第五十二話 里の攻防・決戦(一)
一刻も早く、弓月の許に行かねばならない。そんな彼らの前に『鬼』が立ちはだかった。
「なんで、こうなるんだよっ!」
里の中心部まで駆けつけた時、そこはまさしく、地獄絵図と化していた。
乙矢の叫び声に、横たわる一人の兵士が必死で腕を伸ばす。新蔵は飛びついてその手を握った。それは「我が藩主の下に戻りたい。弟を救ってくれたから信じる」そう言った、兄のほうであった。だが――腹は裂かれ、臓腑は体内から流れ出ている。最早、彼の願いを叶える事は不可能だろう。
「おいっ! しっかりしろよ。鬼か!? 誰が神剣を抜いたんだっ!」
「む、とう……が。……生、きて……かえり……おとう、とを」
「弟? 何処だ? おいっ!」
力なく崩れ落ちる、その手を握り締め、新蔵の肩は小刻みに震えていた。
「俺の……せいか? 待ちきれず、神剣を置いてこの場を離れた、俺の」
「違う! 俺が殺さなかったからだ。あの時、武藤を……殺りさえすれば」
血管が浮き出るほど拳を握り締め、後悔の念を吐き続ける二人の頭上に、それを断ち切るような正三の声が響いた。
「反省会は後にしろ――奴をどうにかしてからだ」
「!」
青ざめる正三の瞳は、二人の頭上を通り越し、一点を凝視する。そこに居たのは『青龍の鬼』と化した武藤であった。
〜*〜*〜*〜*〜
「たったこれだけしか、残っとらんのか!?」
武藤が蚩尤軍兵士と合流した時、生き残った兵士は約二十人、当初の五分の一まで減っていた。
「さあ、その神剣をこちらに寄越せ!」
「お待ち下さい。我らは、幕府転覆を謀る首謀者の一味を殲滅するため、蚩尤軍に組しております。すべては、我が藩主の命にござりますれば。武藤様のご命令には、いささか不審な点がございます。これより江戸に立ち戻り……」
全てを聞く前に、武藤は左手で刀を抜き、逆らう兵士の首を刎ねた。そして、白木の箱を奪い取る。
最早、他に手立てはないのだ。あのような腑抜けの小僧にコケにされ、おめおめと引けるものではない。しかも、わずかな間に兵士らの心まで攫むとは。そう、ほんのひと月足らずで、まるで別人のように変貌を遂げた。眠れる竜が目覚めたかのような、爾志乙矢という男はいったい……
“四天王家は勇者の末裔、剣に宿る鬼が己の主を選び、勇者となる”
それを思い出した瞬間、武藤の背中に冷たいものが伝う。
(まさか……乙矢が……まさか)
不吉な想像を振り払うように、武藤は慌てて白木の箱から蓋をもぎ取った。そして、中に納まった『青龍一の剣』の柄を鷲づかみにする。柄を染め上げた血は、武藤の手の平から体内に吸い上げられた。まるで、血に飢えた鬼が飲み干すかのようだ。彼は恍惚とした表情で、躊躇うことなく神剣を鞘から引き抜く。刀身は錆びた色を放つが、刃毀れ一つなく……
――我を手に。
耳ではなく、体内に響き渡る。
――最強の力をお前に与えよう。さあ、敵を殺せ。我が選びし勇者よ。敵は斬らねばならん、殺せ!
