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江戸時代の遊郭の楼主に生まれ変わったので遊女の待遇改善に努めつつ吉原遊廓の未来も変えようと思う 作者:水源
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遊女の健康状態も大分良くなってきたんじゃないか、そして水戸の若様からの嬉しい知らせだ

 さて、浅草の浅草寺での灌仏会の稚児行列への参加やお参りも無事終わった。

「はあ、わっちもおまいりいきたかったでありんす。
 観音様にお祈りすれば岩の治りももっと良くなったかもしれんですよ」

「すまんな桜。
 だが、現役遊女は吉原の外に出せないのは
 幕府のお偉いさんとの取り決めなんだ」

「はあ、わかってはおりんすが、悲しいでんな」

 藤乃や桜を始め、三河屋で現役の遊女は浅草寺の灌仏会へいけなかったことを悲しんでいたようだが、正直、今の状態ではまだお前たちを公式に大門の外へ出すのは難しい。
少しずつでも大門の外へ出られたりできるようにできればいいんだけど、これは幕府との新吉原への移転の時の取り決めがあるからなかなか難しい。

 京都の嶋原遊廓、大坂の新町遊郭、長崎の丸山遊廓などは廓の女性でも一応手形は必要ではあるがかなり自由に廓の外へ出ることができ、吉原と同じく幕府の公許を得た花街では在るが、男性が遊女と遊ぶ場所というだけでなく、和歌や俳句などの文芸活動も盛んで、一般の女性にとって、芸妓はあこがれの存在であり、一般の老若男女の観光などでの出入りも自由な開放的な町で、実母を「親孝行」として揚屋で遊ばせた例もけっこうある。
京の人間には嶋原は憧れの場所であり親しい場所でもあった。
ここが閉鎖的で芸事の街ではなく性の街となってしまい、一般の女性に近づくことをためらわれる江戸の吉原と大きく異なるところだ。

 もっとも嶋原も元禄以降は立地条件の悪さのため祇園町、祇園新地、上七軒、二条などに押されて除々にさびれてゆくが、幕末の時点では吉原は嶋原の完全に格下の人気のない遊廓扱いになっていた。

 江戸の吉原、京の嶋原、大阪の新町、長崎の丸山は幕府公許の四大遊廓だが、幕末では吉原はこの中で最低評価だったんだ。

 なぜそうなったか、答えは簡単で吉原はただ体を売る女がいるだけの場所になってしまっていたからだ。

 平安期の白拍子が皇族や貴族に寵愛を受けたように、嶋原の太夫は正五位の地位をも与えられた最高位の遊女で公家、皇族の相手を務める存在であった。
それ故に、教養に長け舞踊、茶道、和楽器(箏、三味線、胡弓、囃子、一絃琴、琵琶など)の演奏で師範になれるくらいの能力が求められたがな。

 現代で言えば歌って踊れるトップアイドルや一流音楽家、宝塚のスター、大女優や人気声優をあわせたようなものだと考えてもらってもいい。
で、アイドルや宝塚のスターであれば、コンサートや劇場に行くとか握手会やサイン会に参加する、女優であれば映画やテレビを見るなどなわけだが、嶋原はそういう存在の女性に、直接接客してもらうことができる場所なわけだ。

 だから本来は性的サービスは必須のものではないし、太夫は客を選んで振ることは許された。
しかし、吉原のように金をもらっておいて客の相手をしないというのとは訳が違う。
あくまでも指名されても断る権利があるというだけだ。

 俺は吉原の太夫を嶋原の太夫に近い存在にしたい。
この後の吉原の遊女は売られてきて悲惨な境遇で働くかわいそうな女になってしまうが、そうではなく江戸の町の女に遊女に憧れを抱けるような存在になってもらい、吉原がもっと開放的で子供でも安心して入れるような場所になってほしいものだ。

