第五話 神剣に宿る鬼
――「私と来るなら、そなたを守って差し上げるが」
その言葉を聞いた時、乙矢は驚いて声も出なかった。
なるべく人目につかず、噂にならず、身を潜めていたつもりだったのに、とうとう見つかってしまった。多分、同じ顔の別人を期待して来たのだろう。
新蔵、と呼ばれた男には本気で殺されると思った。いっそ、それでも良かったが……いや、まだ死ねない。一矢は必ず自分を助けに来るはずだ。それまでは、決して死ぬ訳にはいかない乙矢であった。
一矢と乙矢の兄弟は、四半刻も違わずに生まれてきた。赤ん坊のころから、親も見紛うほど、全く同じ姿形をしている。同じように育てられ、六つの頃までは親の期待も等分であった。
だが、次第に差がつき始める。何事にも積極的で器用な一矢に比べ、乙矢は消極的で怖がり、おまけに泣き虫であった。
爾志流古武術二十三代目宗主の父は、非常に厳格な人物だった。それは他人に対してより、自身に対して、或いは、最も身近な二人の息子には格段厳しかった。
幼い頃から勝気で負けず嫌いの兄・一矢は、倍も年上の少年を相手にしても、一歩も引かない。それに比べ……。
乙矢は、剣術も体術も稽古は嫌いではなかったが……いざ勝負となると逃げ出してしまう。臆病者、面汚しと父から叱られ、折檻されることもあった。
「一矢の気迫の半分でも乙矢にあれば……」
何度となく言われた言葉だ。そんな時に庇ってくれたのが兄であった。
「乙矢は優しいんだ。乱世ならともかく、この治世で神剣の持ち主など必要な事態にはならないよ。だったら、乙矢のように穏やかな奴がいても問題ないさ。何かあったら弟の分も僕が戦うから。乙矢はそのままでいいよ」
父に叱られるたび、一矢はそう言って慰めてくれたのだった。
「一矢、何処に居るんだ。戻ってきてくれ……助けてくれよ、一矢」
膝を抱え呟くと、知らず知らずのうちに涙が込み上げてくる。
「お前がいたら……お前だったら、父上も母上も姉上も死ななかったのに。俺は、生まれて来なけりゃ良かったんだ。なんで、器だけ同じで、中身のまるで違う俺なんかが、この世に生まれて来たんだ」
自分は一矢という太陽の影に過ぎない。太陽が消えれば、影も消える。
――その想いは、物心ついた時から、乙矢の中に刷り込まれていた。
そして今日、一矢の許婚である弓月に出逢う。遊馬の姫、男の身なりをしていても、冴え渡る月のように美しい穢れなき乙女だ。『白虎』の勇者に違いないと言われた一矢の花嫁に相応しい姫君。
どぶの中を這いずって逃げ回り、泥と小便にまみれながら命乞いをする。そんな男には、近づく事も叶わない……。
(何を考えてんだよ、俺は)
愚かな想像に、乙矢は、無造作に髪を掻きむしった。
だが、その背後には複数の影が迫っていたのだった。
〜*〜*〜*〜*〜
宿場の一番外れに遊馬一門は宿を取っていた。理由は、敵に襲われたとき逃げやすいため、である。
乙矢を訪ねた四人から話を聞き、十歳を過ぎたばかりの扶桑弥太吉は同じく留守を守っていた遊馬凪に話しかけた。
「凪先生、これからどうするんでしょうか?」
「弓月どのは一旦東国に戻り、打倒蚩尤軍の旗の元に戦士を募ると言っていましたが……」
凪は、弓月の亡き父の弟だ。『青龍』の主ではないか? と言われたほど、剣術の腕は確かであった。だが十八のとき病を得て、二ヵ月余り死線を彷徨う。命は助かったものの失明、その時に刀を捨て、医者の道を選んだのだった。
蚩尤軍に襲われた時、里を廻り治療にあたっていた彼は、危うく難を逃れた。後日、逃げ落ちた弓月らと合流したのだった。
目は見えぬが、日常生活では全く困ることはない。それ以上に、自分の身を守る術も持っている。三十代半ばになるが妻は娶っておらず、どこか浮世離れした……聖人の風格を漂わす男であった。
