【Episode-7】ラホヤ戦役(1)
故郷、イツィオラータの独立。
冗談のつもりだった。妙に堅苦しく構えたあの西南の貴族たちをからかうつもりで、でまかせで口を突いただけだけの言葉だった。なのに、口に出してしまうと、妙に胸が昂ぶった。
ネステの裡にある、イツィオラータ起源の血、サビニ民族の血流が、ふつふつと沸き上がるような、錯覚。ゲルグ民族によって郷士と蔑まされてきた歴史に抗う、無言の意志。胸のずっと奥に押さえつけられていた熱が、独立と言う言葉に煽られる。
が、それは無謀であるない以前の問題だった。途方も無い夢として捉えたとしても、あまりに現実味の無い絵空事だと、判っていた。判っていてなお、昂ぶりは治まらず、逆にそれは胸の内側で微熱となって、小気味良い震えと共に全身に溶け込んだ。
―――俺もまだ、青臭いな。
夕陽の赤に染まる空を仰ぎながら静かに大きく息を吐き、気を静める。目を閉じ、息を止めて、胸の奥で疼く高揚感を払いのけるように再び目を見開くと、ネステは眼下へ視線を投げた。思考を切り替えようと、目の前の現実を、見据えた。
アウベルダ領北端、ラホヤ湿原帯。
隣接するトーレス領と王領の二公領と交わるこの大湿原は、中央に平原最大の河川、ラホヤ大河を抱き、大陸で最も肥沃と言われる土地だった。湿原を南北に二分するその大河の南側には、王領への関も兼ねた街、サン・ヴァンセンテが城壁を構えていた。
本来は、その沃土を活かした農産の盛んな街だった。が、アウベルダが独立を宣言してまず王家に侵攻されたのがこの街で、その日以降、城外を縦横に走る農道を行き交っていた農民や農耕馬の姿は消え、代わりに、王国の属軍が闊歩するようになっていた。
ネステは、湿原の南に伸びる丘陵地帯から、ユヒレトと同様に軍事拠点に成り代わったその街を見下ろしていた。
―――城代はトーレス家の御曹司だな。随分と間の抜けた構え方をしてやがる。
街の南に敷かれた布陣に視線を走らせて、ネステは嘲笑した。
アウベルダ鎮圧の第一陣であったトーレス家が、緒戦惨敗という失態から、王国軍の兵糧砦となっているサン・ヴァンセンテ警護という、貴人としては不名誉な役回りを与えられていると、ネステはこの地に着く前から予測はしていた。湿原に敷かれた布陣を目の当たりにして、予測は確信に変わった。
戦下手。
王領の西に位置し、異国とは隣接しないトーレス領には、他国との間に防護線を敷く必要も無く、その所為か、軍備を反故にしがちな風潮があった。いざこうやって戦乱に巻き込まれて見ると、その不器用さは、他領の兵団と比べるにも値しない無様なものだった。
大河を背に陣を敷く彼らには、退路が無い。ネステが突こうとしているのは、まさにその無知極まりない彼らの布陣だった。
もちろん、敢えて退路を断ち、士気を鼓舞する戦い方もある。が、弛緩しきった兵士たちに使える手法ではない。アウベルダ首都アラカルベが陥落間近という報でも届いたのか、攻め込まれる恐れの無いこの戦線の最後方に位置した兵士たちの陣幕のあちこちから、気の抜けた高笑いが上がっていた。
不意に、背後に気配を感じた。昔からよく馴染んだ気配だった。振り向かなくても、それがだれかネステには判った。
「準備はできたか?」
眼下に広がる湿地帯に視線を落としたまま、背中越しにその気配の主に問いかけた。
「一応は、な」
返ってきたアンドレの声は、不安からか、歪んだ響きを帯びていた。
「何だ?アウベルダの坊ちゃんは乗り気じゃないのか?」
「そっちのほうは大丈夫だ。あの小柄な側近はいい顔をしなかったが、御曹司の方はなんでだか知らんがお前を随分信用してるみたいだからな。俺らの指示通り動いてくれる」
