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江戸時代の遊郭の楼主に生まれ変わったので遊女の待遇改善に努めつつ吉原遊廓の未来も変えようと思う 作者:水源
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養蜂用の巣箱もできたしちょっと試してみるかね、揚屋で出る残飯をただすてるのは勿体無いな

 さて、腕利きと紹介を受けた大工に蜜蜂の巣箱の作成を頼んであれから3日たった。
予定より一日早く二人が巣箱を持ってきた。

「三河屋の旦那、頼まれていたものを持ってきましたぜ」

「ほう見せてもらおうかい」

「どうぞ、じっくりと見てくだせえ」

 俺は頼んだ巣箱を地面においてガタツキなどがないか、それにくわえ重箱式巣箱は積み重ねても隙間がないか、巣枠式巣箱は巣枠がスムーズに出し入れできるかなどを試してみた。
しかし、そのあたりは全く問題がなかった。
うむ、それなりに高い金を払ったかいがあったな。
個人で材料を集めて作れないことはないわけでもないがやっぱ餅は餅屋だ。
ノコギリとかカンナなどの道具も揃えるとなると結局余計な金もかかるしな。

「さすが本職だな。
 ガタツキも隙間もないし、巣枠も出し入れに引っかかりもない。
 よし一日早いが報酬の2両、持っていってくれ。
 また何かあったら頼みたいんでよろしくな」

 2両を俺は手渡すと、大工の師弟は嬉しそうにそれを受け取った。

「へえ、ありがとうごぜえやす。
 よし、太助、早速今夜の三河屋で遊べるよう予約するぞ」

「へえ親方、今夜が楽しみですね」

「おう、本当に楽しみだな」

 うん、俺が払った金が結局俺の店に戻ってくるわけか。
いいことだがあんまり遊女にはまり込むなよ。
傾城とか傾国とはよく言ったもんだ。
まあ、建物の増改築を頼んでも安心できるレベルだし、今後はこっちにも頼むとするかね。

 さて、ニホンミツバチの養蜂は、巣箱を作り、蜜蜂の飼育場所を用意して、春の分蜂時期に巣箱を設置して、巣立って分蜂したニホンミツバチが人間が作った巣箱に入ってくれるのを待つというけっこう気の長い方法だ。
ニホンミツバチは大昔から日本の東北から九州までの広い地域に住んでいて、大きい木の幹の空洞うろ、石垣の隙間、家の天井裏や床下、そこらかしこにあるお宮さんなどの祠の隙間など案外たくさんの場所に住んでいる。
この時代の浅草は水田や畑も多いので、蜜蜂やモンシロチョウなども春になると普通に飛んでいるしな。
21世紀現代だと農薬や遺伝子組み換え作物、様々な大気汚染や土壌汚染によって蝶やハチ、さらにはツバメなどの姿を見かけるのも少なくなった。
ちなみにニホンミツバチはセイヨウミツバチに比べ、かなりおとなしいので、むやみに人を刺すこともない。 
さらに寒さや湿気に強く、ダニやスズメバチ類の外敵にも強い抵抗性を持ち病気にも強い。
セイヨウミツバチに比べいろいろな花の蜜を集めるので夏や冬の花の蜜が少ないときでも蜜が集まりやすい、ただしセイヨウミツバチに比べると取れる蜜の量が五分の一程度とすごく少なく、神経質なので巣を作っても逃げられやすいと言う欠点はあるがな。

 とは言え巣箱の中に蜜蜂が巣を作ってくれたら、周りに木や畑がないから、養蜂はできないと言うこともない、ニホンミツバチの活動範囲はかなり広いし、あまり花の種類を選ばないからあぜ道の雑草の花などからも蜜を集めてくる。
それでも、農薬をまかない畑や果樹園などがあればそれに越したことはない、ミツバチが蜜を吸うことによって花も受粉しやすくなり結果として実などもつきやすくなるからだ。

 俺はニホンミツバチを作った巣箱に入りやすくなるように蜂蜜と蜜蝋を巣箱の内側に塗って、鉢植えの金稜辺(キンリョウヘン)と言う蘭の花も花屋から買って巣箱の前に置く、そして美人楼の門外店の裏の自家菜園として借り受けた畑のど真ん中にたってる大きな木の下に巣箱を設置する。
大きな落葉樹の木の下は夏は木陰になり、冬は日が当たるのでちょうどよいのだな。
金稜辺は中国南部に自生する東洋蘭(シンビジウムだが幸い100年ほど前に日本に入ってきて愛好家の中ではそれなりに栽培されているようだ。
入ってきていなければ当然中国から輸入して来ないといけないわけだが、それでは当然いまからでは間に合わないからな。

