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作:こめ


「あの山の向こうへ行っちゃダメよ」と、窓の外を指さして太郎の母が言った。
「どうして」それは何度も聞かされた戒め。太郎は、その理由が知りたい。繰り返しくり返したずねる。「ねえ、どうしてあの山の向こうに行っちゃいけないの。ねえ」
 母の腕にぶら下がる。ねだる様に。
 母は、なぜか悲し気な目を太郎に向ける。
「それはね、鬼がいるからよ」
 初めて知らされた戒めの答え。太郎は、興味を示す。「鬼って、なあに。どんなことをするの」
「とても、ヒドイことよ」母は太郎の頭をなでながら言う。
「それじゃあ、分かんないや」太郎は母の顔を見あげる。「もっと、詳しく教えてよ」
「それは、できないわ。とにかくいろいろとヒドイことをするのよ」母は太郎をあやす調子。「あまり詳しく説明したら、太郎ちゃん決っとおフトンにおねしょしちゃうわ」
「ふうん」太郎はどうもスッキリしない。「じゃあ、どうして鬼さんはそんなヒドイことをするの」
「鬼、だからよ」かんぱつ置かず母は答えた。
 太郎は驚く。「えっ。それじゃあ、僕がなにも悪いことしてなくても、鬼さんは残酷なの」
「そうよ」母はいとわし気に頭をふる。「ねえ、太郎ちゃんは良い子よね。お母さんの言いつけ、守れるわよね」
「うん」太郎は素直に返事をした。「他にも、何かいる」
「他にも、って」母は太郎の問いが解せぬといったふう。
「ひとつ目のドラゴンとか、お花の妖精とか」太郎は思いつくままに架空の生き物を並べ立てる。
 あまりにもキリがなさそう。母は、途中でそれを止めさせる。
「分からないわ。だけど」かがんで、太郎の目線に合わせた。「鬼は、いるのよ」
「鬼は、いる」太郎はオウム返し。
 母もそれを強調する様に。「鬼は、いる」――
  
 太郎のお気に入りの場所、それは村の広場。友達といろんなことをして遊ぶ。外が明るいうちから日が暮れるまで、ほとんど毎日。
 母の手伝いは時々でいい。太郎はまだ子供。決められた時間までに帰宅すれば、文句も言われない。
 今日も、太郎はそこへ出かける。見慣れた友達の顔。
 さっそく、あの話をする。「ねぇ、鬼って知ってる」
「あっ、知ってる」という声と、「なに、それ」という声。
 皆が広場の中央に集まる。それぞれが自分の知ってる限りのことを教え合う。だまって聞いてる子も。
 しかし、驚くような情報は、何もない。太郎の知識にほんの付けたし程度。どこの母親も、あまり詳しい説明はしていない。
 好ましくないと判断したのか、ただ単に面倒臭がってか……。
 とにかく太郎たちは、話を打ちきった。これ以上つづかないのだから、仕方ない。
 さて、今日はなにをして遊ぼう。話題はそちらにむかう。
 これは、単純に多数決でいい。缶蹴り。夢中になって遊ぶ。幸せの時。心地よい疲労感。
 夜がくるまで、つづけられる。
  
 そして翌日、翌々日と、日を追うごとに鬼の話は少なくなっていく。完全になくなってしまうのも、時間の問題。
 新しい知識が得られないのだから、いつも話す内容が同じ。飽きてしまう。子供なら、なおさら。
 ただ、太郎はひとりきりになることがある。理由はいろいろ。友達がつかまらなかったり、母にかまってもらえなかったり。暇を持てあましてしまう。
 そんな時、誰にも教えていない秘密の場所へいく。村はずれの小高い山を少し入ったところ。伐採され、平たく整地されている。見晴らしは最高。丸い切り株が指定席だ。腰かける。
 やることは、空想や思索。ほとんどが鬼について。母にその存在を教えてもらってからというもの。
 つまり、友達と話す機会は減っても、太郎の鬼に対する興味は薄れていない。むしろ、高まるばかり。
「鬼かぁ」太郎は呟く。
 抱えた膝のうえにアゴをのせて、遠くを見つめる。視線の先は、母に越えてはならないと注意された山。
「この世に、いるのかなぁ」
 太郎は純粋。しかし、すべてを鵜呑みにはできない。
 今までちょっとしたイタズラなどが原因で母に怒鳴られたり、お尻を叩かれたりしたことはある。だが、何の罪もなければ、そんな仕打ちは受けない。周りの誰からも。
 怒って手を上げたりするのは、自分を正しく導くため。要するに愛情。そう、思っている。
 しかし、鬼は罪もないものにヒドイことをするという。
「信じきれないなぁ。そんなに怖い生き物って。だけど、お母さんがウソをつくとは思えないし……。うぅぅぅん」
 太郎は堂々巡りをくり返す。いつまでたっても、答えは出ない。
  