「じゃあ、何でへそ曲げたみたいな声なんだ?え?ダニエレ」
少し間を置いてから、探るような声色で、ダニエレは返す。
「それより本当にいいのか?あいつにいきなりあんな役回りを任せて」
あいつ。
予想はしていた。ネステが布いた配置のある一点に、きっとダニエレは素直には頷かないだろうと思っていた。が、ネステはネステで、確信していた。間違ってはいない。あの場所にはヤツだ、と。
「お前も見ただろう?あれは、思ったよりもおいしい拾い物だった」
言いながらネステは、ユヒレト郊外での一件を思い返す。
一人が三人を斬れ。
そう言い放ったネステの声に呼応して、『赤土の爪』の一団は、三倍もの兵数の『燕尾の尖』に斬りかかった。
不意を突いたその言動に、『燕尾の尖』の傭兵たちはとっさには反応できなかった。一人目、そして二人目までは、無抵抗なまま斬り捨てられることは最初から判っていた。さすがに三人目ともなると、身構える余地はあっただろう。が、国境沿いの紛争地帯を転戦してきた『赤土の爪』の兵たちと、内地での警護職にばかりあたっていた『燕尾の尖』の兵とでは、技量も胎の据え方も格段に違った。例え身構えられたとしても、一対一で負けるはずは無かった。
ただ、それ以上の数の相手を一人で討つとなると、事情は変わってくる。数的不利な状況に置かれ、がっぷりと構えられれば、例え格の劣る相手といえど安易に斬り伏せることはできない。戦場での立ち合いとは、それ程に甘いものではない。が、あの男は、ユヒレトの試し合いで拾った、あのオルグの混血、ミロは、いとも簡単にそれをやってのけた。
ミロはまず、並んで立っていた二人の敵兵を、力任せに纏めて一太刀で薙いだ。踏み出しつつ、返す剣でもう一人、構えを取った相手ふたりと向き合ったかと思うと、飛び上がり、一人の頭蓋を脳天から割った。着地と同時に身を転がし、残り一人の懐に潜り込むと、今度は下から振り上げた剣で、その相手の腹を裂いた。
敵兵の五人が一瞬にして、地に伏した。
「確かに腕は買う」同じように回想していたであろうダニエレが、まだどこか不服げに返す。「でも今回の策は腕っ節だけでどうこうなるもんじゃない。確かにあいつは使えるけど、他に適所があるんじゃないのか?」
「いや、奴で行く。大丈夫だ」
ネステは言い切り、振り向いて、ダニエレの目を真っ直ぐに見据えた。
ほんの僅かな沈黙の後、渋々という感もあったが、ダニエレは溜息と苦笑を交えて頷いた。
「お前がそこまで言うなら、まあ、俺も無理には止めないけどな」
確かに、ダニエレの危惧するところも判らないではない。今回ミロに与えた役回りには、戦況の流れを読む洞察力が求められる。ミロに果たして、その種の才があるかどうかは全くの未知数だった。それに、ああいう立ち回りの技量を持つ人間は、得てして、群の流れを読む器用さや繊細さ、気配りの思考に欠けている事が多い。いざと言う状況に置かれたときでも、自分ひとりで打破できるという自信が、逆に群ではなく個に主観を置かせるようになり、結果、周囲の状況を読むことを反故にしてしまうのだ。冷静に、客観的に見れば、ミロの起用は無謀とまでは言わないまでも、適切ではなかった。
―――それでも、ここはあいつだ。
具体的に言葉に出来る根拠は無かった。言うなれば、勘だった。戦地を転戦してきたネステの嗅覚が、ミロにその役回りを与えろと訴えていた。
「今夜、しかけるぞ。」
ネステは言って、再び眼下の湿原に視線を落とした。
戦を仕掛けるとき独特の高揚感が、既に胸を満たしていた。 |