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時村叶絵は他人事

 001


「ありゃ、意外だわ。妹達が死んじゃう」

 頭に流れる情報から漏れた言葉は、意外と冷静だ。

 これでも七人の妹たちとは上手くやってきたつもりだが、それでもこのぐらいの言葉しか出てこないらしい。それは四十化家(しじゆうばけ)の二十七番目、時村(ときむら)の家系に生まれたからか。それとも、単純に私が最低なだけか。

 おねえさま、助けて。おねえさま、いたいよ。おねえさま、ころされるよ。

 脳みそに彼女たちの言葉が浮かぶ。彼女たちが戦ってるのは、都心から離れた山奥だ。

 最寄り駅からは歩いて四十分、田舎だがそんなに交通が不便ではない。しかも駅にはコンビニがあり、私はそこで妹たちを見守ることにした。漫画雑誌を立ち読みしながら。

「……あぁ」

 見守るのには望遠鏡などはいらない。私と妹たちは深い血で繋がっている。時村という、名の血が私達を糸で結んでいる。きっと、色は赤じゃなく、紅。だから、彼女たちを視覚に入れることすら必要ない。

 彼女達が血を流せば、深い紅色の糸はソレを伝えてくれる。

 おねえさま、月葉が死にました。おねえさま、わたしたちもだめです。おねえさま、おねえさま。

 この声は、きっと火幼だろうか。

 私は少年漫画を見ながら他人事のように考える。

 彼女達の声を聞いたのは聴覚の耳ではなく、長い黒髪に包まれた頭の中。この脳みそだ。

 深い血、紅は私達を名で結び、何処にいても分かる機械いらずの発信器になり、そして世間一般で言うテレパシーの真似事もしてくれる。とても、便利なものだ。

「あ、火幼も死んだ。月葉、火幼、水陽、金酔、土妖が死んだのか。あとは……木庸と日養だけか」

 七人の妹たちをここから見送ったが、この様子だと一人も帰って来られないらしい。

 月葉は料理が上手で年に似合わない大人びた子。火幼はその逆で年相応の子供だ。いつも、わがままばかり言うが、でも本当は素直で良い子。水陽は、スポーツが好きで、私にはパスタの名前にしか思えないサッカー選手の名前をよく語っていたっけ。木庸は本ばかり読んで内気だけど、意外と自分の意志をちゃんと伝える子なんだよな。頑固とも言うけど。金酔は、バカみたいな振る舞いばかりするけど、本当はみんなを笑顔にさせるために計算してやる頭脳派。土妖は毒舌が多いけど、甘えてきたりもするから、ツンデレかな。日養は植物育てるのが好きで、彼女にくだものを与えると、内緒で本家の庭に植えていたっけ。

 おねえさま、おねえさま、おねえさま、おねえさま。か、なえ、おね、え、さ、ま。

「あ、今ので木庸も死んだか。日養もやばそうだな」

 私がめくっているページも、ついに主人公がラスボスと対決でやばそうだ。

 しかし、これで七人の妹たちは全滅か。まだ全員、年端もいかない女の子だったんだけど、可愛そうなことをしたな。これもそれも、四十化家に関わったからなんだけど、日本は何億人も人がいるくせに、何で彼女たちがその中から選ばれたのだろうか。他にどうでもいい人間がいたんじゃないか。運がないとしか、言いようがない。

「あらら、日養も死んだ」

 感覚的には首を切られたのだろうか。

 殺人鬼ばかりを出している四十化家のうち三十五番目の家系、零梨(れいり)

 本日、私達がしているのはその零梨のシワ寄せだ。奴ら、殺人鬼を生産するのはいいが、たまに四十化家規定を破る殺人鬼まで生み出す。迷惑だ。しかも、自分たちのシワをこちらに寄せてくるのだから、何て最悪だろう。よくそれで殺人鬼を名乗れるものだ。金払えばいいものじゃない。おかげで、こっちは〝また〟妹たちが七人死んでしまった。

 毎週チェックしている漫画も全て読み終えたので、私はコンビニを出ることにした。何時間も立ち読みをして、そのまま出る勇気は臆病者の私にはないので、適当におにぎりを選んでレジで買った。

 あたためますか、と店員が聞いたが別にいいですと返す。そんなに食べたいものでもないし、それに、今改めて見てみると、私が選んだおにぎりはうめ味だ。私は、すっぱいものが食べられないのだ。長い時間を掛けて家に帰り、分家の菊代(きくよ)に食べさせよう。