それは、思いのほか心地良く、武藤が人として聞いた最後の声であった。
〜*〜*〜*〜*〜
「おとやぁ〜しょうざぁ〜」
「馬鹿やろう! おきみ、出て来んじゃねぇ!」
なんと、おきみが寺の横で手を振り、声を上げている。本堂の隅にある小部屋……一矢がいた部屋に隠れるよう、きつく言い渡したはずだった。
「待て、様子が変だ」
「しょうざ! しょうざ!」
相変わらず、名前しか呼ばぬが……おきみの必死な素振りは、正三の心に通じるものがあったらしい。
「ひょっとして、里の連中が戻ってきたのか?」
ブンブンとおきみは首を縦に振る。
「な、なんでアレで判るんだ?」
乙矢の質問を軽く無視して、正三は呟いた。
「一旦静まったので戻って来たのだろうが……まずいな。もし、武藤の目に入れば恰好の獲物だ」
「俺が、止めます! 織田さん、後、お願いしますっ!」
「待て、新蔵っ!」
正三が叫んだ時、既に新蔵は走り出していた。チッと舌打ちし、後を追おうとしたが……。その手を乙矢が引き止める。
「俺が行く」
「駄目だ」
「何でだよ。第一、あんたにはもう、戦う得物もねぇだろがっ! それに」
全身傷だらけだ。背中の傷も深手ではないが、かすり傷とは言い難かった。そんな正三に、これ以上戦わせる訳にはいかない。
「人のことが言えるか。俺が負わせた肩の傷は、まだ癒えちゃいないだろう」
「か、かすり傷だ!」
言われて思い出し、傷が疼き始める。
「それに……人を殺せぬお前に、鬼は倒せん。いや、ここに姫様がいたら別かも知れんが」
痛い所を突かれ、グッと黙り込んだ。乙矢の肩を掴み、正三は前に出る。
「お前はおきみを守れ。――里人にも」
不意に、正三の言葉が止まった。乙矢の拳が鳩尾に食い込んだせいだ。
「こうでもしなきゃ止めらんねぇだろ? おきみ、正三を頼んだぞ!」
「おとやっ!」
膝を突く正三を残し、乙矢は新蔵の後を追うのだった。
「あの……馬鹿。怪我人だぞ、少しは手加減して行け」
「……しょうざ?」
ゆっくり立ち上がりながら、痛そうに顔を歪めている。そんな正三の様子がおきみは酷く心配そうだ。
「ああ、大丈夫だ」
(――出来ればこの眼で、勇者の誕生を見たいものだな)
乙矢の背中を眺めつつ、心から願う、正三であった。
〜*〜*〜*〜*〜
「うぉぉおおおお!」
雄たけびを上げ、武藤小五郎が突進してくる。その手には『青龍一の剣』が握られていた。
新蔵は咄嗟に峰を返し受け流す。正面からまともにぶつかったのでは刃が持つまい。新蔵が鬼と斬り合うのは、これが三度目であった。
最初は正三で、訳の判らないうちに長瀬に突き飛ばされた。そして、先ほどの鬼だ。あれは既に人ではなく、骸と化した鬼の傀儡に過ぎなかった。刀ではなく、折れ掛かった首を角材で叩き落とし、息の根を止めた。
だが……武藤の、雄牛の如く太い首を目の当たりにし、刀を持つ手が震える。
「――ハアッ!」
深く息を吸い、一気に吐く。気合一閃、武者震いを振り切った。
新蔵は後方に飛びずさると、あらためて間合いを取る。左上段に構え、拳の下に武藤を捉えた。体格は互角だ。力比べで負けるわけにはいかない。それに……自らの失態である。取り戻さねば、弓月の前には出られない。
一瞬、武藤が目を逸らせた。新蔵はその隙を突いて、武藤の首目掛けて刀を振り下ろす。
だがそこは、分厚い筋肉の鎧で守られていた。普通に殺すためなら突けばいい。目玉でも喉笛でも、然しもの奴にも鍛えられない場所がある。しかし、殺しても鬼は止まらないのだ。新蔵の渾身の一撃は、武藤の首に四分の一ほど食い込み、止まった。挙げ句、刃が血肉に巻き取られ、どうにも外れない。
「なっ……くそっ!」
新蔵が、言葉に出来たのはそこまでだった。武藤は首から血の雨を降らせながら、その顔は不気味な笑みを浮かべている。直後、『青龍一の剣』が新蔵に襲い掛かった。丸腰となっては、後は逃げるしか手はない。
剛剣は掠めるだけで新蔵の浅黒い肌を切り裂いた。
乙矢を追いかけ、すぐに取って返し、しかも戦闘を挟んでの強行軍だ。丸二日、まともに眠ってもいない。そして、不覚にも足が縺れ……地に膝が突く。
斬られる、と思った瞬間、武藤の動きも止まった。どうやら首に刺さった刀が邪魔になったらしい。自ら抜き、それを投げ捨てた。
だが、その好機を見逃す新蔵ではない。足元の死体が掴む刀を奪い――刹那、攻撃に転じた。
御堂です。ご覧頂き、ありがとうございます。
最も書きたかった山場に差し掛かっており、推敲・加筆のつもりが、ほぼ書き直し状態です(苦笑)
53・54話はなるべく一度に投稿したいので、次回更新が少し遅れるかも知れません。申し訳ありません。
懸命に執筆しておりますで今しばらくお待ち下さいませ(平伏)
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