな微笑みを作った。
「だから信じて、おれはみかただ」
仲直りだよ★オモイカネちゃん!
メイドBAR『ウケモチ』
オモイカネ
「アルコール抜きのカルーアミルクおかわりデース」
ウケモチ
「お客さん、もうそのへんにしとくにゃー。帰れなくなっちゃうにゃよ」
オモイカネ
「ウルサーイ! ワターシは今、とことんまで飲みたい気分ナンデース!」
カランカラーン
ツクヨミ
「隣、いいかな」
オモイカネ
「あ……ツクヨミ様……!」
ウケモチ
「いらっしゃいませにゃー」
※ ※ ※
ツクヨミ
「なるほど。勢いで喧嘩しちゃって、引っ込みつかなくなっちゃったか」
オモイカネ
「ハイ……デモー、ヨーク考エタラ、ミカド様の自分勝手は今に始まった事ジャナイデス。それを承知で付き合ってたノニ……ついカッとなって、ワターシが大人げなかったデース」
ツクヨミ
「じゃあ仲直りしたいんだ?」
オモイカネ
「フ~ン! アッチがどーしてもって言うナラ、やぶさかジャナイデース!」
ツクヨミ
「でもきっかけがないんだよね?」
オモイカネ
「うっ、そうデース……」
ツクヨミ
「そーゆーことなら僕に任せて(グッ)
天国の敏腕プロデューサーと呼ばれる僕が、有料でサポートさせてもらうよ」
オモイカネ
「初耳デスよ!」
ツクヨミ
(´・ω・)っスッ スマホ
オモイカネ
「デレ○スじゃねーか! さては課金Pだなオメー」
つづく!