 自動ドアを抜けると、冷たい空気が私を襲った。

 腕時計を見ると、ここから妹達を見送って二時間が経過していた。人気はなく、辺りは暗い。日付もそろそろ切り替わる頃だ。電車はギリギリ一本残っていたので、それに乗って帰ることにした。

 suicaだったか。そんなハイテクなものは私は使いこなせない。めんどくさい動作が多い切符を買った。

 めんどくさいが、機械に弱すぎる私にはこれしかない。時村家は携帯なんて使わなくても、本家の者は全員テレパシーのようなもので意志疎通出来るので、必然と機械いらずになる。へたすれば、同じ屋根の下でも一切クチを開かないくらいだ。

 おねえさま、おねえさま。いたい、いたいよぉ。

 改札口を通ろうとする寸前に、妹の声が聞こえた。どうやら、まだ一人生き残りがいたらしい。

「生きてるなら、生きてるって早めに言いなさいよ」と私は彼女に言葉を送る。妹は泣きながら、ごめんなさいと言っていた。息はマラソンした後のように荒かった。どうやら、死線間近のとこで逃げたらしい。声からすると、彼女は日養。意外だ。日養は妹達の中で〝一番死んでいるのに〟よく生きられたものだ。

 今何処にいるの? そう、そこなの。じゃあ、近くに隠れてなさい。私が今から行くから。――いや、駅まで来ないでよ。ここにまで殺人鬼が来たらどうするの。そこら辺をちゃんと考えなさいよ。もう、いいから、そこで待ってな。

 日養との会話を終わらせて、私は一旦改札口を出て、駅前に放置された自転車がないか探した。

 丁度、近くに駐輪場があったので、そこから一台を拝借することにした。すいません、これも全て可愛い妹のためなんですよと、そこにいない持ち主に謝りながら鍵を壊し、自転車を漕いだ。


 002


「ねぇ、あたしはさ。このおにぎりより、イチゴ味のアイスが欲しかったんだけど」

 本家に戻り、日養を渡したり、いらないおにぎりを菊代にあげたりすると、何となく、こんなことを言われた。私のバックアップのくせに。

 菊代は今日も似合わないパーカーを着て、煙草を吸いながら、難しい書類と戦っていた。妹達全員が相手にならなかったのが、相当ショックだったようだ。

 何処のものか分からないノーブランドの眼鏡が苦しそうに嘆いている。いや、苦しそうにしていたのは彼女の瞳か。

 本家は昼も夜も関係なく薄暗いので、ときおりこんなことがある。都内某所の洋館を本家とし、上野にある洋館よりも広いんだけど、窓はカーテンを閉め切り、吸血鬼のように光の侵入を阻止しているため、中はただのお化け屋敷と化していた。

 吸血鬼は四十化家のうち、歩火(あるび)だと言うのに、彼らの領域を侵してどうするのか。

「しかも、海苔がパサパサ。紙でも食べてるみたい。アイスは買ってこないし、まずいおにぎり買うし、妹たちは全滅させるし、ほんと最悪ね」

 菊代は機嫌が悪いと、愚痴を全て吐き出す癖がある。

 ガスが充満した部屋で火を点けてはいけないのと同じで、こういうとき私はクチを閉ざすようにしている。さわらぬ神に祟りなし。世の中の鉄則だ。

 ……しかし、妹たちを全滅させたのは殺人鬼のせいで、私のせいじゃないのになぁ。

「もう、そこに突っ立ってないで、イスにでも座りなさいよ。片膝曲げて、何か、渋谷の女子高生みたいな立ち方しないでさ」

 渋谷の女子高生って、こんな立ち方するかな。一応、私は十七歳だけど、世間が言う流行とやらには疎いので、よく分からない。


 私は今、菊代の部屋にいる。分家のくせにと、他の四十化家が見たら笑うかもしれないが、時村家は分家の者を館に住まわせる。

 他の家では考えられないらしいが、私達にとっては分家はサポート的役割を果たす存在なのだ。事務的な内容だったり、事件の後始末だったり、ケガの治療だったり、色々と手助けを受ける。

「別に座ってもいいけど、血で汚れても知らないよ?」

「叶絵はどうせコンビニで立ち読みしてただけでしょ」

「その通りだけど、何かむかつくな。血で汚れてるのは、瀕死の日養を背負って来たからだよ。おかげで、車で迎えに来てくれる地点まで、寒い中、自転車漕いで来たんだからね」

