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江戸時代の遊郭の楼主に生まれ変わったので遊女の待遇改善に努めつつ吉原遊廓の未来も変えようと思う 作者:水源
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お釈迦様の誕生日の灌仏会なので浅草寺にお参りのためにみんなでお出かけしようか

 さて4月8日の灌仏会の前の日。
浅草寺より一通の文が届いた。

 内容を大雑把にまとめると

”このたびは多額の喜捨をありがとうございます。
 つきましては”美人楼”の楼主や従業員の皆様に
 4月8日の灌仏会当日に当寺に参拝の上
 ぜひ賽銭の喜捨していただければ
 また、長永は稚児行列にも加わっていただければ
 その際にはぜひ喜捨を”

 みたいな感じだ、もちろんずっと回りくどく書いてるけどな。
三河屋ではなく美人楼としているのは、こちらもその名義で寄付したし、遊廓の現役遊女は流石に不味いということだろう。
地獄の沙汰も銭次第とは言うが寺だって運営していくには金がかかるからな。

 浅草の浅草寺の歴史はとても古く、開かれたのは飛鳥時代とされる、浅草寺本尊の聖観音は推古天皇36年(628年)に、川で漁をしていた漁師が川から拾い上げ、そのとき寺が創建されたそうだ、

 その後、平安時代初期に、比叡山の第3世天台座主である慈覚大師の円仁が来寺して「お前立ち」と呼ばれる、公開されない秘仏の観音像の代わりに人々が拝むための観音像を造り正式に天台宗の寺となった、平安寺時代にはすでに七堂伽藍、雷門、仁王門などの建築物も作られたという。

 江戸時代では浅草寺は徳川家康により祈願所と定められたり、3代将軍徳川家光の援助により、火災により焼失したした五重塔や本堂が再建されたりと、幕府にもとっても重んじられている。
浅草は江戸の鬼門に当たる場所でも在るからな。

 しかし、家光が死に、明暦の大火で江戸城や大名屋敷が焼け、西本願寺、東本願寺、霊巌寺、山王権現社、吉祥寺などの有名な寺社も焼けて移転するにあたり、幕府も浅草寺への援助をして居る余裕がなくなっていた。

 しかも浅草寺は墓地を持っていないので、墓地の檀家からの収入もない、観光客や祈願所としての賽銭や寄付金が収入なわけだ。

 そういうときに俺からの寄付は寺にしてもありがたいものだったんじゃないかな。
というわけで、俺は竜胆みたいな年季が明けて美人楼や万国食堂、もふもふ茶屋で働いてる元女郎、その見世を手伝っているまだ水揚げしていない禿や新造、年季が明けてる年齢にしか見えない切見世の女郎、その他年期明けの番頭新造、鑓手、太鼓新造それと母さんなどを連れて、浅草寺へ赴くことにした。
禿の桃香などはとてもよろこんでいる。

「わー、お寺のお祭りに行けるなんてすっごくうれしいでやんす、戒斗様」

 それを聞いた藤乃が言った。

「はあ、羨ましいわ。
 わっちも浅草寺にお参りに行きたいですわ」

 俺は苦笑して言った。

「まあ、そう言うな、さすがに有名なお前さんが行くのは不味い」

「まあ、わかっておりんすがな」

 そう言いつつも恨みがましい目で俺を見る藤乃。
朝に起きてくる現役遊女はうちの見世では少ないし、現役遊女はよほどのことがなければ大門の外に出られないからな。
遊女の吉原の外での活動が禁じられ、穢れとされる現役遊女には難しいとわかっていても、まあ外に出られる連中が羨ましいのだろう。
穢多非人が汚れとされる理由の一つは病気を持っているからとされる。
病気が移ると困るからと表立っての参加は難しいのだな。

 逆に切見世の女郎は嬉しそうだ。

「いや、ほんとにありがたいことだね」

「まあ、お前さんたちも頑張ってるからな」

「これからも頑張るよ」

「ああ、そうしてくれると嬉しいぜ」

 さて、当日は天気もよく、美人楼やもふもふ茶屋などには”浅草寺の灌仏会へ参加のため本日臨時休業”と張り紙をしてから俺と警護と女の逃亡防止のための若い衆と女連中で連れ立って見世を出て大門をくぐった。

