第七話 夜明け前
白鷺の飛び立つ姿に似ているという。美しい鳥の名がついた城に、一騎の兵が駆け込んだ。
「狩野様にご報告申し上げます。遊馬の残党が、乙矢と接触した模様。第三・四・五・六分隊にて山に追い込み、首謀者を取り押さえたる作戦につき、至急応援を、とのことにございます!」
それは、西国の蚩尤軍をまとめる武藤小五郎よりの使者であった。
「そうか。では、乙矢はすでに確保してあるのだな」
狩野天上は確認のつもりで兵に質問する。その、生気のまるでない白い顔から表情は全く読めない。女が紅を差したような赤い口元は、異様な光を放っている。狩野様は人を喰って生きている本物の鬼だ、そんな噂が真実に思えるほどであった。
「あ、あの、それが……」
「どうした」
「武藤様が精鋭部隊を送られたのですが、とり逃がしてしまいまして……」
狩野の眉がヒクッと動いた。兵は慌てて付け加える。
「これまでも何度か見失いましたが、すぐに見つかりました。ご心配には及びません。四天王家の一角とはいえ、あんな愚図、明日にもこの場に連れ、連れ、つれ、れ」
狩野の右腕が微かに動き、次の瞬間、兵の首は彼の刀の上にあった。首と胴が離れたことにすら気付かず、兵はしゃべり続けようとするが……やがて、ゴトンと床に落ちる。
「始末せよ」
近習の者に短く命じると、軽く血糊を振り切り、刀を腰にしまった。
何が精鋭部隊だ。その愚図に簡単に手玉に取られているではないか。あの方の言うとおりだとすれば、逃がしてやったのではなく、生餌のフリをしていた、ということだろう。
狩野は天守閣を目指しながら妖しげな笑みを浮かべる。
四神剣など妖刀村正と同じようなものだ。いわくつきの剣を集めたに過ぎぬ。四天王家などというご大層なものを創り上げたのは、反乱を封じるための時代の覇者が講じた策に違いない――彼はそう考えていた。
だが、伝説の域を出ていないにせよ、勇者の血脈は絶やさねばならない。そして『青龍二の剣』だ。『青龍』は二本で一対。一本なら、四天王家の血を引く人間であれば、勇者でなくとも鬼にならず、使える者がいるという。
ただ、あくまで可能性だ。かなり危険な賭けとなる。しかも、限りなく勝ち目のない賭け……何しろ、一人も勝った者がいないのだから。
我が蚩尤軍が最後の一本を手に入れた時、四天王家は反乱軍の汚名を雪ぎ、復活する。そうなってようやく、将軍家は猛獣を檻から解き放った事に気付くだろう。後の祭りというものだ。蚩尤軍が幕府の正規軍となり、あの方が真の将軍となる。――勇者の血を引く最後の一人として。
〜*〜*〜*〜*〜
「奴だ……あの野郎が俺達を売ったんだ!」
新蔵が口汚く乙矢を罵った。
確かに、弓月は「山側の町外れに建つ宿に泊まっている。何か話したいことがあったら訪ねて下さい」――立ち去る直前、乙矢にそう告げたのだった。
「乙矢殿が保身のためになさったことなら、仕方のないことだ。居所を明かした私の責任だ。皆、すまない」
「姫さまのせいじゃありませんよ! おいらも、新蔵さんと同じ意見です。そんな奴は男じゃない!」
頭を下げる弓月を、弥太吉は必死に庇う。
その時、斥候に出ていた正三が戻って来た。
「弥太、大きな声を出すな。誰のせいとか言ってる場合じゃなさそうだ。――姫様、山の北口と東口を押さえられました」
「なんだと!」
長瀬が声を上げる。さほど大きな山ではない、夜明けと共に山狩りをされたら一発で見つかるだろう。闇に紛れて包囲網を突破する以外に道はないのだ。
「他に道はないのか?」
比較的、冷静な声で弓月が尋ねた。
「判りません」
「正三! 真面目にやれ!」
「私は充分に真面目ですよ、長瀬殿。初めての土地で抜け道など知ろうはずがない」
全員の額から汗が流れた。
その直後、後ろの茂みが激しく揺れた!