「はいはい。じゃ、いいよ。風呂入っておいで。あ、部屋の物に血が付着しないように気を付けてね。そのマットとか、買ったばかりなんだからね」

 この女は、少しはお疲れ様とか言ってくれる優しさはないのだろうか。

 そんなんじゃ、私はいつかストライキを起こすぞ。

 ……暗い室内。

 中央に長方形のテーブルと、それを挟む形で二つのソファー。奥の左端の方には、菊代の仕事机。仕事机の向かいには、いくつかのイスが置いてある。

 言われたとおり、私は血がつかないように気を付けながら、部屋を出ようとした。

「あ、それとさ」

 なのに、菊代は私を引き留めた。

「日養は、もうだめだ。あれは、もう生きられない。中身をズタズタにされている」

 他人事なはずの私には、どうでもいいこと。そんなはずなのに、何故か足を一瞬、止めてしまった。

「そう……」

 他人事。私にはかなり他人事。

 血が繋がっていようが、同じ名を持ちようが、関係ない。

 自分でない限り。私以外の人間は全員他人だ。全部、他人事だ。

 ドアノブをひねり、私は部屋を出た。少し血がドアノブについたかもしれないが、どうでもいい。これさえも、どうせ他人事だ。


 003


 殺人鬼は山奥の廃墟をアジトにし、そこにいながら殺人行為を始めた。

 食料は近くの農家を襲って奪う。死者も大抵はそこから出ている。あまりにも数が多く、地方自治体もどうするかと話し合いが行われていた。

 四十化家の規則では、人目に触れるなというものがある。彼がした行為は、あきらかに人目に触れる行為で、私達への侮辱でもあった。

 四十化家は、日本の古き時代から存在する化け物集団だ。

 それぞれの家系が独特の技術、もしくは体質を持ち、陰ながら日本を支えた。

 戦時下はとくに四十化家は大活躍したらしい。暗殺、虐殺、拷問、情報操作、諜報活動、兵器開発、などなど。この日本があるのは四十化家のおかげとも言える。

 しかし、今は日本は首輪をはめられた国だ。

 私達の住む場所は自然と少なくなってきた。完全に消えなかったのは嬉しいが、逆に言えば、それは日本がまだ何かしようとしているということだ。

 吸血鬼の家系やら、殺人鬼の家系やら、退魔の家系やら、剣士の家系やら、または私達の時村のような家系やらを保有し、よくもまぁ、核持たざると言えたものだ。

 四十化家。四十もある化け物たちの家系。

 元から人目に触れられてはいないが、首輪をされた今では余計にそれは大きくなった。他にも四十化家には規則があるが、人目に触れられないは、おそらく最も重要なことだろう。

 だから、この殺人鬼は重大なバグだった。

 時村には、零梨に大きな借りがあるため、今は逆らえないのが現状。自分達が傷つくよりも、時村にやらせた方が効率が良い。利にはかなっているが、しかし、解せない。

「大丈夫。今回は負けないよ。がんばりな」

 七人の妹たちを、夜九時に駅から見送った。

 彼女らはそれぞれの自転車に乗って、アジトに向かう。彼女たちは小さい身なりではあるが、あれでも、時村が制作した兵士だ。

 ナイフを持たせれば簡単に人の首を浮かせ、拳銃を持たせれば眉間に穴を空ける。

 七人共に初期化された肉体ではあるが、ちゃんと訓練を重ねていた肉体に彼女たちを施したから大丈夫だろう。

【時村の敵が何か分かるか?】

 祖父の言葉を思い出した。

 いつも道着を着ていて、一見すると武道家にしか見えない。肉体の出来も良く、時村のような陰湿な家系の者とは思えない人だった。

【四十化家には各々共通の敵とは、別の敵を持っている】

 コンビニに入ると、運悪くあのときの店員だった。目が合っても、特に嫌な表情はされなかったけれど、ポーカーフェイスがうまいのだろうか。それとも、私が気にしすぎるのか。少し、立ち読みしづらい。

【四十化家共通の敵とは、日本の敵だ。我々は日本に住み、日本を愛し、そして日本を守る。そのためなら、四十化家は全員手を合わせ、敵と戦う。我々があるのは、日本があるからであり、我々が許されるのは、神々しい日本という存在のおかげなのだ】

