67 夏から秋へ、そして 8 変化
いらしてくださり、ありがとうございます。
昨年お世話になりました皆様、誠にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
追記:1月22日 主として後半の文章を修正しました。
「ほら」
拓は紙ナプキンを茜に渡した。
「拭けば、うすしお味になるだろ」
「ポテチか!」
茜は紙ナプキンを受け取り、涙をぬぐった。そして、照れたように笑った。
紙ナプキンを渡す手が少し震えてしまったことは、どうやら茜には気づかれていないようだ。
拓は静かに肩から力を抜いた。
コーヒーを飲みながら拓と茜は、美花子にいつ話を聞くかを相談した。
そして、なるべく早く――彼女の都合がよければ、明日の晩にでも聞こう、と決めたのだった。
「いいわよ、明日で。ちょうど仕事も一段落ついたところだし」
その晩、帰宅した美花子は、あっけらかんと言った。
「けど、万一急な仕事が入って遅くなると悪いから、夕飯は済ませておいてくれるとありがたいかな」
「わかった」
「茜ちゃんだけじゃなくて、あなたもよ?」
「わかってるって」
反射的に、拓は母親から目を逸らせた。
すごく重い話を振っているのに、いつもと変わらぬ様子の母親。
対照的に、自分はどうもぎこちなくなってしまう。心臓も速く打ち始めている。
「とうとうこの日が来たかぁ」
美花子は大きめなバッグを食卓の脇に置くと、冷蔵庫から水のペットボトルを出した。
そして水を自分のマグカップになみなみと注ぎ、飲み干した。
「んーっ、美味い!」
彼女は顎を上げ、満足げな笑みを浮かべた。
「ったく、ビールじゃあるめーし」
「あら、労働のあとはなんだっておいしいわよ!」
目が輝いている。
そのすぐあと、美花子はちょっと目を伏せた。
「いつ訊かれてもいいように、って覚悟してたけど、いざとなるとドキドキするわね」
彼女はマグカップの取っ手を握りしめ、冷蔵庫をじっと見つめたのだった。
目には、何かを慈しむような穏やかな、同時にやや寂しげな光が宿っている。
口角はわずかに上がっている。が、よく見ると、何度か上げ直している。
拓ははっとした。
昼間ファミレスで見た茜の表情に、どこか通じるものがあった。
「なぁに珍しそうな顔してるの。わたしだって、いつも、のんきな母さんってわけじゃないんだからね?」
「おう」
「拓の落ち着きがちょっと羨ましい」
顔に出ねーだけだよ、俺は。
そう拓は思った。
が、「もっと水飲めよ」とだけ言い、水を一気飲みしたのだった。
水を飲んだあともなお、心臓の鼓動は、やけに速く大きく聞こえている。
「練習を兼ねて、俺に先に話してみてもいいんだぞ?」
と拓は持ちかけてみた。
けれども美花子は、
「だめよ。茜ちゃんの話なんだから、まず茜ちゃんに話さないと」
と首を横に振るばかりだった。
翌日の昼。
「あぢー。こないだフィルター掃除したばっかなのによぉ」
エアコンを睨みつつ拓が宿題に取り組んでいると、携帯端末が鳴った。
美花子からの電話だった。
「どした? こんな時間に」
「ああ、拓! 落ち着いて聞いて」
声のトーンを抑える努力は感じられるも、明らかに美花子自身が興奮している。車の音がするから、会社の外からかけているらしい。
「おじいちゃんの意識が戻ったって。今、病院から電話があったの」
「いっ!?」
拓は椅子から立ち上がった。
拓の祖父であり美花子の父である高天原重蔵は、もうかなり長いこと、意識不明の状態で病院に入院していた。
拓も時々は見舞いに行く。
華眼師であり、ほぼ自給自足に近い生活をしている重蔵は、細身ながらも筋肉質でダンディ、白い口髭と顎髭をたくわえていた。
シャツにサスペンダー、スキニーパンツが似合う、孫から見てもダンディーな男だった。
植物に関する知識を拓にも丁寧に教えてくれつつ、時に厳しく叱ってくれもした。
その彼が、目を開けず静かな寝息だけ立てている、というのはなかなかやるせないものがあった。
それでこの頃では、拓は病院からすっかり足が遠のいてしまっていた。
「仕事が終わってから、ちょっとだけ病院に寄ってくるわ。明日、一緒に病院に行こ?」
「わかった。けど、いいのか? なんなら今のうちに、俺だけでも先に行っておくが?」
「あ、それは平気。先生ともさっき話せて、だいたいの様子はわかったし」
先生というのは、重蔵の主治医のことだ。
「けど」という言葉を拓は飲み込んだ。
「そっか。じゃ、今日は親子水入らずで話してこいよ」
「ありがと。ひょっとしたらもうこのまま、父さん――あ、おじいちゃんとは話ができないかも、って思ったこともあったけど……」
美花子の声が微かに震える。
「よかったな」
「うん。お父さんにも、すぐに知らせるつもり」
「おやじも喜ぶだろうな」
「だといいけどね。そうだ拓、状況が大丈夫そうだったら、おじいちゃんにいろいろ聞くといいんじゃないかしら。華眼師のこととか」
「いやいや、病人にそれはきつくねーか? 治ってもらってからで」
「おじいちゃんの意識不明って、先生も首をひねってたでしょ? 身体的にはもうほとんど問題がないのに、なぜか目覚めない、って」
「お、おう」
「よほど具合が悪ければ別だけど、なんだか、できるときにできることをしといた方がいい気がするの。また突然、意識がなくならないとも限らないじゃない」
「そりゃそうだが……迷惑じゃねえか、じいちゃんに」
「なぁに言ってんの」
美花子の声がより張りのあるものになった。
ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
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