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SOLDIER SIDE
作:奇之助



【Episode-4】反旗(前)


 海から吹きつけてくる湿った風が、潮の匂いを鼻の奥にまとわりつかせる。べたついた感触が肌を覆う。だがミロにとってそれは、決して不快なものではなかった。
 歩を少し緩めながら、左手に広がる海を眺める。風は、細波を立てながら海の表面を走り、ミロの頬を撫でつけて背後の崖にぶつかり、駆け上がって、その上に生い茂る森の樹々の枝を緩やかに揺らした。
 ミロがネアドの北岸でさらされていたあの荒々しい風とはまったく異なった、柔らかさと暖かさ。それを孕ませているこの南洋の風は、不思議と、ミロを絆してくれた。
 「気持ちいいもんだろ?こういう風は」
 不意に、ミロの胸中の想いに乗っかってくるような言葉をぶつけられて、我に返った。赤く長い巻き毛を頭の後ろで束ねた、長弓を背負った男が、いつのまにかミロのすぐ横を並ぶように歩いていた。確か、ダニエレという名の、『赤土の爪』の副官の男だった。
 新たに籍を置くこととなったこの傭兵団の一軍と共に、早朝にユヒレトを発ってから、ダニエレは事ある毎にミロに声をかけてきた。
 最初は、気遣いなのだろうと思っていた。右も左もわからず、言葉を交わせる相手もいない新参者のミロに、気を遣って、いろいろと語りかけているのだろう、と。要らぬ世話だと思いながらも、相手の良心を無碍にも出来ず、適当に相槌を返してきた。
 が、しばらくして気付いた。
 この男が声をかけてくるのは、気遣いでも良心からでもない。ミロを洞察しているのだ。ミロの心情に乗ってくるような言葉を、だから、投げてよこす。南洋の風にさらされていた今も、やはり。
 「北岸の風は、酷いもんな」
 ミロは何も語ってはいない。それでも、ダニエレの言葉はミロが胸の中だけで発したミロの想いに応えるような口調だった。それが、何もかもを見透かされているようで、少し身構えるようなまなざしになってしまう。
 「俺らもさ、イェンゼン領の北岸を荒らしていた海賊討伐で、北海沿いに行ったことがあるんだけど、ありゃあひどかったな。北限の風、って言ったっけか、確か。」
 言ってダニエレは、無邪気に笑む。が、その目は、どこか覚めているようで、どこか、鋭い。
 ミロは無言で、頷き返した。身構えているからか、ぎこちない仕草になってしまった。そんなミロの心情を汲んだのか、そうではないのか、どちらともつかない笑みを携えたまま、小さく何度か頷くと、ダニエレは歩を早めてミロの傍を離れた。
 ―――気が、抜けない。
 思わず、溜息と共に呟きが漏れた。
 『赤土の爪』は、『燕尾のせん』と称するもうひとつの傭兵団と共に、アウベルダとトーレスの領境付近に設営された兵糧砦の警護を命ぜられた。ユヒレトから伸びる南洋沿いの街道を東へと行軍する彼ら一団には、前線への派遣を避けられたからなのか、どこか弛緩した雰囲気が漂っていた。
 遅々とした歩み。一団のあちらこちらから発せられる、緩い笑い声。
 この反乱鎮圧に名を連ねているだけで、それなりの武功は得られる。であれば、前線から遠い砦の警護だけで任が果たせるなら、これ以上徳なことはない、と、ユヒレトを出たばかりのとき、ダニエレが教えてくれた。
 ―――こんなものか・・・
 正直なところ、最初にミロの胸中を満たしたのは、落胆だった。
 戦とは、もっと判りやすいものだと思っていた。単純に、剣を振り、抗う相手を薙ぎ続けさえすればいい。自分の足元に屍を累々と積み重ねていくことこそが、功を立てる、というものなのだと。
 違うのだ。現実は。
 全ての王国側の兵団が、戦場に立つわけではない。軍略と呼ばれる煩わしい処方によって、戦場から遠ざけられる兵団もまた、ある。ミロは『赤土の爪』と共に、遠ざけられる側の人間に追いやられたわけだ。
 もちろんそれを、徳と見る輩もいる。命を賭す事無く功を得られるのなら、何も憂うことなどないと、嬉々とする者らも。共に行軍する、目の前の連中がまさに、だった。
 だから、弛緩する。それがミロには腹立たしくてならなかった。
 そう、最初のうちは。
 ダニエレの不快な洞察を察したときから、ミロはおぼろげにではあるが、『赤土の爪』と『燕尾の尖』の団員達の間に、微少ながらも決定的な違いがあることに、気付いた。
 どちらの団員も頬を緩め、微塵の緊張感も無しに行軍しているように、表向きは見える。が、『赤土の爪』の団員達の目は、どこか虚ろな濁った光を宿していた。まるで胸中に潜める何かを、覆い隠すかのように。ダニエレと同じ、冷めているようで鋭いまなざしを、団員の全てが携えているのだ。
 ―――何かが違う。他の、例えば『燕尾の尖』の連中とは、何かが。
 それが具体的に何かはわからない。ただ、彼らの放つ違和感に胸をざわつかせずにはいられなかった。
 不意に、前方を歩くダニエレが右手の空を仰いだ。単純に視線を投げるだけだったのなら、特に気に留めることもなかったが、殺気立った気配がそこに伴っていたから、ミロもつられて見上げてしまった。
 行軍する街道の右手には、断崖があった。断崖の上には、鬱蒼とした森が広がっており、その深い森はトーレス領にまで広がっていると、ついさっき、ダニエレに聞いた。そのダニエレが、視線を頭上の森から離さないでいる。
 ―――何か、あるのか?
 森の樹々が、海から吹きつける風に葉を揺らすだけで、ミロには何も、取り立てて怪しい気配は感じられない。
 ふとダニエレに視線を戻し、もう一度断崖を見上げたその刹那だった。
 何か、いや誰かが、断崖の上の森からはじき出されるように、飛んだ。







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