 私が毎週読んでいる雑誌を開いてみると、展開が飛んでいた。

 ラスボスと対決していた主人公は、いつのまにかエピローグを迎えていた。

【もう一つ、共通の敵があるとすれば、それは四十化家の規則を破った者だが、……これはいいか。我々の規則を破るということは、日本の敵であると同じ。故に、これは説明する必要はないな】

 今は漫画を見ているのに、脳内は頻繁にフラッシュバックする。チカチカッと、漫画のコマを見ながら思い浮かべていく。

 小さい頃のわ――■しが――が、祖父の前で正座をしながら聞いている。

【四十化家には、各々だけの敵が存在する。例えばそうだな。キリシタンの家系であり、さらにヴァチカンとも協力関係を結んでいる家系で言うならば、敵は吸血鬼だな。そして、吸血鬼である家系の歩火は、敵対する者だ。悲しいが、日本という柱がなかったら、我々は殺し合いをするような間柄なんだ。魔術師の家系は、科学を極める家系と敵対しているし、殺人鬼の家系は、管理者の家系と睨み合いをしている。私達も、そうだな。管理者とは少し仲が悪いか】

 ■は祖父に「何で嫌われているのですか?」と聞いたっけ。【それは、私達が彼らと違う論理で生きているからだよ】と難しいことを言っていた。理解する気には、到底なれなかった。

【話を戻そう。そして、時村の敵は何だという話になるな。今の話で言うならば、敵対になりそうである管理者の家系は、それに値するかもしれないが、それは邪魔されたらの話だ。あくまで、我々の大本の敵ではない】

 おねえさま、火幼が。火幼が死にました。

 思い出の隙間から木庸が叫んでいた。分かった分かったと、私はなぐさめを入れた。

【時村の敵は、時間だよ。時間なんだ。人はいずれ死ぬ。肉体は老い、精神は疲労し、いずれは限界を超えて死ぬ。もしくは死に至る何らかの行為で死ぬ。我々はね。それを敵として、長年戦ってきたんだよ】

 ある意味、宇宙戦争するハリウッド映画より、それは壮大だ。

【しかし、時間と戦うには、かなりの苦労が強いられた。不老不死なんて、夢物語みたいだが、不可能ではない。そう考えて、何度も時村の家系は思考を重ねたが、結局結末はいつだって最悪だった。不可能だったんだよ。吸血鬼にも手を伸ばしてみたが、吸血鬼もあれは不完全なんだな。太陽を浴びれば死ぬし、神の信仰に弱い。しかも、実はあれは寿命があるらしいのだ。実際、歩火が結成された当初から生き残っている者は誰もいない。ダメだ。それじゃダメなのだ。我々は。我々が戦う時間という名の悪魔には、太刀打ち出来ないのだ】

 おねえさま、おねえさま。いたい、いたいよ。

 日養が泣いていた。今度は偶然が味方せず、いつもどおり死んでしまうのかな。

【だから、我々は考えた。ならば、人格があればいいのだとね】

 日養が死んだ。火幼、日養が死に、あ、今ので木庸も死んだ。水陽とか、もうちょっと、がんばってくれないかな。あの子、運動が得意なはずなのに。

【七人の妹。一週間の曜日の文字違いである名前を与えられた彼女らは、――そう分かるだろう。毎日、毎日、彼女らは姿、形が違うだろう。当たり前だ。彼女らは別人なんだから。いずれは彼女らがお前の妹になる日も来るよ。彼女らは、人格という設定を与えられた人間だ。月葉(げつよう)は料理が上手で大人びていて、火幼(かよう)は年相応の子供。そういう設定を催眠や薬漬けなど、特殊な方法で塗りつけたのだ。それが我々、時村の戦い方だ。さらに筋肉の増強、入れ替えなども行い、人体をあらゆる意味で把握している。分家が我々と近い距離にいるのも、そのためだ。人体による実験など、彼らには様々な面で手伝ってもらっているからな】

 いや、もしかしたら真の時村は菊代など、分家の者達の方かもしれない。

 時村とは違い、血の縛りで結ばれた分家。

 時村はどれもこれも血がつながらずにいる。下手すれば時村という概念が何か、とすら感じる。それなら、長年時村の活動に費やしてきた彼女らの方が、よっぽど時村家といえるのではないか。

 おねえさま、あと少し、あと少しで、殺人鬼を殺せます。

 今、やつの右腕をもぎとりました。

 やるねぇ、水陽(すいよう)

