第四十九話 期待の重さ
乙矢は、敵の足に突き刺した刀を一気に引き抜く。そのまま、武藤に向かって走った。だが、距離は圧倒的に奴の方がおきみに近い。
しかし、正三の方が更に近かった。重量感のある武藤と、正三は再び刀を合わせる。一合、二合、と斬り結び、三合目――正三の掴んだ借り物の刀は弾き飛ばされた。正三は、咄嗟におきみを抱え、脱兎の如く駆け出す。だが、その背を武藤の刃が掠めた。
「正三っ!」
ようやく追いついた乙矢が、二人の間に飛び込んだ。その瞬間、武藤は刀を引き、乙矢と距離を取る。
「正三、無事かっ!」
「……ああ。かすり傷だ」
近くで見ると正三は満身創痍である。それもこれも一矢の、ひいては自分のせいだと思うと、乙矢の胸は痛む。
「ほう。よくぞ拙者に楯突けたものだな。姉を置いて逃げ出し……神剣を手に命乞いした小童がっ!」
武藤は、燃え立つ殺気を隠そうともせず、乙矢らの眼前に立ちはだかった。
対して――乙矢がいくら自尊心を取り戻したとはいえ、即席で勇者になれるはずはない。相変わらず膝が笑い、股間の一物は縮み上がっている。
だが……静かに、そして深く呼吸を重ねた。腹に残った息を吐き出し、臍下丹田に気を入れる。
剣先は脛下下段、地の構え、あくまで“守り”だ。
「だったらなんだ。――武藤小五郎、貴様に訊ねる。姉上の最期を誰に話した?」
「姉? 最期とは……いかに楽しんだか、ということか?」
何を今更とばかり、鼻で笑って武藤は答えた。だが、乙矢には重要なことだ。
「んなこと聞いてんじゃねぇ! 姉上が、自ら首を吊られたことを、人に話したのかと聞いてるっ!」
「なぜ話さねばならん! そのようなこと、あの場にいた者なら皆知っておろうがっ!」
返事と同時に武藤は踏み込み、右上段から刀を振り下ろした。
乙矢の左肩に切っ先が触れる。食い込む寸前、半身を引いて刃をかわす。残した足を軸に、乙矢は逆袈裟に斬り上げた。しかし、新蔵の刀は細身の乙矢には重い。ぶれた剣先は武藤の腕に食い込む、が――切断するには速さが足りない。
己の利き腕が斬られ、血が吹き出す。しかも、完全に見下した小僧相手にだ。その事実に驚愕し、武藤は数歩後退した。
「乙矢っ! 止めだ!」
背後から正三の声が響く。無論、乙矢の耳にも届いていた。だが、自ら斬りかかることがどうしても出来ない。
「刀を……捨ててくれよ。里の蚩尤軍兵士は、皆、正気に戻ったぜ。もう、貴様に従う奴はいない」
「笑わせるなっ! 拙者に降参せよと申すか?」
「これ以上戦って、死体を増やして何になる? それでもやるんなら掛かって来い。俺が引導渡してやる」
「――よかろう。捨ててやろう」
言うなり、武藤は左手に持った刀を乙矢に向かって投げつけた。
乙矢が、それを叩き落とした瞬間、鼻先に武藤の顔があった。奴の左手に抜き身の脇差がある。後一歩で腹に刺さる――乙矢がヒヤリとした時、武藤の頬に刀の柄が食い込んでいた。
「し、正三……」
「震える声でハッタリは通らん。爾志の宗主から教わらなんだか?」
正三が脇差を抱えて立っている。その声は珍しく怒気を含んでいた。
「織田さん! 無事ですかっ!」
それは新蔵の声であった。闇の中、乙矢の来た同じ方向から聞こえる。
――ハッとして、乙矢と正三が振り向いた時、武藤の大きな体は森に吸い込まれた後であった。
この時、安殿の溜息を吐く乙矢を、正三は見逃さなかった。
〜*〜*〜*〜*〜
その頃、弓月らはなんと、美作から北上するため津山を目指していた。
美作の関所には十人足らずの番士が構えるだけであった。とくに、蚩尤軍兵士というわけでもない。切迫した危機感とは相反して、日常的な業務を遂行する彼らに、弓月らは首を傾げた。
しかし、そんな疑問は抱くだけ無駄となる。一矢は、なんとその番士らを、一人残らず斬り捨てたのだ。
