42 二度目の春が来て 42 「あのリアルな感じ」と「拓が見たもの」
――言っても納得しねえだろ。お前の声は、基本、俺にしか聞こえねえんだからな。例外もなくはねえが。
パンジー・ビオラの精スミレの件を思い出しながら、拓は心内語でリッピアに答えた。
――はー、頼りにならないなぁ。ま、人間って昔っからそうだけどねぇ。
大きな目が、半裸眼になっている。
――いつだって、自分たちが植物を「育ててやる」、「共に生きてやる」、「守ってやる」。声が大きくてよく喋る者が優位に立つのは当然、その気になれば植物なんてどうにでもできるぅって考え。もの言わぬように見えるものが対等だなんて、これっぽっちも思っちゃいないんだよねぇ。
リッピアは、ゆるくふわっとした茶色いボブカットの髪を揺らしながら、木製テーブルの拓と可音の間に腰掛けた。
そして、白い縁取りがある赤い花と、ウェイビーで長く尖った葉とを髣髴とさせるショート丈ワンピースから脚を伸ばすと、可音の顔面ぎりぎりのところを何度も蹴り上げた。
可音が気づく気配はない。
リッピアの顔にはアンニュイな、かつ、あどけなさと残忍な喜びも入り混じったような微笑みが浮かんでいる。
――全部の人間がそうってわけじゃねえ。
露わになった太腿から拓は目を逸らし、またそれをチラ見し、再び目を逸らしたのだった。
こういう挑発も、十七世紀の「チューリップ・マニア」(筆者注 28話参照)みたいに、植物が生き延びるための戦略なのかもしれない。
拓は唾を飲み込んだ。
ただ、彼女の言うことには一理ある。そして何より、可音とこのまま話を終わらせるわけにはいかない、と強く思った。
「相手が喋らなきゃ、何をしてもかまわねえのか?」
拓は、可音のすぐ前に両手をついた。
可音は目を見開く。
「じゃ、お前が口をきけねえようにすれば――あるいはお前が声を出してもほかの人間が聞こえねえようにすれば――お前の両親も弟も、俺らも、どんなにひでえことをお前に言ったりしたりしてもいいんだな?」
因果応報、お前がしたことは必ずお前に返ってくるぞ、とでも言えればいいのかもしれない。が、証明できないことを言うわけにもいかなかった。
「どうなんだ?」
「それは……それは……」
可音はうつむき、耳の辺りの髪を何度も掻き上げながら、口ごもる。
「厭ですぅ」
ようやく彼は、視線を上げた。
「甘すぎだろ、自分に」
拓は、見えない針を眼球に刺すように彼を見据える。
「ですよね。今だと、そう思いますぅ。皆さんの怒ったり苦しそうだったりする顔見ても、うれしくないしぃ」
自分自身に言い聞かせるように、可音は何度か首を縦に振った。
「……でも、キレてるときは自分が抑えられないし、ほか
の人が苦しめばぼくのつらさや苦しみが減る気が、ほんとにするんですぅ。あのリアルな感じ、なんなんでしょう」
「知りませんよ! こっちが聞きたいです!」
高華が大声を上げた途端、すぐ脇でチロが立ち上がり、吠えた。大型犬のチロは舌を見せ、可音の方に駆け寄ろうとするみたいに脚をばたつかせる。
と、テーブルの脚に結び付けていたリードが外れてしまった。
「あっ! 待ちなさい!」
高華は隙間を縫うように走るチロを追い、上から押さえ込もうとした。そのとき彼女は何かにつまづいたらしく、拓の体にタックルしながら転んだのだった。
「いったたたたた」
拓の背と脚に手をかけたまま彼女は起き上がり、ぎょっとした顔をした。
その視線は拓と可音の間に――拓以外の人間には見えないはずのリッピアがいる場所に――固定されている。
拓も息を呑んだ。
高華が自分の腿に手を置いたからではない。
背筋を伸ばし、微笑みを浮かべて可音の顔近くを蹴り上げ続ける実際のリッピアに、膝を抱えて泣いているリッピアの姿が重なって見えたのだ。
ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
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なお、冒頭近くの「パンジー・ビオラの精スミレの件」については、『ある高校生華眼師の超凡な日常』(NMG文庫又はhttp://ncode.syosetu.com/n8551ci/)の「春 パンジー・ビオラ」に載っています。