【七人の妹はいわゆる実験に近い。記憶を含めた人格の設定を植え付けることにより、転生に近い永遠を手にしたが、それでもあらゆる実験が必要なので、彼女らは重宝しているのだ。いざとなれば、戦闘も出来るしな】

 おねえさま、おねえさま。

 やりました。

 私が今、殺人鬼をうちとりました。

 月葉の声が聞こえた。

 大人しい子だけど、やるときはやるんだね。

【いいか。これから先、お前も苦労すると思うが、常々忘れるな。我々の最大の敵は時間だということを。忘れるな、そして憎め。戦え、時間という名の悪魔を】

「どっちが悪魔だか」

 よくやったよ。と、私は妹達に言い、そして戻ってきなと言ってあげた。私は、菊代とは違って、ねぎらいの言葉が思いつくのだ。


 004


 自身の存在を証明するには、どうすればいいのか。

 私は私なりに私の人生を掛けてそれを考えている。答えは未だに見つからない。そもそも、どれくらいの時間を掛けられたのか不明なのだから、未だにという言葉を使うのは正しくないかもしれない。

 私は、今十七歳だ。

 十七歳。

 それは本当に十七年という時間を生きた証拠になるのだろうか。

 そもそも、私は今まで生きてきたのだろうか。

 私という存在。時村叶絵は、今この瞬間に生まれたのではないか。

 今この瞬間に私、時村叶絵の設定が生まれ、そして植え付けられ、今まで生きてきたという記憶が出たのではないか。

 確かえらい哲学者が言っていた言葉だったか。

 しかし、そんなことを言われて、私はどうすればいいのか。どうやって、自分の存在を証明すればいいのだろうか。

 写真?

 アルバムの中から探し出せばいい。本当に?

 それさえも作られたものじゃないと誰が言えるのだろう。

 友達?

 その人たちが嘘をついていたとしたら?

 記憶?

 だから、これがそもそも作られていないものだと、どうやって証明出来るのだ。


 005


 シャワーのお湯は、ひどく温かかった。

 皮膚と皮膚の間から、温かみを静かに注入してくれる。先ほどまで夜風で冷え切った体が、嘘みたいに優しさに包まれる。

 お湯を浴びて温まるのは、やはり人のほとんどが水で構成されているからだろうか。だから、お湯を浴びることによって、私達の水分が同化されて、温まるのだろうか。だとしたら、人はいっしょになることでしか温まれないのか。


 006


 私は?

 そんなことがあり得るのか。

 自分の存在さえ分からないのに、この存在が空虚だったとしたら、誰ともくっつけられないのに、どうやって同化すればいい。合わさればいい。

 人は所詮、一人。

 二人にはなれない。二人というのは、一人と一人がいるだけ。本当に二人なんて、あり得ない。

 お湯で濡れた髪が肌にべったりと張り付く。だけど、血液よりかは悪くない感触だった。

 シャワーの湯気で視界が見づらくなっている。

 聴覚は狭い室内でシャワーが反響しているので、紛らわしいことになっている。


 007


【人の人格を設定し、さらにその今までの記憶さえも受け継ぐことが出来れば、真に不老不死というものは生まれる。だが、それに至るまで絶え間ない努力が必要だった。まず、記憶の受け継ぎだ。どうやって、記憶を受け継いでいくか。最初はメモをいつも取らせていたが、それだともし書き忘れなどが生じれば、記憶が完全に受け継げなくなってしまう。それだとだめだ。我々が望む永遠ではない。ならば、どうすればいいか。そのために、我々は意思疎通能力というものを極めた。正確には、意思疎通の開発と、及びそれの向上だな。世間ではテレパシーと呼ばれる代物だ。これを学べば、叶絵も妹達と口で言葉を交わさなくても、脳内で会話出来るだろう。これは便利だぞ。携帯電話なんて必要ないからな】

 祖父の言葉が耳から離れない。


 008


 何故だろう。鼓膜にはシャワーの音が満載なはずなのに、私は呪いを拒絶出来ない。


 009


【さらにこの意思疎通能力を、私や他の本家。またさらにその下に伝えられればどうか。我々が下した結論がそれだった。分家の者に常に記憶を受け取る者がいればいいのだ、とな。バックアップだ。それが我々が永遠に向かう道なのだ】