「一矢殿、何という真似を!?」
気色ばんで、一矢を責める弓月を軽く往なしつつ、
「何とは面妖な。私は敵を斬っただけだ」
「彼らは蚩尤軍兵士ではなかった。幕府に命ぜられた、諸藩の藩士でありましょう! それを問答無用に斬るなど……」
「姫。ここは、神剣を探すのが先でござる。今はどうか……お引き下され」
長瀬が必死で弓月を押し止めたのだった。
だが、どれほど探せども神剣を納めた白木の箱は見つからず……。
「神剣の気配はないようです。もしや……入れ違いに、里に向かったのやも知れませぬ」
「なんと! 凪先生、それならば一刻も早く里に戻らねば。神剣の鬼が里を襲えば、正三ひとりでは防ぎようがござらん」
凪の言葉に長瀬が呼応し、弓月も来た道を引き返そうとした時だった。
「それは出来ぬ」
「何故です!? 里人を見殺しには出来ません。私は正三と約束したのです。すぐに戻ると」
番士の体から流れ出る血は、土間を伝い、弓月の足元まで辿り着いた。草履越しに感じる生温さに、娘じみた悲鳴を上げそうになる。だが、その足先に一矢の視線を感じ……弓月はわざと力を入れ、土間を踏み締めた。
「このまま戻っても多勢に無勢。ましてや神剣が手元にない今、我らに勝ち目はない。ならば、南国の皆実に向かい宗次朗殿と合流を果たすのが良策。そうは思われぬか? 遊馬の宗主殿」
「一矢どの。お言葉ですが、里には正三がおります。一門の剣士を見殺しにするわけには参りません」
「ならば尚の事、奴が里を守るであろう。全ては蚩尤軍を倒すため、大義のためには多少の犠牲は止むをえぬというもの。違うか?」
不覚にも、その言葉は弓月の胸に動揺を誘った。
つい先日、自分も同じ言葉を口にしたからだ。里人を囮にしようとした。大義のため、涙を飲んで堪えねばならぬ時もある、と。だが、乙矢だけは、その考えを撥ね除けた。
「乙矢殿は、そうは仰らなかった。力はなくとも、丸腰で里人を救おうとなさいました!」
ガンッ!
弓月の口から乙矢の名がこぼれた瞬間、一矢は長刀を鞘ごと抜き、手近な水瓶を叩き割った。備前で焼かれたそれは土に還り、中の水は土間に流れる血と混ざる。
「この私と、乙矢を比べるなっ! 次は許さぬぞ。私の命令に従え!」
「なっ!」
言い返そうと口を開きかけた弓月を制し、凪は静かに問い掛けた。
「先ほど、番士らを斬ったのも脇差。今も長刀は抜かれませんでしたね。理由をお聞かせいただけますか?」
静かだがうむを言わせぬ口調だ。大番所の空気は一瞬で凍りつく。凪の徒ならぬ気配に、長瀬も柄に手を添え、最小限の動きで弓月の後ろに立った。
「――屋内の戦闘で長刀は不利。それが理由にならぬと言うなら、抜いて見せるが」
一矢の声も張り詰めている。弓月も決して鈍い方ではない。だが、気配のみに頼り、常人と違わぬ動きを見せる凪には遠く及ばない。
「判りました。仰るとおり……南国の皆実家を目指しましょう」
凪の予想外の返答に、弓月は苦渋の思いで言葉を飲み込むのであった。
凪には見ることが叶わぬ分、気配で大方を察する事が出来る。
今の一矢から感じた気……正体は判らぬが、それはまさしく神剣の波動。しかも『青龍』ではなかった。これまでは上手く隠していたが、里の結界から出たことで、気配が絶ち難くなってるようだ。
里には蚩尤軍の侵入を防ぐため、強めの結界を張った。永遠のものではないが、時間稼ぎにはなるだろう。新蔵の怪しげな気配も察していたが、それを知ったうえで、乙矢を追わせたのだ。
これでもし、勇者が目覚めぬ時は――吉備の山中で迎える最期を、覚悟する凪であった。
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