 とは言え江戸と京では文化も違う。
江戸には吉原のすぐ近くに歌舞伎座も在るし、和歌や俳句を自ら楽しむと言う感じはしないよな。
だからこそ歌舞伎座が盛り上がってしまう前に吉原の中での女歌劇や人形劇を認めてもらいたい。
何だかんだで観劇というのは女のほうが好きな気がするからな。

 そんなことを考えながら、飯を食うために広間に向かう。
そして飯を食ってる遊女たちに挨拶をする。

「お前さんたち、おはよう」

 桜が俺に挨拶を返す。

「おはよござんす、若旦那」

 いまは化粧を落としてるが、目の下に隈もないし、顔色も良くなってる。
顔つきも少し丸みを帯びてきたような気がするな。

「おう、桜、顔色もいいみたいだが最近調子はどうだ?」

「あい、すっかり良くなったと思いんす。
 こんにゃくばかりの献立がそろそろ変わるといいな
 とおもっていんすがどうでありんしょう?」

 俺は首を傾げた。

「うーん、岩が完全に消えるまでは
 やめておいたほうがいいと思うんだよな」

「若旦那、冗談でありんすよ。
 せっかくすくっていただいた命でありんすえ。
 粗末にするつもりはありんせんよ」

 冗談か、まあ本音も多少は混じってるんだろうがな。

「まあ、せっかくいい方に向かってるんだ
 完全に消えるまでは我慢してくれ。
 俺もおめえさんに意地悪してるんじゃないってことは
 わかってると思うがな」

「あい、わかっておりんすよ」

 まあ気持ちはわからんでもないが、もうちっと我慢してくれ。
他の連中も俺が未来の記憶を取り戻したときよりだいぶ健康的になった気がするな。
やっぱ睡眠と食事は大事だ。

 そもそも一日8時間で7日に一度の休みというのは、それがギリギリ効率を下げないで済む労働時間であって、それ以上の長時間労働は効率が悪くなるのは産業革命の時代からわかっていることだったんだが、日本は利益をあげようとして何故かそれに逆行するような動きをすることで却って利益を下げる非生産的な国家なんだ。

 働き手である遊女の睡眠や栄養が不十分であれば当然儲けも上がらなくなる。
長時間労働をしいておいて、社員が病気になって休んだら”休まれると迷惑なんだよね”などと言って無理して出社させたりしてるのは上層部が馬鹿で無能な証なんだがな。
労働時間に余裕をもたせるか人員に余裕を持たせるかのどちらかをしないほうが悪い。

 まあ、吉原遊郭に対する幕府の政策は遊廓の楼主の経済的弱体化のために意図的にいろいろ見逃してやってるのかもしれない。
湯屋の湯女を取り潰してわざわざ吉原に入れたり、祭りや消防の金銭や人員の提供の免除を行ったのはそういうところに目的が有ったのだろう。

 用済みだからと幕府に見捨てられかけてるのに大見世の楼主も気がつくべきだし、幕府にとっても役に立つと働きかけないと不味いと思うぜ。

 さて、今日も藤乃の所に水戸の若様が来ている。
そして俺はまた藤乃付きの禿の桃香に呼ばれて揚屋に向かっている。

「水戸の若様が、戒斗様とお話しがしたいそうでありんすよ」

「お、おう、わかった今行くぜ」

 とりあえず、俺達は揚屋の藤乃が持ってる部屋へ向かい、座敷に上がることにする。

「三河屋楼主戒斗、失礼致します」

 すっと障子を開けて中を見る。

「おお、楼主よ来たか。
 この焼猪炒飯チャーシューチャーハンとやらは美味いのう。
 お前さんの所は毎回新しい料理が出てきて全く驚くぞ」

 そして徳川光圀はニンマリと笑う。

「で、良い話がいくつか在る。
 まずは琉球に送ったものがお主に言われたものを
 持ち帰ってきた」

「本当ですか、ありがとうございます。
 これで西国の飢饉対策もうまくいくと思いますが
 まずは芋に害虫が虫喰っていないかなどを確かめさせていただきます」

「うむ、そうしてくれ」

 俺が頼んでいたのは琉球芋と呼ばれるであろう薩摩芋、苦瓜ことゴーヤ、甘蔗ことサトウキビ、ウコンことターメリックだ。
特に薩摩芋は火山灰の痩せた場所でも育つので関東、信越や駿河などの火山灰が多く水田に向かない畑や四国や中国、九州のような旱魃の多発する場所でも育ちやすい。