「ともかく……ここは敵地の真ん中。地の利もない。味方を得られぬとなれば、一刻も早く立ち去るしかないでしょう」
「それにしても頭にきますよね! 男のくせに、親の仇を討とうともせず逃げ出すなんて。信じられません!」
弥太吉も、新蔵と同じく憤慨していた。
彼の父・小弥太も師範代であった。宗主とともに討ち死にし、弥太吉が母や弟妹を連れて、里へ逃げ延びた。その後、隠れ里を訪れた弓月一行に、強引に同行を願い出て……その執念に、とうとう根負けしたのだった。
「心に蓄えた勇気を、簡単に引き出せる者もいます。だが、弱さに負け、逃げ出す者もいる。弱いことは罪ではない。それを責めることも、戦いを強要することも出来ないのだよ」
凪は穏やかに諭した。
「それは……判っています。おいらだって、商人や百姓の倅に、刀を取って戦えなんて言わない。でも、そいつは爾志家の男なんでしょう? 神剣を守護する四天王家の筆頭が、そんな腰抜けなんて……おいらには赦せない!」
神剣を守護する四天王家――『白虎』の爾志家、『朱雀』の皆実家、『青龍』の遊馬家、『玄武』の喜多家を指す言葉だ。
遥か昔、この国が外敵より攻められ、それらから国を護ったのがその四つの神剣を手に戦った、四天王家の祖先だという。彼らは勇者と呼ばれた。そして、いつかまた、この国が危機に晒された時に、彼らの子孫から、再び勇者が生まれる、と。
凪自身、その血を引く者として、子守唄のように繰り返し聞かされてきた伝説である。
しかし、これら神剣には、恐ろしいもう一つの伝説があった。
神剣には鬼が宿るという。その鬼が、自身の柄に手を掛けた者の中から主を選び、『神剣の主』と称され勇者となる。だが、もし、選ばれなかった時は……。
神剣の鬼は、望むままに、際限なく血を欲する。その波動は余人に抑えきれるものではなく……そうなれば、敵も味方もない。徐々に人の心を失い、目の前にいる者を斬るだけの鬼となるのだ。
蚩尤軍の目的はその鬼を作り上げることだと凪は考えている。いや、すでに実用している可能性もある。もたもたしていれば、この宿場町に『青龍一の剣』を手にした鬼が送り込まれるだろう。
呵責も苦痛も持たぬ『鬼』――戦闘用の殺人機械として使うには、なんと便利な存在だ。
だからこそ、伝説の勇者に顕現されては、奴らの計画は崩れる。
もし、喜多と皆実の血統がすでに絶えていた時、遊馬の弓月・正三・凪の三人と、爾志の一矢・乙矢兄弟を殺せば、勇者の血脈は絶える。
一矢を除く四人が集結しているこの状況は、甚だ危険としか言い様のないものだろう。
だが……これは偶然であろうか?
乙矢の言い分は理解できないと、弥太吉はまだ不服を唱えている。その背後に、不穏な空気を察する凪であった。
〜*〜*〜*〜*〜
同じ宿の一部屋で、弓月らは東国に戻る手立てを思案していた。
「姫……どう考えても、街道を行くのは危険でござろう」
「そうだな。山越えは大変だがやむ得ない。一旦、京に抜けよう」
「されど、一つ懸念が」
長瀬が暗い顔で続けた。
「あの男が蚩尤軍に通じておれば、すでに罠が張られている可能性もござる」
「だが、長瀬殿。街道は危険、山にも罠があるとなれば……空を飛ぶか、地に潜りましょうか?」
正三は軽口で応じる。だが、新蔵は違った。
「あの野郎をもっと締め上げてやれば良かったのだ! いや、裏切り者であるならいっそ……」
「新蔵、もし奴が敵に通じていれば、あの場に長く留まる方が危険であろう。それに、姫様の前だ……言葉を慎め」
「奴が使えぬ男だと判った以上、関わる理由もない。二度と口にするでない」
弓月を気遣う正三と、容赦なく切り捨てる長瀬に諭され、意気消沈して黙り込む新蔵であった。
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