 シャンプーもリンスも、全て洗い流したはずなのに、地球のエコ活動に協力的じゃない私は、シャワーのお湯を垂れ流しにしていた。

 壁に手をつけて、ひたすらお湯の流れに身を任せている。


 010


【お前もすぐに身につくだろう。これから、テレパシー能力を使い、記憶を受け継いでいくのだ】


 011


 これは、本当に私の記憶なのだろうか。それすらも、怪しかった。

 風呂場から上がり、脱衣所のタオルで髪や体を拭いた。

 洗面台の鏡には裸の私が映っている。鏡の中の私は自分の頬に手を添えていた。

 感触がある。

 鏡の中の私が触れている部分と同じ部分が、何かを触ったのを感じた。

 私はいる。

 ここにいる。


 012


【我々は今までたくさんの方法を試みてきた。しかし、未だに永遠の道のりは完成していない。このテレパシーの方法もそんなに古い頃からではないため、効果が出ているのかがはっきりしないのだ。言えることは、未だに我々は永遠を掴めていない。記憶は劣化し、必ずしも何処かが欠如する。そして、不完全な私などが生まれるのだ】

 時村家は同じ血を分け合っていない。

 同じ血という定義が、精子と卵子のつなぎ合わせてできた肉塊だというのならば、間違いなく私たちは違う。

 私たちを繋ぐ血は、ただの名前だ。名だ。

 時村。

 時間という敵と戦うために、見ず知らずの他人に私達の人格を設定してしまう悪行高き集団。

 私たちに血の繋がりはない。

 あるのは長い呪いだけ。

【お前がいつか永遠になることを】

 何を祈ると言うのだろう。

 永遠。

 それの定義って何。

 この世界が滅ぶまで?

 それとも、それを超えた先ずっと、ということ?

 こんな得体の知れないものを、どうやって追いかければいい。この世界が滅んでも追いかければいけない。永遠。ずっとということは、私達は永遠をずっと、それこそ永遠に掴めないってことじゃないのか。

 時村家。あぁ、本当に、何てバカな家なのだろう。

 だから、私はいつだって他人事なんだ。こんなバカな家、いつだってそう思っている。

 適当に下着をつけて、それだけの姿で脱衣所から出ると、私の部屋のベッドで妹たちが寝ていた。

「人のベッドで何をやってるんだか」

 七人の幼い妹たちは、幸せそうな顔でベッドの上で寝ていた。

 私という時村叶絵を待っていたのだろうか。それが設定された人格だとも知らないで、彼女達は一体、どんな夢を見ているのだろうか。


 013


 私は自分のベッドを妹たちに占拠されたので、菊代の部屋に向かった。

 彼女は仕事部屋と寝室を分けて使っていて、いつもは仕事部屋で過ごしているが、別にいい。寝られるなら、私はソファーでもかまわない。

 部屋に行くと、彼女は今日も不機嫌そうな顔をしていた。

「あぁ、叶絵か。本家だし、あたしとあんたは女同士だけどさ。バスタオルと下着だけって、それどうよ」

 別に私はどうも思わない。それだけを言い、ソファーに直行して眠りについた。今は、ひどく眠いんだ。

「妹たちにベッドでも盗られたのか。だからって、うちのソファーを使わなくても」

 叶絵はぶつぶつ言いながら、利き手にペンを持って、書類の上に走らせていた。どうやら、色々とめんどくさいものがあるらしい。

 私のバックアップで脳みそも痛いだろうに、よくまぁ、やるものだ。


 014


「ねぇ、菊代……」

「告白なら聞かないよ」

 死ね。彼女に一言。

「私ってさ。何人目?」


 015


 ペンを走らせる音が、一瞬止んだ。

 しかし、それは一瞬だけだった。すぐに、ペンの音は戻ってきた。

「あたしが知るかよ」


 016


「私って、つい最近死んだの?」

「……知るかよ」

 うやむやのまま、終わった。

 毎週読んでいたはずの漫画を読み逃していたらしいし、店員は私の顔を忘れていたようだった。だから、あの殺人鬼を倒すのにいくらか間が空いたと考えたんだけど。


 017


「まぁ……いいや」

 どうせ、これは他人事。私の他人事。

 時村叶絵の事情なんて、他人の私にはどうだっていいことだ。

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― 新着の感想 ―
[一言]  よい意味での、不協和音。寝られた設定も面白く、独特に語られるどこか淡々としたうすら寒さがそそります。毛色が違うホラーで、最近読んだ中では、かなりの部類でした。
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