 そんなある日。いつもの広場で友達を前に、太郎は我慢しきれなくなる。
「ねえ、みんなで行ってみようよ」と、あの山を指さす。
「いやだ」全員が反対。中には、顔が青ざめている者も。「もし鬼に捕まったら、どんな目に遭うかわかんないや」
「まってよ、まだ鬼がいるって決まったわけじゃないだろ。それに、ヒドイことをされるとは限らない。鬼がいたとしても」太郎は必死になって説得する。「優しいかもしれないよ。友達になれるかも」
 皆は顔を見合わせた。誰も、首を縦にふらない。
「やっぱりダメだよ。注意されてるんだから」友達のひとりが上目使いにモジモジして言う。「大変なことになったら、どうするのさ」
 べつの友達も言う。「そうだよ。それに、鬼がいないとしてもあの山を越えたのがバレたら、怒られるよ」
「そうだ、そうだ」と、皆が同意。
「ちぇ、なんだよ。怒られるのが、そんなにイヤなの。お尻を叩かれるぐらいだろ」太郎は両手を広げて訴える。「だいいち、あの山を越えるのが、そんなに悪いことなの。皆だって、鬼がいるかいないか確かめたいだろ」
 皆だまって、うつ向く。
 太郎はつづける。「ちょっとした冒険だよ。行こうよ」
 側にいた友達の腕をつかんで、引っ張った。
 その友達は太郎の手を振りほどく。「やっぱ、嫌だよ」
「どうしてさ」太郎はその理由を問う。
 答えは、返ってこない。誰もその場を、動かない。
 太郎は、しびれを切らす。「じゃあ、もういいよ。僕ひとりで行くから」
 友達に背を向け、駆け出した。
 皆、おどろく。
「あっ、待って。行っちゃ、ダメだよ」と、悲鳴に近い叫び声。
「もどってこいよ」「どうなっても、しらないぞ」次々に大声があがる。
 しかし、太郎は止まらない。気持ちは、押さえ切れない。走り出した勢いが、それをますます大きくさせている。
 太郎は広場を出て、村を横ぎり、あの山の麓にたどりつく。頂きを見上げ、ふたたび走り出す。
 雑木林を、かき分ける。細い獣道づたいに斜面を上り、てっぺんまでくればあとは下り道。楽。
 やがて、目的の地が目前に広がる。
「ついたぞ」立ち止まり、太郎は感動する。
 開けた土地が広がり、ずっと遠くに集落のようなもの。今までに見たことのない風景だ。子供にとっては、大冒険。
「さて、これから先どうしよう」太郎は、考える。山を越えて後の計画は、立てていない。「とりあえず、その辺を歩いてみよう」
 周りに気を配りながら、歩をはこぶ。一歩、二歩……。
 ――とその時、かたわらの茂みから何かが飛び出してきた。
 太郎を押し倒し、おおい被さる。ボロを身にまとった老婆。白髪を分けて、額から二本の角。
「まだ、ほんの子供だから、許してやる」二本角の老婆は荒い鼻息をフゥゥゥッと吐き出す。「そうでなければ、八つ裂きにして食っちまうところだ」
「お、お婆ちゃんは……」太郎はとつぜんのことに驚き、言葉がつげない。
 老婆は言う。「わしか。わしは鬼さ。人を呪い、危害をくわえる」
 わずかな沈黙が落ちた。
 先に口をひらいたのは、太郎の方。「どうして、どうしてそんなことするの」
「それは、わしが鬼じゃから」老婆の瞳が、少し悲しげに湿った。
 太郎の上から降りる。
「もう、ここにはくるな。わし以上に、人間を憎んでいるものも大勢いる。子供だからといって、容赦されるとは限らん」ボロの土を手で払う。「いけ」 
 あの山を指さした。
 太郎は唖然と老婆を見つめる。
 起き上がり、ややためらってから走り出す。血の気が引いた顔は、青白い。
 麓のところで立ち止まり、振り向いた。「お婆さんは、人間にしか見えないや。角がはえてるだけで」
「ふん」と、老婆は口の端を歪める。「もとから鬼だったわけじゃねぇさ」
「それは、どういうこと」震え声できく。
「大人になれば、分かるはず。お前さんの村の人たちが、いかに年寄りをゴミ扱いするかが。そしてわしが、人を憎む鬼になった理由が」ヒッヒッヒッヒッと、老婆は狂ったように甲高く笑った。ひと滴の涙が頬を伝う。
「人はみな、鬼なのさ。本当は」どすっと、地面を踏みならして老婆は叫ぶ。「さあ、その(おば)捨て山を越えて、自分の村に帰れ」
 ガニ股にゆっくりとにじり寄った。
 太郎は、今度こそ脇目もふらずに逃げる。
 鬼はいるのよ。
 鬼はいるのよ。
 鬼はいるのよ。
 母の言葉が頭の中にこだました。
 悲しげな母の目。――あの鬼の老婆に、少し似てると思う。



-了-














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