「ほれ、お前ら、賽銭と途中で団子なんかをを買うための銭だ。
 絶対落とすなよ」

 浅草寺への途中の道で俺は連れていく女たちや若い衆に賽銭と小遣いを渡す、大門の外に出れて母さんも喜んでるようだ。

「親孝行な息子を持ってわたしゃ幸せだね」

「まあ、俺にとっては大切な親だからな」

「まあまあ、うれしいねぇ、これで後は
 早く孫の顔が見れたらね」

 うえ、藪蛇つついちまった。

「そ、そうだな、ははは」

 とりあえず笑ってごまかしておいた。
正直今はそれどころじゃないというのが本音だ。

 灌仏会、別名花祭りはお釈迦様の誕生日で釈迦を本仏としない日蓮正宗等を除く殆どの仏教宗派で共通して行われるが、中でも浅草寺は規模が大きい。
様々な草花で飾った大きな花御堂の中に、甘茶を満たした灌仏桶の中央へ安置した誕生仏像に柄杓で甘茶を掛けて祝う。
花御堂は釈迦が生まれたルンビニという花園を示していて、甘茶をかけるのは甘露の雨で釈迦の誕生を天部、つまりは神様が祝福したのを真似しているらしい。

 ちなみにこの時代には初詣の習慣はない。
初詣は明治以降に始まった習慣なんだ。
また神社と仏閣の参拝形式の違いもない、この時代では神仏は一緒に祀るものだからな。
なので、灌仏会は人の最も集まる祭でも在るんだ。

「うわ、人がこんなたくさん」

 桃香が目を丸くしている。

「まだまだこんなもんじゃないはずだぞ」

 とりあえず皆は手水で手を清め、口を濯ぎ、境内に入り浅草寺の裏方の稚児行列の参加者の集まる場所に禿たちを連れていく。

「失礼します、私は美人楼の楼主です、本日はどうぞよろしくお願いします。
 これは心ばかりではありますが、どうぞお受け取りください」

 と、寺の関係者の黄金色のまんじゅうという名義の小判の入った木箱を渡す。

「これはありがたい次第。
 浄財ありがたく承りますそ」

 あっちもニコニコ受け取る。
金があれば幸せってわけじゃないいが、金があれば色々できるのは事実だ。
でかい見世に生まれたのはそういう点で幸運だったよな。

 俺は稚児衣装と天冠を寺から借り受けて禿たちをそれに着替えさせる。
こういった高い衣装を借り受けることができるものしか行列には加われないのだな。
寺から俺はいい鴨と思われてるかもしれないが、俺にもメリットは有る。
祭への寄進者はその名前と寄進した額が紙にかかれて貼り出されるので、それによって俺が浅草寺に結構な額を寄進したことを知ってもらえるわけだ。
寄進額は100両。
100両の寄進は無論きつくないわけではないが、太夫の稼ぎの9割を取ってるのを考えればまあ難しい額ではない。
それよりはメリットのほうが大きいと俺は思う。

 そして艶やかな稚児装束に着替えたうちの禿連中も加わった稚児行列が始まる。
釈迦が乗ったという白象をかたどった像を先頭に稚児たちが、親に手を引かれて行列となって練り歩く。
俺は桃香の手を引いて、歩いていた。

「はあ、夢のようでありんすな」

「おいおい、ここではその喋り方は駄目だぜ」

「あ、あ、そうでした
 でも、私お姫様みたいですよね」

「ああ、天冠をつけてると
 そう見えるかもな」

「えへへ」

 まあ、ありんす言葉はまずいよな。
江戸の言葉は地方から出てきた人間も多いので割りとぐちゃぐちゃだが。
ちなみに天冠は雛人形のお内裏様の女雛が頭につけているあれだ。

 そして、行列が本堂到着したら花御堂へ献花をし、仏像に甘茶をかける。
楼でも小さいが花御堂と仏像は用意してるので、藤乃が甘茶かけをしてるだろう。

 その後本堂にて灌仏会のお祝いの祈りが行われ、稚児にまず甘茶が振る舞われる。
灌仏会で甘茶を飲むと健康で賢くなれるとされているのだ。

「ではどうぞ」

「ありがとうございます」 

 差し出された甘茶を飲む禿達。
これで健康に賢く育ってくれればいいな。

 その間に残りのものは表の釈迦像に甘茶をかけて、健康祈願をしながら、賽銭箱に賽銭を投げて、その後は出店の団子や振る舞われた甘茶を飲んでいた。

 お寺の参拝はこの時代の数少ない娯楽でめいめいが楽しんだみたいだ。
特に吉原から長い間出られなかった年季明けの女連中は特に嬉しいようだ。

 いずれ非人を脱出して、普通にみんなで参拝できるようになりたいものだ。
楼主は難しいかもしれないがせめて遊女だけでもな。
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