 金陵辺は、蜜腺とよばれる蜜蜂が好む蜜を分泌する部分を花の外にもっており、さらにニホンミツバチなどの東洋系の蜜蜂以外の昆虫が嫌う蟻を花に誘うため、他の昆虫を寄せ付けず、ニホンミツバチなどの東洋系蜜蜂だけが誘われるらしい。
なので春の分蜂の季節にニホンミツバチがキンリョウヘンに集まると花が隠れて見えなくなるほど効果があるのだ。

「さて、こんなもんでいいか」

 今のところ俺には丸太式、重箱式、巣枠式の巣箱を木の下に設置して、後は蜜蜂が巣箱の中に巣を作ってくれることを祈るしかできない。
丸太式は下と上に板をおいて重しの石を載せるだけ。
重箱式は少し高い台の上に板をおいた後、その上にズレがないように、巣箱を重ねて載せていき、上に板をおいて、重しの石を載せる。
巣枠式は少し高い台の上に置き風などで転がり落ちないように重しを載せるだけだ。
春のうちに入らなければ、ほかの季節にニホンミツバチが巣を作ってくれる可能性はかなり低いらしい。

「まあ、そのときはその時だな」

 丸太式、重箱式、巣枠式にはそれぞれ長所と短所がある。
丸太式は自然な状態に近いのでニホンミツバチが巣を作りやすく、巣箱の掃除など蜜蜂の飼育にほとんど世話がいらなくて、ほかの巣箱に比べると採蜜量も多く、スムシと言われる蛾の幼虫の害が少ないなど長所も多いが、採蜜のときに巣をすべて壊さないといけないので、その時の蜂や蜂の子の犠牲も多い。
なので毎年蜂を呼び寄せないといけないので継続的な飼育にはあまり向いていないかもしれない。
重箱式は丸太式よりはニホンミツバチが巣を作りにくいが、積み重ねた巣箱の中に巣がわけて作られるので、一番上の蜜が蓄えられている巣だけを壊すだけで済むから蜂や蜂の子の犠牲は丸太式よりは少ない。
巣枠式は巣を壊さずに蜜が取れるが、一番ミツバチが巣を作りづらいし、底板の掃除などをこまめにしないとそこにウジなどが湧いたりするしスムシの被害もでる可能性が高い。
なので理想としては丸太式で蜜蜂を捕まえて、その後巣枠式に巣を移して、こまめに掃除をすることだったりする。

 さて、巣箱の設置が終わったので、俺は吉原の中に戻り、揚屋の残飯を持ってきて最近飼い始めた犬たちにそれをやっていた。
要は番犬代わりというわけだが、揚屋では客が頼んだ料理は結局残ってしまい残飯になることが多い。
客や接客する太夫や格子は形だけ箸をつけるにすぎないからな。
うちでは同席する禿や新造は食っていいことにしてるが、それでも余る。
そういったものを塩抜きしたり、貝やイカ、タコ、エビ・カニなどは除いて食わせる。
玉ねぎはまだ料理に加わってないが、加わったらそれにも注意だな。
ちなみに犬は柴っぽい犬の父犬、母犬とその子犬らしい。
日本に長く住んできた犬は腸も長く穀物の消化能力が高い。

「よいよし、お前ら焦らなくても大丈夫だぞ」

”わふわふ”

 日本では縄文時代の縄文犬は狩猟のパートナーとして家族同然に大切にされ共に暮らしていた。
しかし、弥生時代になると犬は他の集落からの攻撃を察知するための番犬兼いざという時の食料に地位を落としてしまった、中国人は普通に犬とか食うからな。
その後古墳時代から江戸時代初期まで日本では長いあいだ犬を縄文時代のような大切なパートナーとして考える習慣はなかったと言ってよく、鎌倉時代になると武士は犬追物として犬を騎乗射撃で射る訓練をしたりするようになる。

 江戸時代初期までの犬の存在は現代のカラスのような人間にとってちょっと迷惑な動物扱いで、野犬の多くは群れを作って人間の集落の周辺で生活していたが、その中には人間の集落に入り込んで、料理屋などから出る残飯や人間が食べているもののおこぼれをもらったりするものも居たし、集落の外では人間の排泄物や行き倒れで死んだもの、捨てられた捨て子や動けなくなった病人、けが人、姥捨てされた老人、動けなくなってすてられた牛馬なども食べてもいた。
人間の中には小さな子犬を拾ってきて子供の遊び相手とするもの、つまり子犬をペットとして飼うものも居ないわけでもなかったが、犬小屋や首輪、リードのようなものはなくほとんど放し飼い状態であったし、それはごく少数派だった。
その他に人間に飼われていたのは猟師の猟犬と見世物としての闘犬。
江戸時代初期はまだ犬追物の的として弓矢の腕を磨くために野良犬を集めた後広い場所ではなされて、矢の的にされたし、下級武士や浪人、旗本奴や町奴と言った傾奇者などは犬を斬り殺して鍋や吸物、焼き物にして食べていたし、鷹狩の鷹の餌としても犬は使われた。