全員が咄嗟に刀の柄に手を掛ける。
そこから飛び出してきた人影に、最後方にいた新蔵が条件反射で斬り付けた。
「ちょ……待て、待てって!」
「斬るなっ! 新蔵」
その声は誰あろう乙矢だ。真っ先に気付いた弓月が、新蔵を引き止めるが――すでに薙ぎ払った剣先を止めることは不可能だった。
乙矢は急制動を掛けて止まる。その喉元を目掛けて、新蔵の刀が襲い掛かった。
――瞬間、新蔵の目に乙矢が消える! 咄嗟に屈み込むと地面を転がって刀を避けたのだった。
ホッとする弓月とは逆に、乙矢の顔を見た途端、怒りが再燃したのが新蔵だ。
「貴様ぁ! どの面下げて弓月様の前に出て来れる! 今度こそ叩き斬ってやる!」
再び刀を振り上げる新蔵を、正三が羽交い絞めにする。
「待たんか。落ち着け。――おい、お前、なぜここにいるんだ?」
「決まってる! 連中に俺達の居場所を教えて命乞いしたのだ。それでここまで逃げてきたのだろう。違うのかっ!?」
正三の問いに、乙矢より先に新蔵が答える。
「新蔵! 貴様は黙っとれ!」
長瀬に一喝され、さすがの新蔵もしゅんとなった。長瀬はそのまま乙矢に向き直り、
「乙矢殿、正三の問いに答えて頂こう。返答しだいでは拙者がおぬしを始末する」
それは、静かだが充分な威嚇であった。柄に手も掛けていないのに、全身から沸き立つ殺気に、乙矢の足が竦む。
だが……なぜ来たのかと問われても、それは乙矢にもよく判らなかった。
この一年間、弓月らとって心の休まる時はなかったであろう。だが、それは乙矢も同じだ。しかも、彼はたった一人、助け合う仲間も身内もなく、ただ一矢の生存を信じて逃げ延びた。なんとしても、一矢に会い、伝えなければならない言葉があったからだ。その後は……。
お六が蚩尤軍に、乙矢を訪ねた浪人たちの存在を密告し、奴らは乙矢まで狙った。これまでも、見張られていることには気付いていた。四天王家の残党を釣り上げるための餌にされていることにも、だ。
弓月らが望みを託して乙矢の元に来たように、乙矢も、最初に自分を訪ねるのが、兄・一矢であることを願っていた。一矢が死んだはずはない。どれほど離れていても、それだけは判るつもりだ。
だが、爾志家の誇り、『白虎』の主に違いないと言われた一矢ならともかく、自分が弓月の元に駆けつけて、一体、何をしようというのか……。
「乙矢殿。我らのせいで襲われたのではあるまいか? その袖口の血は先ほどはなかった。怪我をされたのですか?」
弓月の声は、信じられないほど優しいものだった。自分自身も窮地に立たされているはずだ。他人を気遣う余裕などあるはずはないのに……。
「……出口は全部塞がれたぜ。夜明けと共に山狩りだとさ。東国に逃がさないため、北と東は特に大軍で固めてあると言ってた。その人数で正面突破は無謀だ」
本当は山に追い込まれる前に、と弓月に教えられた宿まで急いだが、そこは既に襲われた後であった。乙矢は無心でそれぞれの追っ手の目を掻い潜る。そして、地元の猟師に教わった獣道を駆け上がり、ようやく追いついたのであった。
心の声が彼に問い掛ける――お前に何が出来る?
(何も出来ない)
一矢が助けに来るのを待つ事しか、乙矢には出来ない。
だが、どうしたい? と問われたら……弓月の危機を見過ごすことは出来ない。迷いながらも、そう答える乙矢であった。
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