 徳川光圀はカカと笑った。

「うむ、なに、それらの作物は私にとっても意義のあることであろう」

「はい、水戸の若様が琉球芋を広めたとなれば
 若様の評価もきっと上がりましょう」

「それとな、吉原でのみ女が劇場での劇を行うことの許可が下りた。
 その座の名主はお前さんだ。
 まあ後はうまくやってくれ」

「は、誠にありがとうございます。
 これで遊女の本来の行いである芸事での
 稼ぎを得ることができるものが増えると思います」

「うむ、もう一つだがな。
 お前さんの美人楼に来た我が水戸藩の奥女中がおってな
 まあその奥女中が急に美しくなったので
 他のものも来たいというのだが、
 なかなか吉原の大門の中に入るのは
 手続きが面倒でな。
 なので、大門の外の五十軒茶屋町か
 浅草寺に裏道脇の岡町に
 支店を出してほしいのだ」

「そいつはむしろ俺に取っちゃ嬉しいことですが
 吉原の外の建物や株を吉原の楼主は
 持てない決まりではなかったんで?」

「なに、お前さんは遊廓の楼主だけではないしの。
 下手なことをすれば私に類が及ぶことはよくわかっておるであろう?
 ついでに万国食堂も一緒に作ってもらえれば私も他の者も
 気軽に食えるようになるであろう。
 太夫に会わねば食えないのはちと高いからな」

「へえ、ありがとうございます。
 ついでと言っては何ですが、
 万国食堂で焼き物を出すための石窯の設置許可と
 うちにいた年季上がりの女に町人が授業を受けられる
 三味線などの芸事や文の書き方を学べ
 手習い所を作りたいのですが
 許可いただけますでしょうか」

「うむ、それによって私の評価が上がるように精進せいよ。
 石窯があればまた新しいものが食えるのであるか。
 なるほど、手習い所に私塾か。
 うむ、芸事は武士の妻なども通えるようにしても構わぬぞ」

「はい、石窯があれば南蛮料理に関しての献立がもっと増えます。
 かしこまりました、水戸の若様の期待を裏切らぬように致します。
 では、これにて俺は失礼します」

 さて、吉原大門外に美人楼や万国食堂の支店を作ったり、自家菜園で薩摩芋なんかを栽培したりしないとな、こんな早く手に入るとは思ってなかったぜ。
早速大工を呼んで、美人楼や万国食堂、もふもふ茶屋を作らせよう、ついでに手習指南所兼芸事私塾、要するに学習塾と音楽教室を兼ねた建物や子供も預かれる場所を作ってもらおうか。
半月もあれば多分作れるだろう。
この時代は畳の大きさで建物の部屋の大きさも共通の規格になってるから、現在のツーバイフォー工法や秀吉の墨俣の一夜城建築のように柱や床板を予め作っておいて、基礎工事も地面に木材などを敷き詰めて踏み固めるだけと、効率よく家をたてることができるようになってる。
そうでなければ、江戸の半分以上が焼けた翌年にはそれなりに活気が戻ってるなんてこともなかったろう。
この時代の消火は延焼防止のために家を破壊することだった関係で柱なども最低限家を支えられる太さしか無いから、その分軽く運ぶのも楽なわけだ。
今月の終わりくらいまでには大門の外で開業できるはずだ。
うれしいねぇ。
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