 なので、この時代は江戸の街には犬はあまり多くはないのだが、浅草は江戸の街の外れでもあり、死刑を行う小塚原刑場こづかはらけいじょうも近くにあった。
ここで死刑にされた罪人の死体は申し訳程度に土を被せるのみだったので、野犬やイタチの類が掘り返して食い散したりもしている。

「お前らだって好きこのんでそうしてるわけじゃねえよな」

”わふわふ”

 尻尾をふって答える犬たち。

 今日は山鯨ことイノシシの骨が手に入ったので、親犬がうまそうに食ってる。
チョロチョロその周りをうろついてる子犬は母犬が噛み砕いたものを食べているようだ。

 俺がそんなことをしていたら籠が止まって中からまだ若いしかし元服はしているらしい武士の子供が供の者とともに近寄ってきた。

「その方、いったい何をしているのだ?」

 と聞かれたので俺は答えた。

「こいつらは番犬として俺が飼ってるんですよ。
 最近俺の持ってる店が増えたんで、夜間の泥棒や放火避けですな。
 ゆくゆくは盲人が歩く際に付き添って
 道案内できるようなどにもしたいのですが」

 その子供は感心したように言った。

「ほう、犬といえば殺して食うものも多いと言うのに
 そのような使い方もあるのか」

 俺は苦笑いして言った。

「本来犬は人間が大好きなんですよ。
 でも、人間側が危害を加えてくるから仕方なく身を守ってるんです。
 それに犬は人間の感情がわかりますし、彼ら自身にも
 悲しいとか怖いという感情があります。
 牛や馬などの人に飼われている動物は大体そうですが
 そういった感情を持っている動物は殺されたときに
 肉にそういう感情がこもっちまいます。
 なので食った方もそういった感情に取り込まれて
 攻撃的になっちまいますからね。
 まあ猪や鹿は人との関わりがあまりないから
 さほどではないようですが四足の獣の肉はあまり頻繁に食わず
 魚を食うようにしたほうがいいんですよ。
 とは言え飢饉のときに動物を食ってはいけないと
 自分の子供を殺して食うようでは本末転倒です。
 飢饉がおこらないようにするのが一番なんですけど
 そのあたりは天候次第というのもありますから難しいですな」

 若い侍は感心したように言った。

「なるほど、そうであるか。
 その方はなかなか博識であるようであるな」

「まあ、大見世の楼主は太夫に学や芸を教えられる程度には
 様々なことに通じてなければいけませんからな」

 若侍が犬に近づこうとすると犬がグルルと警戒するように唸った。

「ああ、刀を差したまま近づいたら警戒されますよ。
 今までも旗本奴などに追い回されていたようですからね」

 若侍はそれを聞くと供の者に刀を手渡した。
供の者が言う。

「若、刀は侍の命で御座いますそ」

 しかし若い侍は平然と言い返した。

「もう、刀で斬り殺せばいいという時代ではないよ。
 上様もそうお考えであろう」

 若い侍は子犬に近づくと子犬は喜んで近寄っていった。

「うむ、ういやつじゃ」

”わふわふ”

 子犬の方も嬉しそうに撫でられている。

「俺はただの遊廓の主でしか無いですが
 俺の見世で働いてる女たちは売られたり
 捨てられたりした女達です。
 そしてそうなる前に老人は老い先短い自分たちからと
 山に入って犬や狐、イタチの餌になっちまいます。
 俺はできればそういう人間を減らしたいですし
 こいつらのような犬も助けてやりたいんですよ」

 若い侍は深く頷いた。

「うむ、その方の考え尊いものだと思うぞ」

 そして、子犬を地面に置くとしばし何か考えていた。
それに対して供の者がいった。

「綱吉様、そろそろ揚屋へゆかねば、
 水戸の光圀公を待たせてしまいますぞ」

「うむ、そうだな。
 そなたの話はなかなかに面白かったぞ。
 では、また機会があれば話を聞かせてもらおう」

 そう言うと若い侍は俺の揚屋に入っていった。
そういや今日も水戸の若様が来ていたが、若様があの若い侍をよんだのか。
松平右馬頭綱吉のちの上野館林藩主にて犬公方、江戸幕府の第5代将軍である徳川綱吉様を。

「そういや、今日もなんか新しい料理を作らにゃならんか」

 俺は揚屋の台所へ向って水戸の若様のためにまた新しい料理献立を考えるのだった。
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